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ぶどう狩り

 僕が決めたわけではないが、家族でぶどう狩りに行こうという話になった。ぶどう狩りなんて初めてかもしれない。久々に車を借り、中央道を勝沼まで運転。心配していた天気はなんとかなりそうだった。時間制限なしの食べ放題で中学生以上は2,000円、小学生は1,500円。たくさん食べるぞと意気込み、腐ったブドウの匂いが漂ったりもしているが、涼しげでいい感じの葡萄棚の下に潜り込んだ。最初、息子が巨峰などあれこれ取ってしまったので、まずはそれを片付けなければならない。ピッテロビアンコ、甲斐路などなど、いろいろな種類を試してみたいし、この時期、一番売りにしているのはピオーネという品種。巨峰とマスカットの交配種らしい。ピオーネは息子と娘が1房ずつ取ったので、合計2房。食べ尽くさないと追加料金が発生する。無理をしてでも頑張って食べる、とにかくお腹に入れる。中には酸っぱくて1粒食べるのがせいぜいというのもあるので、無闇に房ごと取らない方がいい。今年はブドウはもういいというぐらい食べに食べた。苦しいが、大満足だ。未だ午前中ながら、帰ろうと思う頃には駐車場がいっぱいで、入園を断っているほどの人気ぶり。早い時間に来て良かった。勝沼か甲府辺り、どこか観光に行こうかと思ったが昼には雨が降り始めた。
b20160918
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今頃になって旅券申請

 明日、娘がニュージーランドに旅立つ。その前に自分のパスポートを取得しておこうと思いつつ、なかなか時間が取れずに前日になってしまった。午後、仕事を休んで都庁の旅券課へ。いきなり行列ができていて驚かされ、またけっこう待たされたように感じていたが、けっきょくは4時から5時の間に手続きは完了しており意外とスムーズだったと言える。半年以内に有効期限が切れたパスポートを持っていれば身分証明書はいらないということで、住所変更をしていない免許証を提示する必要がなく、面倒なことにはならなかった。受け取りは7日後から。それまで娘が現地でトラブルに巻き込まれないことを祈る。

旅券の有効期限

 ついに旅券の有効期限。申請しているわけではないので、明日からパスポートなしの人生が始まる。この旅券は在トロント日本国総領事館で発行してもらったもので、あれから10年が経つのかと思うと感慨深い。10年、短いようにも思われるが、思い返せばいろいろなことがあった。海外での生活や旅行はじゅうぶん楽しんだし、もう当分の間出歩かなくていいからパスポートなど不要と思っていたが、夏には娘がニュージーランドに行くことになったので、万が一のことを考え、それまでには申請していた方がいいだろうか。

東京タワー特別展望台

 シルバーウィークと呼ばれるこの連休、家族でどこかに行こうという話が出て、候補を挙げろと言うので佐原を提案したのだが当然のように無視され、近場の東京タワーに行くことになった。きのうの朝に決まったことで、当日に行くともう混んでしまうだろうということで今日になった。浜松町駅から増上寺の大門をくぐって東京タワーの下まで歩くと、もう9時を過ぎていたが、この程度ならば大丈夫。確か子供の頃、大展望台までは上ったことがある。今回はその上の特別展望台まで上る。ALWAYS 三丁目の夕日の気分である。大展望台からすぐに特別展望台に上がればよかったが、しばらくの間、地上150 mからの眺めを楽しんでいたら並んで待たなければならなくなってしまった。特別展望台、地上250 mからの眺めはまた違う。一生懸命自宅のある方向を眺めたが、どの建物か全く認識できなかった。記憶にも記録にも残っていないが、子供の頃見たであろう昭和50年代の東京の風景とはかなり違うはず。眼下には増上寺や愛宕山が見える。これからそっちまで散歩してみようと思う。10時40分ごろ、外に出ればもう大行列。1時間待ってもエレベーターに乗れるような状況にない。
Sep22_2015

