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歴史の愉しみ方

 先日娘に買ってやった新書3冊のうち、後回しにされていた磯田道史の『歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ』というのを読んでみた。『武士の家計簿』の原作者で、読売新聞への寄稿は時々目を通していたが、こんなにすごい人物とは知らなかった。古文書を探し出す自慢話の集まりなのだが、とにかく頭が下がる思いである。忍者の実像を探る、歴史と出会う、先人に驚く、震災の歴史に学ぶ、戦国の声を聞くという5章に分かれるが、全体として50程の短いエッセイの寄せ集め、まとまりがあるようでない本なのだが読み易いことは確かである。何に驚かされたかと言えば、研究への自分のお金の使い方である。僕も20年以上研究というものに携わっているが、国からの研究費頼みで何とかここまでやってこられた。自分の懐が痛むようなことはあまりなかったし、今ではありがたいことに家族が生活して行けるだけのじゅうぶんな給料ももらっている。元を辿ればみんなが払ってくれた税金である。この著者はおそらく研究者になる前から自分のお金で、あちこち歩き回り、旅をして古文書を探し出し、買えるものは自分で手に入れて、人生を楽しんできた。そしてこんな楽しい本を書いて、歴史の愉しみ方を説き、印税を稼いでいる。第3章先人に驚くに、手塚治虫と幕末西洋医という話がある。その中に「金は稼ぐより真に価値あるつかい方をするほうが難しい」と書かれ、手塚のご先祖様を褒めているのだが、いやいやこの著者もなかなかである。
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おろしや国酔夢譚

 吉村昭の『大黒屋光太夫』を読んで感銘を受けたのはもう3年以上も前になる。井上靖も同じような話を書いていることを知ったのだが、ふとそんなことを思い出し、再びあの興奮を味わいたくなった。薄い本かと思っていたが、図書館で予約して手にしてみるとそうでもない。吉村昭のと同じような分量か。井上靖『おろしや国酔夢譚』である。あらすじと結末は知っているので、興奮というよりも懐かしさを感じながら読み進めた。両者を比較してみたいところだが、3年も経てば細かいことは忘れている。アムチトカ島に降り立った時、井上は「大地に足がついている限り、どんな環境に置かれようと、自分の判断と決意と努力で、それを少しでもいい方へと持って行けぬ筈はなかった。」と書いている。この言葉は非常に印象的だ。それから10年間、ロシアでの生活の詳細な記録が残っていることに驚いていたが、この本を読んで、光太夫が熱心に記録を取っていたことを知った。今だったらコンピュータに打ち込めば済むが、当時は紙が必要だし、筆記用具は一体何なのか。筆なのか。とにかくそれらを用意して、10年間、保持して運んでいたわけだ。とても頭が上がらない。江戸に帰ってから光太夫は「日本人にては桂川甫周様、中川淳庵様と申すお方の名をば、私どもの面倒をみてくれました学者のキリル・ラックスマンは知っておりました。」などと、桂川がいる前で言ったという。将軍家なんかよりも学者の名である。『大黒屋光太夫』の2003年に対し、『おろしや国酔夢譚』が連載され始めたのは1966年である。当時は、帰国後の光太夫と磯吉が江戸で比較的自由に生活できたことは知られていなかったという。決して見てはならぬものを見てきてしまい、小説の上では規則や形式を重んじる日本での制限を受けた余生を送ることとなる。史実とは異なるのかもしれないが、自分の生まれ育った国は客観的に見るとどんなところなのか、ロシアとの比較により少しばかり考えさせられる。

殉死

 NHKのスペシャルドラマとして放送されていたのは2009年から2011年のことだから、ずいぶんと月日が流れてしまった。司馬遼太郎の『坂の上の雲』だが、このドラマの原作としてもう一冊挙げられていたのが同著者の『殉死』である。図書館で見つけ、薄いので読んでみることにした。文庫本の裏表紙に書かれている紹介には「軍神の内面に迫り、人間像を浮き彫りにした問題作」と書かれている。「問題作」である。『坂の上の雲』に垣間見られる著者の乃木希典に対する醒めた感情からは容易に想像できるのだが、読み終えた感想としては決してそんなことはない。冒頭には、小説としてではなく著者自身の思考材料、覚えがきとして記すなどと書かれていたが、僕には一つのまとまった話として受け入れることができた。朱子学、陽明学の対比からの説明も説得力がある。吉田松陰の叔父である玉木文之進の住み込み弟子であったという事実も忘れてはならない。それに山内昌之という歴史学者の解説、特に妻の乃木静子に関する巻末10ページほどの寄稿だが、これがまた乃木希典を理解する上で欠かせないものとなっている。明治という時代の感覚、そして我が子二人を共に日露戦争で失ったという状況、僕にはとても想像できるものではないのだが。

本当は嘘つきな統計数字

 統計学に関する読み物を探していいたら、なんか変なタイトルだが『本当は嘘つきな統計数字』という本が目につき、図書館から借りてきて読んでみた。当初の目的からは大きく外れていたが、読む価値のある一冊である。僕自身の人生でこれまでに怪しいと思っていたデータを、みごとにそう説明してくれているから痛快でもあったし、そんなこと、当然で今さらそう強調されなくても分かっているよという軽い不快感もある。著者は有名私立大学の経済学部を出た、僕と同じような年齢の男である。経済学部卒とあって、僕があまり得意でない社会科学的なことに対する説明はありがたい。例えば、国の借金を国民一人当たりで計算した報道をよく耳にするが、この単純計算がいかにおかしいか。そんなことが説明されている。メディアの報道を鵜呑みにするものではない。利益相反のことはもちろん、自然科学の分野にも踏み込んで、提示されているデータがなぜ怪しいか、どうすればより正しい解釈ができるかまで著者なりの意見が示されている。僕の専門分野にも入り込んで解説しておりびっくりさせられたが、理解や主張に外れたところがあるようには感じられず、この点からも好印象だった。「人間は無意識のうちに、自分がそうあってほしいと願う情報、あるいは自分の信念に合致する情報を選び、自分が否定したい情報や自分にとって都合の悪い情報を排除する傾向がある」という。良い呼称とは思えないが、これを確証バイアスと呼ぶらしい。ともかく、他人の、そして自分自身の確証バイアスをよく認識してデータを眺め、自分の考えをまとめる必要がある。

