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手作り望遠鏡

 あっという間に夏休み最後の日が来た。 夏休みと言っても僕の夏休みではなく、小学生である娘の夏休みである。8月は息子が生まれ、あれこれとあり、あっという間とは言っても、長かったような気もする。去年は娘に、雑草を集めて整理する自由研究を提案したが、今年はどこでそそのかされたのか、望遠鏡を作ると娘の方から言い出した。工作好きとは言え小学低学年がやるにはけっこうたいへんな作業で、僕が手伝った部分は少なくない。できるだけ彼女にやらせるようにはしたが、重要で難しいところは僕がしっかりやっておかないと物にならない。親子で多少の工夫も加え、ついに完成した。性能のいい望遠鏡にするには、レンズ選びをもっと慎重にやる必要があったようだが、とにかくいい経験になったことだろう。
Aug31_2009
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政権交代

 衆議院議院総選挙の投票日。ここ10年間ほど、区議会銀選挙なども含めあらゆる選挙に足を運んでいない。今回ほどどんな結果になるのか関心が高い選挙はなかったが、もちろん今回も投票所には行かなかった。麻生首相に頑張って続投してもらいたい気持ちもあり、政権交代が起こってもらいたい気持ちもある。毎日、新聞を眺めていれば、政治の上っ面ぐらい理解することは容易である。しかしそれなりの根拠を持ってそのどちらかを選ぶには、調べなければならないことが多過ぎる。結局、予想以上の民主党の大勝利であった。これからしばらくの間、新聞を眺める時間が増えるかもしれない。

色違いの帽子

 月曜日、カナダにいる友人からFedExの箱が届いてびっくりした。友人とは言っても年配の女性である。中身は書類およびCDと書かれていたが、息子の誕生祝いの服などが入っており、それに加え、娘宛て、妻宛て、僕宛のギフトも入っていた。僕へはToronto Maple Leafsの帽子である。実はカナダを去る時、彼女から白いMaple Leafsの帽子をもらい、気に入って帰国後はちょくちょく被っていた。Maple LeafsとはNHL、ナショナル・ホッケー・リーグの一名門チームであり、僕の帽子を見た米国人から話しかけられたこともある。そうでなくても米国人、あるいはカナダ人であろう人たちにじろじろと見られたりする。そんな愛用の帽子を、那覇に旅行した際になくしてしまった。どこに置き忘れたのか、よく分からないのだが、食事をした際に泡盛で酔っ払ってレストランに置いてきてしまったのか。あまりに悲しくて、しかしこれまでの感謝の意味を込めてその友人になくした事実を伝えてあったのだが、この機会を利用して今度は紺色の似たような帽子を送ってきてくれた。催促してしまったようで悪いことをした。帽子は気に入っていても、NHLの結果を確認したりするようなことはなかったのだが、せめて彼女のお気に入りMaple Leafsがどんな戦いぶりを展開しているのか、1ヶ月後からレギュラーシーズンが始まることだし多少は気にかけて応援することにしよう。

夏休み最後の検定

 去年に続き今年も娘は夏休みの水泳指導、皆勤である。そして最終日の今日は検定だった。正しい平泳ぎで25m泳げれば5級になれる。100mでも平気で泳げるのだが、問題は正しいと判定されるか否かである。結果は残念ながら駄目だったようだ。「足の向きが悪い」と言われたそうだが、詳しいことは分からない。今日は3人挑戦して、3人とも不合格。未だ同学年で6級より上に上げてもらった子はいない。2学期が始まって、もう一回ぐらいチャンスはあるだろうか。とにかく良く頑張った。来年に向けて、また月に何度か一緒にプールに通ってまた頑張ろう。

