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飛び級

 この夏は梅雨明け後もしばしば雨降りで、娘の学校の水泳指導は一学期中に3回、夏休みに5回行われただけである。検定も2回つぶれ、今日が初の検定となるにもかかわらず、また雨の予報。何とか持ちこたえてくれと思いながら仕事をしていた。楽しみに帰宅すると、飛び級して7級になったとのこと。もっと上の級を目指していたのだが、まあいいとしよう。これから一つずつでも上がっていけばいい。7級は自由泳ぎで25mで、6級はクロールまたは平泳ぎで25m、そして5級は両方とも25mとなっている。平泳ぎで挑戦したいと言っていた娘を説得してクロールを泳ぐようにさせたのだが、その泳ぎはクロールではないと判定されたことになる。聞けば低学年が7級以上に上がるのはそうとう大変で、合格者は数人しかいないようだ。基準がかなり厳しいように思われる。僕が6年生の頃に泳いでいたクロールよりも、今の娘のクロールの方が上手だというのに。年内の進級チャンスはあと3回。そのうちのいくつかはまた中止になるかもしれないが。どちらかが正しく50m泳げれば4級になり、帽子の色が変わる。確かに今のクロールから改善すべき点はいくつもある。今度の週末も親子で特訓だ。
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羽化したばかりの蝉

 夏休みが始まって、娘は毎朝、早く起きてラジオ体操に通っている。今年は一度だけ一緒に行ってみたが、友達の多くが参加しているわけでもない。7月いっぱいで終わりになるので、あとは明日が最後である。その頑張っている姿をせめて写真一枚にでも残しておかねばと、今朝は一緒に行くことにした。そしてその帰り道、人だかりができているから何かと思ったら、羽化したばかりの蝉だった。羽の外側が緑色なのでアブラゼミと思われるが、ごく普通に見られる成体とは全く違う色だ。これから何時間かけて飛べる状態になるのだろう。もう6時40分である。こんなにのんびりしていると鳥に食われてしまうぞ。すぐ近くにはもう一匹、すでにいい色に変わったアブラゼミがじっとしていた。
Jul30_2009

景気変動のチェック

 iPhoneにあらかじめインストールされていて、削除できない株価というアプリケーションがある。役に立たない余計な物だと思っていたが、最近、エレベータのちょっとした待ち時間に覗いたりしていて、実はけっこう使えることが分かって来た。Apple、Google、Yahoo!の株価はどうでもいいとして、そのままの状態でも^N225、つまり日経平均株価が一番上に表示される。しかも20分遅れというほぼリアルタイム。それからダウ平均株価、FTSE 100と呼ばれるロンドン証券取引所における株価指数などなど。もちろん、自分で追加できるのだろうが、とりあえず興味があるのは^N225である。1ヶ月ほど前にようやく1万円を超えたと新聞一面に記事が出ていたような気がするが、2週間ほど前には下がって、また再び上がっている。現在、10,113円ほどで、グラフからはここ9ヶ月での最高値を示しているように見える。10年近く前に購入した投資信託があるのだが、かなり損をして放置状態である。その投資信託は^N225と密に連動するタイプなので、最近は確かに評価額がぐんぐんと上がっている。今こそ、買い足すべきか。いやいや、しばらくiPhoneで様子を見ることにしよう。
Jul29_2009

小さなアクアリウム

 職場に100円で買った小さな水槽を持ち込み、こっそりミナミヌマエビの稚エビを飼っている。実は、最初に飼い始めた4匹は、ハマグリの食べかすを餌に与えた翌日に死んでしまった。水の汚れが原因と思われる。自宅の大きい水槽ではいい餌になったのだが。その4匹はポトスの鉢に埋葬してやった。次の6匹は連れ込んでから2週間以上になるが、きわめて元気である。前回の経験もあり、多少、慎重に育てている。今や僕だけでなく、周りの数人の仕事の疲れを癒してくれている。
Jul28_2009

なけなしの利息

 1年前に預けた定期預金が満期になったので、職場を抜け出し銀行に下ろしに行った。もともと年利は0.35%だったが、何らかの特典を利用して0.45%。100万円預けて4,500円の利息になるが、20%は税金として引かれ、たったの3,600円である。1回の飲み会代にもならない。これからまた継続するとなると年利はたったの0.15%。面白くないので当然解約した。3%以上の利息がついたカナダの銀行が懐かしい。この100万円はいずれインターネットを利用して外貨かなにかで運用したいと思っている。微々たる利息のためにわざわざ銀行の窓口に行かなければならないというのも煩わしい。そう思っていたが、今日の担当者は何度か自宅に留守電を入れてくれていた人で、頻繁にインターネットで取引している僕の口座が目について名前を覚えていたとのこと。僕みたいなたいした残高ない一般人の名前など覚えるかと怪しく思われたが、外貨預金や投資信託のことなどいろいろと話を聞いて、多少はためになった。

