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科学者だろう

 最近、テレビで映画Back to the Futureの3作全てを放送していたので、録画して英語で見てみた。1作目も好きなのだが、僕が最も気に入っているのは3作目である。仙台の映画館で見たのはかれこれ20年近く前になる。とても懐かしい。最近、SF物を見たり読んだりすると、馬鹿げているように感じられてあまり楽しめないのだが、若いころに見て感動したBack to the FutureやJurassic Parkには今でも感動できる。ところでその3作目の中に、DocがMartyから"You're a scientist."と諭される場面がある。その前にもDocが自己紹介をする時に、隠すべきscientistという言葉が思わず口から出てしまう。Docはマッドサイエンティストの一例かもしれないが、かつての僕のイメージするscientistは、純粋に自然科学を愛し子供のような夢を持つあこがれの存在であった。業績や社会的地位などに対しては無頓着である。いつの間にか分子細胞生物学専攻で博士号を取得し、研究者となったが、生物学の研究室にいると、かつて思い描いていたscientistと最近の生物学者はかなりかけ離れていることに気付かされる。ましてやバイオインフォマティクスの研究室においてはなおさらである。中学生、高校生、学部学生だったころにあこがれていたscientistを、この辺りで思い出す必要がありそうだ。
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ブログの書き溜め

 気が付いたらブログを10日分も書き溜めていた。沖縄に出張していたという言い訳もあるのだが、パソコンを持ち込んでいたし、書こうと思えば書けたはずである。人に読まれる文章をある程度考えて書くということは多少時間がかかるが意味のあることで、滞らせてまとめて書いたりせずに、毎日コンスタントに書き進めて行きたい。10日分を書く時間を確保するのはたいへんだが、1日分だったらそんなでもない。それに、その日を振り返り、その時の気持ちで書いておきたい。一日一日を生きている意味も少しばかりははっきりしてくる。

メダカとエビの繁殖

 メダカの卵や稚魚は、親たちに食べられてしまいそうなので、もう一つ別な水槽を買ってきてそっちで別に育てている。一時期は稚魚が20匹近くにもなったが、なぜか生き残っているのはその半分以下である。なかなかうまく育たないのか、稚魚同士で共食いするのか、同じ水槽にいるミナミヌマエビに殺されたのか。最初に大きくなった2匹はしばらく前に親たちと一緒にしたが、問題なく過ごしているようである。そこできのう、もう1匹を移したところ、僕の目の前で一瞬にして大きなメダカに飲み込まれてしまった。まったくかわいそうなことをした。ここまで育つのに1か月以上はかかっただろうに。こうなっては心配で、ちょっとやそっとでは移せない。ミナミヌマエビの稚エビも、母親には食べられないが、父エビなどからは食べられてしまうと聞いていたので、稚魚の水槽での方で飼っている。メダカの格好の餌食でもあるらしい。ところが、ミナミヌマエビの方はいつの間にか、稚魚の水槽だけでなく、両方で大繁殖。合わせたら50匹以上にはなる。これらが全て成体になったらたいへんだ。どうしよう。

日本棋院の認定状

 区主催のジュニア囲碁フェスタというのが開催された。9人のプロ棋士も参加し、子供たちは3つのコースに分かれて、囲碁を教えてもらったり、互先で区長杯争奪を目指す。うちの娘は級を認定してもらえるコースに参加した。500円で日本棋院から認定状がもらえるのだから僕も参加したいところだが、中学生以下が対象。1か月ほど前から目指せ10級台、つまり19級、とけしかけてきたのだが結果はどうなることやら、ずっと楽しみにしていた。帰り道、娘は電話をかけてきた。「だめだった」と。認定結果は21級。いつも見てもらっている先生から21級ぐらいだと申告され、今日は13路盤で3勝5敗だったという。娘の話では、一度2目差で負けたがその時に勝っていれば20級にはなれたと。しかし上級生相手によく頑張った。まだ碁を始めて1年も経っていないし、まだまだ小学校低学年である。10級台はそう甘くはなかったが、1年後、何級まで上がっているかがまた楽しみである。