いつの間にか湧いたミズミミズ

 いつだったか、職場の水槽の底にたまった糞を取り除こうと巻き上げていたら、何やら白くて細い糸のような物がたくさん漂っている。こんなほこりがいつの間に水槽に入ったのかと不思議に思い、よくよく眺めてみると、くねくねと動いている。知らないうちにこの気持ち悪い生き物がこの水槽の中で繁殖していたのだ。底に敷いた砂利に隠れて見えなかったらしい。いろいろと調べてみると、ミズミミズという生物で、特に害はないらしい。良く言えば、エビの糞を掃除してくれていたのだ。しかし、とにかく気持ち悪いので、家からメダカを1匹だけ連れて来て食べてもらうことにした。メダカにとってもそのミズミミズはかなり小さいが、食べることは食べる。舞い上がらせなくても、砂利の中に口を突っ込んで食べてくれているのかどうかは分からない。しかし、この水槽の水を顕微鏡で見よう物なら、もっともっと気味の悪い生物が何種類もうようよと漂っているに違いない。そんなことをしたら、今度こそ、水槽に手を突っ込んだりできなくなる。

絶滅した西洋芝

 2年3ヶ月前、たった1株から増やし始めた西洋芝。一時は、ベランダの広い部分を覆うまでに増えたが、ついに絶滅した。病気や虫害に弱いとは聞いていたが、1年目には何ともなかった。冬も青々としており、その葉の柔らかさは格別だ。2年目の梅雨にさび病にやられて激減したが、今年もけっこう増えた。しかしアザミウマの猛威は激しかった。原因が分かるまでにかなりの時間がかかったが、そこからはあっという間である。農薬を使うなり、元気な株を隔離するなり、何らかの対策を取るべきだったが手遅れだった。この芝でベランダを覆ってしまおうという娘との夢はついにかなわなかった。悲しいことではあるが、たかが芝である。しかし、絶滅とはこのようにして起こるのかと目の当たりにさせられた。新型インフルエンザが猛威を振るい始めたが、これから一体どうなるのか。僕一人ではどうしようもできないことだが、目が離せない。
Aug26_2009

アサガオの突然変異

 毎年欠かさずアサガオを育てているのだが、時々奇妙な花を見かけることがある。花の中に花びらが入っているのだ。どこからか飛んできて入り込んだ物ではなく、開花する前からそこにあるようだ。毎年不思議に思い、また気持ち悪くも感じて触ったりして調べてみることもなかった。今年はいつもと違って、去年、娘が学校で栽培していた青いアサガオを育てている。そしてきのう、このアサガオでも例の奇妙な花が咲いた。実は今年、植物に詳しい同僚から花のABCモデルという仮説を教えてもらった。20年ほど前に提唱された花器官形成の単純な分子遺伝学モデルで、より簡単にここで説明すると、Aという因子が働くと萼片に、AとBが働くと花弁に、BとCが働くと雄しべに、Cだけが働くと雌しべができるという話である。その花を摘んで調べてみると、5本ある雄しべのうちの1本が花弁に変形していることが分かった。つまりこの仮説を信じるならば、Cが働くべき所でAが代わりに働いてしまい、こんなおかしな花が咲いたと説明することができる。どこまで信じていいのかは分からないが、長年の疑問の一つがちょっとばかり解決し、いい気分である。
Aug25_2009

母の弁当

 家事および育児の手伝いのために、義母にははるばる山形から今月中に3度も往復してもらっている。もう決して若くはないのだが、それだけの元気があるということはとにかくいいことだ。そして今はうちの母に来てもらっている。一つの重要な仕事は、夏休みでも学校に通う孫、つまり僕の娘の弁当を作ることである。そして今朝は、僕の分も作るというので作ってもらった。思えば中学、高校の6年間は毎朝母に弁当を作ってもらっていた。感謝せねばなるまい。さて、今日の弁当の中身はというと、きのう甥が食べ残したミートソーススパゲティだった。

