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ロープウェイを利用して北横岳登山

 出発は6時半を回ってしまった。末妹の車に両親と息子と合計5人で乗り込み、長野道を南下して諏訪ICから北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅へ。始発には間に合わなかったが、その次のロープウェイに乗ることができた。100人も運べる大型のロープウェイである。ここまで雨がぱらついたり、山々は雲を被っていたがいつの間にか青空になっていた。長野県登山安全条例の施行により今年7月から登山計画書の届出が義務化されたらしい。用意しておいたのだが、まさか父がついて来るとは思わなかったので、慌てて父の名も書き添えて山頂駅で提出した。ここはすり鉢状になった溶岩台地で、坪庭と呼ばれている。標高は2200 m程度だが、森林限界を超えているようでハイマツも見ることができる。北八ヶ岳にはこんなところがある。僕らは坪庭散策を楽しむという雰囲気ではなく、緩い傾斜をぐんぐんと登り、10分ほどで北横岳への分岐に来てしまった。さあ、ここから山頂を目指すのだが、山腹を見上げてもどこに道がついているのかよく分からない。とにかく道に沿って北へと溶岩台地を歩いて行く。八ヶ岳が噴火していたのはいつ頃のことなのか。ちょっとした谷を超えると稜線への登りとなる。僕らにとってはたいした登りではないが、心臓があまり良くない父には苦しかったようだ。もう無理かなと思いつつ後ろにいたが、先に行けというので、ひょいひょいと駆け上がった。母、妹、息子は元気なようで、どんどんと登って行く。稜線に出るとそこが三ツ岳への分岐になっているが、そっちは危険だと書かれている。余裕があったら下りは三ツ岳にも登ろうかと思っていたのだが、やめておいた方がいいか。緩やかになった道を西へ進むと北横岳ヒュッテが見えてきた。歩き始めてまだ1時間も経っていなかったがここで一休み。すると驚いたことに父が登ってきた。一同、我が目を疑った。まさか登ってくるとは。しかも意外にも元気そうで、まだまだ行けそうだ。5人揃い、山頂を目指す。三角点のある北横岳南峰は、直下の急登はたいへんだったもののそんなに遠くはなかった。標高は2472 m、向こう側には青空の下に蓼科山が見える。30年前に登った山だ。僕の山登りはこの蓼科山から始まった。北横岳の最高点は三角点のあるここから少し先に行った北峰で8 m高い。山頂駅から1時間半かからずにたどり着いた。昼食を取り、登って来た道を戻る。北横岳ヒュッテからは七ツ池の方に下ってみた。少しだけ行って引き返してしまう登山者もいたが、道は奥の方まで続いていて、最後まで行くとちょっとした広さの池の畔に出る。坪庭への下り道、登りも下りも混んでいて、自分のペースでは歩けなかった。息子たちはけっこう先に行ってしまい、見えなくなっていた。下の方で悲鳴のようなものが聞こえたが、その一瞬で収まった。何かと思っていたが、後で聞くと、実は我が子がショートカットをしようとして転がり落ちたらしい。それを見て母と近くのおじさんがびっくりして叫んだが、大事には至らなかったようだ。4年前に娘達と登った南八ヶ岳の山々が遠くに連なっていた。
b20160806
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尊仏山荘の屋根

 冬は自宅から毎日のように丹沢と富士山が見える。今日もよく晴れ、夏に登った塔ノ岳がすぐ近くにあるかのようである。ひょっとしてその時に息子と泊まった尊仏山荘が見えないかと、デジタルビデオカメラの光学25倍の望遠レンズで写真を撮ってみたら、山小屋の屋根のような物が写っていた。ということは塔ノ岳の山頂から我が家も見えるのだろうか。尊仏山荘は通年営業だから、今度は冬の天気のいい日をねらって泊まり、逆にこっちを眺めてみよう。夏に登った時は曇っていて東京の方は見えなかったので。
Dec29_2015

息子と塔ノ岳を眺める

 朝、晴れていい天気である。西の青空には欠け始めた丸い月が残っている。そして富士山、さらに丹沢の山々がよく見える。そうだ、この夏は丹沢の塔ノ岳に息子と二人で登り、尊仏山荘に泊まったではないか。奴に東京から見える塔ノ岳を教えてやらねば。よく、山を指差して、あれが何々山と説明されることがあるが、そんなことされても素人が分かるわけがなく、うちの息子など言わずもがな。どうすればいいだろう、そうだここでもiPhoneが便利である。写真を撮り、その場で拡大してみれば、富士山の左側にぽつんとこぶのような出っ張りがある。これがこの夏に登った塔ノ岳だと教えてから、二人で山を眺める。「あった、あった」と意外に喜んでくれた。苦労して登頂した喜びを思い出してくれたようだ。実はあれ以来、ハイキングなら行きたいけど山登りは嫌だと主張しており、僕にはその違いがなんなのかよく分からないが、とにかく山嫌いになってしまわないかと心配していた。しかし、この様子なら問題なさそうだ。
Sep30_2015