マングローブと海軍壕

 午後の飛行機で那覇を発つので、ちょっと時間がある。中国人留学生に「行きたいところがあれば一緒に行こう」と言っても「那覇は見るところがほとんどない」などと言う。旅慣れしていれば決してこんなことは言わない。しかたないので僕の趣味を押し付けてマングローブ林を見に行くことにした。ホテルから重い荷物を背負ってモノレールの駅の近くまで歩き、バスを待っていたおばさんに漫湖までの行き方を聞くと「男なら歩いて行ける距離」だと言われた。僕にしてみれば歩くのは大歓迎。明治橋のところで左折して川沿いに歩く。汽水という日本語を教えてやったら「中国語では炭酸水という意味になる」と面白がっていた。そのうちに広い遊歩道が整備された漫湖公園に出る。湖面から木が伸びていてこれがマングローブかとちょっと感動。細い橋を渡って南岸へ、そして国道の橋を渡るが、北側か南側を歩くかでちょっと迷い、南側にしたのだがこの選択は大正解で、その先には息を呑むほど素晴らしいマングローブ林が広がっていた。中国人も感動してくれているようで歩かせた甲斐があった。そこからさらに歩いて旧海軍司令部壕へ。ずっと上りで2人とも汗だくだ。沖縄戦のちょっとした展示を見て、地下壕へ入る。「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」で締めくくる大田實少将の電文が掲げられていた。献身的協力について海軍幹部に訴えたものである。牛島満中将が自決する10日ほど前に、この壕内にて自決。ここに来なければ、こんなことを知ることもなく人生を送っていたことだろう。この後、タクシーを拾って空港へ向かった。沖縄本島、そして沖縄県、まだまだ訪れるべきところがありそうだ。
Jun26_2009

学会最終日

 いよいよ学会は最終日。哺乳類のゲノムを中心に研究をしてきた僕には馴染みのない発表が多かったので、この5日間はかなり長く感じられた。最後はホテルに移動して懇親会である。何人かと話したが、特にMcGill大の研究者と知り合いになれたことは良かった。2年後の次の学会は、彼が主催してモントリオールで行われる予定になっているという。カナダである。カナダならば、ぜひとも行きたいところだが、今の僕の研究内容ではためらわれる。2年後、どこで、どんなことをやっているかはとても想像できないが。

旅は道連れ

 沖縄科学技術大学院大学を設立するため、現在、沖縄科学技術研究基盤整備機構という組織があって、まだ学生は募集していないもののいくつかの研究室がすでに研究を行っている。きのうは備瀬に行く前にそこを見学したのだが、日本人らしくないアジア系の女性と一緒になった。日本人かどうか英語で聞いてみたら、意外にも日本人だった。僕もカナダにいたころ「会釈をしないから日本人らしくない」と言われたことがあるが、顔よりもむしろちょっとした仕草で、日本人とそうでない東アジア人との区別は容易につくものだ。彼女とは、きのうも今日もよく顔を合わせたので、一緒に食事をしようと誘ってみた。けっきょく彼女が所属しているフランスの研究室のメンバー8人と、中国人留学生と僕とで居酒屋に繰り出すことになった。隣に座ったのはドイツ人で、ドイツ人から見たフランス人をいろいろと語ってくれたが、それは今まで聞いて持っていたイメージとそう変わるものではない。確かに彼らは日本人と同様、英語が嫌いで英語が苦手である。フランス語が使えなければ研究することさえたいへんであると。その隣にいたフランス人女性は「アルジだけは食べたくない」と言っていた。アルジとは何かと思えば、algae、つまり海苔のことだった。海苔と言ったらseaweedかと思っていたが、確かにあれは海草と呼ぶよりもむしろ藻かもしれない。西洋人は黒い海苔を食べたがらないとは聞いていたが、確かに藻だと聞いたら日本人でも食べたくなくなるかもしれない。藻と言えば、家のミナミヌマエビが思い出される。中国人留学生は日本語が流暢とは言え、日本人同士の会話に割り込むのは辛いので、今夜の英語でのおしゃべりは多少は良かったかもしれない。例の日本人女性はよくよく話してみると確かに日本人だった。アメリカやフランスでの生活が長いようで、彼らといる時は日本人らしさを失うが、僕と話している時の心はやはり日本人であり、ほっとさせられた。