ミナミヌマエビの分与

 先日帰省した時にミナミヌマエビを8匹ほど持って行った。特にどうしようと決めていたことはなかったのだが、甥が金魚すくいで捕まえた、いや正確にはお情けでもらってきたキンギョが3匹、ちょうどボールの中で泳いでいたので、そこに入れておいた。そうしたら、両妹が欲しいということになり、4匹ずつ分けたらしい。キンギョと一緒に東京に持ち帰った方の4匹は影も形もなくなったというから食われてしまったのか。今日、甥がうちに遊びに来て今度は20匹ほどすくって持ち帰った。明日は、早大の大学院生にも何匹か分けてやることになっている。未だうちの水槽には数え切れないほどのエビがうようよと泳ぎ回っている。

町内会の納涼祭

 夕方に町内会の納涼祭があった。カレーライス、流しそうめん、かき氷などが無料で振舞われる。例が悪いかもしれないが、和歌山毒物カレー事件が発生したあのようなイベントである。今まで参加したことがなかったのだが、カレーでも何でも食べてくれば、手伝いに来ている母や、妻、そして僕自身の家事が多少は軽減されるので、娘には友達と食べてくるように言い、僕は母と、妻の分も含めた食器持参で食べに行くことにした。けっこうな人数が集まって、なかなか楽しそうである。ヨーヨー釣りやスイカ割りなども行われている。知り合いのお父さん、お母さんたちの多くが手伝いをしていた。顔見知りの小学生に「食べていないで手伝ってよ」と言われたが、笑ってごまかす。実は来年、うちに当番が回ってくる。嫌でも手伝わなければならない。自分自身も楽しむには、積極的に取り組む必要があるだろう。そんなことを思いつつ一通り観察し、家に戻ってからカレーライスを食べた。子供を含めた町内会の人たちに出すカレーにしてはちょっと辛いように思われたが、けっこうおいしかった。

正しいクロール

 検定の日である。期待しつつも、あまり期待しないようにして帰宅した。家に着くとそのことは忘れてしまっていたが、娘は何も言ってこない。ふと思い出して「検定、どうだった」と聞くと、なんと合格したという。6級になった。僕は大喜びである。6級は同学年では最も上で、男子も女子も数人しかいないとのこと。たかがクロールを25m泳ぐだけのことなのだが、正しく泳がなければならない。区の水泳連盟の指導員が見てくれており、その基準はけっこう厳しい。水泳に関しては素人の僕がこれまで頑張って教えてきたが、これで合格できるのかという不安は大きかった。夏休みに何度も見てもらって、娘の泳ぎの悪い点を僕自身も把握して、それを直して泳げるよう、何度も練習してきた。それが報われた。次の5級は平泳ぎで25mである。もちろん、正しく泳がなければならない。今年中の進級のチャンスはあと2回だ。

英検の申し込み

 先日、日本英語検定協会から検定料免除証書というのが届いていた。前回の英検受験で、インフルエンザ感染に対する不安を理由に、受験を一回分延ばしてもらえるよう電話でお願いしてあったのだが、ちゃんと手続きがなされていたようである。その間、怠りなく準備をしようと思っていたのだが、ほとんど何もやっていない。もちろん、英文を読んだり、書いたりする機会はたくさんあるが、英検1級の準備という意味での勉強は何もやっていなかった。もう一回、延ばすことも可能なようだが、そうなれば今年中に合格証書を手にすることは不可能となる。一次試験まですでに2ヶ月を切っている。100時間の準備をするには1日1時間では足りない。このままでは合格できない。早いうちに申し込みを済ませ、その気にならなければまた同じことの繰り返しである。

トイレの日本地図

 トイレの壁に日本地図を貼っているが、四隅以外にも2つ、ピンを刺してある。一昨年に娘と母と登った美ヶ原、そして去年に娘と甥と登った筑波山である。そして今年の妙高山、3つ目のピンを娘に刺させた。「来年はどこに行こう」と何気なく話しかけると、3つのピンの周辺を探して、八ヶ岳あたりを指し、「ここにしよう」などと言う。山に登っている最中は「もう行かない」などと言い、また、未だに妙高山に登った際の筋肉痛が取れてもいないのにである。中学生の頃だったか、保健体育の授業で「登山は克服的スポーツである」と習ったことがある。本当にそうなのか、今の僕なりに冷静な判断を下すならば、疑問を投げかけざるを得ないが、確かにそういう側面もある。中三の時に蓼科山と常念岳に登り、高校生になって山岳部に加わって以来、一つの山を登れば、次に行ってみたい山がいくらでも現れる。30代に突入してそう頻繁には山に行かなくなり、こういった気持ちは薄れてきたが、山登りの楽しさを我が子と共有することはこの上ない楽しみである。一年に一度でいいから、また行くことにしよう。来年は日帰りでなく山小屋に泊まってみたい。