家族で海水浴

 幼い頃は毎年、両親が伊豆半島東岸にある宇佐美に泊りがけで海水浴に連れて行ってくれたように記憶している。それが海よりも山の方が好きになると、全く行かなくなってしまい、今の家族になって海水浴に行ったことは、プリンスエドワード島のビーチで遊んだくらいで、国内では皆無ではないか。長妹が娘を鴨川に連れて行ってくれたことはあったが、息子はハウステンボスの海を見たことがあるくらいだろう。連れて行ってやらねばと思い、日帰りで逗子に行くことにした。台風が接近しているようで気がかりであったが、あまり影響はないようだ。そして、朝、家を出てから2時間もかからずにビーチに着いた。海水はやや冷たいが好天なので気持ちいい。息子は怖がっていたが、時々来る大きな波に大はしゃぎで楽しんでいる。そんな姿を見て泳がない妻も喜ぶ。子供たちと遊泳範囲の境界に設置されているブイまで行ったみた。この辺りの水深はどのくらいなのだろう。ゴーグルを持って来ていたので、波に揺れながらも水泳を楽しむこともできた。海なんて数時間遊べば飽きると思っていたので、2時間楽しんだら帰ると決めていた。午前中の9時から11時。息子はまだ遊びたかったようだが、娘がお腹が空いたと言うし、引き上げることに。友人から、入れ墨と音楽を締め出したために家族向けのいい海水浴場になったと聞いていたが、その通りであった。来年も、いやいや今後は毎年行こうかと思っている。
Jul26_2015

日帰りで京都へ

 朝、みんなが起きる前に家を出て、東京駅まで行き、6時半の新幹線で京都へ。学生の頃は友人もいてよく遊びに行ったものだが、京都はいつ以来になるだろう。バスに乗ると、周りはほとんどが観光客だった。この路線は観光客が多いらしいが、休日だったらたいへんなことだったろう。予定よりもちょっと遅れてしまったが、詳しく場所を教えてもらっていたので、なんとか自力で目的地に到着。もともと一泊で来るという話もあったのだが、それを日帰りにしてしまったため、時間は慌ただしく過ぎた。1時近くになり、イタリアンのレストランで昼食、夜は和風のお店でハモなどをいただいた。酔って帰りの特急券を買い、新幹線に乗って帰宅するともうみんな寝ていた。新幹線があれば京都なんて日帰りで余裕なんて思っていたが、東海道の両端である。歩けば早くて半月、普通なら1ヶ月くらいかかる旅だろうか。

長野県の観光地

 毎週日曜日の夕方、サザエさんのオープニングでは各県の名所をアニメで紹介しているが、先月は我が生まれ故郷長野県であった。年が改まり、次はどこかと思ったら、また長野県で、別な観光地が紹介されている。県内、いろいろな所に行ったが、さすが観光県だけあって枚挙にいとまがない。しかも知らない場所もけっこうある。特に北信さらには南信も実はよく分かっていない。せっかくの機会なので、紹介された場所をここに列挙してみる。先月分が、軽井沢、浅間山と小海線、松代城(長野市)、戸隠神社(長野市)、姨捨の棚田(千曲市)、道祖神(安曇野市)、開田高原(木曽町)、天竜舟下り(飯田市)、麻釜(野沢温泉村)、岩松院・北斎の天井画(小布施町)、米子大瀑布(須坂市)、奈良井宿(塩尻市)、上高地(松本市)、そして今月分が善光寺(長野市)、松本城(松本市)、旧開智学校(松本市)、地獄谷野猿公苑(山ノ内町)、臥竜公園(須坂市)、日本土人形資料館(中野市)、白馬ジャンプ競技場(白馬村)、野沢温泉スキー場(野沢温泉村)、寝覚の床(上松町)、諏訪大社下社秋宮(下諏訪町)、大町山岳博物館(大町市)、黒部ダムカレー、栂池自然園(小谷村)といった感じである。行った所もあるが、行っていない所も多い。特に息子なんかはほんの少ししか行っていないはずだ。死ぬまでにこれらぐらいは全て訪れておかねば。

あずさで帰省

 子供達二人を連れて三人でうちの実家に帰省する。スキーや花札で遊ぶことも含めずっと前からこの日を楽しみにしていた息子は独り朝早くから起きてきた。朝食を取って、息子と僕は普段あまり使わない路線を利用して遠回りで新宿駅へ。早く着き過ぎて寒いホームで待たされることになった。娘は後から独りでやって来た。特急あずさで3時間ちょっと。車外には青空が広がっていて、2年前に登った八ヶ岳や、この秋に登った入笠山がきれいに見えた。息子は眠ればよいものをあと何分、あと何駅としつこく聞いていたが、最後の20分ぐらいになってようやく眠ってくれた。
Dec28_2014

太陽とともに帰国

 ニューヨークからJL3便、太陽とともに日付変更線を越え、14時間のフライトで成田に着陸した。無事に母国に帰ってきた。こっちはもう9月である。娘は始業式のはずだが、宿題は無事に終わったのか。2万円を米ドルに替え、現金はあまり使わなかったのでけっこう残っていたが、出発時よりも円高になっていたので、日本円に戻す気が失せた。幸い、向こうでは雨に降られなかったが、こっちはまたしても雨である。夕方、保育園に息子を迎えに行ってびっくりさせてやった。夕食は自分で餃子を作った。