備瀬のビーチとフク木並木

 今から64年前、当時の牛島満中将をはじめとする司令部が自決し、沖縄戦の組織的な戦闘は終結したとされる。この6月23日は沖縄戦の終戦記念日とも言える日で、沖縄県においては慰霊の日として特別な日であり、休日である。こんなことも沖縄に来なければ知ることもなかったであろう。そのためかどうか、学会会場は休みで、学会も中休みとなる。慶良間諸島のビーチに連れて行ってもらうという話になっていたが、熱帯低気圧の接近で少しばかり海が荒れているらしく、本部半島の備瀬というところに変更になった。サンゴの研究者に案内してもらい、珊瑚礁の海を泳いだ。岩陰などに潜んでいるウニを踏みつけてしまいそうで怖いが、色とりどりの、そして形も様々な魚がたくさんいて、貴重な体験をすることができた。そしてビーチの周囲には沖縄の自然百選に選ばれているフク木並木がある。フク木の防風林の中に風情のある小径があちこちに伸びていて、沖縄を感じさせる古い家屋が点在する。道好きの僕にはたまらない場所だった。
Jun23_2009

口頭発表

 いよいよ学会発表。割り当てられている時間は12分で、その後、3分間の質疑応答ということになっている。1週間ほど前に大まかな英文原稿を書き上げ、毎日1回だけ時間を計りながら読んだのだが、今取り組んでいる研究を要領良くかつ分かりやすくまとめるのはかなり厳しい。毎日、少しずつ削り、つっかえたりせずにやや早口でしゃべれるよう心掛けてきた。午前中は学会会場の外に出て、独り声に出して練習した。前の3人は誰も時間を守っていなかった。その分、ディスカッションの時間が削られ、けっきょくは自分が損をすることになるわけだが、実はそのしわ寄せが全て僕のところに来るというとんでもない展開になった。遅れ気味で始まった僕の口頭発表は練習不足にもかかわらず比較的スムーズに終わったが、質問が出ない。そして遅れているという理由で、座長さえ質問せずにセッションが打ち切られ、休憩時間になった。その後、座長を含めた何人かと個別に話したが、こちらの主張を理解できていたのはMcGill大の研究者ただ1人だけである。僕の発表自体に問題があるのかもしれないが、この15分間のためにはるばる那覇までやって来たことによる成果は全く期待外れで、予想外のことを学ばさせられた。

父の日のプレゼント

 これまで母の日は欠かさず妻が花を送ってきた。父の日は普通は何もしないとのことで、実際、何もしてこなかったのだが、それでは自分の子らが大きくなった時に寂しい思いをするかもしれない。娘が父の日を認識できる年頃になったことだし、何かをしようと去年は初めて、義父と父にフグを送った。父の日のプレゼントは選ぶのが難しいが、食べ物ならばそんなに難しく考えることはない。今年は大きなハマグリを10個ほど送ってみた。大きすぎて迷惑だったかもしれないが、それくらいの方が記憶に残っていいだろう。ついでに自分の家にも同じ物を送ってみたが、アサリ好きの娘はそのハマグリには手をつけなかったそうだ。その娘からは沖縄へ発つ前に手紙をもらった。「パパへ いつもピアノを教えてくれてありがとう。ゆめはピアニストじゃないけどおかげてうまくなれたよ」と。