娘の夏休み

 朝目覚めると激しい筋肉痛である。脚をあれだけ酷使したのだから無理もない。娘も甥も同様だ。今日は朝早い列車に乗り、娘を連れて東京に戻る。今日の午後から小学校の後期水泳指導が始まり、明日は久々のピアノのレッスンもある。この筋肉痛で水泳とはたいへんだが、頑張ってもらうよりない。金曜日には検定があって、正しいクロールが泳げるか否かが判定される。金曜日までには痛みは取れるだろう。親子で何度もプールに通った成果を発揮すべく頑張って欲しい。親から離れた帰省中は、娘の希望でキャンプに行った。はとこも含めた大伯母家族と一緒に親族合計10人でバンガローに泊まったらしい。アスレチックにバーベキュー。それから前回行き損ねた巨大迷路にも行ったようだ。長かったのか、短かったのか。東京に戻れば、産休中の母親が待っている。そして弟を初めて抱くことになる。

妙高山登山

 午前3時に起きて山登りの準備。娘と甥を寝たまま後部座席に運び込んで、ちょうど4時には車で出発することができた。夏休みを取って実家に来ており、今日一日だけ予定が空いている。そしてここ数日はいい天気が続いていて雨の心配もない。高速道路からすぐにアプローチできる山として妙高山を選び、子供たちの意思は確認していないが、とにかく三人で登ることにした。登山口には6時前に着き、昨夜母に作ってもらった朝食を食べ、温泉街の坂道を登り始める。今回のコースタイムは8時間以上にも及び、小学校低学年の二人を連れて多少の心配もあったが、出だしは快調だった。それなりの暑さが予想されるが、飲み物は1人あたり1リットル。食料はお菓子などを含めればたくさん持って来た。全体を通して困ったのが虫だった。ハチから始まり、アブ、カ、ハエが常につきまという。さらに困ったことに、こういった虫に過剰に反応する甥は、わめいて動き回る。落ちたら間違いなく死ぬような道が続いており、何度叱りつけたことか。娘は意外と平気だったようだが、トカゲや大きなヘビまでもが出た。北地獄谷の南岸を通って燕登山道を上がり、天狗堂に出る。絶えず急な登りが続くが、風穴まで来ると冷気でちょっと一息つくことができる。子供たちはこの風穴という不思議な穴がよほど気に入ったようで、行きも帰りも顔を突っ込んだりして楽しんでいた。さらに登ると鎖場に出る。どんな所かと不安だったが、案の定、甥は怖がって登れない。17階に住んでいる娘は、困ったことに恐怖心がないのか、先にひょいひょいと独りで上まで登ってしまった。僕は甥の下から、時には足を足場に運んでやって、なんとか登らせた。この鎖場に限らず妙高山はあちこちに危険な場所があり「頼むから二人とも落ちないでくれ」と祈るような気持ちにさせられることは一度や二度では済まなかった。そして最後は岩場の急な登りとなる。休憩時間を含めて4時間半で頂上にたどり着いた。そこそこの晴天で、眺めもいい。娘はお腹が痛いと言っていて心配だったが、どうすることもできず、昼食にして気を紛らせる。三角点のあるピークにも足を運び、いよいよ下山である。燕新道を下りる予定だったが、やぶがかなりうるさいという話を聞き、残念ながら登って来た道を下ることにした。あの鎖場は登りよりも下りの方がずっと怖いだろうと思っていたが、特に問題なく通過。面白いことに、子供たちを先頭で歩かせると、ちょくちょく登山道でないところに入り込んでしまう。素人には道が見えないのだ。娘は今度は頭が痛い、そして後にはつま先が痛いと言い出したが、頑張って下ってもらうよりほかない。屁理屈ばかり言う甥の方は、みんなが疲れ切った後半には意外なことに特に不平も言わず歩き続けた。とにかく下りは長い。北地獄谷は今度は北岸のルートを取ったが、こっちは起伏が激しく、また危険な場所も多かった。延々と歩き続け、燕温泉の建物が見えた時は嬉しかった。登りも下りもほとんど同じ道なのに、下りの方が30分も長くかかった。山歩きに慣れていないとどうしてもこうなってしまう。しかし二人とも良く頑張ってくれた。十分な下調べを怠った僕が悪いのだが、こんなにたいへんとは思わなかったし、こんなに二人が強いとも思わなかった。三人でアイスクリームを食べ、燕温泉の足湯に浸かった。帰宅予定時刻を大幅に過ぎ、そうとう心配されたようだったが、夕食時には危険で長い長い道を歩いた自分たちの頑張りを誇らしげに語っていた。「もう二度と山には登らない」などと山中では言っていたが、来年もまた三人でどこかに登ることになるだろう。
Aug17_2009