蝶ヶ岳日帰り登山

 午前2時半に起き、出発は3時過ぎとなった。妹の運転で常念岳および蝶ヶ岳の登山口となっている三股へ。もともと山小屋1泊で常念に登る予定であったが、昨日からの雨で蝶への日帰り登山となった。メンバーは娘と長妹と甥との4人、長妹が蝶には登ったことがないとのことでこうなった。幸い雨は上がり、東京では決して見られない星空が広がっている。30分程で駐車場に着き、いよいよ歩き始める。三股とは、蝶ヶ岳と前常念岳への分岐のことを言っているのだと思うが、そこまで一般車は通行できない車道を歩く。まだまだ真っ暗である。29年前、両親とこの妹との4人で一の沢から常念岳に登った。その時も、真っ暗な道を歩いた。あれ以来、山登りが好きになり、数々の山を登ってきたが、真っ暗な中の山登りは久しぶりである。半袖半ズボン姿であるが寒くはない。その4年後、ちょうど四半世紀になるが、大学生になってから今度は両親と末妹との4人でこの蝶ヶ岳新道を登った。今の地図を見ると、新道とは書かれていないことに時の流れを感じさせられる。真っ暗な中、頼りになるヘッドライトも今やLEDで、明るく長持ちするだけでなく、軽いのがいい。標高を上げて行くとしだいに明るくなってきた。日の出は5時過ぎだろうか。御来光は拝めなかったが、朝日に輝く雲が美しかった。母が作ってくれたおにぎりや唐揚げを食べてはまた登る。急な登りが終わった辺りがまめうち平だが、上りでは標識を見落として気付かなかった。雨上がりの道はぬかるんでいる。標高2000m地点を超えるが、25年前にここに来た時には腕時計に付いていた高度計と照らし合わせてみた。今はGPSがあり、大きな地図を開くことなくiPhoneで眺めながら歩く。山登りのスタイルがずいぶん変わってしまった。蝶沢を越え、最終ベンチまで来ると頂上は近い。ナナカマドのトンネルをくぐって進むと大滝山への分岐に出る。2年前はこのずっと先にある鍋冠山に家族で登ったが、いずれはここまでの長い尾根を歩いてみなければ。ハクサンフウロが咲くお花畑を縫って歩くと蝶ヶ岳ヒュッテの幕営地である。西側の谷、横尾の方から強い風が吹いていて、ガスも出ている。いきなり寒い。僕はすぐに山頂へと向かったが、3人は服を出している。晴れていると思ったが、それは稜線の東側だけで、山頂からは何も見えなかった。蝶ヶ岳ヒュッテ近くのこの頂が蝶ヶ岳の最高地点らしい。なるべく風を避けるようにして小屋のベンチで昼食。時刻はまだ9時前である。僕も寒くて半袖半ズボンではもはや我慢できなくなり、カッパを着込んだ。ひょっとしたら温かい物が欲しくなるかもと軽く思っていたが、湯を沸かして食べたカップうどんはありがたかった。箸を持ってくるのを忘れ多少の不便さはあったが、お湯をすすってなんとか落ち着いた。ここでもう帰ってもいいのだが、せっかくだから蝶槍までは歩いてみることに。残念ながら左側に連なる槍・穂高連峰は稜線に雲がかかってしまってそれぞれの山の判別が困難であったが、大キレットの鞍部まで標高が下がると雲が切れており、雄大な眺めである。目の前には常念へと続く尾根がくねくねと伸びている。ここまで来てこの道を歩かないとはもったいない。登山道から離れた遠くにコマクサを見つけたが、今回見たのはその一ヶ所だけだった。ライチョウやカモシカは残念ながら見られなかった。それにしても、ハイマツがところどころを覆う北アルプスの稜線歩きは本当に久々のことで心がうきうきしてくる。やっと娘や甥を連れて来てやれたと思うが、奴らはそれほど喜んでいない様子。三角点の頂まで僕は一気に歩いてしまったが、待てどもまてども残りの3人は現れない。しかたなく戻ってみると、もう歩く気力を失って大休止である。尻を叩いて歩かせ、三角点、そして蝶槍まで上り詰めた。午前11時、ここから充実に歩いて来た道を戻る。帰り、最高地点は晴れており、また登り返して写真でも撮りたかったが、残り3人にはそんな元気はないようだ。雲の切れ間から安曇野が見える。実家が目に入っているのかもしれないが、認識することはできなかった。 蝶が岳ヒュッテから少し下って大滝山分岐、どんどん下って行って最終ベンチ、蝶沢。雲がかかっているものの常念がきれいに望まれる。空は青い。その先は比較的平らな道が続き、2000mを切り、まめうち平である。その先はまた急になり、上りでは暗かった道である。「こんなところあったっけ」という場所も多い。ゴジラみたいな木まで来るとだいぶ降りて来たという感じになり、吊り橋を渡ると三股が近い。三股から駐車場までは15分ほど、ようやく帰ってきた。休憩や食事時間を入れた行動時間は11時間20分。日頃、たいした運動もしていない娘でも、中学生ともなればこのくらいは歩ける体力を持っていることが分かった。雨天のため日程を縮めて長丁場となったが、次は小屋に泊まってゆっくり楽しみたいと思う。来年はどこにしよう。
Aug18_2015

大家族で雨引山登山

 東京で育ち、今の自宅から眺められる丹沢はいわば故郷の山である。それに対し、生まれ故郷の山となれば紛れもなく北アルプス常念岳である。この夏、丹沢には息子と行ってきた。次は娘を常念岳に連れて行く。8月17日と18日、山小屋1泊で予定を立て、長妹親子も加えて4人で登る予定だったのだが、どうも天候が良くないらしく雨の予報。残念ながら明日は家にいた方がよさそうだ。そんなわけで急遽、今日どこかに行こうということになった。山登りの地図を眺めると、有明山の麓に雨引山という2時間程度で登れそうな北アルプスの里山を見つけた。往復したら4時間かかるわけで、そんなに楽なわけではないが。息子を連れて行くか置いていくかでちょっともめたが、老いた父が留守番ということで、大家族8人というメンバー、車2台に分かれて昼に出発。ゲートの手前に車を止め、まずは舗装された林道を歩く。しばらく行くと、未舗装の林道が右へ伸びている。標識はない。雨引山へはこの辺りで登山道に入るはずなのだが、この道か。みんなでそっちの方に行ってしまったのが今日の大失敗であった。頭上左前方には送電線が見え、方角は間違っていないはず。しかしその林道は登山道へとつながっておらず、ぷっつりと終わりになっている。けっこう歩いたが、戻るしかない。登山口は舗装道路をもう少し先に行ったところにあった。頂上までは無理だとしてもせめて熊ノ倉岩までは歩こうということになったが、最初からだらだらとした登りが続く。アブだけでなく、スズメバチもいてけっこう怖い。最初の歩き始めから1時間ちょっと、東京電力高瀬川線の鉄塔No. 40にたどり着き、そこでみんなの気力が萎えてしまった。まあ、道が分かったことだし、次回は登頂という目標もできた。今回はここで引き返すことに。
Aug16_2015

丹沢のチャンピオン

 先日、夕刊を眺めていたらこの前登った「塔ノ岳」という山の名前が目に入った。何かと思ったが「丹沢のチャンピオン」の記事である。そうそう、この人だ、畠山良巳さん。尊仏山荘でノートに何か書くように言われ、眺めていたら、塔ノ岳何千回目の登頂とか、毎日のように書き込んでいるおかしな人を見つけた。記事によると5000回以上登っているらしい。会社勤めの頃は毎朝5時に登頂して8時半に出社というのを毎日続けたこともあったという。トレーニングのために背負っていた米を小屋側が買ってくれるようになり、意外にも収入が得られるようになったことも一因だろうが、そんな小遣い稼ぎを目的にこんなことはできないはず。毎朝あの塔ノ岳に登るというのである。そこらへんの里山とは違う。今月、僕と息子は2日かけて登ったのだ。塔ノ岳や山登りはともかく、僕もこのチャンピオンのように誰にも負けない何かを誇れるようにならなければ。そのためにはこれほどの努力が必要なのかもしれない。そしてその努力の裏側に表には出されない多くの犠牲がないわけはない。

山登りの筋肉痛

 土曜日に丹沢の塔ノ岳を下山し、きのう日曜日は娘と息子とプールで泳いだ。この夏最後の屋外プールである。そして今日月曜日は3連休明けの出勤となったが、脚の筋肉痛がひどい。とくに階段の下りで感じさせられる。年をとったからというものではなく、10代だろうが感じる筋肉痛である。しかしながら驚いたことに息子には筋肉痛はないらしい。