金城町石畳道

 沖縄について下調べをしておこうと思っていたのだが、けっきょく何もできず、当日の午前中に図書館へ行ってガイドブックを一冊借りて来た。そして午後、羽田からがらがらの飛行機に乗って那覇へと向かう。梅雨のまっただ中だというのに富士山がきれいに見えたのは幸運だった。初めて降り立った沖縄は、まだ梅雨が明けておらず、蒸し暑い。ホテルのチェックインをすませると、ボスと中国人留学生の3人で首里城に行くことになった。沖縄で最も有名な観光地だろう。公園内を散策しているだけでも楽しいのだが、カナダに住んで以来、建築物を見るのが好きになったので800円を払って城の中に入ってみた。沖縄戦で残念ながら消失したようだが、最近、残っていた図面等をもとに忠実に再建されたという。意外とこじんまりしているが確かに見る価値はあった。実は、それ以上に見てみたかったのが、飛行機の中で眺めていたガイドブックに載っていた金城町石畳道。首里城からはちょっと離れているので、ボスを残し、2人で行って来ることにした。最初、新しい石畳が続くが、そのうちに何百年も前から残っていると思われるいい雰囲気の道になる。しかも意外と長いので長時間楽しむことができる。途中で引き返そうかとも思ったが、最後まで歩いてしまった。かなりの下り坂で、帰りはここを登り返さなければならない。元気そうに見えた中国人は汗だくで苦しそうだったが、道好きの僕にはたまらない場所だった。ここを歩いただけでもはるばる沖縄に来た甲斐がある。そして水分補給は夕食のオリオンビールまで控えた。
Jul20_2009

結膜炎

 娘が学校の眼科健診で結膜炎と診断されたらしい。それはずっと前の話なのだが、学校側の手違いで、きのうになってようやくその知らせが親に届いた。問題は、来週から体育の授業で水泳が始まるので、それまでに眼科を受診してプールに入っていいという許可をもらわない限り、授業が受けられないということである。なんともひどい話である。学校のミスで、非のない児童の教育を受ける権利が奪われかねない。去年は実力に見合った進級ができなかったこともあり、娘だけでなく、父親である僕も今年の水泳を楽しみにしていたというのに。しかしそんな文句を言ったところで、プールに入れるようになるわけではない。今日は仕事を早めに切り上げて、小学校に娘を迎えに行き、眼科へ直行した。長い時間待たされ、途中で抜け出して2人でマクドナルドに夕食を食べに行った。診察はほんの3分ほど。気になっていた診断結果は、細菌性でもウィルス性でもなく、アレルギー性。しかも、健診の時に眼でもこすって引っかかったのかもしれないとのこと。これでひと安心。学校に苦情を言う必要もなくなったわけだが、しっかりしてもらいたい。

家出

 BS放送が見られるように設定し、受信料の再契約もすませてどう有効利用しようかと思っているが、今のところは時々やっている映画を見るぐらいである。最近、山田洋次監督の学校シリーズ4作品が一挙に放送されたので、録画して全部を見た。どれも良かったが、後になればなるほど僕にはいい映画に思われた。4作目は『十五才 学校IV』というタイトルで不登校の中学生を扱っているが、学校でなく、旅という冒険を通して、彼が何人もの人たちと接して立ち直ってゆく姿が描かれている。僕にとってはあんな旅ができた大学生のころが懐かしい。中学生の頃にはそんな家出をする勇気は僕にはなかった。子供にも見せてやりたいと思ったが、子供を持つ親が楽しめる映画だろう。

娘と銭湯

 前々から行きたいと思っていたのだが、先週の土曜日、娘と銭湯に浸かってきた。その土曜日は授業参観があり、生活科で女の子3人のグループが銭湯を見学に行ったことを発表していた。その銭湯を経営している家の子がクラスにいるので、そのつてで見学が実現したのだろう。なかなかいい発表で、子供たちだけでなく、参観に来ていた親たちも興味を持ったようだった。というわけで、さっそく娘と出かけた。女湯に入りたいと言っていたが、初めてのことだし、いやでなければかまわないと言われたので、二人で男湯へ。42度は娘には少し熱いようだったが、親子で楽しく浸かった。帰りに僕はコーヒー牛乳を飲んだ。子供の頃、銭湯には何度か行ったことがあるが、これも日本独特の文化だろう。下町文化の一つとも言えるものか。娘とこんなことができるのも今年限りもしれない。調べてみると、最近廃業した銭湯も多いようだが、自転車で行ける範囲にけっこう残っていることが分かった。もうちょっとあちこち回ってみようかと思う。