ケータイ乗車券

 明日と明後日は、夏休みをとった。水泳に行かせるため、火曜日の昼までに、帰省中の娘を東京に連れ戻さなければならない。日曜日の午後には出たいと思っていたのだが、直前になって高速バスの予約を取ったため、夕方になってしまった。いつもクレジットカードを使い、インターネットで予約して、印刷したWEB乗車券という物を持って行っていたが、今回はケータイ乗車券というのを利用してみた。iPhoneは日本の携帯電話の文化からずれているため、なにかと不便なこともあるのだが、問題なく使うことが出来た。要は、携帯電話などを利用して特定のサイトにアクセスし、そのページを乗車の際に見せればいいだけのこと。印刷の手間が省け、紙を用意する必要もないという程度のことだが、思った以上に便利だった。実は僕は、携帯電話を持つことを拒み続け、パケット通信が出来る携帯電話を使うのはiPhoneが初めてであり、使用歴はようやく1年。電池が切れたらどうしよう、何らかの通信トラブルでサイトにアクセスできなかったらどうしよう、突然故障してしまったらどうしようなどという不安もあったが、もちろん杞憂に終わった。

成長速度の多様性

 当初21匹もいたオタマジャクシは2ヶ月半を経て、3分の1の7匹になった。1ヶ月で上陸した奴もいれば、未だに小さいのもいて、成長速度の多様さには驚かされる。危険な上陸を迎えるにあたり、多数の個体間でこのような差を作ることは、アマガエルという種が今日まで生存する上で重要な戦略だったと思われる。最近はいい天気が続いているが、その直射日光の当たるベランダでも7匹はミナミヌマエビと一緒に元気に生きている。主な餌は枯れた西洋芝。それから藻がけっこう繁殖するので、これもいい餌になっているのだろう。上陸直前に緑色になるのは、この藻の色に関係しているのだろうか。現在、うちのベランダに残っているカエルは、ちゃんと確認できているのは残念ながらたったの3匹だけである。他の奴らはどこに行ってしまったか。隣家などに侵入してみんなを驚かせているのかもしれない。
Aug15_2009

灰褐色に変化したアマガエル

 人がヒトの個体識別を行うことは容易だが、他の動物となると困難なことが多い。アマガエルも然りであるが、まれにまだら模様が入っている個体があり、しょっちゅう眺めていると自然と区別がつく。最近、陸に上がったまだらは、最初、緑色かと思っていたが、みるみるうちに色が変わってきた。一緒にいる模様なしも、同じような灰褐色に変わってきた。やはり緑のないところに生きているアマガエルは緑色にはならないようだ。
Aug14_2009