醜男

 山崎豊子の中・短編集の最後に収録されていた『醜男』を読んだ。人の外見を前面に出した、けっこう強烈な話だ。夫婦の関係を嫌でも考えさせられる小説である。話が終わりに近づき、いやいやははり人は外見よりもと思わせつつ、また最後がえげつない。そこがこの短編の魅力でもある。山崎豊子は晩婚だったような気がする。この作品は小説中央公論の昭和36年4月号に掲載されたらしいが、調べてみると彼女の結婚はその年の7月である。独身であんな作品が書けるのか。小説家、恐るべし。

ムッシュ・クラタ

 山崎豊子と言えば精力的な取材で社会問題を扱った力作を次々と発表した作家という勝手なイメージを持っていたのだが、短編も読んでみようと、『ムッシュ・クラタ』という薄い文庫本を借りてきた。その冒頭に収められていたのが中編と呼ぶべきか『ムッシュ・クラタ』である。ムッシュ・クラタとは何者か。これまで読んできた長編に描かれていた山崎独特の男の美学を期待したのだが、なんか違う。読めば読むほど期待外れが明白になってくる。しかしそんなつまらぬ、腹の立つような男を山崎が扱うのか。小説は、生前の倉田氏と関わりのあった知人達から話を聞いたり、日記を借りたりして話が進む。学生時代からの親友、同時期にフランスに駐在していた他社の特派員、映画会社の社長、同じ新聞社の海外特派員、そして家族。期待外れは終盤まで続くのだが、実はその順番が重要であり、最後の最後でようやく山崎がこの男の人生を書き上げたいと思った、つまりこの小説を執筆する動機が明らかとなる。発表は終戦から20年の1965年。戦時中のフィリピンを描いた日記のところでは、硝煙の臭いが感じられないと指摘され、20年後に現地取材して書き直したというから驚きである。借りた文庫本に収録されていたのは、硝煙を感じ取ることができる修正された後の作品である。

世界は数学でできている

 また数学の本を読んでみた。著者は学習塾を経営しているらしい立田奨という僕よりも若い男で『世界は数学でできている』という軽い本。数学を「生活の中にあらわれる身近なもの」として指導しているとのことで、そんな雰囲気が感じられる一冊である。数学は、論理的な考え方を身につけるための教科だと信じていたが、確かに、僕も今頃になって仕事の中に、また身近に数学を感じるようになってきた。そんなわけで素数と暗号の話から始まる。原理はともかく実装方法が相変わらずよく分からないのだが、どうも 暗号文 = 平文^E mod N および 平文 = 暗号文^D mod N の2つが重要らしい。GPSは4つの連立方程式を解いているらしく、その簡単な例を見ると、なるほどと頷ける。概念を把握したら、やはり数式で理解することも重要だ。黄金比だけでなく、√2の白銀比というのもあるらしい。一次関数、中学生レベルと侮っていたが、その実用範囲を眺めると馬鹿にできない。最も興味深かったのは曽呂利新左衛門である。秀吉に「この広間にある端の畳から、1畳目は米を1粒、2畳目は米2粒を、3畳目はさらに倍の米4粒を、隣の畳は8粒、そして次は16粒。計算を続けて、この広間にある100畳分にあたる米粒を頂けますでしょうか」と言い、承諾されたという。計算してみてびっくりである。僕が生まれる10年以上前、池田勇人内閣が国民所得倍増計画を策定したらしい。年に7.2%の成長率で倍になるようだが、実際にはそれを7年で達成してしまったと。今頃になって、数学を介して僕が生まれる少し前の社会情勢を知ることとなった。ベイズの定理とスパムの話もあった。ちょっと驚いたのは対数の意義。高校生の頃は知っていたのかもしれないが、対数が天文学者の寿命を2倍にしたと言われるほど、計算を簡単にするための対数の意義は大きく、当時の商人や航海士にとってもなくてはならなかったものらしい。しかし今ではそのありがたみを感じることができない。変化を見極めるための微分、漫然と数学を勉強している高校生のどれだけが微分や積分の意義を知っているのか。ぜひこの本を読んでみるといい。

潮騒

 短めの面白い小説でもないかなと図書館の中をぶらついていたら、三島由紀夫の『潮騒』が目に留まった。この薄さならいいかもしれない。三島作品は未だ読んだことがなかったし、確か『潮騒』は代表作の一つである。文庫本200ページほどですぐに読み終わるかと思ったが、貸出し期間の延長をして4週間目いっぱいかけて読み終えた。1日に7ページか8ページの相変わらずのスローペース。内容を全く知らなかっのだが、とても素直な青春の恋物語である。この年になってこんな本を読むと、何とも言えない気分になるが、初めから終わりまで、全体を通してけっこう楽しめた。はらはらさせられたのは安夫が待ち伏せをした第九章ぐらいなもので、安心して読むことができる。文章もそして表現も、独特の美しさがある。発表されたのは三島が29歳の時。解説を読むと全作品の中でも特異で孤立している一冊らしいのだが、執筆に対する態度と方法は共通しているとのこと。発表された15年後、今の僕と同じような年で割腹自殺するわけだが、三島由紀夫と言えばこの印象があまりにも強烈である。そんなことを微塵も感じさせない心地よい小説だった。歌島のモデルとなったのは志摩半島と渥美半島に挟まれた神島という小さな島だという。機会があったらぜひ訪れてみたい。