碁の醍醐味

 面倒を見ている大学院生が打てるようになったらしいので、研究室内でKGS Go Serverを利用してオンラインで対局してみた。初めての試みだ。つまり彼も僕も自分の机にあるコンピュータに向かって碁を打つ。また観戦したい人も自分のコンピュータに向かえば、ライブで様子がうかがえ、チャットもできる。9路盤3子局、序盤で負けを確信したが、3目ナカデを機に僕が勝った。彼はルールを把握し、非常によく考えているとはいえ、実戦でどう打てば良いかが分かっていなかった。2眼でないと死ぬという知識も持ち合わせていなかったことが、僕には幸いだった。それはともかく、きのうはベルギー人に19路盤で初勝利を挙げた。これまで9子局でやってきたが、たまたまやった初めての4子局で運良く勝ってしまった。右の辺から中央へ向かう黒石が殺されるかと思ったが、予想外にアタリ、アタリで逃げ切り、黒114手目でベルギー人は「プライドが許さない」などと高尚な日本語を使って投了した。大逆転という碁の醍醐味の一端を味わった。
Jun16_2009

職員室に行く勇気

 来月はじめに、お台場からレインボーブリッジを渡って近くの中学校まで10kmを歩くという、その中学のイベントがある。親が同伴すれば小学生も参加していいということで僕はぜひとも参加させようと思ったが、妻は2年生にはきついと反対。今日が申し込みの締め切り日となっていた。妻の出勤後、娘と二人で話し合い、彼女が強行に嫌がる理由が分かってきた。先日の学校公開のため今日は休業日になっているので、先生に会うためには職員室に直接行かなければならない。それでためらわれているようだった。それなら一緒に小学校の職員室に行こうということにすると、急に素直になった。父親と10kmという距離を歩くのが嫌だったわけではないのだ。レインボーブリッジの写真を見せてやったら、それなりに興味を持ってくれたようだ。思い返せば僕が子供の頃、母親がついて来てくれなければ、病院や銀行など、あらゆるところに独りで入るのは嫌なことだった。一度でも見本を見せてくれればそれで良かったのに。これで娘も独りで職員室の戸を叩くくらいの勇気を持てるようになってくれたら嬉しい。夜、妻は猛烈に反対して怒り出した。勝手に二人で話し合って結論を出したことにも腹が立ったのかもしれない。10kmなんてたいしたことはない。走れば1時間の距離だ。足が痛くなったら棄権すればいい。

平塚の碑

 うちの近くに平塚という地名がある。源義光という武将が平安時代に造った平塚と呼ばれる大きな塚がこの辺りにあったらしい。調べてみると頼朝の高祖父義家の弟にあたる。後三年の役の帰途、この辺りで夜盗に遭い、彼の多くの部下が亡くなったことによるという言い伝えである。もはやその塚は残っていないのだが、平塚の碑なるものがあるらしいので、娘と自転車で行ってみることにした。住所を頼りにそのあたりを何度もうろうろしたのだが、なかなか見つからない。ようやく細い路地の向こうの奥まったところにそれらしきものを見つけた。そこに教育委員会が作ったちょっとした説明書きはあったが、案内などはない。いったい誰が、何を思って手入れをしているのだろう。
Jun14_2009