日本のリーダーの条件

 一週間ほど前に義父から司馬遼太郎の本が段ボール箱に詰められて送られて来た。手紙も添えられていて、『坂の上の雲』と『義経』から何を学んだかが書かれている。もう2年近く前になるが『坂の上の雲』文庫本8冊が何の前触れもなく送られて来た時にはびっくりした。とても読む時間などないと迷惑にも思っていたが、第一巻をぱらぱらと読み始めると意外と興味深いことが書かれており、寝る前に少しずつ読み進め、何ヶ月も何ヶ月もかけてようやく読み終えた。今の日本の礎がいかに築かれたかの一端を知ることができ、幕末に対して関心を持ち始める重要な契機となった。学校の歴史教育からは決して得られないいろいろなことが書き連ねられている。その次がさらに歴史を遡って『義経』で、そして今回に至るわけだ。まだまだ元気とはいえ、歳を重ね、今まで読み溜めてきた本の整理をしていると言うが、自分の好きな本を子や弟子にあげるのは、多くを語らずして、多くの遺言を残せる一つの確かな手段ではある。この一週間は手始めに、司馬遼太郎自身の作品ではなく、文藝春秋第86巻第8号に掲載されている『司馬遼太郎 日本のリーダーの条件』という5人の対談を読んだ。正直言って感銘を受けるようなことは何も書かれていなかったが、江戸時代の三百諸藩、そして身分制が多様な人材を輩出して来たという主張は印象的だった。それはともかく、これからゆっくりと司馬作品を読み進めて行こうと思う。

蝉の幼虫

 家族で区民まつりの花火を見に行った。1週間前、僕らがPTAの夏まつりで花火を上げたところと全く同じ場所で、ちょっとばかり気になっていたのだが、案の定、偵察に来ていた夏まつりの花火係リーダーから声をかけられてびっくりした。僕らの方が良かったような印象を持ち、ほっとして帰宅の途についた。すでに暗い公園の道を歩いていると、何かがのそのそと動いている。蝉の幼虫ではないか。早く木を見つけて登ればいいのに、観察する僕に動揺してか、左に行ったり右に行ったり、無駄なエネルギーを使っている。まだ小学校低学年だった頃、やはり蝉の幼虫を見つけ、その時は家に持ち帰った。かわいそうなことに、理由はよく分からないが、そいつは羽化せずに死んでしまった。今から30年前、そんな経験があったので、木に登らせてやろうかとも思ったが、触ることは控えた。両側が緑色だったので、アブラゼミの幼虫と思われる。何年もの地中での生活を経て、今、再び地上に戻って来た。思う存分、東京の空を飛び回ってもらいたい。
Jul25_2009

まずいバタフライ

 梅雨が明けたというのに、雨の多い天気が続いている。娘の夏休みのプールはこの1週間で1回しか入れていない。楽しみにしていた泳力検定のある今日も、水着に着替えたものの雨が降り出して中止になったという。去年は25m泳げるにもかかわらず、7m泳げるという9級までしか行かなかったので、今年はその雪辱を晴らしてもらいたいと思っている。蒸し暑い一日で、夕方にもまた雨が降りだした。しかし近くの中学校のプールは開放されており、夜、独りまた泳ぎに出かけた。おとといはクロール50m、個人メドレー100mを2回、クロール50mを休み休み泳いだだけで、今日は500mは泳ごうと気合いを入れて行ったのだが、「前回も遠くから見ていたんだけれども」と指導員のおばさんに声をかけられた。バタフライの頭と手が入水するタイミング、手を入れる時の腕の開き具合、その時の掌の向き、伸び方、手のかき方などをあれこれと注意された。これはせっかくのチャンスだと、言われたことを実際に試してみるが、もはや疲れていて腕が回らない。バタフライで腕を水の上で回せなければ水中で前に持ってこなければならなくなり、さらに辛く、とんでもない状態になる。せっかくのアドバイスを生かせない。それでも見られてまた注意される。こんなに腕が痛くなったのは初めてだ。この秋から娘にバタフライを教えようと思っていたが、まず自分のバタフライを何とかしなければならない。それでも隣で泳いでいたおじさんからは帰り際に「バタフライ上手だね、ずっとやっていたの」と言われた。彼は僕がプールにいる間、一回も休むことなくクロールで泳ぎ続けていたが。