父親として知っておきたい理科の常識

 図書館でふと『父親として知っておきたい理科の常識』なんていうタイトルを目にした。理科の常識ならたいていはカバーしているだろうが少しは漏れがあるかもしれないと、借りて来て、通勤電車の中で読んでみた。父親と子供の対話形式で、その専門書っぽくないの文体が、それから「父親として」という言葉にネガティブな印象を持ったが、内容はしっかりしており、大学は理学部を卒業し、博士号まで取った僕にとっても読み応えのある一冊だった。世の中の父親のいったいどれだけがこの本の価値を認識できるだろう。恥ずかしながら、僕が知らないこともけっこうたくさん書かれていて、予想以上に勉強になった。科学や技術の根本的なところに興味のある人には、父親に限らず、ぜひ読んでもらいたい本だと思う。著者は目時伸哉。数学が専門と思われるが、数学については書かれていない。天文・地学、電気通信、電気・磁気、食品化学、人体、天文、物理、化学、遺伝の9つに分かれており、それぞれ、春分の日の昼夜の長さ、テレビの仕組み、非接触型ICカードの仕組み、納豆のγ-ポリグルタミン酸とフルクタン、風邪の原因ウィルスの種類、閏月の決め方、食べ物のカロリー計算、補色による金色の説明などなど。最後の遺伝に関しては自分の専門分野だが、記憶の種類や分類について書かれており、興味深かった一つ一つもっと詳細に書き留めておきたいところだがまたの機会にする。

伊達の黒船

 帰省の度に楽しみにしている『酔って候』、今回は3編目の『伊達の黒船』を読んだ。伊達とは仙台藩のではなく、四賢侯に数えられる宇和島藩主伊達宗城の方であろう。冒頭には宇和島城下で暮らす貧乏臭い、苗字を持たぬ嘉蔵という四十代の男が出てくる。この男、いかにも胡散臭い。全4編に渡って喜劇がテーマになっているらしいので、こいつが何かやらかすのか。それにしても町人以下である裏借家人、平人としては最下級の男を持ち出すとは。司馬の脚色もあろうが、最初はたいへんな笑い話になるのではないかと変な期待を持ってしまった。そして宗城が登場する。これまで最も馴染みの薄い四賢侯だったが、この短編を読むだけでも宗城の様子がよく分かる。ひどく親切で大名家の調停などをすることによりかなりの社交能力を持っていたらしい。黒船を作れないものかということで、例の嘉蔵に話が回ってくるわけだが、まさかまさか、蒸気機関を作り上げるに至るとは。手が器用なだけで、読み書きはできたのか。オランダ語など知る由もない。そんな中年男が多くの侍に見下されながらも、数人からの理解と期待を受け、どうれだけの勉強を積み重ねたのか。船が動いた時の感動と狂気は、不覚にも小便を漏らしてしまうほどだったなどと書かれている。前原と名乗り、九俵をもらうようになった。幕末にそんな中年男がいた。

古代への情熱

 シュリーマンの日本訪問から150年とかで、新聞などで何度かその名を目にした。シュリーマンと言えば『古代への情熱』、中学生の頃、宿題で読まされた。トロイの遺跡を掘り当てたこと、そして彼の類稀な語学力については未だに記憶に残っている。しかしそれだけだったのか。30年前に読んで感銘を受けた本を大人になって読み返すとはどんなものか。そんなわけで図書館で借りて読んでみた。薄っぺらい本だが、ページごとにけっこう字が詰まっており、意外と時間がかかる。それに世界史の知識に乏しいと書かれていることを把握し楽しむのはなかなか困難だ。最低限抑えておきたいこととしては、シュリーマンはエーゲ海に面したトルコ北西部ヒサルリクの丘にてトロイアを見つけ出したこと、滅亡したのは紀元前1500年から紀元前1000年頃のことか、さらにトロイアを滅ぼしたミュケーナイをギリシャにて発見しアガメムノンのマスクなどが有名なこと、そのミューケーナイも紀元前1000年頃までに滅ぼされていること。この本を読むまで、ギリシアとトルコが向かい合っているという地理的な位置関係さえ曖昧だった。とは言えやはり、注目すべきは10を優に超える外国語を自由自在に操った彼の勉強法である。「私はどんな言語でもその習得を著しく容易にする方法を編み出したのである。その方法は簡単なもので、まず次のようなことをするのだ。」とある。大きな声でたくさん音読、ちょっとした翻訳、毎日一回は授業を受ける、興味のある対象について作文、それを先生の指導により訂正してもらう、直された文章を暗記し暗誦する、よい発音を身につけるために説教などを聞きながらその一語一語を小さな声で真似る、手に本を持って少しでも暗記する、どんなに短い時間でも活用、ついでに記憶力は夜の方が集中しやすいので寝る前に反復練習をする。このような猛烈な勉強を辛抱強く続けることで、ポルトガル語などを習得する頃には6週間もかからずに流暢に話したり書いたりできるようになったという。収入の半分を勉強に費やしたという事実も忘れてはならない。英語一つでさえここまでできるかどうか怪しいのだが。どれも印欧語族ばかりで、可能と言えば可能なのかもしれないが、清や日本にも来たのだから、ぜひ中国語や日本語も勉強してもらいたかった。シュリーマンなら、どれくらいの期間で習得できるのか。毎日午前3時45分に起床というのも興味深い。訳者のあとがきで初めて知ったが『古代への情熱』には何人もの日本人による翻訳本があるらしい。中学生の頃に読んだのは岩波文庫だったか、何だったか、記憶は曖昧である。それはいいとしてその頃に読んだ内容をすっかり忘れてしまっていたのか、それとも理解できていなかったのか。おそらく後者だと思われる。まだまだ未熟だった30年前の自分と再開できた、そんな再読だった。