授業参観

 今日は小学校の学校公開、いわゆる授業参観日。特に心配していることなどなく、むしろ娘の学校生活には父親として満足しており、必ずしも行く必要はないのだが、行かないと娘が悲しむので、妻よりも一足早く学校へ向かった。1校時は国語で部首の勉強。担任ははきはきした年配の女性で、娘が言うに優しいらしい。僕の祖母は「学校の先生はみんな厳しく怖かった」と言っていたが、それから太平洋戦争を経て80年の歳月が流れた。当時の小学校の授業がどんなものだったのか、見てみたいし、せめてもっと詳しく聞いてみたいが、時遅くすでに祖父母はいない。2校時は音楽集会。合唱と合奏を聴いた。前回はピアノ伴奏を担当したが、今回は順番で隣のクラスの碁敵に回ってしまい、うちの娘は大多数と一緒に鍵盤ハーモニカだった。3校時は英語。小学生に英語教育は必要ないと思い始めており、特に興味はなかったが、オーストラリアから来たという英語指導助手が頑張って授業を行っている姿は一見の価値があった。4校時は生活科。娘は図書館の裏方を見学したことを、友達と一緒に発表。これはカナダの幼稚園でやっていたshow and tellを思い起こさせる。日本でもちゃんとプレゼンテーション教育がなされているではないか。娘は大きな声で、比較的堂々と発表しており、僕はとても満足して学校を去った。

成長したポトス

 職場の自分の机の上でポトスを育てているのだが、気が付くとけっこう大きくなった。葉の数を数えてみると39枚。育て始めた1年5ヶ月前から、月に2枚のペースで成長していることになる。未だに枝分かれはしていない。直線状に延ばせば数メートルになる。陽が当らない部屋の中、蛍光灯の光だけでよく育つものだと思っていたが、直射日光を嫌うらしい。もともとは東南アジアのジャングルの中で、大木の陰に生きていたのだろう。
Jun12_2009

オタマジャクシの飼育

 先月末、田舎から21匹のオタマジャクシを捕まえて連れてきた。発泡スチロールの大きな入れ物に比較的浅めの水を入れ、ベランダに置いている。共食いなどせず、今のところみんな元気なようである。毎日、金魚の餌を与えているが、それを食べているところを直に見たことはない。水を吸って崩れた物を食べているのか。枯れ葉をかじっているのはよく見かけるのだが。次第に藻が増えてきたので、ミナミヌマエビの稚エビも入れてみた。うまく共存してくれるだろうか。よくよく見てみると、どの個体も個性的で、これらが全てアマガエルになるのかどうか疑問に思えてくる。オタマジャクシの飼育は、カエルになってからが非常に難しいと聞くが、小バエ、アブラムシ、アザミウマなどがうじゃうじゃいるうちのベランダで、元気に生きて行って欲しいと切に願っている。

梅雨入り

 先月から曇りや雨の日が続いたが、ようやく関東地方も梅雨入りしたと発表された。平年より2日遅いとのことだが、自転車通勤の僕にとってはとてもそうは感じられない。カッパを着なければならない日がいつもよりも多く、かつ早かった。沖縄は先月の18日に梅雨入りしたという。このような話は毎年のように聞くが、今月末には那覇に行くことになっているので、いつもと違って多少気になる。それまでに明けるだろうか。そもそも沖縄の梅雨とはどんなものか。ともかく、研究所の正門を入ったところにはたくさんの赤や青のアジサイが咲いていた。
Jun10_2009

アジサイの季節

 挿し木をしたアジサイは元気だが、なかなか大きくならない。今週末辺りに大きな鉢に植え替えて、そろそろ外で直射日光を当てて育てる必要があるのかもしれない。その親株は研究所内にあるのだが、最近、きれいな花をつけている。6月になって街中でアジサイの花を見かけるようになり、こんなにも多くの日本人に愛されて育てられているのかとこの年になって初めて気がついた。その多くはよく見られる球状のアジサイであるが、挿し木をしたのはガクアジサイと呼ばれる原種に近いもので、このタイプも少なくはない。確かに、山で見かけるノリウツギによく似ている。娘が通っていた保育園、幼稚園にも同じようなアジサイがあり、僕にはガクアジサイの方がずっときれいに見える。来年には親株と同じような花をつけてくれるだろうか。
Jun09_2009