ログインパスワードの照会

 ゆうちょ銀行のインターネットサービスにどうしてもログインできない。今までずっとブラウザにパスワードを記憶させていたのだが、何かの拍子でその情報が利用できなくなったのか。どこにもメモしていなかったので、思い当たるありとあらゆるパスワードを次々と打ちこんでみたが駄目だった。しかたなくログインパスワードの照会なる手続きを踏むことにした。多くのサイトはパスワードを忘れても、オンラインで何とかなるので、それほど問題にならない、むしろ、どこかに書き込むよりも、その都度照会すればいいなどと主張する人もいるくらいだが、銀行となるとそうもいかない。8日後に簡易書留が届いていたが、不在で受け取れなかったため、再び郵便局まで足を運んだ。銀行側としても、パスワードを忘れたような愚かな利用者のために、手数料も取らずにわざわざ簡易書留の郵送料を払うのだからたいしたものだ。ユーザのパスワードは通常、特にUnixでは、cryptやMD5などによって暗号化されるため、管理者でさえ知ることができず、けっきょくは作り直しになるのだが、驚いたことにその通知には僕がずっと使っていたパスワードそのものが書き込まれていた。ログインできなかったのは、全てが大文字であったことによると判明した。今や、100いやそれ以上のサイトに対して、ユーザ名とパスワードの組み合わせを管理しなければならない。妹は「忘れないように毎回手で入力する」と言っていた。それも確かに一つの手だが、やはり数が多くなると、どこかに暗号化するなりして書き込んでおかないと今回のように面倒なことになる。

28年ぶりの日食

 日本の陸地では46年ぶりに皆既日食が見られるという今日は朝から雨が降っていた。東京でも75%近くが欠けるとのことで、楽しみにしていたのだが絶望的である。日食を見た記憶は、小学生の夏休みに遡る。学校の水泳を休むか休まないかで母ともめたことを覚えている。調べてみると1981年7月31日のことだったと考えられ、妹が生まれるちょっと前だったということも分かる。当時は煤を付けたガラス板やネガフィルムの端で太陽を見たものだが、今回は専用の日食グラスを使うよう各方面から強く促されている。商魂逞しい奴らに騙されているだけのような気もするが、その日食グラスを買って準備していたにもかかわらず、役に立ちそうもない。年休を取ろうかとも考えていたが、その必要もなくなった。日食は午前中。雨は上がったものの厚い雲に覆われた曇天は続き、太陽がどこにあるのかも分からない。それでも11時過ぎに職場の屋上に上がってみた。太陽はどこかと空を眺めていると、突然、真上に三日月のような太陽が現れた。見えるではないか。しかも雲のために肉眼で直視できる。それはところどころ薄くなった雲の隙間から見えるだけで、ほとんどの時間は隠れていたが、気合いを入れてずっと眺めていれば見られる。デジタルカメラのISO感度と露出を下げたら、うまく撮影することもできた。自宅にいる妻と娘は諦めてきっと見ていないだろうと携帯電話で「ベランダからではなく、外に出て太陽を探せ」と連絡した。僕が28年前のことを良く覚えていたように、娘の記憶にも焼き付いてくれたことと思う。いずれ皆既日食を見に、仕事を休んで海外へでも出かけてみたい。それだけの価値はありそうだ。
Jul22_2009

夏休みのラジオ体操

 金曜日の17日が終業式で、18日から小学生は夏休みとなるわけだが、土日はPTAの夏祭りがあった。きのうは海の日のため巷では3連休であり、いよいよ今日から本格的な夏休みといった感がある。学校の校庭で6時半から行われる町内会のラジオ体操も今日からだ。去年は僕も毎日ついて行って楽しんだが、今年は独りで行かせようと試みると、娘は素直にそれを了承し、出かけて行った。そして出席カードを首からぶら下げて楽しそうに帰って来た。その出席カードはかんぽ生命が作って無料配布しているものと思われるが、30年前と比べ、郵便局の簡易保険から名前が変わったぐらいでほどんど同じ。子供の頃の思い出の一片である。

安産祈願

 妊娠5ヶ月の最初の戌の日に行う帯祝いという儀式がある。1人目の時は水天宮に行ってきた。今回もそうしたかったのだが、機会を逸してすでに9ヶ月である。今日、行くことにしたが、文字通り身重の妻は「たいへんだから行かない」と言うので、娘と2人で行くことに。ここまで無事に育ったお礼参りもしなければならない。無論、根っから神様など信じているわけではないが、子供が出来てから、そしてまた海外生活を経験して、日本の伝統行事はきちんと子供の世代に伝えていく必要があることを強く感じている。嫌がる娘を強引に連れ出したが、いざ2人で電車に乗ると大人しくなる。半蔵門線の水天宮前で下車して地上に上がればすぐそこである。そして娘が500円硬貨を1枚拾った。さてどうしよう。いきなり困ったことになった。近くに交番があればいいのだが、探すのも面倒なので神社の警備員に渡させると、別な警備員がさい銭箱に入れてしまった。それなら娘に入れさせてやりたかった。お守りを買うので、賽銭まではする気がなかった。お礼参りをさせ、次の出産のために安産祈願のお守りを1,500円で買う。普通は妊婦さん自身が来て買うところだが、父と娘という妙な組み合わせで、「祈祷しますので妊婦さんのお名前を書いてください」と言われた。今度ここに来るのは、息子を連れてのお礼参りだ。そして水天宮前への帰り道、すぐそこに交番があることに親子で気付いた。

