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息子と期日前投票

 一週間ほど前、北海道にいる友人から一通の葉書が届いたのだが、その葉書、ちょっと変わっている。切手が貼られておらず、選挙と書かれた消印が押されているのだ。調べてみると、選挙運動用法定葉書という物らしいことが分かった。相変わらず頑張っているようだ。僕の方も相変わらず選挙には行かず、投票率を下げることに貢献する人なのだが、この葉書を受け取ったことで、たまには行ってみようかという気になった。それに期日前投票をしたことがなかったので、一度くらい経験してみるのもいい。期日前投票宣誓書というのに書き込みをして息子と家を出た。投票所は本来の場所よりもずっと近く、道路を挟んで隣の建物と言っても過言ではないくらいだ。先に選挙区の投票用紙を渡された。こんなのには興味はない。立会人の前で、受け取った紙っぺらをそのまま箱に放り込んで見せた。息子の方がその異様さに気づいて、何か書かなくていいのかと聞いてきたが、何も書かなくていいんだと答えた。そして比例代表の投票用紙。こちらには遠くにいる友人の苦労に報いるべく、鉛筆で政党名を書いて、投票箱に入れようとしたら、息子が入れたいと言う。息子に入れさせていいものか。ちょっと迷い、一緒に二つの手で放り込んだ。最近の米国大統領選挙や英国国民投票に関し、ポピュリズムという言葉を度々耳にするようになった。僕がなぜ選挙に行かないか。明確に説明するのは困難だが、今まで正しくは理解していなかったもののこのポピュリズムというものが一つのキーワードのような気がする。まあ、とにかく、それ以上考えることは時間の無駄なのでやめることにしよう。
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一匹とて釣れなかった釣り具

 留学から戻り、日本で釣りでも始めてみようと釣り竿などを買い揃えたのはもう9年も前のことになる。そこそこの出費だったが、けっきょく丹沢湖で1回使っただけ。しかも一匹とて釣っていない。食べることが目的ならば店で魚を買ったほうがずっと安い。今後、特にやりたいとも思わないので、釣り好きの友人にバス用釣り竿、リール、釣り糸、釣り針、ルアーなど一式を引き取ってもらった。ぜひ活用してもらいたいとも思ったが、素人の僕が買った物など、何の役にも立たないだろう。そうしたら近くの釣具店に持って行って2,000円になったとのこと。合計で13,000円以上する物だったが、なかなかいい値で買い取ってもらえたようだ。その2,000円を返されたが、そうではなく、今度、息子と一緒に釣りに連れて行ってもらうというという約束を取り付けた。僕のような素人が勝手にやって楽しめるようなものではない。この前、息子が「釣りに行きたい」と言っていたのでちょうどいい。

いきなり登校拒否

 友人の子、小学校1年生の女の子が、入学早々に学校嫌いになってしまい、授業にも出られず、校長室や保健室で時間を過ごしているという。最初に行った学童で、3年生の男の子から「どけ」と言われたのが発端だったと。その一言による心の傷はそうとう深かったようで、通学前から泣きわめくし、親と一緒に学校に行っても泣いて、文字通り走って逃げ出すのだという。学校では「ママがいい」と泣き続けていると。友人は仕事の時間を削って、少しずつでも慣れてくれるようにと頑張っている。わずかながら改善の兆しはあるようだと。ずっと保育園に通っていて、今まで話を聞いていた限りではそんなようになる子には思えなかったのだが、小学校に同じ保育園の友達がいなかったという環境の変化は大きかったようだ。しかしここで頑張れば強くなれるはず。うちの子はおかげさまで元気に通っている。いい先生、いい友達、恵まれた環境に感謝である。