発芽した変化朝顔

 きのう、うちで育てているアサガオが、今年初めて花をつけた。去年、娘が小学校で育てていたアサガオから収穫した種を蒔いて育てた青いアサガオである。同じアサガオが6株、これからどんどん咲きそうな勢いで、毎朝、楽しみである。それとは別に、種を譲ってもらった変化朝顔を1株育てている。去年も、九州大学で系統保存されているQ0041という株を育ててみたが、今年はQ0664とQ0956の種を蒔いてみたら、Q0956だけが出芽し、今のところ順調に伸びている。より変化朝顔と呼ぶにふさわしく、その子葉と普通葉はすでに突然変異によるものと思われる奇態ぶりを示している。何か気持ち悪い気もするが、どんな花が咲くのか今から楽しみである。
Jun08_2009

そろそろ水泳のシーズン

 最近はあまり進んでもいない仕事に追われて心の余裕がなく、娘と水泳をすることをすっかりご無沙汰していた。2ヶ月以上空けてしまい、無理をしてでも行っておかないと、さらに行かなくなってしまいそうなので、1時間だけでもいいからと泳いでくることにした。娘の方は2週間に1度ではあるが習っているだけのことはあり、25mクロールを測ってみると、多少速くなって42秒ほどだった。月末からは小学校の授業で水泳も始まることだし、そろそろ身を入れて練習を始めなければならない。3種目とも25mを上手に泳げるようになることがこの夏の目標だろうか。それはそうと、僕の方も定期的に運動をしないといけない。11月末のつくばマラソン以来、運動らしい運動をしていない。7月から水曜日の夜は無料でワンポイント指導をしてくれるらしいから、毎週水曜日を親子で水泳をする日としてもいいかもしれない。

特例措置を利用して英検受験を延期する

 早朝、日本英語検定協会からのお知らせというメールが届いていて、重要なお知らせがあるので英検ウェブサイトを見るようにとのこと。1週間後の日曜日、1級一次試験を受ける予定にもかかわらず、勉強が進んでいなくていらいらし、また先日、僕が受験することにようやく気付いた妻が文句を言い始めたところだった。そこには新型インフルエンザの流行に伴う対応についてあれこれと書かれていて、その中に、感染の不安がある人は次回かその次に振り替えることで対応するとある。正直言って僕は感染の不安など全く感じていない。万が一かかったらかかったで、1週間ほど仕事を休んでゆっくり治せばいい。しかし妻や娘にうつしてはたいへんなことになるかもしれない。特に妊娠している女性は重症になる可能性が指摘されている。これは立派な理由になる。自分の考えていることが卑怯にも思えるが、とにかく、振り替えをお願いすることにした。そう決めると、ここ何週間か感じていた強いプレッシャーから急に開放され、いきなり心穏やかな週末となった。そうとは言え、これまで受験の準備を怠らずに計画的に勉強を進めていたならば、そのまま受けただろうし、夢の英検1級も近々手中にできたかもしれない。今回の件は幸運だったように思われたが、反省すべき点は多い。

子供ができる前までの生活

 久しぶりに研究室で一夜を明かした。自分のスペースはじゅうたんが敷かれていて土足厳禁としているから、机の下に潜り込めば、そのまま眠れる。すきま風が吹き込む山小屋に比べればずっとましで、寝袋や枕などなくても、けっこう快適に眠ることができた。僕がいる部屋は窓がないのだが、午前4時頃になると、隣の部屋に差し込む朝日のためか、だんだんと明るくなってきた。朝方は少しばかり寒くなったが、机の下に置いてあるMacがちょっとした熱を出していのるでヒーター代わりになった。6時前に近くのコンビニへ行き、朝食を買ってくる。そして午後のセミナーの準備。昨夜は準備が間に合わなかったと言って、夕食、入浴後に家を飛び出してきたが、子供がいるとそうめったにこんなこともできない。2人目が生まれたらなおさらのことだろう。子供ができる前までの生活が懐かしく思い出された。