早朝の地下鉄

 起床は午前1時半前。ニューヨークの地下鉄は24時間動いているらしいが、深夜や早朝の利用は控えるべきという話も聞く。深夜はまだしも、早朝は問題ないのではないかと思っていたが、次第に恐怖を感じ始めた。ぎりぎりまで粘り、6時近くになってからようやくホテルをチェックアウト。外はまだ暗く人影は少ない。狭い路地に入ると誰もおらず、ここで襲われたらおしまいだなと思うが、無事にFulton Street駅の入り口に到着。ここから地下に降りて行くわけだが、それもまた怖い。近くには大声で話している大柄のラテン系男性2人がいる。襲われたら勝ち目はない。自動販売機でMetroCardに使用する$2.50だけを追加し、青く示されたA Trainでイースト川の下をくぐってブルックリン、再びロングアイランドへ。今度は車内で中年女性が大声で騒いでいる。何を主張しているのか全く聞き取れないが、泣いているようにも聞こえる。緊張は絶えない。いつの間にか地上に出て、外が明るくなっていたことを知る。Howard Beach駅までは30分以上かかる。そこでまたMetroCardに$5.00を追加し、Airtrainに乗り換えJFKの第1ターミナルへ。いいお土産が見つからないので安直にチョコレート。息子にはYankeesの帽子を買った。冬用の帽子だ。そう言えば朝食を取っていなかった。昨夜もまともに食べていない。かと言って、この空港内で食欲をそそられるような食べ物はバナナくらいしか見当たらず、1本を$1.49で買って食べるにとどめた。JALの飛行機に乗ってしまえば、美味しい物が出てくるだろうからそこまで我慢した方がいい。
Aug31_2014

ルーズベルト大統領の言葉

 学会最終日の朝はビーチまで散歩した。朝食を食べ、東京にいる娘とSkypeで話し、最後のセッション。娘と息子へのお土産にCold Spring Harbor LaboratoryのTシャツを買い、昼食は欠食してLong Island Rail Roadの駅、そして電車でマンハッタンへ。ホテルまで歩いてみる。3番街を南へ下り、ルーズベルト大統領生誕の地という所に行ってみた。フランクリンではなくセオドアの方だ。日本から持ちかけられた話で日露戦争に関わってノーベル賞を手にし、その後、日本を仮想敵国として太平洋戦争への足がかりを作った僕としてはあまり印象のいい大統領ではないのだが、米国人の評価は高いらしい。 When you are asked if you can do a job, tell 'em, "Certainly I can!" Then get busy and find out how to do it. という懐かしい言葉を見つけた。これはセオドアのものだったか。20代中頃で耳にし、正確な英文は覚えていなかったがその心意気は今でも僕の中で生きている。Union Square Parkから4番街、ブロードウェイを下り、ホテルのあるWashington Streetを探す。World Trade Center近くにあるはずなのだがその通りを地図でなかなか見つけられず苦労した。夕方はWorld Trade Centerのビルが倒壊した跡地に行ってみた。今はReflecting Absenceというびっくりするような祈念施設ができている。観光地のようになっていて違和感も感じるが、米国のスケールの大きさを肌で感じることができる。それからWall Streetに足を向け、1時間半でホテルに戻ってきた。明日は早い。リンゴを齧っただけで広い一室で床に就いた。
Aug30_2014

細長く伸びるもう一つの州立公園

 今朝も朝飯前にStillman Outback Trailを独り歩いた。30分ちょっと歩いただけだが、かなり気分が良くなる。食事は7時半からで、その後、午前中のセッションがある。Google Mapsをよく見ると、Cold Spring Harbor State Parkの南側にTrail View State Parkという別な州立公園が連なって南北に細長く伸びており、きのう歩いたtrailは南側にもっと長く続いているらしいことを知った。ならば行ってみなければ。田舎道の割りに交通量の多い道路を歩き、きのう見つけたtrail入り口のさらに向こうの右側に、Trail View State Parkを縦に南下するtrailの入り口があった。近くに車道が並走しているのが残念だが、こっちもロングアイランドの森の中を縫う気持ちの良いtrailである。汗ばむような陽気なので、ゆっくり歩いた。今日のtrailは延々と伸びていてとても最後までは歩けないので、40分ほど行って車道と交差したところで引き返した。ぽつぽつとハイカーがいて笑顔で挨拶をしてくれるのがまたいい。日本でのハイキングとは何か違う。夜はバンケット。6人で一つのテーブルを囲んだ。トリニダード・トバゴからニューヨークに来ている大学院生、両親がベトナム出身の米国人ポスドク、あとはフランス語を母国語とする3人だった。前回と同様、大きなロブスターが出てきた。
Aug29_2014