小丸尾根を下山

 汗で濡れた服のまま小屋の布団に寝転ぼうものなら息子も僕も寝入ってしまい、朝まで熟睡。夜中に寒くなってきて掛け布団をかけるのに目を覚ましたぐらいのものだ。4時前にアラームを鳴らしたら近くで寝ていた尊仏山荘の従業員に「まだ寝てていいよ」という意味不明なことを言われ、まだ暗かったこともあり、そのまま寝続けてしまった。それでも4時40分ぐらいには起きて1階に下り、朝食。持って来たパンを齧った。荷物をまとめて出発したのは5時半。息子は寒いと言っていたが、歩けばすぐに暑くなるのでそのまま行かせた。まずは下って金冷シまで戻る。帰りはいつものように鍋割山経由で計画していたので、ここから鍋割山稜を大丸へと登る。ちょっとした上りだ。ここから下って小丸へ上り返すのだが鞍部まで来ると分岐がある。小丸尾根という尾根に道がついているらしい。鍋割山に行くのもいいが、まだ歩いたことのないこの小丸尾根を下ってみたい気分になってきた。息子も疲れているだろうから、その方が楽だろう。よし、急遽、コース変更を決定。近道だと言い、左に逸れた。そして急な下りが始まる。大倉尾根のどこよりも傾斜はきつかったのではないか。息子は僕の言った近道ということばが信じられず、とんでもないところに連れてこられたといった感じで文句たらたらであったが近道に嘘はない。とにかく歩いてもらわなければならない。飲み物はまだ余っていたが、ポカリスエットなんかを飲み続けていると濃く感じられるので水で薄めた。ペットボトルは本当に便利である。高1の時に大倉尾根を登った時は、アクエリアスの缶を何本も持って来ていたから、一回開けたらそれを飲み干す以外なかった。山登りに慣れていないと下りの方がたいへんだろう。息子も長い長い下りには苦労していた。着いたらかき氷を食わしてやると言うと、それだけで少しは元気になり、その後もかき氷、かき氷ということばを繰り返した。ここはそんなに利用価値のあるコースとも思えないが、何パーティーか登ってきていた。小丸尾根下りのコースタイムは1時間20分となっていたが、僕らは分岐から2時間半をかけてようやく二俣に到着。鍋割山に登ったとしてもここに下りてくるわけだが、だいぶショートカットできたはず。今回、実は地図は画像にして全てiPhoneに入れて持って来た。実際、ポケットに入れたその地図はかなり便利で、従来の地図も持ってきてはいたがけっきょく一回も開くことはなかった。さて、大倉はまだまだ先。再びかき氷目指して今度は西山林道を歩き続ける。途中、雨がぱらぱらと降ってきたこともあったがたいしたことはなかった。東京の連続猛暑日は昨日が最後だったらしい。そしてバス停着が10時17分だったから、下りも5時間近くかかるというたいへんな山登りだった。未就学児にしては上できだろう。よく頑張った。約束通りかき氷を買ってやったら山盛りで食べ切れないほど。子供はなんであんな物が好きなんだろう。僕は好物のソフトクリームを舐めながら帰りのバスを待った。
Aug08_2015

尊仏山荘泊

 毎日が猛暑日のこの週の金曜日、仕事を休み、息子と二人で丹沢へ行くことにした。たまには保育園を休んでどこかに遊びに行きたいと、明確な夏休みのない保育園児の切実な訴えがあった。テントで寝たいなどと言っていたが、まずは山小屋だろう。塔ノ岳に一泊する計画を立てた。今日は登るだけなのでゆっくりとした出発で、渋沢駅に着いたのが昼前である。大倉行きのバスの出発時刻を調べ、大慌てで昼食を取った。大倉に来たのは何回目になるだろう。最初は高1の時で、テント泊だった。あの時も暑く、翌朝、花立まで登って下山したことは強烈な印象として残っている。5年前に娘と甥を連れて大倉尾根を登ったのが直近のことで、あの時は塔ノ岳を越えて丹沢山、蛭ヶ岳まで強行した。それに比べれば塔ノ岳の一つくらい、なんとかなるだろう。出発は12時23分。雲が多いとはいえ晴れており、とにかく暑いので、無理せずゆっくり登る。息子にはいっさい荷物は持たせないことにした。国定公園境から林の中に入って行く。バカ尾根と呼ばれるこの大倉尾根に対しては、木陰がなく背に直射日光を浴びて中程度の傾斜を延々と歩くイメージだったのだが、意外と樹木が多くて助かった。上りばかりで下りはほとんどない。ある程度の間隔で番号が付けられていてどれだけ登ったのかのいい目安になるのだが、頂上までいくつあるのか分からない。降ってくる登山者に聞いてみても、40くらいだったかとどれも曖昧な返事だった。そして今頃登るのかと妙な顔をされるが、僕らは小屋泊まりである。息子は2リットルのアクエリアス、僕は1.5リットルのポカリスエットのペットボトルを持って来ていて、奇数番号で休んで飲むというルールを作ってとにかく登る。休んでは飲み、休んでは飲みを繰り返す。白桃やミカンのシロップ漬けもありがたかった。あちこちに黒い大きなチョウが飛んでいた。街では見ない大きなチョウだ。後で調べてみるとクロアゲハというチョウだったらしいことがわかった。2時、3時となるが先は長そうだ。小屋泊まりとはいえそんなにゆっくりもしていられない。花立に着いたのが4時半で、そこに置かれていた温度計を見ると24度だった。少しは涼しくなってきたか。もうちょっと登ると金冷シで稜線に出る。ここの大倉尾根番号が43であった。山頂は近い。気温が下がってガスが出てきた。そんな中を頑張って歩く。飽きてきた息子にはオオバコを探させ、花穂を引っ張り合う遊びを教えてやった。オオバコが生えているということは小屋が近い証拠である。そして登頂は5時27分。5時間もかかった。しかし息子もよく歩いてくれた。奴の全体液はアクエリアスで置き換わり、僕の方も服だけでなくザックまでびっしょりになった。予約していた尊仏山荘に入ると、今夜の宿泊客は僕ら2人だけということだった。今回、小屋の食事も体験させてやろうと思っていたのだが、息子の嫌いなカレーライスだったので、カップラーメンを持って来た。僕はインスタントラーメンは食べても、お湯を入れるだけのカップラーメンは最近はほとんど食べず、息子も選んだカップヌードルは初めてだったらしいが、あまりの旨さに狂喜していた。苦労して登った故に味わえる味だろう。僕としては食器類が汚れないことがありがたかった。食後、ブヨの飛ぶ山頂に出てみた。夕焼けの空に丹沢山、蛭ヶ岳、そして遠くに富士山も見えたが、雲が多い。眼下の夜景が見えなくはなかったが自宅方面は見えなかった。冬だったら毎日のようにこの塔ノ岳を見ることができるのだが。というわけで、塔ノ岳は僕らにとっていわば故郷の山なのである。その頂きに立ち、戦前から一日も休むことなく営業し続けているという山小屋で息子と一夜を過ごした。
Aug07_2015

蝶ヶ岳の蝶

 ゴールデンウィークと夏休みの間に帰省することなどめったにない。この時期、北アルプスの山々は初夏の陽を浴び、降り積もっていた雪を日々融かし、さまざまな形をした雪渓や雪田を出現させて麓からの眺めを楽しませてくれる。うちの実家からは鍋冠山から蝶ヶ岳を経て常念岳へと続くきれいな稜線が間近に見えるのだが、目立つのはなんと言っても蝶ヶ岳の蝶で、蝶であるがゆえにまた美しい。これを楽しみに来たのだが、母が言うには、ちょっと早かったらしく、これから体の部分の雪が融けて蝶の形がはっきりとしてくるらしい。それでも両方の羽を大きく広げている姿は確認でき、田植えが終わったばかりの水田にもひっくり返って写っていた。今年の夏は子供たちを連れて、久々に故郷の山に登ってみたい。
May24_2015

