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大学生に学会発表のテーマを提案

 現在、月に何回かアルバイトで研究室に来てくれている大学生が二人いる。彼女たちだけが現在の僕の研究室のメンバーである。その二人は双子の姉妹、しかも一卵性双生児である。似ているんだろうが、個々に話す機会は多々あり、僕から見れば外見も性格も違いは明確に認識できる。それはさておき、年末に神戸で学会があるから二人それぞれ別なテーマで発表しないかと振ってみた。旅費は研究費から払うと。興味を持ってくれたので、それぞれに考えていたテーマを提案した。二人ともやる気を見せてくれたが、ちゃんと進むだろうか。演題登録は4ヵ月後である。
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右巻きと左巻き

 AMED、日本医療研究開発機構から送られてきたメールに「2重らせんが逆巻きであったのでお詫びして訂正いたします」という文面があり目を引いた。残念ながら僕は修正前のそのポスターを見ることはできなかったが、依頼されたイラストレータが適当に二重螺旋を描いてしまったのか。それにしても、逆巻だと指摘した人がいたというのが楽しい。DNAの図を見る機会が多ければなんとなく向きは分かるだろうから、確かに不自然に感じたのかもしれないが、僕がそのポスターを見たとしてどう思ったことか。一般的な二本鎖DNAは右巻きか左巻きか、そんなことを調べてみたら、この表現がいかに曖昧かということを知った。手元の広辞苑を見ると右回り、左回り、時計回りという見出語があるが、これらを巻く方向に当てはめてしまうと巻いて行く向きに対してどう見るかによって逆になるので正確な状況を伝えることができない。英語ではright-handedやleft-handedが使われるらしい。なるほど、日本語で言えば右手あるいは左手でやや違和感があるもののこっちの方がいい。DNA、アサガオの蔓、右螺子はどれもright-handed、右手、つまり、親指が向く上に進んで巻いて行くとすると残り4本の指がそうであるように軸の向こう側から左側を通って手前にくる。覚えておこう。

日本人の起源

 図書館で崎谷満『新日本人の起源—神話からDNA科学へ』というおもしろそうな本を見つけたので、借りて読んでみたのだがなんか楽しくない本だった。読者として研究者を想定して書いているのか、あるいは一般人なのか判然としない。科学的根拠を示すべきほとんどが自身のこれまでの出版物への参照になっているだけで、信憑性を疑ってしまう。日本人は世界的に見ても多様性が高いとDNAだけでなく、文化、言語の多様性にまで渡って詳細に述べられており、その博識ぶりがさらに怪しい。著者の専門分野がはっきりしないのだ。けっきょく全部読む気になれなかったが、得られた情報はあったので自分なりに大雑把にまとめてみた。現生人類誕生は約20万年前に東アフリカで誕生し、一部の集団が約7年前に当時陸続きだったアラビア半島経由で中央アジア方面に移動した。これが出アフリカである。そこから主に3つのルートに別れ、グループを形成するに至るが、インド、東南アジア方面への南ルートが約6万年前、シベリア方面への北ルートが5万円前、ヨーロッパ方面への西ルートが4万年前。日本人はその北ルートの集団に由来し、ネアンデルタール人が絶滅した約3万年前から当時陸続きだった現在の日本列島へと移住して来た。ついでながら今日の自分の学会発表でこの点にも触れてみた。それはいいとして、従来から言われていた縄文人、弥生人の二重構造モデルはDNA配列解析から完全に否定されていると執念深く繰り返される。まあ、この主張がこの本で一般読者に最も訴えたかった点であると思われるのだが。

英国人数学者ハーディ

 先日、藤原正彦の本で、ラマヌジャンの話を読んでいたら、彼の人生にとってきわめて重要な役割を果たしたハーディという英国人数学者が出てきた。数学者ハーディ、どこかで聞いたことのある名前である。そうだ、遺伝学におけるハーディー・ワインベルクの法則だ。ひょっとしてこのハーディーとハーディは同一人物か。Wikipediaを見ればすぐに分かる。一文字違っていたが、確かにGodfrey Harold Hardyという一人の数学者だった。どんな数だったか覚えていなかったが、ラマヌジャンに関してはタクシーのナンバーのエピソードが有名である。これは彼とハーディとの会話に由来するとのことだった。その1729はハーディ・ラマヌジャン数と呼ばれているらしい。他にも素数の分布に関するハーディ・リトルウッド予想などに名を残している。ハーディは母国の勝利を見届け、1947年に70歳で亡くなっている。そんな頃の数学者である。