州立公園のハイキングコース

 朝起きるとなんとなく息苦しさを感じ、頭痛までする。狭い一室に閉じ込められ、話し相手もいない。自分は孤独が好きだと思っていたが、それは大自然の中での孤独であって、こういった多くの人が集まって話し合っているような状況、また社会生活の中での孤独は別物であり、かなりの苦痛を感じさせられることを知る。そうだ、大自然の中に出なければこの息苦しさからは解放されない。要旨集にイラスト風の地図が載っていて、研究所の周りにハイキングコースがあるようだ。朝食前に行ってみることに。入り口は簡単に見つけることができ、Stillman Outback Trailと書かれている。いい感じの小径が森の中を縫っている。一周に50分、とてもいい気分転換になった。出口ははっきりしておらず、逆回りは困難だったことだろう。Google Mapsで研究所周辺を眺めていると、Cold Spring Harbor対岸にCold Spring Harbor State Parkというニューヨーク州の州立公園があり、人が通れる程度の道があることを知った。これもハイキングコースに違いない。昼に一時間ちょっと研究所を抜け出し、田舎にも関わらず意外と交通量の多い道を抜けて、その州立公園を目指した。大きな標識があったので入り口はすぐに分かった。こっちではtrailと呼ばれるが、日本に登山道はたくさんあれどもこのような森林を縫うtrailはあまり見られない。歩いている人の数は多くなく、少なくもなく、挨拶するとたいていはにこにこして返してくれる。人種差別などしたくはないが、恐らく中国系と思われる人たちはたいていむすっとしていて、挨拶などしないし、返してくれない人も多い。白人はたいてい陽気で、むすっとしていても、声を掛けるとすぐに陽気になる。英語の”How are you?"という見知らぬ人に対しても使われる呼びかけは文化の違いを作っている、あるいは文化の違いを反映していることを改めて感じさせられる。夜は自分のポスター発表があった。最後の方でプログラム委員の先生が聞きにきてくださり、もうそろそろ終わりということもあり、日本語で聞いてきてくれたので日本語で説明した。今朝、娘とビデオチャットをしたことを除けば、今回の旅で初めて母国語を使った。夕食はリンゴを齧ったくらいで眠りに落ちた。
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研究所のゲストハウス

 ここニューヨークに来て泊まっているのはCold Spring Harbor Laboratoryのキャンパス内にあるHooper Houseというゲストハウス。ロングアイランドの北側に位置するCold Spring Harbor、その西岸にいい雰囲気の建物をいくつも点在させている研究所だが、Hooper Houseもそんな一つである。今日は午後のポスターセッションの後、キャンパス内の自室に戻ったら寝入ってしまった。ほんの昼寝のつもりだったが、その後のワインとチーズのパーティー、夕食、夜のセッションを全てすっぽかしてぐっすりと眠りに落ちていた。時々目を覚ましはしたが、ベッドから起き上がれない。時差ぼけを甘く見ていたようだ。
Aug27_2014