学校のプールの無料開放

 午前2時頃からだったろうか、小学校の教室の床にごろんと転がって朝まで眠った。去年は良く眠れたのだが、今年はなぜか熟睡できなかったような気がする。冷房が効いていて寒いくらいだったが、学校の教室に冷房が完備されているなど、僕が小学生だった頃には考えられなかった。早朝から片付けがあり、児童たちは8時半頃、帰って行った。どの子も、そして娘も、みな元気そうだった。僕らはさらに掃除などをして、朝食と反省会で、11時頃解散。家に着くと、昼食後は娘と一緒にぐっすり眠り込んでしまった。今年も区内いくつかの小中学校でプールの無料開放を行っている。温水プールばかりに通っていると、こういった屋外プールの気持ち良さはたまらない。目が覚めると、娘を起こして水泳に出かけることにした。娘の小学校の泳力検定では、クロールと平泳ぎ、両方とも50m泳げるようになると、次は25mクロールを23秒以内という難関が待ち受ける。これまでのベスト記録が35秒だからけっこう大変である。3種目をきれいな形で50m完泳すること、およびこのタイムがこの夏の目標とも言えるわけで、親子で特訓をしていると、昨年同様、指導員の方が堪り兼ねてあれこれと親切にアドバイスしてくれる。娘へのアドバイスは、ありがたいことに僕にも当てはまる。残念ながら小学生には土日祝日しか開放されていないが、大人の僕は毎晩通うことができる。さすがに毎晩は無理にしても、最近、ほとんど運動していないことだし、ここしばらくの間、また水泳に力を入れてみたい。

夏まつりの手伝い

 今年もPTAの夏まつりの準備のため小学校に泊まり込む。昨年は娘を宿泊させるためだったが、今年は娘から頼まれるという形で手伝いに参加することになった。低学年は保護者の宿泊による手伝いがない限り日帰りとなるというなかなか賢いルールがある。とは言え、いったんあの父親運営員会に加わっておきながら「今回はパスする」などと言う勇気を持つのは難しい。時折小雨がぱらつくもののまずまずの天気だった。午前8時半に集合し、2時頃まで児童を受け入れる準備に追われる。そして各班に分かれて飯盒炊爨によるカレー作り。4つの飯盒に入れられた水の量が妙に少なく思われ、「水を足したい」と言ってみたものの大丈夫だという周りの声に押されて、そのまま炊く羽目になる。火加減と炊きあがりの判断は僕に委ねられていたのでプレッシャーは大きかった。何度か持ち場を抜け出して娘を探しに行ったが、子供から大人まで600人近くがいる校庭で見つけ出すのは大変だ。担任の先生と同じ班だったようで、カレーを食べる際には娘の先生と少しばかり話す機会を持つことができた。その後は、レクリエーションがあり、去年僕も担当した火の儀式へと続く。そして今回僕が担当したのは花火の打ち上げである。本番に向けて何度もリハーサルを行ってきたが、打ち上げのスケジュールがあんなにも綿密に計画されていたことを初めて悟らされた。そして本番はしくじってはならぬという緊張と秒単位の忙しさであるが、実際には、点火が遅れてしまう場面があった。この後、日帰りの児童は学校を去り、宿泊組はきもだめしとなる。その際、花火をキャンプファイアで焼却処分しようとし、不発弾が児童の方に飛んでいくというハプニングが発生。なんとか無事に11時頃から打ち上げのような食事が始まり、酔っ払っていると、隣のクラスの先生が娘のピアノのことで話しかけてきた。いかに僕自身が苦労して教えたかを語った。もはや僕よりもずっと上手になってしまったが。11時40分から体育館の見回り。普段は9時半に寝る娘は眠そうな顔をしてまだ起きていた。班に低学年がおらず、ちょっと苦労しているようだったが、0時過ぎにはぐっすりと眠っていた。
Jul18_2009