労働者過半数代表選挙

 労働者過半数代表選挙というのがあり、あまり興味はなく無視したかったのだが、しつこく催促されるし、後で咎められても困るので投票してみた。まあ、労働者過半数代表というのが何かを知っておいて、損はないだろう。選挙とはいえ、一人が立候補しているだけなので信任投票である。この一名は、自らの意志で立候補したのか、それともどういう経緯で立候補せざるをえない状況に追い込まれたのか。残念ながら知る由もない。使用者側が作成した就業規則に意見を述べ、確認するのがこの代表の役目であるようだが、厚生労働省所管の法人だというのにこんなことをやっている。ここでは自分は常勤職員だからいいものの、はっきり言って非常勤職員は虐げられている。あと数時間でも勤務時間があれば常勤にならなければならないような非常勤職員達だ。人件費抑制のために勤務時間、そして身分に制限が生じる。厚生労働省所管の法人だというのに。そういう非常勤職員こそ過半数代表になって声を上げたらいいが、そんな強いことを言えるような環境が整っているとは思えない。

電源工事のちょっとした失敗

 ちょうど2年前、電源工事をしてもらった。単相200 Vを14回路、100 Vを2回路持つ分電盤を用意する大掛かりなものでだった。予備の回路も用意されていて、200 Vの2回路は翌年、そして100 Vの2回路を今回、新たに工事してもらうことになった。単に分電盤から一般的な100 Vコンセントを引くだけの僕にもできそうなものだが、資格がないと手出しはできない。分電盤の番号は3番と4番で、それぞれに対応するコンセントに番号を付けておいたと業者のおじさんは帰って行った。ところが何かおかしい。あれこれ調べてみると3番と4番が逆になっている。苦情を言おうかと思ったが、表示が逆になっているだけで使えないわけではないので、笑い話として済ませることにした。自信有り気で、体格のいい、豪快そうなおじさんだったが、プロ意識が欠如しているかのような印象を与える結末だ。

瑞宝重光章

 大学院博士過程の恩師が瑞宝重光章を受勲したとのことで祝賀会に参加してきた。先生の業績はもちろんではあるが、人柄あってのもので、たいへん喜ばしいことである。しかし、紫綬褒章、文化功労者に続き、瑞宝重光章ということなのだが、これはいったい何か。勲章とかそんな物に興味があるわけではないが、無知も良くないので、軽く調べてまとめてみることにする。内閣府のウェブサイトを見ると、勲章と褒賞というのがあり、区別されていることが分かる。僕の分野で、またスポーツ選手などでよく耳にする紫綬褒章は勲章ではなく褒賞らしい。なるほど、調べてみてよかった。全く知らなかった。一方で勲章には大きく分け、大勲位菊花章、 桐花大綬章、 旭日章、 瑞宝章、 文化勲章、 宝冠章の6種類があるらしい。その中の瑞宝章は明治21年制定で勲一等から勲八等まであったが平成に入って勲等表示はなくなった。国家または公共に対し、積年の功労ある者に授与され、瑞宝重光章はかつての勲二等瑞宝章とのことである。ちなみに我が高祖父が明治39年に受けた青色桐葉章は今では廃止されているが、旭日章に分類されるらしい。