7年ぶりに旧友と再会

 仕事で神戸にやって来た。夜、久々に大学時代の友人に会い、二人で飲んだ。7年ぶりとのことでずいぶん老けたように感じられたが、前回よりも元気そうな印象。老けたのはお互いさまか。派遣で働いているようだが気楽でいいと、毎日を楽しんでいる様子だった。相変わらず水泳は続けているらしい。ようやく結婚する気も出てきて、まずは相手探しに動き出したとのこと。そんなことに限らず、話題はたくさんあり、旧友との再会は楽しいものである。次に会うのはいつになるだろう。奴の結婚式か。

逆効果を招いた愛妻弁当

 健康診断の結果が返ってきたが、結果はきわめて良好である。そんな折、職場の友人の話では、生活習慣病気味の旦那さんのために毎朝弁当を作っていたのに、健康診断の数値は悪化していたという。その真相は、弁当だけでは足りなかったので、かえって別な、しかも健康によくなさそうな物を買って食べていたということらしい。毎朝、貴重な時間を潰して、夫の健康のためにとの苦労は逆効果だったようだ。時間と苦労を返して欲しいと言うのも無理はない。本人のやる気がなければ他人がとやかく言ったり苦労したところでどうにもならない。そうも言っていた。

思いもよらなかったいじめと学校嫌い

 土曜日の夜、新橋にトロント留学仲間5人が集まった。夜遅くまで飲んで帰宅し、日曜日はよく眠ったつもりだったが、これまで安定していた午前4時前に起きるという生活のリズムがすっかり狂ってしまった。歳(とし)のせいか。さてその夜、なんとなくうちの息子が保育園で友人関係でトラブルを抱えているという話が出てきて、一人が保育園でもそんなことあるのかと驚くと、もう一人が俺は保育園から中学校までずっといじめられていて学校嫌いだったなどと語り始めてみんなを驚かせた。その話っぷりからはとても想像できない過去の暗い話らしいのだが、集団で向かってくる奴らに対する強い思いは、今の彼の言動と通ずるものがなくはない。今に至るには、そういった経験が大きな糧になっていたのだろう。うちの子も強い意志を持って頑張ってもらいたい。

入院した友人を見舞いに

 一宮で入院した友人を二人で見舞おうということになり、当然新幹線で行くつもりだったが、車を出すという。車なんかで行ったら一日がかりではないか。そんな悠長なことはしていられない身なのだが、強く主張することもできず、提案に従うことにした。まあ、久々に会うので車の中でいろいろ話せるのはいいかもしれない。そのために僕は奴の家の近くまで電車で行かなければならないわけで、今朝は2時半前に起き、5時過ぎに家を出た。6時半に合流し西へ向かう。僕は助手席に座っているだけ。向こうの病院に着いたのは11時半頃だから休憩を入れて5時間。やはり車での移動はたいへんだ。学生の頃だったら楽しいが、この歳になると、もううんざりという感じだが、長時間安全に運転してもらった奴にはそんなことも言えない。さて、そんなことよりも友人の容体である。看護師に部屋の場所を尋ねると、示し合わせたような顔をされ、面会を断られた。僕は2時半に起きて、ようやくここまでやって来たんだ。約束をした上で東京から来たと伝えると、顔色が変わり、ちょっとだけならばと病室に様子を見に行った。どうやら今朝方急に体調が悪くなり、緊急手術となったらしい。そんなわけで、これから手術室に向かうという友人の顔をほんのちょっと見ることができただけだった。しかし5分でも遅れていれば、どう頑張っても彼に会うことはできなかった。もう何年ぶりだろうか。手元のパソコンで検索してみたら、2002年11月に友人の結婚式で会っていることが確認できたが、それ以来だろうか。状況が状況だけにやつれて見えたが、早く元気になってもらいたい。そうでなければ、今日持ってきた僕の梅酒も飲んでもらえない。歳の離れたお兄さん、お姉さん達、それに奥さんと話し、東京へと帰ることにした。少し遅い夕食を食べ、また長距離ドライブである。自宅に着いたのは夜の8時半近くだった。