37時間の長い1日

 午前1時半に独り起きて地球の裏側に行く準備を始める。高校1年生で山登りを始めた時に買った青いザックにあれこれ詰める。替えの下着は2組だけ、シャツも。長ズボンは1着。靴も1足。MacBook Airなど、仕事関係の物を詰め終えても60リットルのザックはぺちゃんこ。腰のベルトが壊れているものの、丈夫で長持ちだ。海外に行くのに30リットルでは小さ過ぎるから、40リットルくらいのザックも持っていたら便利かもしれない。7時前に半袖半ズボンに素足でサンダル、そして青いザックを背負って家族にしばしの分かれを告げた。40代のおじさんが独り寂しく近くのキャンプ場にでも行くかのような出立(いでた)ちで、我ながら微笑ましい。自分の生き様がよく現れている。成田空港までは2時間かかる。1ドル106円25銭で2万円を米ドルに替えた。ちょっと円安気味だ。事前に両替しておけば良かった。ボーイング777-300に乗り込み、出発は11時過ぎ。今回はJL6便で14時間かけて12,000km離れたニューヨークに向かう。これまで経験したことのない長時間フライトである。カナダ上空を飛んでいると、この辺りを車で走ったななどと思い出される。飛行機ならば10倍の速さのはずだが東海岸は遠い。トロントを過ぎ、オンタリオ湖の上に来てもまだまだ先だ。さすがの僕でも辛かった。こうして久々の米国に着陸。ニューヨーク州はトロントから学会で2回、日本から来た友人とオンタリオ州から陸路で1回来たことがあるので4回目だが、意外にもJFKは初めてである。入国審査では10本の指全ての指紋、そして顔写真を撮られる。面倒なので渡米目的は観光としていたが、学会に参加すると言ったらビジネスに変更させられた。ビジネスではないと思うのだが。さて、発表準備に忙しく、出発の日の未明に起きて慌てて準備をして独り来てしまっただけなので、これからどうやってマンハッタンに出ればいいのか分からない。図書館で借りたガイドブックを持って来ていたので、これ一冊が頼りである。現地の交通費は出してくれないと言われているので、安価な方法でここから抜け出さなければならない。地下鉄に乗れればと思っていたが、ここまでは来ていないようだ。Airtrainというのが安いらしいということが分かったが、運賃をどう支払えばいいのか分からず、久々の外国独り旅に緊張感が出てきた。僕は明らかによそ者だったが、緊張しつつも堂々とした態度だったのか、電車の乗客から何度も電車の行き先などを聞かれた。奴等は気安く話しかけてくる。やはり日本とは違う。聞きたいのは僕の方だったが。Howard Beachという駅に着き、ここで$5.00、これから乗る地下鉄の$2.50、そしてMetroCard発行のための$1.00を払い、バスやタクシーと比べればかなり安く行けそうなことが分かった。ニューヨークの地下鉄に乗っていると男といえども多少の恐怖を感じる。JFKから地下鉄でマンハッタンまで行く日本人観光客などほとんどいないのだろう。ガイドブックにはその辺の路線図が載っていなかったので、どこを走っているのか、マンハッタンに接するブルックリンの北西端に出るまで全く分からず、不安は大きかった。ソーホー辺りを歩いたことがなかったのでCanal St.という駅で地下鉄を降り、まずはハドソン川を眺めに行った。いい天気だ。Washington Square Parkから5番街を北上し、Empire State Buildingを眺め、Penn駅へ。少し暑かったが、東京よりは快適。背中の荷物が重いものの、マンハッタンの散策を楽しんだ。ここからはLong Island Rail Roadの電車に乗らなければならないのだが、さてどうすればいいのか情報がない。人に聞いて、なんとかチケットを買い、周りの人の行動を見ながらそれに倣う。乗車券にはpeakとoff peakがあり、平日午後4時以降の出発はpeakとなっていた。ちょうど4時発の電車に乗ろうと思っていたので残念ながらpeakを買わなければと思いそうしたが、その電車はoff peakらしかった。架線がなく、したから電気を取っているようだ。車内で路線図を見つけられない。駅で写真に撮っておくべきだった。Syosset駅を過ぎてはたいへんなことになる。Penn駅から1時間くらいと聞いていたのでその情報だけが頼りだったが、いつの間にか気が緩んで眠りこけてしまった。その前に女性車掌による車内改札があり、切符は返されず、前の座席の上のところに置かれた。はっと起きてびっくりその切符がなくなっている。隣にはいつの間にか体の大きな黒人女性が座っていて下車して行った。僕の切符はどこに消えたのか。切符をなくしても問題なく降りられるのか。1時間1分後に目的の駅に着いたが、日本のような改札口はなかった。いったいどういう仕組みになっているのか。研究所のシャトルを待ち、午後5時半過ぎにようやくCold Spring Harbor Laboratoryに到着。幸い宿泊場所は研究所内で、こればかりは嬉しかった。地球の裏側からやって来たことをいたわってくれているのか。二人部屋かと思っていたが一人部屋だった。ちょっと残念というか、ほっとしたというか。夕食を食べ、その後、最初のセッション。僕にとっての2014年9月26日は24時間ではなく37時間。ようやく長い長い一日が終わり、狭い部屋のぎしぎし音が鳴るベッドの上で眠りに就いた。
Aug26_2014

大浦天主堂の実物

 切手を集め始めた頃、近代洋風建築シリーズなんてのがあり、当時は何の興味も持っていなかったのだが、そこに描かれていた建物は今でもなんとなく覚えている。その一つが今、目の前に高く建っている。大浦天主堂である。坂の下から眺めるので写真に撮りにくく、いっそう高く感じられる。建築物のすごさを感じるには、絵や写真で見ても駄目である。百聞は一見に如かず。実物を見なければ。今日はこの辺りでお土産を買い、楽しかった長崎家族旅行もいよいよ終わりである。ハウステンボスに2泊、長崎市に2泊。どこに行くにも2泊ぐらいは滞在したいもの。タクシーで長崎駅、雨が降る中バスで空港へ。昼食に五島うどんというのを食べ、羽田空港へ。帰りもまた息子とモノレールに乗った。ちょうどいいタイミングで来たので、男組の方が先に帰宅。長崎はずっと雨だったが、東京は残念ながら晴れていたようで、ベランダの植物が心配だったが、なんとか生きながらえていてくれた。
Aug21_2014