化学を勉強して社会で活躍している人

 私立中学に通う、妻の叔父の孫、つまりうちの子供達のはとこが、妻のいとこである父親と一緒に親子二人でうちにやって来た。大学で何らかの分野を勉強して社会で活躍している人に直接会って話を聞いてまとめるという宿題が出されたらしい。なかなかいい宿題ではないか。勉強は得意ではないが、その中でもまともな化学を選んだとのこと。となると僕の義母が、その本人から見ると大伯母であるが、高校の化学の先生だったので、先にそっちに話が行ったことと思うのだが、なぜかうちに回ってきた。僕ら夫婦はどちらも化学科出身なのだが、ともに生命科学分野に進んでいる。それでもいい、むしろそういうのもいいということで快諾しておいたというわけである。「わたしの仕事よりも夫の仕事の方が夢があるから」とか普段は決して口にしない外向けの言葉を吐いて僕が担当することになった。同感だし、全く嫌ではない。中学生の頃に科学万博に行った話から今に至る紆余曲折を延々と話した。もちろん化学、生物学だけでなく、コンピュータ、英語もキーワードである。一般人から見れば社会で活躍している人と扱われてもいいとは思うが、僕自身はまだまだ道半ばにも達していない。その半生を一中学生に語りながら自分自身で追ってみたわけだ。本当に紆余曲折、喜怒哀楽があったが、概して楽しい半生であったことは間違いない一方で、この先に対する不安は大きい。最後に笑えるかどうかは今後の頑張りしだいであることは言うまでもない。さて、彼の宿題はどういう形で完成するのか。

転座のブレークポイント

 昨年末からある白血病患者の転座を調べるよう依頼を受けていて、その場所を突き止めようと努力していたのだが、意外と難しい。本当に転座なんかあるのかと疑いもしたが、最初に言われていた領域から拡大し、もう少し広く探し始めたらすぐに見つけることができた。あった、あった。ないところにはないが、あるところにはちゃんとある。当然のことだが。第3番染色体と第12番染色体それぞれがきれいに切れ、きれいに繋がっている。そこだけで周辺におかしな塩基配列は見当たらない。僕が持っているコントロールにはこの変異はない。これが転座のブレークポイントか。ギムザ染色の結果はより複雑な転座を示唆しているようで、これを皮切りにもっと調べてみなければならない。

1時間の英語によるプレゼン

 朝、別な研究部のセミナーでの発表を頼まれていたので、保育園は妻に任せ、早めに出勤した。頸肩腕症候群はあまり良くなっていないが、おとといのひどい時に比べればましだろうか。7日分処方されていた薬は効かないのでもう飲むのはやめた。とにかく、英語でと依頼されているプレゼンテーションを何とかせねば。1時間話すようにと言われ、それを真に受けてあれこれ用意したのがよくなかった。無事に終わりはしたが、途中でいろいろと質問が出るので、時間をだいぶオーバーしてしまった。話さねばならないことを最後の方に用意していたので省くわけにもゆかず、長引く結果となった。1時間という長い時間枠のあるプレゼンの時間配分、以後の課題だ。

科挙の作文

 申請書類などを書いていて、なんでこんな窮屈な枠に縛られて書かねばならぬのかと腹の立つことが多いが、最近本で読んで知った科挙の作文における細かな規則に比べれば、日本語のこんな不自由さは高が知れている。状元、榜眼、探花たちの苦労を思えば、これしきのことで文句は言っていられない。

マウスゲノムのアセンブリ

 マウスゲノムのde novoアセンブリをあれこれ工夫してやってみたら、ギャップも含めたN50は31 kb、全体で2.5 Gbの塩基配列が決まった。繰り返し配列が多数あるはずだから、これだけ決まれば大満足である。これをどうまとめて発表するかが次の課題である。

今年度の研究費の最終発注

 今年度に使い切らなければならない研究費の最終発注は2月20日までと言われていたが、執筆中の論文の英文校閲に出すのを粘りに粘って提出し、ようやく残高が5,000円を切り、文房具等の最終発注を行った。なんとか間に合いそうだ。今回は危なかった。一方で2月20日までと言われていたのは、やはり脅しに過ぎなかったことが明らかとなった。