成人T細胞白血病

 大学の頃の友人が成人T細胞白血病で入院しているとの連絡を受けた。突然のことでかなり驚かされたが、本人にとっても突然のことであったらしい。最後に会ったのはいつのことだろう。かつてはよくお互いの家を行き来して、泊まりがけで栗駒山に二人で登ったこともあった。卒業後は、住む場所が遠く離れてしまったので、再会するといったら自分たちや共通する友人たちの結婚式ぐらいだったことだろう。今では年賀状をやりとりするぐらいで、小学生ぐらいの女の子が二人いるはず。その子たちのことを思えば、頑張らねばならない。機会を見つけてお見舞いに行かねば。

旧友家族と東京スカイツリー

 米国人の友人が家族揃って日本に遊びに来ており東京スカイツリーに連れて行くことになった。17年前の夏、僕が分子生物学の研究を始めた頃、彼女は何かしらを習得するために数ヶ月間同じ研究室に滞在し、部屋も同じだったのでしばしば話した。もちろん英語で。5年前にも来日し、その時は自宅に来てもらって、蕎麦打ちをした。こうして細々とした縁が続いているのは、嫌いと言いつつも使い続けているFacebookのおかげであり、ゆえにアカウントは削除できない。さて、せっかくの機会なので、中学生の娘と、就学前の息子も連れて行くことにした。英語が話せないとコミュニケーションが取れないということでも実感してくれればいい。上野にある旅館に迎えに行き、5年ぶりの再会。旦那さんとは17年ぶり、3人のお子さんたちとは初対面である。僕は歩いたり、電車を乗り回すのが好きなので、一家を引きずり回すような感じで押上駅に到着。ここでもう一家族と合流し、整理券を取りに行った。時に小雨がぱらつくようなあいにくの天気だったが、せっかくここまで来たのだから展望デッキまでは登ることになった。時間があったのでそれまでの間、すみだ水族館へ。そして昼食。ちょうどお昼時で混雑しており、秩序立った対応ができず、もうしわけなかった。正午辺りは外さないといけない。そしていよいよスカイツリーへ。僕ら家族にとってもここに来るのは初めてである。開業からそろそろ3年になるようだ。面白いか、面白くないかはともかく、一度は来ておかねばなるまい。中学生になって、英語を勉強している娘にはぜひとも彼女らと話して欲しかったが、ついて来るばかりでほとんど口を開かなかった。息子の方もいい遊び相手がおらず、退屈してしまったようだが、最後にアメリカ土産をもらってそれが気に入り、ご機嫌になって家に帰ってきた。明日、家族は帰国し、彼女は大学教員としての仕事があるため、引き続き東京に滞在するらしい。
Apr19_2015

松本出身理系夫妻の対立

 松本は就学前の数年を過ごしたとても懐かしい一つの故郷である。職場にその松本出身の大学院生がいて、時々、中信地方の話で盛り上がる。彼女は小学生の時に両親に頼み込んで中学受験をし、高校卒業まで親元を離れ、全寮制の私立学校で勉強、さらに遠く離れた私立大学の医学部に進み、今は東京で研究をしつつ、産婦人科医として、そして母として頑張っている。彼女の旦那さんには会ったことはないのだが、やはり松本出身で、僕の父と同じ県立高校を卒業しているのでなんとなく親しみを持っている。そんな理系夫婦がまだ一歳にもなっていない我が子の将来について、ほとんど冗談ではあるとは思うが、中学受験をさせるか否かで対立しているらしい。そんな話を聞くと、僕の多くの友人たちが自分の歩んできた道に対して強い誇りを持っていることをひしひしと感じさせられる。周りに流されず、若い頃の偏りのない友人関係を望む父親と、松本と違ってここは東京なんだからと主張する母親の姿を想像するとほほえましい。僕自身、娘が私立中学に入ってくれてとても助かったと思っているが、それは我が家のさまざまな環境を考慮した上での総合的な話であって、あらゆる家庭に当てはまるものではない。