入笠山と大阿原湿原

 娘を初めてそれなりの山に連れて行ったのは年長の夏休み、霧ヶ峰だった。それからなんとか毎年欠かさず一緒に山に登っている。息子は現在年中に相当する学年で、去年、鍋冠山で苦労したこともあり、まだ連れて行くには早いかなと思っていたのだが、けっきょく連れて行き歩かせることにした。そんなわけで、今年の登山は南アルプス入笠山とし、甥、妹に加え、末妹も加わることになった。息子は鍋冠山の苦痛を未だに忘れていないようであったが、いざ行くとなると何日も前から楽しみにしていた。中央線特急の始発はあまり早くない。午前6時過ぎに親子3人、自転車で自宅を出た。新宿で妹親子と合流し、7時発のスーパーあずさ1号。少し遅れて小淵沢着は9時近くになった。ここで車で来た末妹と合流。2年前の八ヶ岳登山の際、真っ暗な中この駅から歩き出して赤岳山頂まで歩き通したという懐かしい場所だ。今回はありがたいことに妹の車に乗り込み、総勢6名で沢入へ。水や食料を背負い上げて山頂で昼食を作って食べる予定だったが、母がおにぎりや唐揚げなどを用意して末妹に持たせていたので、しかたなく出発前の腹ごしらえ。登山道に入ったのは10時過ぎとなった。特に急な登りはなく、息子も楽しそうに歩いていた。入笠湿原までは1時間ちょっと。すっかり秋の様相で、青空、そして赤とんぼも加わって気持ちのいいハイキングである。スズランの群生地となっている傾斜を登り、湿原を左回りにぐるりと回って御所平峠へ。防寒対策はしっかりしてきたが、半袖でじゅうぶんな暖かさ。ここから30分ばかり最後の頑張りで入笠山の山頂にたどり着く。標高は2000mに満たない南アルプス最北部に位置する山である。なんと言っても八ヶ岳連峰の展望が素晴らしい。2年前、ここにいる4人で、あの駅から、そして翌朝は嵐の中をあの赤岳まで登ったのだ。八ヶ岳最高峰は白い雲に隠れたり、姿を現したりを繰り返していた。登り損ねた阿弥陀岳にはいずれ再挑戦せねば。ここでスパゲティーを茹で、自宅から採ってきた辛いシシトウでペペロンチーノを作る。飲料水に加え、調理用の水を4リットル持って来たが、ようやくそれからも解放されるが、高校生の頃から使っていたEPIコンロのつまみが壊れ、回せなくなっていた。腹を満たしてからの故障で助かった。午後1時から1時間半以上を晴れた山頂で過ごし、もう帰ろうかという気も過(よぎ)ったが、予定通り大阿原湿原まで歩くことにした。予想通り末妹の下りは遅かったが、意外にも息子が速く下る。甥には下り方のこつを教えたことがあり、かなり速く下れるようになって一人で仏平峠まで行ってしまったのだが、息子が転びながらもそれについて行く。頼もしいことだ。そして一周30分の大阿原湿原は入笠湿原よりもずっと広々としていて素晴らしかった。紅葉にはもう少しだったかがそれでも黄色い葉が低くなった陽に照らされてまぶしいくらいである。車で上がれるようだから、ここだけでも散歩に来る価値があるかもしれない。車道を御所平峠まで行き、あとは往路と同じ道を下る。少し気温が下がってきたが、寒いというほどのことはない。入笠湿原でパイナップルの缶詰を食べ、息子も最後の頑張り。駐車場が見えた時には嬉しかったようだ。下山は予定よりもかなり遅れて5時半近く。もう妹の車しか残っていなかった。急いで小淵沢駅まで行ってもらい、上りの特急に駆け込んだ。
Sep23_2014

友人がニュース番組で解説

 山での遭難ニュースを耳にするとまさか友人、知人、教え子の学生の名前が入っていやしないかといつも気になってしまう。最近は家族登山しかしなくなっただけに旧友の相変わらずの行動が特に気になる。幸い、これまで見つけたことはないのだが、今朝は嫌な夢を見た。一番気になっていた友人の名がついにテレビのニュースに出てきた。嫌な予感がついに的中したかと夢の中ではあったがそう思った。けっきょくは救出され、たいした怪我もなく収容されたのだが、その後ニュース番組で自分がどんな状況におかれ、いかに助かったかを誇らし気に解説してた。

ヤマレコに登山計画書

 山行記録を共有するヤマレコからのメーリングリストによると、記録だけでなく、計画書も入力できるようになったという。しかも、簡単な操作で主要な都道府県の警察にも提出できるらしい。単純なことながら画期的である。将来的には、こんなことで警察を煩わせる必要もないだろう。ヤマレコがしっかりやってくれるなら、ヤマレコのデータベースでじゅうぶんである。警察が頭を下げてヤマレコのデータベースにアクセスすればいいし、その方が税金の節約にもなる。ヤマレコの基本的なアイデアは僕も昔から持っていただけに、開発者を羨ましく思うばかりだが、ここまでの可能性は想像できていなかった。ヤマレコの可能性はまだまだ大きいのかもしれない。

ヤマレコ初登録

 これまで家族で山登りに行った時にはその記録をメールで送っていたが、今回、鍋冠山に行った時の記録については、家族間だけで共有するのはもったいないし、ヤマレコがどんなものか試してみたかったこともあり、ヤマレコに初めて登録してみた。山行記録の共有というアイデアは僕にも昔からあったのだが、ヤマレコにやられてしまった。アイデアだけあってもやはり行動が伴わないと駄目だ。それはともかく、予想以上に使えそうなサイトだった。どうもSNSにはなじめないが、このように共通の趣味の基に成立しているSNSは一般的なものと違って抵抗感がないような気がする。暇さえあれば、これまでの記録を全てヤマレコに放り込みたいくらいに思っている。

鍋冠山登山

 去年の夏は北アルプスの蝶ヶ岳に登り損ねたので今年こそはどこかに登りたい。妹と甥に話を振ってみたら意外にも返事は日帰りならという元気のないものだった。高校生の頃に買った常念岳周辺の地図を眺め、日帰りで登れそうな山を探すが、そう簡単には見付からなかった。やはり北アルプスは奥多摩なんかとは違う。燕岳ならなんとかなりそうだが、それでも日帰りはきつい。悩んだ末に、せいぜい鍋冠山といったところかと自分なりの結論を出した。実家から常念の左側にきれいに見える山だが、有名な山でないこと、また岳でなく山であるためか、妹二人からは反発を受けた。しかし現実的になって考えれば、やはり他に選択肢はなさそうである。今回、妻と娘はこっちに来ていない。息子は両親に預ける予定だった。鍋冠山ならば息子も彼の祖父母も連れて行けるか。7時過ぎ、家族7人で車2台に分かれて家を出た。すぐそこの山なのにくねくねとした三郷スカイラインをけっこうな標高まで登るので45分はかかる。展望台に着いていよいよ歩き始める。鍋冠林道の最初の部分は車で入れないこともないが途中、崩落していた箇所もあり身と車の安全は確保されないであろう。車道歩きは意外と長い。ようやくゲートに着き、登山道の始まる冷沢はまだまだ先である。そんなに遅いペースだとは思わなかったが、コースタイム1時間のところを1時間半もかかってしまった。冷沢からは1時間半の登山道である。息子は積極的に歩こうとしないので肩車をして上げねばならない。当初は昼過ぎには帰宅と思っていたが、そう甘くはなさそうだ。この登山道は比較的なだらかで、石や根が目立たず歩きやすい。虫が多く飛んでいて嫌なのだが、僕にとっての一大事はスズメバチが頭の上に止まったこと。振り払おうかじっとしていようか迷ったが、周りの6人に迷惑をかけるわけにはいかない。しゃがんで動けずにいたら、しばらくして刺さずに去ってくれた。アブが多かったからアブじゃないのかと僕は言ったのだが、みんなは口をそろえてあれはスズメバチだったと言う。当の本人は頭の上で何かが動いていることは分かったが、その姿を確認することはできなかった。今回、iPhoneのGPS AppであるTrackThingを使ってみたが、標高を知る、つまりは目的地までの目安としてかなり役立った。山登りにおいて、次の目的地までどのくらい迫っているのかを知ることは気持ち的に非常に重要である。急な坂を登り切り、道が平坦になっても山頂まであと20mの標高差があるようで、もうちょっと頑張らねばならないことも確認できた。そして山頂での誤差はたったの4m、容認できる誤差の範囲である。息子は体調が芳しくないのか咳をするのが気になる。しかしところどころ歩いてくれ、頑張って2000mを超える山頂まで来てくれた。僕は僕で肩車で頑張った。両親には、特に心臓の悪い父には、無理だったら途中で引き返すように伝えてあったが、けっきょくは7人全員そろっての登頂となった。樹木に覆われ、山頂からの展望は全くない。やはり虫が多いので甥は嫌がっていたがここで食事、そして写真を撮って下山する。妹が手袋を落としたらしいので、下りはみんなで探しながら。幸いにも思ったよりも早く見付かった。登ってきた道を忠実に下りる。登りは肩車だったが、下りはおんぶやだっこもして息子を下ろした。途中、完全に眠ってしまったが、最後の林道歩きでは頑張った。車を止めた展望台まで来ると、松本の市街が一望である。今回は、他の登山者に一切会わず、うちの大家族7人で独占した山登りであった。
Aug14_2013