大学院生教育に対する責任

 出張中のボスから、ある一人の大学院生の研究内容に口を出さないようにというメールが届いた。たった一行のメッセージだが、内容は重く深刻である。科学研究を行う研究室でディスカッションをするなという非常事態宣言といえなくもない。ボスが戻ったら真意を問いただすべく、話し合わなければならない。ボスが悪いのか、僕に問題があったのか、その大学院生に原因があるのか。彼女の行く末を心配していろいろとアドバイスをし、彼女のために割いてやった時間も、半端なものではなかったが、この時点においてその全ては無駄に終わったことを感じた。残念だが、研究面に関しては僕からはもう何も手助けできないだろう。留学していた頃の経験からすると、大学院生教育に責任を感じていない指導教官や学位論文の審査委員があちこちで見受けられ、こんな身勝手な状況が続いていいものかと大いに疑問を感じる。しかし彼女に学位を出すのは僕ではない。そして、そうとは言え、大学院生たちを別にすれば、僕自身にとっては恵まれた研究環境が与えられているこの研究室で、自分の主張を声を大きくして騒ぎたくもない。恐らく彼女はこの研究室で博士論文をまとめあげることは無理だろう。先輩としてではなく、友人として遠くから見守ってやるしかない。

逆子と運動神経

 そろそろ妻の妊娠も8ヶ月目に突入する。一昨日の健康診断で、おかしかった胎位が正常な頭位に直ったと言われたとのこと。今回も帝王切開することが決まっているので、あまり重要なことではないのだが、考えてみれば嬉しいことではある。娘の時は骨盤位、つまり逆子の状態が最後まで直らず帝王切開となった。この事態を僕自身は、娘の運動神経のなさに依るものであると勝手に思い込み、子供の頃はスポーツ全般に渡って面倒を見てやらなければならないと心に誓った。機会があれば2人でプールに行くのもそのことがあるからである。人並み以上の努力をさせてやらないと、人並みになれないかもしれないと。そうでなければ、スポーツの楽しみを知る機会も逸してしまうかもしれない。しかし、どうやら、息子の方は多少はましなようである。

東京の街並をサイクリング

 夕方、久々に友人に会うことになったが待ち合わせ場所は三軒茶屋。ひょっとしたら行くのは初めてかもしれず、どうやって行ったらいいのかと地図を眺めてみた。そして頑張れば自転車で行けそうなことを悟った。どこかの駅前に自転車を放置し、いくつかの電車を乗り継ぐよりも、自転車で直接行った方が早いかもしれない。GPSが付いていてGoogle MapsにアクセスできるiPhoneがあれば何とかなるはずである。もっと長くかかったような気がしたが、研究所からは40分、家に直接帰った時も40分ぐらいだったろう。とにかく、自分の足で漕いで動き回ったことにより、東京の住宅地は細い道がくねくねと東西南北を無視して縦横無尽に走っていることを改めて実感させられた。江戸の街からの名残なのだろうか。Google Mapsのおかげでそんな情報が手の中に収まっている。碁盤の目のように敷かれた全ての道に名前が付けられ、全ての住所が道の名前で表現されている北米に住んでいる人が見たらどう思うのか。

身軽なアマガエル

 夕方、アサガオを植えてあるプランターを覗き込んだらアマガエルが驚いて飛び出した。こっちにも小バエが多いし、アブラムシも湧いているので、先日、連れて来たのだが、住み着いてくれていたようだった。しかし、またしても高層階からジャンプさせてしまった。びっくりさせてしまったことを悔いて、ベランダから下を覗き込んで、今度はこっちが驚かされた。カエルは跳んで逃げたものの、落ちてはいなかった。片足はちゃんと残していて、垂直な壁にへばりついていた。こいつ、落ちたらどんなことになるのか知っているのか。餌が多い我がベランダに未練があったのか。僕に見つかるのを恐れているのか、しばらくの間、その苦しそうな姿勢を崩さずにじっとしていた。アマガエルは英語で"tree frog"と呼ばれるだけあって身軽である。この手のことは何でもないのかもしれない。未だに3匹、我が家に住み着いてくれている。


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Author:Glires
生物学者の端くれ

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