学術論文の素読

 ふと思い立ち、時間を取って論文を素読することにした。もちろん、自分の研究に関連する英語で書かれた学術論文である。できれば2ページぐらい読みたいが、時間がなければ5分間でもいいと思っている。発想は、経を読んで心を落ち着かせる、四書五経などを素読して理解できないところがあっても馴染むためのきっかけを作るというようなところにあるのだが、仏教や儒教により親しみたいというわけではなく、かつての日本人が行ってきたことを今の仕事に結び付けてみたいということである。試しに3日間続けてみたが、なんかいい感じである。こんなことをやっていれば、研究に関わる英語も口からすらすらと出てくるようになるような気もする。素読でいいと思っていたが、気になるところが出てくれば、音読を止めて、調べたくなる。それはそれでいい。声を出さねばならないので職場や通勤中にはできない。適当な時間を見つけて自宅でやる必要がある。まさか三日坊主にはなるまい。

職場のメールマガジン配信

 先月、職場のメールマガジン執筆依頼が届き、いったい何を書こうかとしばらく悩んだ。事務も含めた医療関係者、医学研究者向けである。計算機に関連することも考えたが、それは僕にとっては手段であって目的ではないので、あまり前面に出したくない。専門とする分子遺伝学をということで、ミトコンドリアのDNAを例にゲノム配列のアセンブリの話をして、それがどう医療に結びついているかでまとめることにした。年末、帰省してから数日で書き上げた。あまり長く書きたくはないが、600から1200字程度はかなり短いので伝えたいことをまとめるにはけっこう苦労した。大晦日に提出して、年明けに校正があり、もともと起承転結4段落構成にしていたが、メールマガジンという性質上、多数の段落に分けられた。そしてようやく昨日になって配信。このことは周囲の誰にも伝えていなかったが、みんな気づいてくれただろうか。数人が声をかけてくれたが。

久々のベンチワーク

 今の研究所に来て、おそらく初めてではないかと思われるが、久しぶりにピペットマンを握ってベンチで作業をした。ピペットマンは商品名なので、正確にはマイクロピペットなどと呼ばなければいけないのかもしれないが、とにかく、実験スペースからあれこれ一時的に用意してもらい、白衣を着て、手袋もして。30分程度で終わるかと思ったが、1時間以上かかった。操作は体が覚えてはいるが、動きがぎこちなくなっていて慎重にならざるを得ない。それにちょっと油断したら、一つだけバッファーを2回も入れてしまうという操作ミスを犯したが、まあそんなに問題はないはず。やりたかったことはなんとかやり遂げた。

練習なしでプレゼンテーション

 今日は頼まれていた研究のプレゼンをする日。直前までデータを揃えることと、スライド作成に時間を取られ、当然のように発表練習をする時間など確保できなかった。研究者にとってプレゼンは自分をアピールする絶好の機会であり、ちょっとでも練習の時間を設けて準備しておくべきだった。さて、本番。僕が言いたかったことは全てスライドにまとめてあったので、アドリブでもなんとかなった。自分で担当したところは自分が一番よく理解できているはずだし、これまでに積み重ねてきた数え切れないほどのプレゼン経験もある。一つの仕事が終わってほっとしたが、今回うまくいったからといって次回もうまくいくとは限らない。スライド作成など、前日までに終わらせ、発表練習のためのせめて一日を確保するよう努めなければ。

日本海で捕獲されたイカ

 最近、一部で日本海の呼称について騒いでいるようだ。馬鹿馬鹿しいように思えるが、日本海が日本海でなくなったら困る人は多いか。僕自身の人生にとって影響のあるものではないのでどうでもいいと思っいるし、ましてや英語名なんてどうでもいい。そう思いつつも、今年執筆した論文で "the brain DNA from a single squid female caught in the Japan Sea" というフレーズを入れて投稿してみたら、特に何も指摘されることなく今や公に出版されている。僕が死んでもこの論文は残ると思うが the Japan Sea は残るかどうか。

都内出張の旅費精算

 これまで都内の出張など高々数百円の交通費の清算のために、つまらない書類を多数書き、何人もの偉い方々の印をもらい、多くの人の手を煩わせていた。自分を含め、関わった人の時給から処理にかかる費用を計算してみれば、馬鹿げていることこの上ない。ようやく都内に限っては出張前にPASMOを借りて行って、それで支払えばいいということになり、きのうの出張ではPASOMOを使ってきた。今日返しに行くと、どこでいくら使ったかなど書かされることもなく、手続きはずいぶんと楽になった。しかしこれは都内に限ったことで、すぐ隣の川崎市や、ちょっと向こうの横浜市などは駄目なのだという。