娘と大山登山

 今年は娘と泊りがけで登山ができないかもしれない。せめて日帰りでもと、丹沢の大山に登ろうと提案した。この連休中、家族で何もせずに終わってしまうのも悲しい。娘は去年の八ヶ岳の時のように行きたいとも嫌とも言わず、僕の決定には従う様子だ。息子も連れて行けと妻に言われ、肩車でもして登るかと思ったが、今から思えばそれはかなり無謀な話だった。ケーブルカーで途中まで遊びに行けばいいと息子の世話をさせるために妻も連れ出すことにした。妹と甥は都合が合わなかった。今から25年前の2月、蓑毛からヤビツ峠経由で大山へ登った。山頂に自動販売機があって俗なイメージしかなかったが、自宅からも見える大山はやはり関東の名山である。伊勢原駅でバスに乗るところから登山客がごった返している。息子と妻はケーブルカーで、娘と僕はもちろん歩く。女坂と男坂の分岐に至り、どっちがいいかと聞くと女坂と言うので緩やかな方の階段を登って行く。今日は日帰りで荷物が少ないのに娘のペースは遅い。待ち時間のあるケーブルカーよりも早く着くかと思ったが、そうは行かなかった。下社で家族4人そろったが、ケーブルカーが気に入った息子は妻とともにおにぎりを食べて早々に下ることに。こんなところ、僕ならば走って登りたいところだが、相変わらず娘のペースは遅い。僕の快調さは毎朝の17階への階段上りと、週に2回程度の砧公園を突っ切って走る通勤によるものと思われる。コースタイムの1時間20分ほどかけて25年ぶりの大山山頂に到着。いい天気で、富士山や相模湾がきれいに見えるのだがけっこう霞んでいる。ちょっと心配していたが、花粉はもう問題ない。帰りは見晴台経由。下山も走って行きたかったが、登山客が多過ぎた。抜きたくても渋滞していると簡単ではない。ある家族が幼い女の子を先頭に、ゆっくりでいいからと慎重に進む。その後に若い女性が2人で僕らが続き、後はすごい行列になっている。女性2人は抜こうとは思っていないようで、先頭は道を譲らない。譲るよう声をかけようかと思ったが、そこまでする元気もなかった。ちょっと広くなったところで走って抜いたのだが、崖の上側から抜いてしまったので危なかったかと反省した。下社に戻り、下りは男坂を取った。恐ろしいほどに急な石段が続くのだが、意外にもこの石段がかなりいい雰囲気を醸し出している。そのいくつかは江戸時代の大山講の頃からずっとここに残っているのかもしれない。満員のバスに滑り込み、伊勢原駅で昼食を食べ、電車を4本乗り継いで息子が待つ自宅に戻ってきた。娘が中学生になれば、連泊で故郷の北アルプスにでも行きたいのだが、これから息子も山へ連れて行くとなるとこれまたたいへんだ。いやいや全く楽しみだ。
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挑戦し続ける想い

 新聞の折り込み広告に竹内洋岳の公開講座の案内が入っていた。近くにある立正大学の開校140周年イベントの一つらしい。定員600名で当たるのは難しいかなと思ったが、メールで娘の名とともに申し込んでおいた。そして忘れていた頃に当選の知らせが届いた。ぜひ娘を連れて行きたかったのだが、妻が勉強がどうのこうの、娘は山登りなんか興味ないだのでけっきょく独りで行くことに。立正大学の前はよく通るのだが、中に入ってみた印象はかなり違っていい感じのキャンパスである。石橋湛山記念講堂というところで『挑戦し続ける想い~14座の軌跡を語る~』が始まった。最初は学長の挨拶で、意味のない話をするのかと思ったが、その後約10分間の竹内氏によるオリジナル映像とともになかなかいい導入になっており、いよいよ本人の登場。8000m峰14座完全登頂の話はともかく、僕と同じ年代で偉業を達成した一人の男が何を考え、何を語るのか、非常に興味があったわけだが、この期待に沿うすばらしい公開講座だった。完全登頂への流れに沿っていろいろなエピソードが紹介されるわけだが、その随所に彼の「想い」が散りばめられており、特にガッシャーブルムII峰の雪崩で多くの登山家たちによって救出されたことによる死生観の変化は興味深い。常に死と隣り合わせとも思えるこのような登山家たちも、実は自分とあまり変わらないのではないかとも感じさせられる。彼の話の巧さは聴衆の多くが認めるものであったが、その種明かしは雪崩による腰椎骨折で入院した際に、引切り無しに訪ねて来る人たちに何度も何度も同じことを話さなければならなかった苦痛の体験に由来するらしい。家に帰ると娘は勉強などせず、気晴らしだとゲームをして遊んでいた。勉強なんかしなくていいから、こういう話を聞かせてやりたかった。
Nov10_2012

しっかりした登山靴が欲しい

 予期せぬ悪天でかなりたいへんな山登りとなった1泊の八ヶ岳登山だったが、終わった苦労など、全く苦にならない。楽しかったこと、そして充実感に浸ることができる。あれだけたいへんだったにもかかわらず、娘の感想は「しっかりした登山靴が欲しい」とのことで父親としては非常に嬉しいことである。幼稚園児の頃から毎年欠かさず、3年生からは泊りがけで登っているが、今度はどこへ行こう。甥とも、奴が小学生になってから毎回一緒に行っているが、家ではどんな感想を漏らしているのか。驚かされたのは妹の気合いの入りようである。ほとんど経験がないにもかかわらず、遅れることなくついてきて、それどころか母親に甘えて文句ばかり言う息子を叱り、励まし、尻を叩いて先に進ませる。妹からの不平不満は一言もなかった。2年前に失敗した富士登山、いつか同じメンバーで再挑戦せねばならぬ。