二世の抱卵

 職場に置いている小さな水槽の中で、6匹のミナミヌマエビが生きている。6月の半ば頃に孵化したからそろそろ3ヶ月齢になるが、体長は0.5cmから1.5cmまで多様だ。きのう、いつものように何気なくエビを眺めていたら、なんと1匹が卵を抱きかかえているではないか。3ヶ月も経たずに成体になってしまうとは驚きだ。父親はいったいどいつだ。貝殻の脇の同じ場所からあまり移動せずに、砂利に付いた藻を一生懸命食べ、時々卵に水を送るような動きをする。無事に稚エビが生まれれば三世となるが、まさか職場のアクアリウムでこんなことになるとは。
Aug13_2009

害虫駆除

 変化朝顔Q0956は、徐々に大きくはなっているものの、普通のアサガオと比べるとずいぶんと成長が遅い。変異体だろうし、また、肥料が足りないのかもしれないが、もう一つの深刻な問題は害虫である。現在、うちのベランダにはアブラムシやアザミウマなどがうようよといるのだが、実はこの変化朝顔にはとても小さく真っ赤な虫がたくさんたかっている。去年、ヒマワリにもこいつらがはびこっていて大変だった。この虫のせいで葉も美しくない。どうもダニのように思われ、ハダニの一種かと調べてみると、タカラダニという生物らしいことが分かったが、正確なことは不明だ。気持ち悪いとは思いつつも、ほとんど毎朝、指でつぶしていた。しかし繁殖力が速くてとても追いつかない。ついに農薬を使う決心がついた。10年ほど前に買った既に使用期限の切れている物だが、スプレー缶からシューとこの一週間に2回ほどかけたら、あっという間にいなくなってしまった。恐るべき農薬。アマガエルは寄って来てくれるな。そしてもう使わないから、変化朝顔はぐんぐんと成長してきれいな葉と、そしてきれいな花をつけて欲しい。
Aug12_2009

千年後

 新聞に日本棋院理事長の話が出ていた。興味深いことが書かれている。囲碁というゲームは、なんと4000年も前に中国で確立されたということだが、インドだという説もあるらしい。しかしこの理事長は「どちらでもいいことです」と。確かに。今や国境線がそれなりにはっきりと引かれてはいるが、当時のそれらの国々をそう簡単に中国だのインドだのと言い切るのは難しい。それが日本か中国かならば大問題であるが、日本でないことが明白ならばどうでもいいことだ。「肝心なのはとても長い間、人々をひきつけてやまなかったということ」と。その理事長は「コンピュータゲームが全盛だけれど、1000年後の子どもたちにも支持されているとはとても思えない。しかし、囲碁は変わらず人々に愛されていると信じています。」とも言い切っている。100年後という言葉はしばしば耳にするが、1000年後など考えてみたこともなかった。その発想に驚かされたし、確かに理事長の言う通りかもしれない。競技人口がどれだけかは分からないが、廃れることは決してないだろう。だからこそ僕も囲碁の愛好者となった。未だ1年も経っておらず、初心者の域を抜けていないのだが。それにしても1000年ごとは、いったいどんな世の中なのだろう。

川の字

 昨夜は東日本で大きな地震があり、また台風9号の接近に関わる豪雨で死者も出ているらしい。東京も朝から激しい雨だった。今年育てている変化朝顔が初めて花を咲かせたが、暴風雨のためにどんな花だったのか分からずにしぼんでしまった。今日は仕事を休み、午前中に病院へ。簡易検査で息子の血液型はA型と判定された。僕のAB型とは違うようで、寂しいようなほっとしたような。さて、いよいよ妻と息子が退院である。予定より短い10日間の入院だった。3階のエレベータの前で看護師さんたちに見送られ、入り口近くにあるタクシー乗り場へ。雨は降ったりやんだりで、けっこうおさまってきていた。そしてこれから幼少期を過ごすことになる17階の我が家に到着。良く眠っており、3時間ほどでお腹がすくと泣き出す。泣き出すと言っても、まだまだ新生児だからそんなに大きな声ではない。抱きかかえてやると母乳をくれるのかと思い、口を大きく開けて乳房を探す。久々のおむつ替えで失敗し、小さな足を新生児の柔らかい便で汚してしまった。妻は「1ヶ月間は家事をしない」と言っているので、昼食と夕食は僕が用意した。夜には再び義母が手伝いに来てくれた。ベビーベッドを借りることになっているが、明後日に届く予定である。今日は居間に家族3人、川の字に寝た。寝相の悪い娘がいたら、か弱い息子は押しつぶされかねない。10日前まで胎児だった我が子は、猿と言うよりも、宇宙人のような顔だ。いやいや、多くの人が描く宇宙人が、動物の胎児の顔つきに影響を受けているのだろう。