長崎の平和祈念像

 路面電車、長崎電気軌道の電車一日乗車券を利用して、まずは原爆落下中心地へ、そして平和公園。テレビでよく見る長崎の平和祈念像、長崎原爆資料館へ。ここに来るのに広島を訪れてから四半世紀以上もかかってしまった。1945年8月9日午前11時2分、ここ長崎で一瞬にして7万人もの命を奪った、15万人もの死傷者を出した原子爆弾が投下されたことを忘れてはならない。そこから歩いて浦上天主堂に行ってみたが、葬儀中だったので外から眺めるだけにした。また路面電車に乗り、出島の和蘭商館跡へ。よく再現されていることに驚かされるが、単純に観光目的というわけではなく、多くの歴史愛好家あってのことだと思う。歩き回ってみると意外に狭い。江戸時代、オランダ人達はこんなところに閉じ込められていたのかと思うと僕の気まで狂いそうになる。路面電車を利用して眼鏡橋にも足を伸ばし、ホテルに戻った。夕方は独りでオランダ坂まで散歩し、旧長崎税関下り松派出所や、旧香港上海銀行長崎支店も見てきた。夜は娘とも旧英国領事館辺りまで散歩した。
Aug20_2014

ハウステンボスから長崎市へ

 ハウステンボス3日目の朝。きのう娘と行ったスーパートリックアートが面白かったので、今朝は家族4人で行ってみた。特にドラキュラのおやつが印象的である。それから展望室に上がって天気はあまり良くなかったがハウステンボス全体を俯瞰する。観覧車よりもこっちの方がずっと高い。100mを超える塔を建てるなど、ここはもう単なるテーマパークの域を超えている。街全体を設計した人たちは採算など考えずに仕事を楽しんでいたことだろう。息子はしつこく観覧車に乗りたいと言うので、最後に子供達だけで乗せ、ホテル前から少しバスに乗って、歩いてハウステンボス駅へ向かう。重い荷物を持ってくたくたに歩いていたら名前を呼ばれ驚かされた。まさかとは思っていたが、友人家族とばったり出くわした。お互い長崎滞在が重なっていることは知っていたのだがこうやって顔を合わすとは。一方はハウステンボスへ、そしてもう一方は去るところで、ただただびっくりして挨拶をし、すれ違うだけのことだったが。長崎駅までは1時間以上かかる。典型的な日本の田舎の風景が広がっていて、眺めているだけで楽しかったが、疲れているのかいつの間にかうとうとと眠ってしまった。長崎では駅の観光案内所に荷物を預けると、あとでホテルに届けてくれるのだという。長崎市はそれなりの観光地だ。諫早までは来たことがあるが、長崎市訪問は初めてである。ちゃんぼんを食べて、路面電車に乗り、大浦天主堂の近くにあるホテルへ。乗り換えもスムーズにできた。グラバー園は歩いてすぐ。ちょうど雨もやんで、幕末から明治の洋風建築をゆっくり歩き回って見ることができた。見所はグラバー邸だけではない。夜はバス、そしてロープウェイで稲佐山の頂上へ。この時もちょうど雨が上がってくれ、有名な長崎市の夜景を写真に、そして記憶に収めることができた。
Aug19_2014

観覧車初体験

 ハウステンボス2日目の朝、家族4人で観覧車に乗った。初めての観覧車に息子は大興奮。「さあ、ひっくり返るから、準備しろ」と言うと何を考えているのか独り床に寝そべって身構えた。「また乗りたい」などと言うがそんなに何度も乗っても面白くない。その後は、4人乗りの自転車に乗ったり、大きな船で海に出たりした。娘と長さ300mのジップラインを滑ったが、これはなかなかのアトラクション。雨が降ったりやんだりの一日だったが、家族みんな楽しんだようだ。
Aug18_2014