キレット小屋から赤岳を経て美濃戸へ

 午前3時にセットしておいたアラームが鳴った。まだ誰も起きていないようで暗い小屋の中は沈黙を保っている。どうも好天は期待できない。布団に潜ったまましばらくの間どうするべきか考えていたが、みんなを起こして出発することにした。布団を片付け荷物をまとめ、一階に降り、玄関で靴を履く。外は小雨が降っていて寒い。もちろん真っ暗である。出発は3時45分。ここは稜線からは東に外れていて、まずは北へ登り返す必要がある。小雨と思っていた雨はそう生易しいものではなく、合羽を着ることにした。妹を先頭に歩かせ、僕が最後尾。稜線に出ると、雨、寒さ、暗闇に加え、強風とも戦わねばならなくなった。そして急な岩場が続く。狭ければ道の判別は容易なのだが、広い岩場に出るともはや妹先頭では先に進めなくなった。僕が前を行くにしても、この状況でのルートファインディングは困難を極め、何度もみんなを待たせ、自ら斥候に出る。岩に書かれた印だけが頼りだった。時には崖をよじ登り、みんなから見えないような所までも行ったりした。僕について行けば山頂にたどり着けると単純に思い込んでいる甥は苛々してしてきたようだったので、怒鳴りつけて黙らせた。ここは慎重に行かねばならぬ。我らが最初に出たパーティーだと思うが、雨粒が落ちて行くルンゼの下方に明りが見えたので、次のパーティーもやって来たようだ。日が昇り始め、ようやく明るくなってきたが、風雨は強くなる。厳しい登山を強いられる。赤岳山頂のあの見るからに急なルートを今登っている。荷物が減っているのは良かったのだが、ザックのかさが小さくなってザックカバーが風で飛ばされ役に立たない。荷物がびしょ濡れである。不平不満を言ったところでどうにもならない。子供達もそのことはよく分かっていた。歩くしかない。頂上に行けば小屋で休める。コースタイムは2時間となっていたが我ら4人は2時間40分ほどかけてついに八ヶ岳最高峰に立った。みんな良く頑張った。写真撮影さえままならない状況だった。小屋に駆け込んだものの、中は多くの登山客でごった返している。温かい物など頼みたかったが、宿泊客優先対応で、雨風をしのげるだけでも感謝せねばならないか。しばらくそこにたたずんでいたが、ようやく落ち着いてきて温かいお茶を出してもらえ、またココアも頼むことができた。7時過ぎに小屋を出て再び赤岳に立ち、下山。阿弥陀岳にも登ることになっていたが、この状況ではとてもそんな気にはなれない。最も容易と思われる文三郎尾根を選んだが、最初は急な下りが続き、気は抜けない。9時頃、行者小屋に着くと天候が回復してきたことに気が付いた。回復しているのか、ただ山の上だけが荒天なのか、とにかく落ち着いて遅い朝食を取り、美濃戸山荘までの緩やかでそして美しい森の中の道を下る。山荘ではソフトクリームをなめながら、ひなたぼっこ。濡れたカッパなども乾かした。タクシーの予約をして美濃戸口への車道を下る。予約した時間があるので最後は大急ぎで歩いたら40分で着き、富士見駅へ。妹が臨時特急の指定席を手配してくれ、甲府駅で昼飯。そして無事、東京に帰って来た。
Sep17_2012

小淵沢駅から編笠山、権現岳を経てキレット小屋へ

 遅れて出発したにもかかわらず、ムーンライト信州は定刻通りの午前3時過ぎに小淵沢に到着した。普通の座席に座ったままだが意外と眠れたし、隣の娘もそんなことを言っていた。この駅で降りるのは初めてのことかもしれない。そんなわけで、こんなに閑散とした所だとは思いもしなかった。当然タクシーが並んでいるのかと思ったが決してそんなことはない。電話をかけると出てくれないし、もう一社は予約が入っていて行けないという言い訳をぼそぼそと話しながら切られてしまった。予定が狂った。ここで落ち着き、他の登山客と駅で仮眠でも取ってのんびりと行けば良かったのだが、動揺が大きかった。小学生2人を連れていることもある。妹は登山口まで歩くと言い出し、ついついそれに乗ってしまった。観音平までコースタイム2時間40分。決して近いとは言えない。真っ暗な道を4人で歩き始めた。やっぱり戻って朝になるのを待った方がいい。何度もそう思ったが、歩けば歩くほどそんな決断はためらわれてくる。満天の星空とホタルのほのかな明かりがせめてもの救いだった。ゴルフ場を過ぎる頃には明るくなってきて、ここでタクシーを拾うことも考えられたのだが、もはや駅からずっと歩いたという誇りを失いたくはなかった。車道を右に折れ、けっこう歩いて自然歩道ハイキングコースを登り始めると、南アルプスや富士山がきれいに見えてくる。絶好の登山日和である。けっきょく観音平出発は7時となったから予定よりも3時間以上遅れたし、体力の消耗も無視はできないが、ここからが本番である。雲海展望台まで登り、ホットケーキを焼いた。なかなかうまくできて辺りに甘い香りが漂い、みんなに注目される。八ヶ岳の主脈に比べれば編笠山の登りなどたいしたことないはずなのだが、だらだらと緩くはない登りが続くので意外と大変だった。そして観音平からは3時間半、駅からは7時間もかけて最初の編笠山に登頂。妹は、区の少年自然の家があるので隣の西岳には何度か登ったことがあるらしい。標高差は100mちょっとある。これから登る権現岳、赤岳、阿弥陀岳をはじめ、多くの山々が見渡せる。諏訪湖も見えた。こんなに天気が良ければ、お盆の時に北アルプス登山を諦めたのは正解だったに違いない。ちょっとした腹ごしらえをして先を急ぐことに。途中、幻想的に光るヒカリゴケを見ることができた。自分のエネルギーで発光しているわけではないらしいが。権現岳が近付くにつれ、急な岩場の登りが増え、危険な場所も多くなる。そのうちに雲が多く、また風も強くなってきた。編笠山に登った時から、山の東側から次々と雲が押し寄せていて、この時期の八ヶ岳特有の天候かと思っていたのだが、権現小屋の管理人は台風の影響か何かでちょっと変な天気だと言っており、嫌な予感がする。この時点で1時半を回っており、歩き始めてから10時間。小学生もいることだし、今日の行動をやめにしたかったのだが、予約したのはキレット小屋。キレット小屋は建て直したばかりできれいだとも聞き、それを楽しみに頑張ることに。ちょっと歩くと噂に聞いた20mの梯子。妹、甥、娘の順で下りて行く。心構えがしっかりしていただけにそれほど怖いものでもなかったが、必死に下っていると上下の感覚がおかしくなる不思議な気分を味わった。キレットを目指すとあってぐんぐんと下る。こんなに下っていいのかと心配になるほどに。明日は赤岳へ下った倍の、しかも激しく急な登り返しがある。4人とも体力的にも精神的にも参りつつあった。誰しもに幻覚や幻聴が現れる。キレット小屋だと思っても、それはちょっと色が変わった木や、岩肌に過ぎず、小屋にいる人の声に聞こえるのは山と水と風が織り成す大自然の囁きにすぎない。疲れているだけでなく、みんな眠くもあった。じゅうぶんな睡眠が取れていなかったのも事実。稜線から右側に外れてさらに下るとようやく小屋に到着した。最後の下りはかなりペースが落ち、けっきょく歩き始めてから12時間半が経っていた。コッヘルでご飯を炊き、早めの夕食を取り、他の登山客が酔っ払っていい気分で騒いでいる中、二階の一室で熟睡。明日、御来光を赤岳で拝むにはまたしても3時起き、3時半出発の必要がある。
Sep16_2012