母校の在校生と話す

 友人の親戚の子が僕が卒業した中学校、高校に通っていると聞いていたが、直に会って話す機会を得た。はるばる僕らの職場まで来てくれ、初めて見る研究室は新鮮だったようだ。僕が教わっていた若い先生たちは、四半世紀を経て年は取っているだろうが多くは現役である。老境に至っても変わらぬ姿、そして変わった姿を耳にし、話は弾む。夜は彼のお父さん、と言っても僕の一つ下なのだが、も加わり、僕の中学校の友人と音楽仲間として今でも親しくしているようでこれまた話が弾んだ。僕の通っていた中高一貫校は、当時も、そしておそらく今も変わらずいわゆる中学受験の滑り止め校であり、心の底から愛着が持てないところがある。しかしながらこのお父さん、心底、息子の通う学校、先生、友人たちに惚れ込んでおり、高校生の父親として自分の人生までをも楽しんでいる。一卒業生としてはこんなに嬉しいことはないし、その姿に感銘を受けた。だいぶ飲んでいて始終楽しそうであったが、酒だけであの笑顔は出ないであろう。聞けば音楽一家で、彼のピアノとバイオリンは玄人の域である。男子校に通う高校二年生がロシア人に習っているというのだから、それを聞いただけでも普通ではないことが分かるだろう。とりあえずは理工系の学部に進むことを考えているという。音楽で培った努力と成功体験をこれからの受験に活かせば、理工系など望むところはどこでも行ける。ぜひ頑張って大きな夢を見つけてもらいたい。

中部すこやか福祉センター

 自分が卒業した区立小学校は少子化による統廃合のため、何年か前に福祉施設に変わってしまった。卒業30年にあたり、母校見学会が企画され、きのう独りで久々に中野に行ってきた。中野駅を降りるとよく言われることだが、なんとなく小さく感じる。子供の頃はこの駅はもっと大きかったような気がするが。多少変ってはいるが30年前の面影はじゅうぶんに残っている。中高生の頃、毎日通った通学路を歩こうかと思ったが、妹が産まれた病院に寄り道をしてみた。建物は古いので、当時から変っていないのだろう。暗渠の上の桃園川緑道を歩いていると、妹が産まれた時、祖母とここを歩いたことを思い出した。あの頃は祖母も祖父も、母方の祖父も健在だった。高校2年生まで住んでいた社宅は、この前来た時から特に変ったようなこもない。この辺は半分以上の建物が残っているし、道はどこも当時のまま保存されているようなので迷うことはなかった。小学校もなくなってしまったとはいえ、ちょっとした改築なので当時の雰囲気は消えていない。この狭い校庭を毎日のように走り回っていたのかと懐かしい思い出がよみがえる。集まったのはたったの7人だった。多少メンバーが入れ代わって駅の近くでランチ。ちょっと飲んだだけだが、かなり酔っぱらって早めに帰ってきた。

菌床の贈り物

 昨年、じゅうぶんに楽しんでからナメコの菌床を友人にあげた。最初はいい感じで茸が生えてきて収穫できたようだが、もう一人欲しいと言うので回してもらったところ、もう温かくなってきてためか、収穫できなかったらしい。その後しかたなく、菌床は自宅の冷蔵庫で眠っているのだという。それがなんとなく哀れに感じられ、新しい菌床を買って、何も告げずに勝手に自宅に送りつけてみた。夜、怪しげな箱が届いて、しばらくの間、笑いが止まらなかったらしい。そんな母親を見て、小学生のお嬢さんは何が起こったのか理解できていなかったとのこと。なかなかいい贈り物ができた。ぜひ親子で楽しんで育てて、りっぱなナメコを収穫してもらいたい。

隣席の大学院生の妊娠

 隣席の大学院生が妊娠したと教えてくれた。結婚してからまだ一年経っていない新婚さんで、何とも嬉しいことである。僕は結婚していない若い女の子には気軽にこういうことは話せるのだが、このご時世、さすがに新婚さんにこの話を振るのはためらわれる。産婦人科医であるものの。二度経験した自分の子ができた時のことを思い出し、他人事ではあるが同郷ということもあり、とても嬉しい気分に浸ることができた。