家族旅行で長崎へ

 この夏は帰省ではなく久々に家族旅行をしようという話になっていた。たまには西へということで僕は萩を提案していたのだが、いつの間にか行き先は長崎県。学生の頃、雲仙に遊びに行って以来だろうか。お盆の辺りは娘の部活があったので、時期をずらしてこの時期に休みを取り、日曜日の今日、出発となった。妻と娘はバスで羽田空港に向かったが、モノレールに乗るために男グループは浜松町へ。いつも自転車から眺めていたモノレールに乗り、今日は逆に自転車で走り回っていた道を眺める。そして今から40年近く前、父が海外赴任する際、田舎から今は亡き祖父母も含め家族全員で東京に出てきてこのモノレールに乗ったことを思い出す。娘が僕のカッターナイフを手荷物に入れていて没収されるなどというトラブルがあったが、2時間弱の飛行で無事に長崎空港に着陸。船に乗って大村湾を50分かけて北上し、ハウステンボスへ上陸。まだ午前中というのが信じられない。これまで九州は何度も訪れているがいずれも電車で、新幹線はもちろん、寝台特急や、さらには仙台から普通列車を乗り継いで来たことさえあった。実はハウステンボスにはいつか行ってみたいと思っていたのだが、予想通り、ディズニーランドなんかよりもずっと楽しめそうだ。ヨーロッパ風の街並を歩いているだけでも楽しい。初日の今日は軽く回って、ホテルでゆっくりしようと思っていたが、明日から雨降りの予報なので、夕方近かったがプールに行くことにした。水泳の特訓ばかりやらされてきた息子は、初めてのスライダーに大喜びである。僕も息子と一緒に何度も飽きずに滑りまくった。少しまた焼けたかもしれない。
Aug17_2014

米国の電子渡航認証システム

 米国への渡航は何度目になるか。6月末にニューヨークへの航空券を手配し、その時、ESTAと呼ばれる電子渡航認証システムにオンラインで申請しなければならないと言われていた。これまでそんなことをした記憶はない。調べてみると2008年から始まったようで、入国カードI-94Wは2010年に廃止されたらしい。注意深く行うならば多くの指示や注意を読まなければならないが、日本語のサイトも用意されているので手続きはそんなにたいへんではない。最後に「あなたの渡航認証は許可され、ビザ免除プログラムに基づき米国に渡航することができます」などと書かれたページが現れ、渡航認証許可が出る。クレジットカードで$14取られるが、そのうちの$10は観光事業推進のために使われるらしい。

中央環状品川線の工事

 都心環状線に対し、中央環状線は全然環状になっていない。今後どうなるのかと思っていたのは、自動車を保有していた10年以上も前のことで、手放してからは首都高を運転することも稀になり、関心もなくなっていた。中央環状品川線という関越トンネルよりも長い日本一の道路トンネルが開通していよいよ中央環状線が全線開通する予定だとの話を先日聞いて驚いた。山手通りの下をもくもくと掘り続けていたらしい。その辺を自転車で行き来したり、またランニングをしたりとうろうろしたことも多いが、全く気付かなかった。家(うち)から最も近く利用し易い首都高はいつもすいている目黒線で、品川線とも交わるのだが高架と地下で連絡なしというのは残念。カナダ留学を経て、東京の道を運転する気は失せていたが、久々に車を運転したい気分になった。

息子と冬休みの帰省

 この冬休み、妻と娘は東京に残り、僕は息子と二人で実家に帰省する。息子は何ヶ月も前から「穂高に行きたい」と言い続けてきたがようやくその日がやってきた。午後、新宿からスーパーあずさに乗って出発。最初は興奮していたが、眠ってくれそうな時間帯を選んだのですぐに眠ってくれた。僕もずっと目を閉じていた。東京と比べるとさすがに松本は寒い。大糸線に乗ると、残念ながら北アルプスは雲の中で見られなかった。5時半頃実家に到着し、夜は家族7人で温泉へ。

布引の滝から布引五本松堰堤へ

 新神戸駅で布引の滝という観光地への案内を目にした。これまで新神戸には何度も来たことはあったがなぜか気付かなかった。駅から歩いてすぐのところらしいので、帰京する前に散歩でもしてみようと、昼前、駅を超えて山の中に入って行った。幸い天気は良く、紅葉真っ盛りである。駅の裏にこんなにすばらしいハイキングコースがあったとは。まずは布引の滝のうち、雌滝に着く。辺りには真っ赤に染まったカエデがいくつも生えていて滝の美しさを引き立てている。そこから鼓滝などの小さな滝が続くが、さらに登って行くと雄大な雄滝に出る。やはりこっちの方が見応えがある。ここで息が切れて引き返す人も多いようだが、日本最古のコンクリートダムとして国の重要文化財になっている布引五本松堰堤がこの先にあるのでぜひそこまで行ってみたい。猿のかずら橋、谷川橋といった見所たっぷりの趣のある道は続く。コートを着たままなので汗をかきそうだが、気温は低く、急がずゆっくり歩けば不快な汗は出なかった。そしていかにも古そうなダムが現れ、その向こうには布引貯水池が広がっていた。帰りの新幹線の出発時刻まではまだまだ時間がある。貯水池の周りを歩き、秋のハイキングを独り楽しんでから東京に帰ってきた。
Dec06_2013