アマガエルの模様

 日本にはニホンアマガエルに加え、モリアオガエルやシュレーゲルアオガエルといった小型の緑色のカエルがいる。残念ながら僕は、野生ではアマガエルしか見たことがない。ニホンアマガエルには鼻から目そしてその後方にかけて褐色の帯があるので、他のカエルから容易に区別することが出来る。アマガエルは全て緑色かというとそうではない。実は僕自身も違う種なのかと思っていたが、緑色のアマガエルを土の上に置いておくと一晩で黒色になったという経験がある。時々見かける茶色や灰褐色などのカエルも、褐色の帯があればニホンアマガエルである。灰褐色ではまだら模様が出ると言われているが、緑色でもまれにまだら模様を持つ個体がいる。最近上陸して、ベランダでぴょんぴょんと飛び跳ねている奴は、アザミウマの虫害により一片の緑もない枯れた芝の上で生きているが、不思議と体色は緑である。まだまだ小さいのに背中と後ろ足に黒い模様が入っている。食欲旺盛なのか体格もいい。
Aug09_2009

お七夜

 息子は今日で一週齢になる。相変わらず良く眠っている。妻に聞けば時々両目を開けることがあり、その顔は娘にそっくりだと言う。生まれた日にも目を開けたが、僕が見たのはそれっきりである。お七夜ということで、病院の夕食は祝い膳。食べ残しをつまんでちょっとばかりお腹を満たして家に帰った。すでに出生届は出してある。筆を執って命名書でも書くべきなのかもしれなかったが、そのうちに義父がやってくれることだろうと、僕はパソコンを使って表札を書き直すことにした。表札と言ってもアパート住まいではたいそうな物ではなく、戸口と郵便受けの名前プレートである。今回はヒラギノ丸ゴシック体というフォントを使った。いつも調子の悪いプリンタは、今日に限って快調だった。お七夜の一仕事を終え、独り寂しく賞味期限切れの缶ビール一本で息子の誕生を祝い、健やかな成長を願った。

松下村塾

 松下村塾で教鞭を執った吉田松陰は、尊王攘夷を掲げた長州の思想家で、安政の大獄で処刑され若くして命を落とした。それくらいの知識しか持ち合わせておらず、これといって吉田松陰に興味があったわけでもないが、先月末からふと読み始めた『世に棲む日日』の最初に、彼の詳細な生い立ちが書かれている。長州藩士の次男として生まれ、幼くして吉田家の養子、その一年後には養父であった叔父が亡くなり当主となった。そしてもう一人の叔父である玉木文之進が設立した松下村塾で教育を受け、藩の期待を背負って成長して行く。ここに僕が憧れる武家の子弟教育の典型がある。基本的に家督を継ぐことが出来るのは嫡子である長男だけであるから、次男以下は冷飯食いである。養子として家を出なければ活躍の場が得られない。だからこそ彼らは一生懸命勉強した。嫡男が生まれないという不幸は、優秀な養子を迎え入れることでむしろ家の繁栄に役に立っていたのかもしれない。しかし現在の就学年齢にも満たない年で当主となった松陰は、当主としての責任を果たすべく、想像を絶するほどの厳しい指導を受ける。死んでもおかしくないほどに殴られたりもした。幸か不幸か、父親がこんな本を読んで封建時代への憧れを新たにしている時に息子は産声を上げた。列強からの圧力や戦後の貧困などを忘れ、税金の無駄遣いや年金問題なんかで大騒ぎをする安穏とした日本で育っていくのだろうが、武家の子弟教育に倣い、立派な日本男児に仕立て上げねばならない。