大学の先生と小学校の先生の結婚式

 結婚式に呼ばれた。久々である。あいにくの雨降りだったが、式が始まる頃には上がり、秋のまずまずの天気である。都心、しかも首相官邸の裏にこんな神社があるとは全く知らなかった。小学校の先生をしているという新婦はまだまだ若いが、僕の友人の方はけっこうな年である。お兄さんが「ようやく安心しました」と言ってビールを注いでくれ、また新郎の挨拶では「まだまだ未熟な私たちですがなどと言っていられるような年齢ではありませんが」などと言っていたのが印象的である。大学の先生と小学校の先生という組み合わせ。とても心温まる、そして美しい披露宴だった。やっぱり結婚式はいいものである。新郎新婦のすぐ近くの僕らのテーブルは生物学者で固められた。今の職場に移ってから、ヒト、つまり医学系の研究をすることが多くなったが、アメーバ、ムカデ、ウニなどそんな生き物の話が出てきてこれまた新鮮だった。新郎のお父さんは高校の生物の先生なのか、自分のせいで息子を貧乏研究者にしてしまったことを反省しているなどと語っていたが、当の本人はそんな環境に多いに刺激を受け、楽しい人生を送ってきたと感謝しているに違いない。そしておじさんたちがぞろぞろと出てきて新郎も混じって学生歌。久々に聞いたが、歌詞は忘れるわけが無い。自分の結婚式でもみんなで、父や仲人さんや向こうの親戚も一緒に肩を組んで歌ったことを思い出す。新郎の彼とは知り合ったのはほんの3年前だが、同じ大学の同じ理学部出身である。
Nov04_2013

毎週月曜日の外食

 この研究所に来て1年半ほどになるが、昼食は病院の方にある店で弁当やパンを買って取っている。月曜日は研究部内で仲間を募って外で食べるということになっていて、今日は7人で近くの定食屋へ出かけた。週に一度のちょっとした気分転換である。

猛暑の中の旧東海道品川宿

 カナダに留学していた頃、ジャーナルクラブでお世話になった友人が結婚してブラジルで研究室を持っている。地球の反対側からこっちにやって来て時間を取ってくれたので、午後、年休を取って彼に会いに行った。あれから6年が経ったか。僕よりも多少若かったはずだが老(ふ)けたように見える。しかしそれはお互い様だろう。品川から南へ一駅、北品川で降り、猛暑と強烈な日射しの中、二人で並んで歩いて旧東海道を南下した。途中、和菓子を買ってほおばり、品川寺(ほんせんじ)へ。そして鮫洲八幡神社。寺と神社の違いが分かるかと聞いてみたが、全然分からないらしい。頑張ってもう一駅分、涙橋まで歩いて坂本龍馬像は素通りして立会川駅へ。もつ焼き居酒屋を見つけ、冷たいビールを一杯ずつ飲んだ。もつなんか食べさせてもと思い、普通の豚肉の串刺しを頼んだ。この暑い中、4駅分も歩き、申し訳なかったがいろいろと話ができ、たっぷりと生の英語にも浸ることができた。品川駅まで5駅分電車で戻って別れた。次に会うのは、いつ、そしてどこになることだろう。
Sep12_2013