オタマジャクシからカエルへ

 アザミウマのおかげでベランダの西洋芝は壊滅状態にある。もはや農薬を使わなければ維持できないような状況に追い込まれたが、そこを棲みかとしているアマガエルがいるためにためらわれてきた。そしていよいよ枯れた西洋芝を片づけなければならない状態にまでなっているのだが、今や、少なくとも成体が1匹、今月、オタマジャクシからカエルになったばかりの小さいのが3匹、元気に生きており、片づけようにも、彼らの棲みかを奪ってしまいそうで名案が浮かばない。ちゃんと育ってくれるか、かなり心配だった。実際、2匹は落下してしまったと思われるが、それ以外は半坪ほどの狭い場所で逃げ出さずに暮らしている。よほどうちのベランダが居心地がいいのだろう。小さい虫さえいれば、オタマジャクシをカエルにするのは思ったほど難しいことでもないようだ。アザミウマも食べ尽くして芝を救ってもらいたいところだが、奴らにとってもアザミウマは小さ過ぎるだろうか。
Jul17_2009

マススペクトル

 研究所で、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一の講演があったので聴きに行った。以前、どこかの学会でも講演を聴いたことがあり、その時は「独創性なんて誰にでもある」というようなことを語っていたが、今回は最先端の質量分析で何ができるかという話題。僕が完全に理解できたかどうかは別として、とても分かりやすく、話の進め方、そして質疑に対する回答の仕方は魅力的であり、研究者として見習うべき点が多かった。帰属のつけられたマススペクトルがいくつも出てきて、化学科の学生だった頃が懐かしく思い出された。あの頃はタンパクのような高分子化合物の質量分析など学部学生の僕には想像もできなかったが、今やMSのn乗測定により、いろいろなことができるようになっている。それにしても、実験結果に対する解釈がとても慎重であることに驚かされた。鈴木英次の著作に、mayやmightは生物学のジャーナルではよく使われ、逆にmust, should, wouldは化学のジャーナルでよく使われる傾向があり、生物学の方が不確定要素の多い研究分野だなどと書かれていたことが思い出される。すでに他界されてしまったが、僕の卒業研究の指導教官は「生物の研究成果なんて、後で否定されることが多く、でたらめで信用できない」というようなことをよく言っていた。ちなみに田中耕一は僕と同じ大学の工学部電気工学科を卒業しているが、とにかく、時には生物学者以外の話にも耳を傾けてみる必要がありそうだ。

星の一間受け定石

 2回目の今回も結城聡九段の著書に書かれていた定石をまとめておく。星の一間受け定石。実戦で白1のように打たれることが良くあるので、覚えておくと便利である。黒2と一間受け、白3で入って来たら黒は三々を守る。白5と第3線の二間ビラキを打って、黒6のヒラキまで。特に置き碁の場合、すでに黒は勝っている状態だから、盤上にお互い石を置いて行ってそのままの状態を保てばいいので、こういった定石は有効であると同僚の五段は言っていた。逆に白としては、定石など打たず、エントロピーを増大させるように、黒が有利な状況を攪乱して勝ちに行かないといけないと。
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関東甲信の梅雨明け

 関東甲信地方は梅雨明けしたらしい。本州でも、真ん中付近の関東、甲州、信州だけというのが不思議だが。梅雨明け後の一週間は天気が安定し、登山にうってつけのシーズンと言われているが、そう簡単に出かけられるわけではない。それにしても梅雨入り前から雨の日が多い今年の梅雨だった。自転車通勤の僕にはそんなことがよく分かる。去年は小学校の夏まつり当日に梅雨明けで、今年はその4日前ということになる。いよいよ夏だ。

東京のミンミンゼミ

 今朝はミンミンゼミの鳴き声で目が覚めた。蝉の鳴き声を聞くのは今年初めてだろうか、ところでミンミンゼミとはどんな蝉だったかなどと考えてWebでいろいろ調べてみると、興味深いことが分かってきた。もともとミンミンゼミは森林性で、都会にはいなかったらしい。確かにそんな気がする。僕は6歳から東京で暮らしているが、子供の頃に耳にした蝉の鳴き声と言えばあのうるさいアブラゼミである。公園や街路樹の植樹の際に幼虫がまぎれて移動して来た可能性があると。東京はサクラやケヤキが多く、ミンミンゼミにとって棲みやすいのだろう。梅雨明けももうそろそろか。