流れる星がついに

 15日、藤原ていが老衰にて亡くなったと読売新聞に書かれていた。98歳、夫である新田次郎の死から36年になる。僕が未だに読売新聞を愛読しているのも、藤原ていの影響が大きかったのではないかと思っている。若い頃、このおばさん大胆に面白いことを書くなと思っていたが、この歳になってかつての人生案内を読んだらどう思うだろうか。1984年から13年間も担当していたらしい。名著『流れる星は生きている』を読んだのはいつだったか。内容のほとんどは忘れてしまったが、今でも中央線で新宿から松本に向かっている際に諏訪湖が見えてくると、70年前に実在したはずの藤原母子の姿が眼に浮かぶ。

波紋と螺旋とフィボナッチ

 ミドリガメは成長するとかなり大きくなるらしいが、あの固い甲羅はどうやって徐々に大きくなるのか。巻き貝はなぜ、そしてどうやってあのきれいな形の殻を作るのか。シマウマはなぜ縞模様を持つのか。キリンの特徴的な皮膚模様はどうやってできるのか。ヒマワリなど多くの植物にフィボナッチ数が現れるがそれはなぜか。などなど、そんなこと、考えたこともなかった。近藤滋という研究者がTuring波とかいうものを利用して縞模様を説明しているらしいということは知っていたが、図書館で彼の『波紋と螺旋とフィボナッチ』という3年前に出された本を見つけた。サブタイトルは数理の眼鏡でみえてくる生命の形の神秘。よし、読んでみよう。偶然だが、この著者が尊敬する天才数学者チューリングについては『天才の栄光と挫折』で読んだばかりなので、馴染みやすかった。その前にメンデルが出てくるのだが、彼は実は物理学者だったという話もあり、次から次へと驚きの連続である。著者の業績、タテジマキンチャクダイの話は圧巻だが、粘菌がナメクジのように動く説明もすごい。そこに結晶ができる熱力学的な説明があったが、恥ずかしいことに化学科出身ながら、このことは初めて耳にした。なぜ極微の分子から巨大な結晶ができるのか、それは小学生の頃からの謎だったが、こんなところでその解答に巡り逢えるとは。数学をシミュレーションで解決するというのも学ばされる。数学こそ最大のジンクピリチオン効果をもたらすというところも自虐的で面白い。最後の宝の地図編やお宝への旅編などは完全に研究者向けである。僕自身はかなり楽しめたが、研究に携わっていなければ大きなお世話である。最後の最後で、拒否反応を示されかねない苦心の末の独特な文体についての言い訳があるが、広く一般の人にも親しんでもらえるよう、ぜひとも書き直してまた出版してもらいたいものである。