おれの本棚

 札幌在住の友人から雑誌が1冊届いた。これは一体何だろう。夕飯を食いながらページをめくり、その意図を探るがつかめない。餃子店の紹介記事が1ページ。うまそうな餃子の写真と焼いている写真も添えられている。やはり皿に盛る際は焦げ目が上である。僕の餃子論に同意してわざわざこの1冊のこの1ページを送ってくれたのか。いやいやそんなわけがない。表紙の裏に手紙が1枚挟まっていたことにようやく気付いた。「おれの本棚−持ち主の姿があらわれる本棚を拝見」というコーナーに近況が掲載されているのだという。そのページを開いてびっくり。前回会ったのはもう10年前だろうか。その時とは全く違った彼の姿があった。自分は本棚を持たない主義のくせに、他人の本棚を見るのは好きである。家に訪ねたりすればもちろんであるが、仕事上、研究者仲間や偉い先生方の仕事場を訪ね、雑然としていようが整頓されていようが、どんな本が並んでいるのかを眺めることはかなり楽しい。そんな楽しみが、雑誌で提供されていたことも驚きである。さて彼の本棚であるが、それは自分のためというよりもむしろ経営している塾の生徒たちのために設置されているのだ。写真からでは全貌は分からないが、教室の壁はどこも書棚で埋め尽くされているようにも見える。彼が単に子供たちの勉強を見てやっているだけではないことが一目瞭然である。
Jun24_2013

厚生労働省のキャリア官僚

 通勤途中、高校の友人に会った。以前にも自転車に乗っている彼を見かけたことがあったのだが、その時はすぐに行ってしまったので声をかける時間がなく残念に思っていた。今日は透かさず呼び止め、すぐに認識してもらえた。去年、母校で同窓会があり、20数年振りに顔を合わせて名刺交換もしていたので、その辺りに住んでいることは把握していた。それほど奇遇というわけでもないのだが、彼は厚生労働省のキャリア官僚、僕はその出先機関の職員である。

九州男児になってしまった友人

 一浪して大学に入学して以来、ずっと福岡に住んでいる友人と再会した。彼のお気に入りの店で待ち合わせ、鍋料理を食べ、長浜の屋台のラーメンを食べに行った。互いに大学生だった頃、仙台に遊びに来てくれたことがあり、その時は九州男児への変貌にびっくりしたが、あれからもう20年。こっちで奥さんを見つけ、子供も産まれ、すっかり落ち着いている。東京の実家にはあまり帰っていないとか言っていた。大学の医学部で講義もしていて、かつてはそこの学生だったうちの研究部の大学院生2人が彼のことを知っていて驚かされたこともあった。最近は東京も含めて教授のポジションを探し始めたとのことである。
Dec13_2012

ファイナンシャル・プランナーの稼ぎ方

 丸ノ内線で新中野駅へ。小学校3年から高校2年まで住んでいた懐かしい場所である。最近は年に数回、小学校の同窓仲間で集まって楽しいのだが、メンバーが決まっていて新鮮味に欠けてきたのが残念だ。しかし今回はファイナンシャル・プランナー(FP)をやっている友人から興味深い話を聞いた。今やFPなんて珍しくもなく、独立しようがしまいが、せっかく頑張って資格を取っても生計を立ててゆくことはそう簡単ではない。そんな中で自分の会社を持ち、頑張って活躍している彼から、彼なりの工夫と努力を聞き、なるほどと感心させられた。貧乏性の染み付いた僕らにはFPに金を払って相談しようなどという気が起こらないのが普通である。ならば個人からではなく、会社から金を取ればいいのである。愚痴を言っていてもどうにもならない。別な視点から、将来性も考え、わずかな可能性にもかけて行動を起こしてこなければ今の成功はなかったのだろう。それはFPに限った話ではない。

研究部旅行の企画

 今年から加わった大学院生が研究部の旅行を企画し、みんなで貸し切りバスで山梨県へ。甲州ワイナリーと昇仙峡。これに限らず、彼女の行動力には常々敬服させられる。見習わねばならない。僕は午前中に大学での講義があったため参加できず、残念というか彼女に対して申し訳なかった。次の機会にはぜひ。

職場で旧友に再会

 職場で旧友に再会した。昼食のパンを買おうとしていたら突然肩を叩かれびっくりしたのだが、実はお互い、同じ職場にいることを知っていた。カナダで別れてもう何年になるだろう。ここに来て以来、いずれ会うだろうと思ってはいたが7ヶ月もかかった。病院と研究所に分かれているとなかなか顔を合わせる機会もないようだ。