八ヶ岳登山の準備

 今年の家族登山はお盆か9月の連休ということになっていた。お盆の北アルプスは天候不順で実現しなかったため、この3連休を利用して八ヶ岳に挑戦することに。八ヶ岳には、高校生の時に何度も計画を立てながらも実行に移せなかった積年の思いがある。今になってその思いを晴らすチャンスが到来した。メンバーは娘と甥の3人に加え、甥の母親、つまり僕の妹も加わることに。他にも声をかけてみたが、けっきょく4人で登ることになった。この土曜日は小学校の授業があるので、夜出発である。東京の天気はこの上なく良く、真っ青な空が広がり、少しばかりの真っ白な雲が穏やかに浮かんでいる。仕事が忙しくて、前日までに全く準備ができなかったが、今日はゆっくり時間が取れる。食料の買い出しからパッキング。出発前に娘とともにちょっとだけ仮眠を取ることができた。ムーンライト信州81号は新宿駅23時54分発だが、遅れたら日曜日発になるなどと話していたら、本当にそうなってしまった。
Sep15_2012

蝶が岳山麓で水遊び

 公民館の庭から登る予定だった北アルプス蝶ヶ岳を眺めた。今年のお盆休みは結果的にはそんなに天気が悪い訳ではなかったのだが、予報があまり良くなく、また実際には局地的な雷等で何人もの死者がでていて、身動きが取れなかった。今日は午後になって仕事のあった母を除いた8人で蝶ヶ岳登山口である三脵へ、そして本沢の延命水付近で水遊び。来年、登ろう、久々の北アルプス。
Aug13_2012

遭難のニュース

 ゴールデンウィーク中は北アルプスの麓にいたが、何件もの遭難のニュースが耳に入ってきた。最近は、そういったことを聞いたり、読んだりすると、友人や知人の名がありはしないかと心配になる。幸い、これまでそんなことはなかったが。それにしてもおかしなと言うか不安定な天気が続いた。そんな時、北アルプスの山稜ではたいへんなことになっていたのだろう。まだまだ深い雪に覆われた常念岳が時折雲の合間に頭を出していた。

フイルムスキャナの利用

 ニュートンリングを回避するためにフイルムスキャナを買っておきながら、ずっとしまったままである。2回ほど使ってみたが、埃が付着してしまい、スキャンした写真の質に満足できず、使う気を失せていた。しかしダストブローワーもあることだし、とにかく使ってみよう。このままでは撮り溜めた写真はいずれ捨てられるだけである。埃が付かないよう、ちょっとだけ気を使って丁寧に作業をすれば、それほどのこともなかった。デジタル化された生データには古臭い雰囲気が漂うが、色合い等を調整すれば何とかなるだろう。暇を見つけてはのんびりと、時間をかけてじっくりデジタル化を進め、ネガは潔く廃棄してしまおう。
Apr02_2012

女子大山ガール初対談

 生物学科の1年生と話していたら、彼女が大学に入ってから山登りを始めたという話を聞いた。ハイキング程度ではなく、重い荷物を背負って自炊し、テントに泊まるような山登りである。いくつかの大学の学生が集まったサークルで、女子だけではないようだ。僕はこういったメンバーで山登りをしたことがないので雰囲気がつかめないのだが、実際にはどんな感じなのだろう。彼女とは勉強について話していたわけで、とてもそんな女性には見えなかった。聞いてびっくりである。そしてかなりのめり込んでいる。日本百名山の全てに登ることを目標にしていると。山以上に楽しいことがあるかとさえ言われそうで、大学生だった頃の僕とそう変わらない。この年になり、いやいや山登りなんてたいしたことはない、世の中にはもっともっと楽しいことがあるよとこの世に倍以上生きている立場から言ってやりたくもあったが、それを多少堪えて興奮気味に話す彼女の山話に聞き入った。驚いたのは今年、僕らが甲武信ヶ岳に登った後に、彼女達も徳ちゃん新道から同じ小屋を目指し、そして同じ頂に立っていたこと。その頃はまだまだ始めたばかりだったろうから、登りはかなり辛かったらしい。天気は良くなかったようで、僕がそこから撮った富士山の写真を見せて自慢してやった。それでもこうやって山好きになってしまったようだ。これが噂に聞く山ガールか。思い返せば今年のまともな登山は残雪期のそれっきりだった。「囲碁なんかやっていないで、山に登ってください」と言われてしまったが、確かに来年もどこかに登らねば。
Dec07_2011

高山登山による教育

 北海道の友人が送ってくれた本を読んでいる。ちょうど半分までたどり着いた。松本で小学校の教師をしていた僕の母方の祖母の話を聞いて送ってくれた物だが、この前、甲武信ヶ岳で甥とはぐれてしまった遭難騒ぎのことも頭にあったのかもしれない。甥という言葉よりも、妹の長男といった方がいい。山に誘って連れて行っておきながら下山中に行方が分からなくなってしまい、最悪の事態が起きた場合のことを考えると非常に苦しい数時間を体験した。それに比べれば、この本に登場する校長の苦労は計り知れない。この校長の人格や行動は尊敬されるべく描かれているのだが、もう少し読み進めれば彼の最後を看取ることになるのだろう。同姓の教育者についての件(くだり)があった。実はその姓は祖母の旧姓とも同じである。ひょっとしたら親戚かもしれず、もしそうならば僕も大正2年に亡くなったこの校長と血縁関係にあるということになる。添えられていた友人からの手紙には長野県の教育界についても触れられていて、これからどういった展開になるのかかなり気になる。僕は長野県で生まれ育ちながら、小学校から高校まではずっと東京で学校教育を受けた。昔話になってしまったが、長野県は教育県であるとのことはよく耳にしたし、高山登山が行われていることはよく知っている。あんな大惨事を起こしてもなお続いているわけである。もちろん、僕の両親も登らされた。僕がこうやって生まれ、生きているのも、この木曽駒ヶ岳遭難事故とは無縁でないような気がしてならない。

中房温泉とたる沢の滝

 今年のお盆の帰省はのんびりしているつもりだったが、妹がどこかに行こうと言うので、中房温泉を提案した。別にこの暑い時に温泉に浸かりに行きたいわけではなく、来年辺りの燕岳登山の下見といった感じで。実際には合戦沢へのピクニックである。子供たちは大喜び。意外なことに、幼い息子も渓流の中に喜んで入って行く。もちろん支えてやらないと流されて行ってしまう。帰りにはたる沢の滝も見に行った。常念岳から燕岳へ縦走しここへ下ったのは高校1年の時、ここから燕岳を経て槍ヶ岳に登ったのは大学1年の時である。あれからずいぶん時が流れた。実家から車で1時間もかからない。そろそろ家族で登りたくなってきた。
Aug15_2011