星の三々打ち込み定石

 最近は運良く2連勝し、KGSで15級になった。ようやく1桁級が見えてきたという感じか。頑張って今年中には9級まで上がりたい。さて、囲碁の勉強をする上で、定石を覚える必要があるだのないだのいろいろな話がある。そんな論争はともかく、そろそろ、1つや2つは覚えておいた方がいいかもしれない。あまりよく分かっていないのに、いろいろな定石の説明を読んでみてもちんぷんかんぷんなので、自分が理解できる定石から少しずつ、自分自身のためにここにまとめていこうと思う。まず最初は、すでに書き留める必要もないかもしれないが、星の三々打ち込み定石。結城聡九段の著書を参考に図を作ったが、実はけっこう前から知っていた。19路盤を使うようになった頃、コンピュータと対局するといつも三々に入られて困っていたのだが、これはしかたのないこと。この定石を使ってうまく対処しないといけない。特に最後のカケツギが重要。石倉昇九段の著書には「地にしたい方からオサエよ、どちらも地にしたければ広い方からオサエよ。」とある。
Jul12_2009

点の記

 沖縄の酒の席で、甲南大の先生から「『剱岳 点の記』を見に行った」と聞いた。学会で那覇に来て、中休みで僕らが海で泳いでいる頃、独りで映画館に足を運んだとのこと。普段は3人のお子さんの世話で忙しく、こんな機会も出張の時しか得られないなどと言っていた。お父さんともども山好きで、家には新田次郎の本がたくさんあり、その原作も読んでいたという。「ぜひ見に行くといい」と言われ、また「家族でも楽しめる」とのことだったので、それ以来、機会を探していたが、けっきょくは今日、独りで行くことにした。映画館に入るのは久しぶりである。しばらく泊りがけで山に登っていないので、久々に心が掻き立てられた。山に行かねば。娘もあちこちに連れまわせる年頃になってきた。いずれはこの剱岳にも登らねばならない。命がけで天職を全うする姿が実に素晴らしかった。そして山案内人の宇治長次郎が息子を殴る場面が特に印象的だった。息子は父親の背中を見て育つ。ああだこうだ言う必要はない。文句を言って食いかかってきたらぶん殴ってやればいい。
Jul11_2009

皇后としゃべった友人

 現在、天皇および皇后がカナダを公式訪問中である。新聞で総督夫妻と映っている写真を見たりしてそんなことは知っていたのだが、きのう、友人からメールが届いた。なんと、僕が働いていた病院を現地時間の9日に訪問するらしい。詳細は分からないが、一目でも見てみたいと書かれていたので、どんな感じだったかまた連絡をくれるよう返信しておいた。そして今日、びっくりするようなメールが届いた。"YOU ARE NOT GOING TO BELIEVE IT."で始まる。病院の西側の入り口の方に行って10分ほど待っていると、2人が到着し、彼女たちのいる方へやって来た。日本人の作法を多少は知っている彼女が会釈をすると、天皇はにっこりしてそのまま歩いて行った。すると皇后が話しかけてきた。理解できなかったのできょとんとしていると、上手な英語をしゃべったという。"She is beautiful, gracious and spoke excellent English." ここまでの話もすごいが、そのメールの文面から窺われる彼女の興奮ぶりがすごい。"I am still in cloud 9 and won't get much done today." このcloud 9とはどういう意味か。"Just imagine, she represents 2,600 years of history." 2600年。確か神武天皇は紀元前660年に即位したから、このことを言っているのだろう。representという単語は訳しにくい。"OK, admit it, you're jealous right!" 確かに、皇后と英語で話してみたい。"Talk to you another time when I am "normal" again." 続報が楽しみだ。

血液型と性格

 きのうの星座に続き、なぜか今日は研究室内で血液型の話題が出た。来日して血液型と性格の関連性に感化された中国人留学生が、当然と言うべきか女性であるが、その重要性をみんなに説く。しかしここは科学に携わる理系の研究室である。誰もが彼女を馬鹿にする。僕も「理系の大学院生として恥ずかしい発言だ」とからかってやった。確かに、赤血球の糖鎖の違いが、あらゆる分子機構の積み重ねを経て、特定の性格を作り出している可能性が否定できないわけではないが、現在の知識では説得力を持った説明を組み立てることはできない。しかし、乙女座の男について考えたことを血液型に当てはめてみると、思い当たる節がないわけではない。僕はAB型である。AB型は神経質で、変な奴が多いと言われていると、事実かどうかは別として僕はずっと信じてきた。今ではありえないだろうが、僕が小学生の頃、血液型を調べた結果を担任の先生がみんなの前で発表するということがあった。いじめられがちなか弱い女の子がAB型だと言われて、みんなが騒ぎ始めたのをよく覚えている。AB型は日本人の中ではマイノリティーであり、今でこそ誇りに思っているが、子供の頃はどちらかと言えば隠したい事実だった。そんなことが僕を含めた多くのAB型日本人の人格形成に10年以上に及ぶ影響を与えているわけだ。うちの娘と、今度生まれてくるであろう息子は、AB型の可能性があるが、実際どうなのか。最近では調べる意味があまりないので調べてもらえない。ちなみにその中国人留学生もAB型である。