天才の栄光と挫折

 最近、図書館から足が遠のいていた。久しぶりだ。妻が娘に読ませる本でもとか言っていたので、楽しそうな本はないかと書架をを眺めていたら藤原正彦の『天才の栄光と挫折 数学者列伝』という薄い文庫本を見つけた。数学と理科が得意で理系女子まっしぐらな娘だが、これなら読んでくれるだろうか。借りてきたから読めと伝え、居間のソファの上に置いておいたのだが、いっこうに手にする様子はない。そのうちに下に落ちて放置されている始末。ならば僕が読もうとページをめくると期待以上の本だった。いや、栄光よりも挫折が強調されており、藤原正彦にしてはかなり暗い作品、いやいや作家として円熟したゆえの作品なのかもしれない。中学生にはちょっと厳しいか。ニュートン、関、ガロワ、ハミルトン、コワレフスカヤ、ラマヌジャン、チューリング、ワイル、ワイルズという9人の数学者それぞれについて書かれている。せっかくなので9人全てに触れてみたい。まず誰もが知っている古典力学を確立したアイザック・ニュートン。父親は生まれる前に死に、母子家庭に育ったらしい。しかも幼い頃に母は再婚。生涯、友達のいないような人生を送ったようだ。最後の方の件(くだり)で著者は史上最重要な人物の父親となることなど想像もせずに死んだというニュートン氏の墓を探す。父親の役割など皆無だったという事実がまた考えさせられる。次は和算の大家である関孝和。内山家の次男として生まれ、幼くして両親を亡くし、養子に出る。『天地明察』を読んでいて、なぜ渋川春海に怒りをぶつけるのかよく分からなかったが、この章を読んでようやく状況が理解できた。渋川春海が完全に悪役に回っていて興味深い。天才関は最後まで不運な男として描かれている。そして弱冠二十歳にて決闘で命を落としたエヴァリスト・ガロワ。人望の高い父親の自殺が彼の人生を暗く、また激しくする。圧巻はやはり決闘前夜に書いた手紙というか遺書というか、いいやいや数学の遺稿である。特性関数の導入や四元数を発見したアイルランドの数学者ウィリアム・ハミルトン。ハミルトニアンは大学でよく出てきたが、その人物、ハミルトンは知らなかった。叔父に預けられ、叔父に教育され、天才ぶりを発揮する。大失恋が尾を引き、家庭に恵まれない。天才は誰しも不幸になるものなのか。世界初の女性教授となったロシア人ソーニャ・コワレフスカヤ。全く知らなかったが、大学の時、教科書か何かにコーシー=コワレフスカヤの定理とかを見たような見なかったような。愛されなかった幼少時代、傷ばかりが深くなる恋愛を中心に描いているが、それらはともかく、失意の中、四十一歳で命を落としたというのはあまりに酷である。南インドの魔術師と言われたシュリニヴァーサ・ラマヌジャン。彼のことはいろいろと見聞きしていたが、ここまで詳細は知らなかった。家庭の貧困、バラモンの戒律、菜食主義に嫁姑のいさかい。彼も家族に恵まれなかったらしい。世界初のコンピュータを作り、暗号解読で国家を救った数学者アラン・チューリング。若い頃の友人の死。厳格な守秘により戦争中の功績が評価されず、親戚に咎められもした。同性愛発覚により逮捕、強制的なホルモン治療、そしてまたしても四十一歳という若さで命を落とすことになる。リーマン面に位相幾何学的基盤を与えたヘルマン・ワイル。妻がユダヤ人であったために苦悩の末、ゲッティンゲン大学からプリンストン高等研究所に移る。例外的に多産な数学者ながら1933年にだけ業績の空白があったという著者の発見が印象的である。最後を飾るのがフェルマー予想を証明したアンドリュー・ワイルズ。彼については、会社に勤めていた頃の友人からいろいろと聞いてはいたが、もちろんこの本の方が詳しい。一度発表した証明の問題点を指摘され、二年間の苦節を味わうものの、証明の完成に至る。それは谷山=志村予想の証明であったらしい。その二年間で人間性の知りたいと思う以上のことを学んだというところが挫折なのだろうが、ワイルズの章だけが9人の天才の中では異色である。存命中のワイルズがこの本の最後に配置されていることで、ようやく数学者の栄光を感じることができる。

大地の子と私

 たまにはあてもなく図書館の中をぶらぶらと歩き、次に読む本を決めるのもいいかと思いそうしてみたのだが、そう簡単に見つかるものでもない。しかし『大地の子』を読み終えた余韻が未だ消えぬ状態では、ついつい山崎豊子の本が並んでいるところへ足が向かってしまい、『『大地の子』と私』という本が目についた。手に取ってみると、執筆の苦労話が書かれているようで、今読むにはちょうどいい。あれだけの大作には、これだけの後書きがあってもいい。対談などの寄せ集めであり、くどいようにも感じられたが、余韻を引き延ばしてくれ、じゅうぶんに楽しむことができる。「旧満州への移住計画は銃なき戦争」というようなことが数段落に渡って書かれていた。その言わんとすることは原著『大地の子』を読んでいればよく分かる。そして再認識させられたのは父の愛である。こう書かれていた。「この世で尊いものは、母の愛だけではなく、父の愛でもあることを実感した」と。

大地の子

 僕が中国に対して好感を持っている一つの要因は中国残留日本人孤児であった。戦争のせいで本当の両親ではなく中国人を親に育てられた日本人達である。小学生の頃、そんなおばさんやおじさんたちが初来日し、テレビのニュースで流れた。日本人なのに外見はどう見ても中国人である。敵国であった国の子供達をここまで育て上げる、その慈悲深さに小学生ながら敬意を持ったものである。その背景を語ってくれたのは僕の母であった。しかし当時の母は、今の僕から見れば10歳も年下の、幼い小学生を持つ若いお母さんである。そんな女性がこの社会問題を正確に把握していたとは思えず、また、小学生である息子への説明も決して網羅的であったとは思えない。 年を経るにつれ、中国残留日本人孤児とは単なる心温まるような話ではないことを知り山崎豊子の『大地の子』を読まねばとかねがね思っていた。これまた長編なだけに読み始めるにあたっては気合いが必要で、なかなか手を出せなかったが、今年の正月明けから読み始め、2ヶ月かけ、今日読み終えたところである。これは想像を絶した決して無視することのできない、そして多くの日本人が知らない戦争の一側面である。これまでの人生で、誰一人としてこんなことは教えてくれなかった。解説に書かれていたが、山崎豊子は「残留」という「意志」を感じさせる言葉を嫌い、「戦争犠牲孤児」と呼ぶべきだと主張していたらしい。そして中国という国である。文化大革命、労働改造所、人民頼信来訪、第一次天安門事件 、外国人未開放地区、そして中国共産党の何たるかがこの本を読むことによって何となく理解できる。閉鎖国家である中国に自ら長期間滞在した山崎豊子の偉業のなせる業である。主人公を中心とする松本一家は僕と同じ長野県の出身である。多くの農家が養蚕業を営み、世界恐慌後に輸出が激減して苦境に追いやられ、多くの家族が満州に渡った。うちもそこそこの規模で養蚕をやっていたと聞くが、満州に渡るような話はあったのか。あるいは村長としてそのような働きかけをする立場にあったのではないか。主人公陸一心は最後「私は、大地の子です」と実の父親に告げる。今、僕もその歳である。そんな時にこの小説に出会うことができたのは実に幸運であった。