大学の友人に三人目

 大学の友人から三人目が産まれたとの報告を受けた。赤ちゃんも、そして決して若くはないであろうお母さんも元気とのことで何よりである。うちは子供二人だが、三人とはなんとも羨ましい。結婚する前は四人欲しいなんて思っていたが、現実はそう甘くはなかった。特に二人目が産まれて、共働きのうちでは本当に手いっぱいである。ならば妻が専業主婦だったら三人、四人といけるのか。そうなれば収入半減で経済的な問題が大きくなる。三世代同居ならば四人くらいいけるのかもしれないが、とにかくうちはこれ以上、どう考えても不可能である。

山を再開した友人

 水曜日は私立大学の非常勤講師をしているため、いつもよりちょっと早めに帰宅する。東西線大手町駅から京浜東北線東京駅に乗り継ぐのだが、友人が丸の内で働いているので、久しぶりに会おうと誘い、それが今日実現した。相変わらず山登りに精を出していることは彼のウェブサイトを覗いていれば分かることなのだが、日本山岳会に入り、本人は「山を本格的に再開した」という気分らしい。講習山行の講師もして頑張っている。その一方で僕の方は登山はやめたという気分になっている。もう山に登らないというわけではない。若い頃にもくもくと登っていたような登山はもうやらなくていい、これからは年相応の違ったスタイルの登山を、具体的には子供達と年に数回、山小屋を利用した軽い縦走ができればいいと思っている。若い頃は登山ほど面白いものはないと確信していたが、この歳にもなると正直言って仕事をしている方が面白いし、本でも読んで勉強している方が面白い。他にもいろいろと楽しいことがあることを知った。登山はもう修了してしまったというような気になっているから、一生懸命頑張っている彼に対しては失礼ではあるが、また山に関しては彼の方がずっとずっとすごいわけで僕の理解を超えているはずなのだが、山の話というものを高い所から不思議なほど大らかにかつ謙虚に聞くことができる。若い頃はこんな境地に至るとは思ってもみなかったから、年を取ることもまんざらつまらなくもない。

中学高校の同窓会

 中学のバスケットボール部、いや母校ではバスケットボール班と呼んでいたが、そのマネージャーをやっていた友人が中心となり、同窓会が開かれることになった。同窓会は僕が仙台で学生をしていた頃も開催され、その時は参加しなかったが、今回は学校の協力も得、もっと規模の大きな中学高校の同窓会となった。参加することがためらわれる面もあるのだが、そんなことを言っているようでは情けないと自分に言い聞かせ、最初から参加する意思を表明した。連絡を取っている友人数人にも声をかけてみた。僕の誘いに乗ってくれた奴もいるし、そうでない奴もいる。とにかくその同窓会の日がやってきた。池袋駅から歩いて母校に向かうが、迷うことはなかったものの、当時歩いていた道順の記憶は怪しかった。池袋から通ったのは高3の1年間だけだったということもあるのだが。懐かしい友人たちと顔を合わせると、それまでの不安は一気に吹っ飛ぶ。卒業以来の友人はもう20年ぶりどころではなく、名前を言ってもらわないと分からないほどである。僕の方は18歳の頃とほとんど変わっていないらしい。みんなからそう言われた。とにかく懐かしい。そしてここに来ている奴らはみんな元気そうだ。当時の校長の息子が校長をやっており、いろいろと話を聞き、後で校長室にもお邪魔した。今年、僕らが使っていたほとんどの校舎が壊され、建て替えられるらしい。バスケットボールの練習をしていた体育館も覗いたし、体育委員総務の活動をしていた体育準備室、山岳班の部室も覗いてみたが、やはり一番懐かしいのは中1の時の教室である。夜は池袋に移動し、お世話になった先生も加わって懇親会。今回参加している友人のバイアスも大きいのだろうが、そのほとんどが医者。元気なさげに、子供達も医者にするのが無難だと言っていたのが強く印象に残った。
May12_2012