東北百名山

 東北山岳写真家集団による『東北百名山』という本というか、ガイドブックというか、写真集がある。確か、ワンダーフォーゲル部をやめ、独り、あるいは数人の友達を連れ、東北地方のあちこちの山を登ろうと、大学1年生の頃に買った物だと記憶している。最近は存在すら忘れていて、もはや見ることはないだろうと捨てることにした。どれだけ登ったかを数えてみると、白神岳、岩木山、八甲田・大岳、南八甲田・櫛ヶ峰、八幡平、早池峰山、鳥海山、虎毛山、栗駒山、月山、面白山、泉ヶ岳、大東岳、大朝日岳、船形山、蔵王・熊野岳、蛤山、磐梯山、蔵王・熊野岳、飯豊本山、飯豊・北股岳、飯豊・杁差岳、田代山、会津駒ヶ岳、蔵王・屏風岳、霊山、安達太良山、三本槍岳の28座だろうか。若い頃は決して忘れることなどないだろうと思っていたのだが、記憶があいまいになっている山もあって、山登りに対する熱意が失われていることがよく分かる。思い出深い山もあれば、つまらなかった山もある。名山と呼ばれる山でも。独りで、身軽に、日帰りで行った山などは、今から思い返せばただ行ったという意味しかない。その一方で、友達と共に苦労して登った山は良く覚えていて、今でも思い出してみればとても感慨深く、涙さえ出ることもある。悪天候なんかもいい思い出である。大学で仙台なんぞに行かなければ、こういった山々のすばらしさを知らずに一生を終えたかもしれない。秋田駒、焼石岳など、登りそびれた山も多い。いずれまた機会を見つけて東北の山に行かなければ。娘や息子にも教えてやらなければならない。

登山後の筋肉痛

 土日はずっと山を歩いていたので、未だに筋肉痛で足が痛く、特に階段の上り下りが辛い。子供達はそうでもないようだが。ここ1週間は17階までの階段上りはやめることにしよう。

甥のちょっとした遭難騒ぎ

 甲武信ヶ岳を下山し、沓切沢橋まで下りると舗装された車道になる。その後、甥のちょっとした遭難騒ぎを起こしてしまった。反省の意味を込めて、その時の状況を整理し、記憶にとどめておきたい。甥は母親、つまり僕の妹に似ず、怖がりで行動が慎重である。これが遭難の原因でもあり、事なきを得た原因にもなる。雁坂峠からの下りでは何が不満なのかふて腐れた態度で、さっさと歩かない。子供のそんな態度に付き合うのは馬鹿げているのでいつも無視だが、前を行く2人とはどんどん距離が離れて行く。これまでの経験からして、もっと速く歩けないわけがない。急かしても言うことを聞かないので僕はいらいらする。与えられた時間はそう長くない。コースタイム程度の時間で下るには、このペースでは遅過ぎるのだ。下山後に温泉に行く時間も確保せねばならないし、東京に戻ってレンタカーを返すにもタイムリミットがある。そんな感じで1時間半くらい下った頃か、2人の姿がずっと確認できていないことがかなり不安になってきた。ここまでけっこう危険な道が続いている。友人はそれほど山に慣れているわけではない。甥を追い越し、走って様子を見に行くことにした。すると甥は恐怖を感じたのか、今頃になっていきなり走ってついてくる。さすがにここは危険なのでゆっくり来いと言い、危険な場所があったら止まって待っているよう指示する。僕は様子を見に行くだけで戻って来るつもりだった。娘と友人は、先に進むのが困難と判断したすぐその先で止まっていたので4人そろって休憩することができた。これが今回最後の休憩になった。ここまででかなり不安を感じたのだから、この先も一緒に行けば良かったものの、やはり早く駐車場に戻りたかったので、そのためにも速く歩く2人を先に行かせた。甥は暢気にパンを食べている。もう少しで車道に出るはずだ。少し歩くとずっと下の方に車道が見えた。2人はもう車道を歩き始めていた。そして僕らも沓切沢橋を渡って車道に出た。また離れてしまったので、甥に走るよう言っても疲れと下山した安堵感のためか走らない。追い抜いて走って行っても今度はついて来ようとはしなかった。車の鍵を持っているのは僕で、追いつくと言っていたし、追いつくつもりだったので走らなければならない。ここまでの甥のペースはあまりに遅過ぎた。この先、分かれ道があった。ここで待たざるを得ないかと思ったが、これまでの経験があれば甥でも容易に判断できるだろうと、それでも念のため簡単な紙切れにメッセージを書き残して先を急いだ。そんな分かれ道が3ヶ所か4ヶ所あり、次第に不安になってくる。ちょっと待っても甥の姿は見えてこない。これは鍵だの温泉だの言っている事態ではなくなるかもしれないと、途中から引き返す決心を固めた。先に行った娘と友人は、かわいそうだが放っておこう。僕のiPhoneはこの辺りでようやく電波が入ったが、彼の携帯はもはや充電切れのはずである。荷物が重い。適当な藪があったのでそこに隠し、身軽になって坂道を上って行く。どんなに歩いても甥の姿はない。随所に置いてきたメッセージもそのままである。怪我でもして動けなくなったかと想像する。下山してきた一人のおじさんに会い、聞いてみたが、男の子など見ていないと言う。それはおかしい。青ざめざるを得ない。とにかく車道の終点、沓切沢橋までは様子を見に行こう。橋で2人組に会ったがやはり見ていないと言う。万が一見つけたら、車道から移動しないよう伝えてくれるようお願いしたが、もし会えば下まで連れて行ってやると言われた。車道沿いの崖などに転がり落ちていないか確認しながらまた長い道のりを戻る。この辺りは車道を逸れなければもはや危険な所などない。いったいどこに行ってしまったのか。万が一のことがあれば妹に合わす顔がない。僕は地図通りの道を下って上ってまた下っている。彼に会わなかったということは、もはや彼が道を間違えたとしか考えようがなくなってきた。紙切れはどれも見つけられなかったのだろう。この程度の道ならば大丈夫かと判断したのだがそれが甘かったか。いや、下山後の道、あるいは登山口までの道は意外と厄介かもしれない。道に迷ったとすると、彼が自力で駐車場まで行くのはほぼ不可能である。周りの人に頼ってなんとかしてもらうしか手がないし、そのくらいのことはできるだろう。ただ、悪い人にだけ出くわさなければいい。もうそう期待するしかない。置き去りにした荷物は、そのままの状態で見つかった。再び電波が入るようになったので妹に電話を入れた。沓切沢橋で離れて2時間、僕はようやく駐車場にたどり着いた。甥は先に戻っていた。車道から別な駐車場が見え、そこに下りてしまったものと思われる。そこから先の車道はやや上りになっていて、紙切れを置いておいたのだが、右下方に駐車場を見つけた安堵感の方が大きく、判断を誤ってしまったのだろう。しかしその駐車場はきのう自分たちが出発したところとは違う。このことに気付き、どうしていいか分からずにパニックになった。幸い、辺りにはもう人が多いので、親切な人が甲武信ヶ岳登山に使われそうな駐車場を探して、車で送ってくれた。泣きながらも、その程度の情報ぐらいは伝えられただろう。道に迷うようなことはないはずだとの判断は誤ったが、その後の対処は僕の思っていた通りだった。そもそも離れ離れになったことが良くなかったのだが、これから子供達も経験を積めばそういうことが起るだろう。そこで迷わないためにも、自分の出発地がどこで、どこを通ってどこに向かうのか、周辺にはどのような山や谷、小屋や集落があるのかを把握させておくべきだった。地図とコンパスも各自に持たせるべきだった。道に迷った場合、どう対応すべきかもしっかり教えておく必要があった。子供達はこれまでの経験で多くのことを学んでくれていたが、それだけではじゅうぶんでない。結果的には僕が焦ったために、1時間半ほどの時間のロスとそれだけを歩いた体力の消耗を引き起こした。甥には極度の不安感を与えてしまった。最終的にはレンタカーを返すのが2時間遅れただけのことである。甥の態度にいらいらしたところに根本的な原因があったように思うが、今となってはお互い、いい経験ができたし、今後に活かされることであろう。
May16_2011
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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