きつね馬

 妻の実家に帰省する度に読もうと決めている本がある。司馬遼太郎の『酔って候』だが、今回は2番目に収録されている『きつね馬』、島津久光の話である。全4話の最後に書かれているあとがきに「彼らは藩主なるがゆえに歴史の風当たりを最もはげしく受け、それを受けることによって痛烈な喜劇を演じさせられた」とある。厳密に言えば久光は藩主ではなかったが、藩主ならんとするがゆえにいっそう滑稽である。しかも人を両極端に分けてしまう司馬が書くのだから、そして彼を取り巻く志士たちと異次元で生きており、同情もしてやらねばとも思うが、後世の笑い者となってしまった彼の言動を追っておくことは確かに意義がある。「久光の上洛は、当人の意思とはべつに、幕末の情勢を一挙に革命前夜に落としいれたといっていい」ともあるように、また後の生麦事件も然り。現在の島津家当主は久光の玄孫らしいが、ご先祖様が司馬にこう書かれてはちょっとかわいそうでもある。

舟を編む

 三浦しをんなる小説家の作品を読んでおこうと前々から思っていたのだが、この年末に『舟を編む』を読んでみた。辞書を作る話で、僕が好きになりそうだと友人が紹介してくれた。後で知ったことだが、彼女は映画を見ただけで小説は読んでなかったらしい。なんだよそれといった感じである。僕がこれまで読んだ本とはかなり趣が異なり、迫力に欠ける。率直に言えば平凡で、つまらないなと思いながらも淡々と読み続けた。恋文を書いて渡して返事を待つ辺りは、通勤電車の中でにやけながら読んだ。しかし、読み終わってみると、実は迫力のある内容であることに気付かされた。一言で言えば仕事に対する情熱だろう。執筆時、著者は35歳程度だったと思われる。せめてこのぐらいの人生経験がなければあの仕事への思いは書けない。本屋大賞第一位も頷ける作品である。特に映画を見たいとは思わないが、小説との違いが気になるので、いずれテレビで放送される時には見逃さずに見てみたいと思う。

ヒグマに鉈

 神戸から東京に戻り、自宅に向かう電車の中。本を読もうと思ったが鞄の中に見当たらない。しまった、新幹線の中に置き忘れたに違いない。翌日、JR東海に電話をかけたら、前日の忘れ物の登録が終わっていないと言われ、今日も再び電話をかけたのだが、残念ながら届いていないとのこと。それなりの大きさの本なのだが、ハードカバーでなく、安っぽい書店の紙カバーをかけっ放しだったのがよくなかったか。ただの本ではない。13年前に友人からもらった本だった。もらった時に、ざっと一通り読んだのだが、また目を通したくなった。驚いたことに、前回読んだことを全く覚えておらず、書かれていること全てが初見であるかのようだった。人の記憶などそんなものか。さてその本、意図せず突然に失ってしまい、タイトルすらはっきりしないのだが、ネットで調べておそらくこれだろうと確認できた。門崎允昭と犬飼哲夫による『ヒグマ』、北海道新聞社から出されている増補改定版で、2000年発行だから矛盾しない。半分辺りまで読んでいただろうか。ちょっとだけメモしていたことがあるので、ここに記しておく。ヒグマとの遭遇を避けるためには鳴り物がきわめて役立つ。よくラジオを鳴らしたまま歩いている人がいるが、クマが接近してきた場合に音が障害となって感知しえないことがあるのであまりよくないらしい。そして今回知った最も重要なことは、 遭遇してしまった場合に現状合法で役に立つのは鉈(なた)以外にはないということ。この辺りのことは、くどく、そして説得力を持って語られている。決して逃げず、対峙して話しかけるのがいいらしい。ヒグマと言ってもヒト同様個性があり、襲ってくるような獰猛なヒグマは著者らの計算によると千頭に一頭いるかいないかの割合らしい。奴らはヒトだけでなく同種の他の個体との遭遇も嫌い、母子や発情期以外は単独行動が普通なのだ。それでも襲われたら、あるいは不意に襲われた時に役に立つ可能性が大きいのが鉈。以後、北海道の山に登る時には鉈を買って持って行こうと固く決心した。ヒグマの歯には年輪があるらしく、年齢を知るために抜歯するそうだ。他のクマと比べ分布は広く、かつては北アフリカまで棲息していたとのことである。

蒼穹の昴

 職場の友人が学生だった頃、本屋で山積みになっている単行本を取り上げ立ち読みし、すぐに気に入ったというのが浅田次郎の『蒼穹の昴』だったらしい。その語りっぷりからよほど惚れ込んでいるようだったし、また浅田次郎の作品はまだ手をつけたことがなかったので、いずれ読んでみようと思っていた。「蒼穹」などということばは初めて聞くが、いったい何の話か。情報なく図書館で文庫本を借りて読み始めた。清朝末期の中国の話である。それまで読んでいたのが『竜馬がゆく』で、時代が少しだけ流れて舞台が中国に移った。僕の嫌いな占いの話が導入でやや抵抗があったが、しだいにのめり込んでいった。龍馬の話が全体を通して爽やかだったのに対し、こちらは宦官だのと陰鬱な雰囲気が漂う。中国に関しては興味を持ちつつも、中学や高校で習った程度の知識しかなかったが、それを膨らませてくれる点でこの小説は興味深かった。科挙の描写など、本に釘付けされてしまう。実在の人物と架空の人物を混在させて壮大なストーリーが作り上げられる。史実を知りたいという好奇心もあるが、この小説を読むことに夢中になっていると、そんなことはどうでもよくなってくる。しょせん史実だって、学者たちが自分の都合で作り上げたフィクションであることも多い。そんなことを思っていると李鴻章が登場し、その偉大さが誇張して書かれ、話の筋はそれてくる感もあるが、ジュゼッペ・カスチリョーネや乾隆帝の話がうまく挿入され、全体を整えている。最後は2ページにわたって主要参考文献が載せられている。そんなに多いわけではないので全部読んでみたいところだが、僕の人生にそんな時間は与えられていないだろう。さらにその後には解説と称して陳舜臣の10ページに渡る文章が添えられているが、『蒼穹の昴』に対しては何の解説にもなっていない。著者自身の解説を聞いてみたい。