毎年12月に許されている独り旅

 基本的に僕は旅好き、特に独り旅が好きなのだが、最近は妻があれこれとうるさいのでそう簡単に出歩けない。デフォルトで許されているのは毎年12月に開かれる日本分子生物学会年会ぐらいなものである。今年は神戸。朝の7時ちょっと前に品川駅を出る東海道新幹線のぞみに乗って3時間もかからずに新神戸に着く。ふらふらと学会会場を歩いていると旧友を見つけ、トロント仲間3人で食事。これから3泊のホテル住まい。

地下水の立会川への導水事業

 大井町駅から京浜東北線で北上すると、進行方向右手にずっと青い管が延びているのが見える。これは、総武線馬喰町駅付近のトンネル地下漏水を、うちの近くを流れる立会川の大井町駅付近に導水している管である。10年以上前にJR東日本が総延長12km以上の工事費用を全額負担して実現したらしい。立会川はずっと暗渠となっているのだが、京浜東北線の下をくぐり、息子の産まれた病院の辺りまでたどり着くと太陽の下に出る。そこに青い管の開口部があり、きれいな地下水のおかげで立会川の水質はかなり改善されたらしい。今ではボラなどの魚が群れをなして泳いでいるのを見ることができる。なんとも楽しい計画を実現させたことか。今日も京浜東北線に乗り、上がったり下がったりしながら延々と延びる青い管を中はどうなっているのかと考えながら眺めた。
Nov23_2013

明石名物ひっぱりだこ飯

 病院の売店でいろいろな駅弁が売られており、友人のお勧めということもあって「明石名物ひっぱりだこ飯」というのを買って昼に食べた。774円。なかなか旨かった。明石は何度か通ったことも観光で訪れたこともあったが、こんな駅弁があったとは知らなかった。職場の昼食でこういった駅弁が食べられるのは全く便利だが、旅先で食べる楽しみの価値は激減だ。

ドクターイエローに初遭遇

 土曜日、小学生交通安全標語最優秀者表彰式に出るために警察署へ息子を後ろに乗せて自転車を漕いでいると、目の前をドクターイエローが走り去って行った。写真を撮りたかったが、二人乗りをしていることもあり、カメラを取り出す時間がなかった。自宅のベランダからあれだけ東海道新幹線を眺めていても見ることができなかったドクターイエロー。ほんの一瞬の出来事だった。

指定席を間違える

 大きな荷物を持ち、息子と混雑した大糸線に乗りって松本駅へ。そこから新宿行きのあずさに乗る。ようやく落ち着いてのんびりしていると、車掌が寄って来て乗車券を見せろと言う。なんかその聞き方が普通でなかったのでどうしたのかと思ったが、指定券は7号車であるのに11号車に乗ってしまっていたことを指摘された。とんでもない失態をしでかしたものだ。ここの指定券を持っている乗客は僕らを見て、僕らに声をかけずに車掌に声をかけたのか。こんな光景は何度も見たことがあるのだが、なんと自分がやってしまった。幼い息子もびっくりである。

新幹線で三島に日帰り出張

 再び三島に日帰り出張。前回は新横浜から新幹線に乗ったら100 km未満は新幹線代が出ないということで、ちゃんと乗車券等を持ち帰ったにもかかわらず、小田急線を利用して行ったということで旅費精算がなされた。少しは安くなるかと考えて新横浜を選んだのに、なんともおかしな規則だ。小田急線経由で三島まで行くなど、かなり馬鹿げている。遊びだったら楽しいが、こっちは仕事で行っているんだから。そういうわけで今回はわざわざ高い特急料金を払って品川から乗り、お役人による旅費精算がどうなるのか試してみることにした。大井町まで出て、自動販売機で乗車券と自由席の特急券を購入。帰りは、三島駅の自動販売機で山手線内行きの乗車券と特急券を購入。後になって気が付いたのだが、往路と復路で料金が違う。考えてみれば、大井町と三島、三島と山手線内のどこかの駅との距離を比較すれば、後者の方が長い。しかし大井町で品川からの特急券を買えば山手線内に戻ることは明白なのに、この料金計算でいいのか疑問である。最近のJRは、旅費精算のために乗車券を持ち帰りたいと伝えれば、断られたことはない。子供の頃はしばしば取り上げられたものだが。
Jul05_2013
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