乙女座の男

 早大から外研でうちの研究室に来ている大学院生はなかなかユニークな性格の持ち主だ。なにかと周りをイライラさせるのだが、始終笑っていることもあり、とりあえずみんなから好かれてはいる。僕は僕で彼のことを高く評価しているが、笑ってごまかすことが多いので、それはなんとかしてもらいたい。さて、今日、彼は「予定日よりもずっと遅れて8月の終わりの方になってしまい、ちょうど乙女座になってしまった」というようなことを言っていた。男にして乙女座なんて子供の頃はそうとう嫌だったことだろう。彼はそれを絶え抜いて今に至る。星座占いなど、僕は全く興味がないが、乙女座の男には共通した何かがあるのかもしれない。彼のあの性格は乙女座であったゆえなのだろう。来月生まれるであろううちの息子は、予定日が22日で、ひょっとしたら乙女座になるところだったが、帝王切開になるため、既に誕生日は決定している。早大大学院生には申し訳ないが、胸を撫で下ろしてしまった。とは言え、彼はもういい年の大人である。むしろ乙女座であることを誇りに生きて行って欲しい。

キャッチボールの話

 今日は娘がクラスのみんなの前で、何かを話さなければならない。おととい、レインボーブリッジを渡って10kmも歩くというめったにできない経験をしたのだから、そのことを話せばいいと思ったが、クラスにもう一人参加した子がいるので、別の話題にしたいと言う。けっきょく、その日の夕方にやったキャッチボールのことを話したらしい。びっくりするほどたくさんの質問をされたという。どんなボールか、グローブの色はなどなど。女の子が父親とキャッチボールということで、小学生の男の子たちには多少奇異に感じられたのだろう。キャッチボールの話をしたいと思った娘も我が子ながらなかなかのものだ。いずれ奴らに一泡吹かせるべく、父と娘の特訓は続く。

留学生の博士論文審査会

 ベルギー人留学生は日本でも最近はよくある10月入学なので、そろそろ博士課程在学3年となる。そして今日、無事に博士論文審査会を迎えた。本人はあれこれと心配して緊張しているようだったが、何報も学術論文が出版されており、ボスを含め、だれも心配はしていない。プレゼンテーションと質疑応答が終わると、部屋から追い出され、主査、副査、その他の審査委員からなる密室での話し合いが持たれて合否が決められる。廊下で待つ彼を見つけ、みんなでからかった。どうせ研究者仲間が集まっての世間話をしているだけだろうと思っていたが、確かに後で確認してみると、審査とは全く関係ない話をしていたようで、彼はその間、結果報告を聞くまでずっと待たされていたという状況だった。僕が博士課程を過ごした研究科は、指導教官が審査委員会のメンバーにならないというルールであったが、おおよその流れは同じで、懐かしい光景を見させられた。そして夜は彼がお気に入りの海産物を出す飲み屋に繰り出した。居酒屋とはちょっと違い、開放感のあるなかなかいい店だった。魚介類などほとんど口にしなかった彼だが、日本の大学院在学中にずいぶんと成長したものだ。
Jul06_2009

チャレンジウォーク

 娘とりんかい線に乗り、お台場の東京テレポート駅へ。梅雨の真っ只中で天気が心配だったが、曇りで今日一日は持ちこたえそうである。青空の下を歩けないのは残念だが、過度に日焼けしたり、あまりに汗をかくのもたいへんなのでちょうどいいかもしれない。これから約100人の中学生に交じって、レインボーブリッジを渡り、10kmちょっとの距離を家の近くの中学校まで歩く。先生やPTAのボランティアも多く、それに近隣小学校から親子で参加するのが10組程度だっただろうか。9時に出発して12時到着を目指すから、10kmを3時間で歩く計算になる。そんなにたいへんではないだろうと思っていたが、実は出発は9時半だった。僕ら親子は、GPSをセットし、やや遅れ気味に出発した。小学校の校長と副校長も参加していたので、ちょっと話しかけてみたが、元気な娘が先へ先へと進むので、調子がいいうちは前へ出ることにした。このチャレンジウォークでは走ることは禁止されており、先導の役員より前に出てはいけないので、程なく先頭集団が見えてきた。そして第1チェックポイントであるレインボー公園で休憩となってしまった。レインボーブリッジを徒歩で渡るのは2度目になるだろうか。品川台場と呼ばれた黒船来航に備えて幕末に造られた砲台の跡が良く見える。カメラを構えている間に娘はどんどんと先に行ってしまう。エレベータで地上まで降り、第2チェックポイントを過ぎると、首都高速羽田線の下を通って天王洲アイルを目指す。娘はいつの間にやら足首を痛めたようで、だんだんとペースが落ちてくる。天王洲アイルの第3チェックポイントを過ぎるとコンビニに入ってアイスクリームとお菓子を買った。山手通りを進み、いよいよお気に入りの旧東海道に入る。そして、仲良く歩いていた校長と副校長に追いつかれる。ここで校長といろいろな会話を楽しめたのは良かったが、名所旧跡の写真を撮る機会を逸した。一方で娘は、2人のペースにもはやついて行くことができなかった。「やめようか」と声をかけると「やめる」と応えるのだが、せっかくここまで来たのだからゴールさせてやりたい。最後のチェックポイントを過ぎ、旧仙台坂を上る。駅前に大きな人だかりがあったので何かと思ったら、民主党の党首が演説をしているようだったが、この時には親子ともども元気なく、ただゆっくりゆっくりと前へ進むだけになっていた。ゴール直前には、発信していたGPSの情報を見てか妻が応援に駆けつけてくれた。目標の2時間半を21分オーバーしてしまったが、娘は78位、僕は79位での到着。けっきょく小学生も大人も含めて落伍者は1人も出なかったとのことで、途中でやめさせていたらたいへんなことになっていたと思い知る。それはともかく、なかなかいい企画だった。毎年違うコースを取るらしい。来年は娘から進んで参加の意思を表明してくれることと思う。
Jul05_2009