世界に思いを馳せた無線マニア

 これまで使っていた椅子は学内の友人にあげることにした。その件で連絡し、最後の昼食は2人で外に出ることになった。仙台の同じ大学院、しかも同じ研究科出身の彼とはいろいろ話してきたつもりだったが、最後の最後で意外な話題が出た。彼は無線マニアだったらしい。僕よりだいぶ若いのだが、まだまだインターネットなど普及していない時代、東北の片田舎で世界とつながりを持っていた少年が彼だった。電子工作が好きだった彼は、中学生の頃から電波を介して、国内の無線マニアに限らず、遠洋船や異国の人達とも連絡を取り、世界に羽ばたく夢を持っていた。そんなことから英語も得意としたが、数学などの成績は振るわず、いわゆる理系の道に進むことはなかった。しかし地理学と出会い、じゅうぶんに子供の頃の夢を叶えている。これからは無線を活かした防災関係の研究を進めるらしい。中学生だった僕の周りにも数人の無線マニアがいたが、無縁だったと言っていい。パソコンと無線がおたく扱いされ始めた頃でもあった。しかしこんなに楽しい世界が広がっていたとは、熱く語る彼の話を聴くまで全く知らなかった。もはや特別な状況を除いて無線どうのこうのという時代ではなくなってしまったが、子供達には何かでこのような体験をしてもらいたい。そしでだいぶ年を取ってしまったとはいえ僕自身も。

大学生の頃の書簡

 古い葉書や手紙を整理しているのだが、僕の友人達は先輩も後輩も含め、けっこういろいろと書いてくれている。文面を見ると、どうも僕がいろいろと書いた上での返信も多い。大学生の頃の筆まめは愛読書であった『遠き落日』の影響、より具体的に言えば野口英世の影響が大きいように記憶している。葉書や手紙を書くのはけっこう楽しいことだった。しかし、今や状況は一転している。あんな手紙のやり取りをするようなことはもはや皆無である。これは電子メールをはじめとするインターネットのせいであることは間違いない。ブログや、僕は好かないがSNSの存在も大きい。初めて電子メールの存在を知ったのは大学1年生になってからだが、本格的に使い始めたのはその4年後、大学院生になってからである。以後、受信メールは全て保存してあり、自分が送信したメールもここ10年ぐらいは人生の記録として全て保存しているが、大学生当時に僕が送った葉書や手紙が残っていないのは残念である。いや恥ずかしいからそんな物は見たくないか。友人達は僕からの書簡など捨ててしまったか。実は僕も捨てつつある。よほどの物はスキャンして保存してから捨てているが、捨てるのがためらわれる葉書や手紙もある。

医師になった友人の死

 メールで訃報が届いた。去年に続き、中学、高校の友人である。数年前に小さな集まりがあって顔を合わせ、いろいろと話したが、急逝とはいったい何があったのか。医者になり、子供にも恵まれ、楽しそうな雰囲気だったが。子供の年齢はうちと同じような感じだったと思う。遺されたご家族の今後が思い遣られる。

今頃になって新年会

 年に2回は小学校の友人達の集まりがある。今回は1年ぶりの参加になる。いつも決まったメンバーなのだが、毎回、数名は卒業以来という友人も来る。みんなおじさん、おばさんになっていてびっくりである。小学生の頃の話題が出て、そのうちの何人かは全く名前も顔も思い出せない。今度実家に帰ったら、卒業アルバムの写真をスキャンしてiPhoneに入れておこう。メーリングリストに入っているのは100名弱いるその年の全卒業生のほんの一部で、情報が伝わってこない奴らはどこで何をやっているのか。現在、僕らの小学校は廃校になり、区の総合福祉施設のようなものになっているらしい。
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生物学者の端くれ

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