東京女子医大の医学生達

 初めて東京女子医科大学に行った。子供の頃は、隣の区にあって心臓の手術などで名の知れた大学と思っていた一方で、病院に付属している小さな大学というイメージであった。しかし今日、キャンパスに入り込んでみると、ここはちゃんとした旧設私立医科大学であることがわかった。女子大勤務経験があるというものの、10代、20代そこそこの若い女性が大勢で大きな声でしゃべっている中を通って行くのには勇気がいる。将来、彼女達のほとんどがお医者さんになるのかと思うとなんかすごい集団だ。正解唯一の女子学生だけの医科大学らしい。

論文アクセプトの小さな喜び

 一つ、論文というか、簡単な報告が受理され、ジャーナルへの掲載が決まった。本文は英単語500語以内という制限があり、記述できる内容がかなり限定される一方で執筆作業にかかる時間は大幅に少なくてすむ。準備に要する時間は指数関数的に違う。それでもアクセプトされた喜びは大きい。論文執筆に取り掛からねばならない研究テーマがわんさと転がっているので、日々、少しずつでも進めねば。この小さな喜びを味わうためにも。

計算機がついに本格稼働

 ついにHA8000/RS210にUniva Grid Engineがインストールされた。これにていよいよ本格稼働である。ここまでの道のりは長かった。最初に計算機購入の問合せを行ったのは2012年12月21日で、年の瀬27日に直接話を聞き、それから仕様を固めて入札の準備。2013年2月26日落札で、3月29日納品。しかし動かすための200 Vの電源がないのでただの鉄屑状態。1回路だけ引いてもらって4月30日に初稼働。とはいえ35ノードのうち連続した3ノードしか動かせない状態。そしてここからが長かった。研究所の何らかの都合で仮置き状態が続き、行き場候補が二転三転、電源工事どころではない。ようやく決まっても、200 Vを14回路も引く分電盤を作ってもらうのに何ヶ月もかかる。年が明けて年度末の2014年3月27日、ついに35ノードを稼働できる状態に。しかし空調設備が不十分で10馬力のが導入されたのが4月23日。そうこうしているうちに、Red Hat Enterprise Linux等のソフトウェアライセンスは切れてしまった。どうせ使えないのでUniva Grid Engineはインストール、設定さえされていなかった。ようやくライセンス更新の予算のめどが立っても、委員会での承認を得るのに時間がかかり、ついに2014年9月12日、Grid Engineが動き始めた。もはやGrid Engineは使わないかもしれないが、とにかく当初予定していた本格稼働状態に。遅々として事が進まない国立の研究所には呆れていたが、いずれは何とかなった国立の研究所。ようやく環境は整った。後は僕らがこの計算機を使って何を成し遂げるかである。

論文の輪読を再開

 長らく中断していたが、論文の輪読会を再開することにした。初回の今日は自分を含めて4人集まり、基本的に英語の音読。みんなが理解できるようにゆっくり読んで、難しい箇所などは読んでいる人が説明したり、随時誰でも質問して参加者みんなで理解する。日常の仕事や勉強に過度に負担がかからないように、一回1時間以内、週に2回程度を考えている。

倫理委員会に申請

 これから行うヒトのゲノムに関する研究について、職場の倫理委員会に審査してもらうための申請を行っている。まずは書類での質問がきたのでそれに回答する案を作った。重大な指摘はなかったのでとりあえずは安心している。後日、委員会に呼ばれ、本審査となるようだ。ヒトゲノムの研究のなど15年も前からやってきているのだが、対象が特定の個人となると話はそう単純でなくなる。今更ではあるが、この倫理委員会のプロセスを体験しておかねば。