人身事故による読書時間

 保育園に息子を連れて行き、電車に乗ろうとしたら、隣の駅で人身事故があったようで止まっていた。いったい何が起きたのだろう。どうしようかと思ったが、焦って動いても損だと思い、あまり人のいない車輌の中でのんびり本を読んで待つことにした。けっきょく今日は1時間以上余計な読書時間を確保することができた。その皺寄せは勤務時間の短縮となってしまうのだが。

不屈の取材、情熱の作家人生

 きのうは息子の運動会の後、独り横浜へ 追悼 山崎豊子展 〜不屈の取材、情熱の作家人生〜 を見に行った。家族がいるとなかなかこういう時間は取りにくいのだが、とにかく出かけた。大きく5つに分かれ、人生の軌跡、原点となった大阪人間模様、戦争三部作、『沈まぬ太陽』などの社会派大作、書斎の再現と愛用品などの展示となっている。大阪ものとされる『花のれん』などの初期の作品から、そのほとんどが映画やドラマとして映像化されていることを知り、驚かされた。直木賞受賞が僕が生まれるよりもずっと前の昭和33年だから多くは白黒だろう。そのいくつかは楽しんで見たが、読んだのは実は、戦争三部作のうち真ん中に位置する『二つの祖国』だけである。残りの二つは最優先で読まねばならない。『白い巨塔』では学会発表の要旨だか発表原稿だかを記した資料が残っている。僕の専門分野とまでも言えないが、戦中に生き、まともな教育を受ける機会を失われている山崎がここまで踏み込んでいたとは。学会発表どころか総説の一つや二つ、書けるのではないかと思われる。それに比べれば自分のやっている下調べなど小学校低学年の自由研究のようだ。とにかく膨大で緻密な資料にはただただ驚かされるばかりである。渡辺謙の恩地を演じさせてくれと懇願する肉筆の手紙が公開されており、これにも驚かされた。自分はなんと生ぬるい日常に暮らしているのかと思い知らされる。
Oct25_2015

読書手帳

 今日の新聞に出ていたが、読んだ本を記録に残す読書手帳なる物を配っている公立図書館が増えているらしい。いい試みだ。僕は勝手に記録しているし、その大部分はこのブログで公開しているからそんな物は不要なのだが、一目で眺められるようにはなっていない。息子がお世話になっている保育士の方にいい本があったら紹介して欲しいと言われ、このブログで検索し、留学後に読んだ本の一覧を作ってみた。お薦めの本には印を付けた。通勤電車の中でほんの少ししか読まないのだが、8年間もかければこんなに多く読めるのかと我ながら感心してしまった。そんな中に5年前に読んだ『芙蓉の人』があるのだが、娘を嫁に出すまでに読ませねばなどと書いてあった。そんなことすっかり忘れて今年の5月の連休に文庫本を買って読ませた。少しは楽しんで読んでくれ、今、娘の本棚を探してみたら、カバーが掛けられたままちゃんと残っていた。嫁に行く前にまた読んでくれるだろうか。

またも消え去った本屋

 娘にラジオ講座のテキストを買ってきてと頼まれていたので、先日の帰宅途中、駅の本屋に立ち寄った。いや、入ろうと思ったらいつもと様子が違い、シャッターが閉められ「店舗閉店のお知らせ」という張り紙があった。いや、びっくりした。月に数回しか来ないから、予告されていたのか否かも知らないが、突然のことだ。ちょっとした文房具屋も兼ね、小さくはない書店で、新しい本も山積み、はやっているような感じだったが、まさかここまで影響が出ているとは。自宅近くに続き、職場の近くでも書店が消え去った。読書量は減るどころか増えているものの、最近、本屋で本を買うということが自分自身でもなくなっており、存在意義が問われる状況にあることは確かだが、気軽に出入りできる本屋がないというのは残念なことである。

戦争と人間を見つめて

 山崎豊子が亡くなって2年になる。先日のNHKスペシャルが彼女を扱っていたので録画して観たのだが、一作品あたり200人もの人たちに取材をするというのはともかく、そのほとんどがカセットテープに録音されていたことに驚かされた。小説の構想を練るためのノートもこのカセットテープあってのものだったようだ。番組で主に取り上げられていた作品は『大地の子』、『不毛地帯』、『運命の人』である。どれも分量が多く時間がかかりそうだが、命が尽きる前に読んでおかねば。

三角形の栞

 先日の新聞に、使い古しの封筒の隅を直角三角形に切り落として袋状の栞(しおり)として使う方法が紹介されていた。試してみるとけっこう便利である。ただ三角形に切るだけだと、封筒の表面と裏面の紙の切り口が揃ってしまって扱いにくいので、切り口をずらすといい。切り口は直線である必要はなく、曲がっている方がいい。直角二等辺三角形にすると隠れてしまう文字の領域が広くなってしまうので、二等辺にしない方がよく、直角を挟む二辺の長さの比はどのくらいが適当か。色を変えて複数個を使う利用法も紹介されていた。もうちょっとあれこれ試してみようと思う。