夏まつり運営委員会

 娘が今年も泊りがけでPTAの夏まつりに参加したいということで、昨年同様、父親たちによる運営委員会に加わり、手伝いをさせていただくことになっている。これまで2回の会合があったが、実家に帰省したことと沖縄への出張があり、今回が初めての参加となった。それ以外にも、5月末から毎週日曜日に何人かが集まって、準備を進めている。こちらの方は都合をつければ参加できないこともなかったのだが、まだ会合に出ていなかったこともあり、なかなか行く気にもなれず、特に気に留めることもなく不参加を通してきた。その間、着々と準備は進んでいたようで、僕の係までしっかり決まっていた。嬉しいことではあるが、後ろめたさを感じずにはいられない。明日の作業も、娘と一緒に近隣中学のPTA行事に参加するために出られない。残る集まりは、1週間後の1回のみである。今までサボってきた分、その日と当日の2日間は頑張らなければならない。

オタマジャクシの上陸

 最近は毎朝、鮮やかな青いアサガオがベランダに咲く。今朝も手入れをしていると、何か動いている物を見つけた。小さなカエルだ。しかも2匹。いつの間にかオタマジャクシがカエルになって飛び出していたのだ。そのうちの1匹はまだ尾が付いたままである。オタマジャクシの方を見ると数が合わないので、すでに何匹か飛び出してどこかに行ってしまったものと思われる。そしてもう1匹が這い出そうとしているところでもあった。アマガエルは黒い色で陸に上がり、草むらに住むようになって緑になるのかと思っていたが、両脚が出ているオタマジャクシはすでに緑色になりつつある。丸々と太ってから、後肢が出て、痩せてきだして前肢が出、尾が短くなり、緑色になって上陸というような順序だろうか。鳴いて交尾ができるまでにはあと何ヶ月かかるのだろう。まだ尾が付いている1匹を、写真を撮ろうとアサガオの葉の上に乗せたら、ベランダの縁まで行ってしまった。このままでは落ちる。もう1匹は自分で勝手にベランダの縁まで上がり、そのまましばらくじっとしていた。しかしその後、これら2匹を見ることはなかった。21匹いたオタマジャクシのうち、何匹がうちのベランダに住み着いてくれることか。
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脊索動物の発生

 隣の研究室に仲のいい韓国人がいる。日本語がそんなに得意ではないようで、会話はいつも自然と英語になる。沖縄で開かれた被嚢類の国際学会に参加したことを話すと、なぜそんな生物を研究する必要があるのかという当然の質問が出る。被嚢類をも扱う研究者として、これは説得力を持った説明をしなければならない。僕自身の研究テーマはともかく、被嚢類の進化的な位置付けと、発生学における研究材料としての重要性を話したかった。進化的なことはいいとして、なぜ、植物のように固着性で、ふにゃふにゃしたあんな生物の発生が、ヒトなどの哺乳類の発生を理解する上で重要なのかというのが次の問いで、僕としては、脊索動物としての被嚢類の発生が、いかに他の脊索動物と良く似ており、脊椎動物の発生の単純なモデルになりうるということを説明したかった。割球、胞胚、原口、胚葉などなど、発生学の専門用語を使ってあれこれと話したいのだが、こういった自分の専門外になると、なかなか英語が口から出てこないし、うまく説明できない。逆にうまく説明できるほどであれば、沖縄での学会もより楽しめたことであろう。一生物学者として、反省を強いられた。
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