口頭発表に採択されず

 今度の学会は病因解析・診断というセクションに演題登録をしていたが、残念ながらワークショップへの採択なしでポスター発表のみとなった。もう一件、ゲノム塩基配列を処理するためのプログラム開発の仕事を友人に発表してもらうことになっているが、こちらも同様。大騒ぎしてもらうほどの研究でもないが、そこそこいい仕事になりそうかなと思っていたのでちょっと残念だが、ポスター発表ならば準備の負担はかなり軽くなる。ほっとしたという一面もある。とにかく論文発表の方を優先させねばならないから、そっちに労力を注がねば。

研究所から閉め出された

 研究の打ち合わせがあったので、日曜日、雨の中、研究所へ。僕のいる部屋はIDカードを持っていないと入れない。部屋に入った後、ついついカードを持たずにトイレに行ってしまった。こうなったらもう入れない。誰もいないから開けてももらえない。閉め出されてしまった。打ち合わせに向け、もう少し資料作りに時間をかけようと思っていたのだが絶望的だ。焦るがここはとにかく冷静になるしかない。さてどう対処しよう。この部屋に入れるカードを持っている人を捜すのが一つの方法だが、10人もいないはずで、日曜日の午前中なら望み薄である。ならば研究所のセキュリティを担当している部署まで行かなければならないが、傘も部屋の中である。研究所内を歩き回ってなんとか誰かの傘を見つけ、無断ながらありがたくお借りすることに。建物内はあちこちにロックがかかっていて通れないので、雨の中、外を回ってようやくたどり着いた。身分証明できるカードがないのだが、名前を書くだけで10分間、所内のあちこちのロックを外してもらえることになった。最初は5分間と言われたが、10分に伸ばしてもらい、ようやく安心して自分の部屋にたどり着いた。

STAP細胞騒動の一つの結末

 STAP細胞の騒動には日々呆れるばかりだが、自殺者が出たというニュースにはさすがに驚かされた。「何も死ぬことはないのに」と多くの人が言うものの、精神的な落ち込み、疲弊、鬱状態により、物事をまともに考えられない精神状態に追いやられていたのだろう。僕を含め、誰しも何かのきっかけでこうならないとも限らない。特に研究なんかをしていると、僕自身はそんな危険を感じさせられる状況に直面することが多々ある。そう友人に語ると、たいていは馬鹿にされる。馬鹿にされる原因は、常日頃から自分なりに多少の努力をして、そういった精神状態になってしまわないよう心掛けている結果である。万が一そうなってしまえば、周りの人がなんとかしてあげなければ。ご遺族の無念はいかばかりだろうか。

他山の石

 職場の会議で募金のプレゼンを聴かされた。その中で動画を見せるといってもなかなか再生できず、再生されても音量が小さく聞き取れない上、最後はPCのバッテリー切れで中途半端なプレゼンとなった。重い病気を持つ子どもと家族を支援するための極めて重要な募金活動のはずだったが、これではあまりにひどい。ここまでの醜態は滅多に見ないが、PCやプロジェクタのトラブルで聴衆を苛々させるような事例は頻繁に目にする。高給取り何百人を前に、彼らの勤務時間中に与えられたせっかくのチャンスである。入念な準備を怠ってはならない。他山の石以て玉を攻むべし。

立つ鳥跡を濁さず

 今の職場でずっと居座っていた場所を今日限りで撤退し、別な建物に移動することに。ここ一週間ぐらい、ちょこちょこと荷物を運んでいた。デジタル化のおかげで他の人と比べ所有物の量はかなり少ないと自負していたが、まだまだ無駄に紙、資料、本などを持っていることを実感させられた。5階と1階をエレベータで何往復もし、最後は愛用のMac Proを。金曜日の夜、人が少なくなってから作業したが、手伝いを申し出てくれる人もいた。しかし独りでできる程度である。最後にきれいに拭き掃除までして、今日は疲れたので帰り、新しい場所のセットアップは来週に。月曜日、突然僕の場所から物がきれいさっぱり消え、職場の多くの人がびっくりしてくれるはず。

師匠の名を添えて依頼

 査読の依頼があり、3週間の期限だったが、その2日前にコメントを返した。一仕事終えてほっとしたところである。英文メールでの依頼だったが、エディタは日本人で、その後、日本語のメールも届いた。師匠の名を出されては断りたくても断りにくい。巧い手だ。
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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