竜馬がゆく

 司馬遼太郎『竜馬がゆく』を読み終えた。本屋に並んでいる『坂の上の雲』と比べると、前者の方がやや幅を取っているようなので、これまでの人生の中で読んだ一番長い小説だったと思われる。実に5ヶ月以上もかけたが、一字一句、じっくり楽しみながら読んだ。死ぬまでには読んでおかねばと思いつつ、四十を過ぎてしまったが、せめてこのタイミングでも読んでおいてよかった。龍馬は満31歳で落命したからそれまでに読んでおくのが理想であり、確かに日本男児たるもの、読んでおく価値のある司馬遼太郎の傑作だろう。実はそんなことを中学高校の先生の推薦書として聞いたのだが、そんな若い子が読むような本でもない。せめて大学生、いや社会人になってから読むのが適当と思われる。司馬も四十近くになって執筆しており、読者層に子供を想定していたとは思えない。けっきょくのところ、小説を楽しむという意味では今の年で読むのが最適だったのかもしれない。竜馬に倣って人生をやり直せるような年ではないが。さて、坂本龍馬。自分が高校生の時に使っていた日本史の教科書を開いてみると、薩長同盟と大政奉還のところに出てくるものの、世間で騒がれているほどの偉大さを感じさせられるような記述は何もない。坂本龍馬、何者ぞと長年思い続け、ゆえにいずれはこの本を読まねばと思っていたわけだが、2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』を見て、概要は掴むことができたものの、この本の随所で受けた衝撃にはとても及ばない。ドラマでも「命は使わねば」と描かれていたが、小説の中もで竜馬はそう生きていた。そして時運、時勢などということばが頻繁に出てくる。「時運をいちはやく洞察してそれを動かす者こそ英雄」とも本人が書き残している。これまで家庭を持たぬ人生など考えられなかったが、この小説を読んで初めてそういった人生の選択もあることを思い知らされた。しかしながら僕はもう家庭を持ってしまっており、放り出すわけには行かない。この男の出現は、列強による植民地支配から免れ、明治維新によって近代国家建設に至った日本にとって奇跡と呼ぶべきことかもしれないが、竜馬はともかく龍馬は実在した一人の人間である。比較的裕福な土佐郷士の冷や飯食いという立場が幸いしたのかもしれない。そんな奇跡の男、北辰一刀流免許皆伝の剣客が、大政奉還を実現させた1ヶ月後、数人の刺客に斬殺される。最後の方で司馬はこう書いている。「暗殺などは、たとえば交通事故とすこしもかわらない。暗殺者という思慮と情熱の変形した政治的痴呆者のむれをいかにくわしく書いたところで、竜馬とはなんの縁もない。」確かにそうかもしれない。近江屋での一件さえなければ日本はどうなっていたのかと常々考えていたが、あの竜馬がそこまで生き長らえたことさえ奇跡だし、 坂本龍馬暗殺は日本史における大事件でもなんでもない。天命と信じ彼がそこまで何を考え、何をやってきたかが重要なのである。命とはそんなものである。いずれこの小説を読み返す日がくるだろうか。何度でも読みたいが、僕もいつ命を落とすか分からない。

水濡れ跡有

 延々と『竜馬がゆく』を読み続けている。図書館から借りている文春文庫新装版で第五巻を読み終え、第六巻に入ったところ。このどちらにも「水濡れ跡有」というシールが貼られている。貼られていないと気づかないほどだが、確かに水に濡れて乾いて変になっている部分がある。いつからこんなシールを貼り始めたのか知らないが、最近はよく見かける。そして安心する。万が一というか、しばしば自分で濡らしてしまうことがあるからだ。これまで何回か謝った。それに今は梅雨。多少濡らしてしまっても、乾かしてから返せば「水濡れ跡有」に変わりはない。図書館の蔵書は自分の物ではない。大切に扱わなければならないことはもちろんであるが、著者にしてみれば、本が濡らされようが破れようが、一人でも多くの人に読んでもらうことの方が嬉しいはずである。本が濡れても、作品は濡れないんだから。

北辰一刀流免許皆伝

 文庫本の『竜馬がゆく』を読んでいるが、ほんの30年間を生きたに過ぎない一人の男を扱っているのに全部で8巻もあり、『坂の上の雲』に匹敵する長さである。ようやく第三巻まで読み終えたので第四巻をオンラインで予約した。区内の図書館に文春文庫の新装版だけで7冊も所蔵されており、そのうち3冊は貸出中となってる。さすがである。幕末の歴史小説にはもういいかげん飽きてきたところだが、確かにこの小説は読んでいて興味深い。司馬遼太郎は筆が追いつかず、10年かかっても書き切れないなどと書いていたが、なるほどそうかもしれない。司馬に騙されているところはあるにせよ、坂本龍馬という男のことが朧げならがら見えてきた。

本を読んだとの報告

 保育園の担任の先生にやっと『天地明察』の上巻を読み終えたと言われた。いい本だと薦めたのはいつだっただろうか。すぐに本屋で買い、読み始めたようだったが、僕の顔を見るたびに読まなきゃというプレッシャーを感じ、その件には触れられなかったらしい。確かにそんなものだろう。僕の方でもぜひ楽しんでもらいたいと思っていたからこそ、買ったと聞いてからは必要以上に『天地明察』に関することは喋らなかった。僕も一気に読まず、少しずつ延々と時間をかけて長期に楽しむタイプなので、そうしてくれればいいと思っていた。さあ、下巻の展開もおもしろい。薦めた本を読んで楽しんでもらえる、それも人生の楽しみの一つである。
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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