娘の帰省

 夏休み中、お盆の前後は娘をうちの田舎に預けて、両親や妹達に面倒を見てもらうつもりだった。弟が生まれた日には日帰りでもいいから東京に連れ戻し、兄弟が出来た、あるいは姉になったという思いを脳裏に焼き付けさせなければならない。そうなると僕が一日で2往復もしなければならなくなるかもしれない。ところが息子は気を利かせてくれたのか、娘の帰省前に子宮から出て来てしまったため、この問題は杞憂に終わった。今日は仕事を抜け出し、4時に帰宅した娘を連れて病院へ。ここで弟、そして母親とはしばらくお別れとなる。妹と甥はわざわざこっちまで出て来て、娘を引き取ってくれることになった。5日前の生まれた日の夜は、豚カツが食べたいと言う娘の希望が叶わず、甥の希望でそば屋に入ったが、今夜は4人で豚カツ屋へ。それなのに娘はカレーを注文した。「家のカレーの方がおいしい」と言っていたが、当然だ。そしていよいよ娘と別れることになる。ここしばらく、娘と二人だけで過ごして来たが、この先、こんなことはそうそうないだろう。彼女が東京に戻った時には家族四人の生活が始まるのだから。母親、父親から10日以上も離れて生活するというのに、元気良く僕に手を振って妹について行った。強い子に育ってくれたものだ。僕はかなり疲れがたまっていたが職場に戻った。

命名

 子供が生まれたら名前を決めて14日以内に出生届を出さねばならない。命名、一人の人が一生、いや死後にも使われ続ける呼び名を決めてやらなければならない。父親の独断で決められるわけでもないところがまたこの作業を困難にする。我が家十代目となる嫡男に最高にいい名前を付けてやろうと思うが、考えていたら切りがないので適当なところで妥協も必要だろう。今回はあらかじめ性別が分かっていたため、じっくりと考える期間があった。前回買った漢和辞典を暇さえあれば眺めて、あれこれと候補を探した。何ヶ月も前に妻から一つの提案があり、自分なりに検討してみた結果、音の響きはそれなりにいいし、最初の字は僕の止め字と同じ意味も持つ。自分と同じ漢字を使うことも考えてみたが、どうせ二代しか続かないならばあまり意味がないし、子孫に使う漢字を強制させるのも良くない。古風な名前を付けたかったが、前々から思っていた漢字2文字で読み方3文字には合致する。ただ、ありきたりな名前のような気もするし、彼女の叔父一家の止め字と同一になるのが気になって、自分なりにあれこれと探してみることにした。姉と共通点を持たせるため木偏を使いたいという主張には僕も同意できるが、これがなかなか難しい。湯桶読みでいいのならば候補はたくさんあるが、やはり重箱読み、湯桶読みは避けたい。ということで前回同様、読み方は妻が決め、漢字は僕が決めるという流れで妥協点に達した。読み方は多少難しいかもしれないが簡単な名前だ。哲学的であり、予期しなかったが生物学的でもある。四代、訓読みが続いて、僕で音読み3文字、子は訓読み3文字。意外にもローマ字で書くと、祖母、僕の母とたったの1文字違いとなる。僕の両親からの異論もなく、出生届を書いて、病院に行った後、娘と一緒に区役所に提出して来た。前回のようにお七夜に提出したかったが、娘は田舎に行ってしまうし、妻はまだ退院できない。早く決めてみんなに報告できた方がいいだろう。欄外に携帯電話の番号を書かされただけで、本日付け、問題なく受理されたが、出生届出済証明の印は開庁時間内でないと受けられないとのこと。また足を運ばなければならない。

凛々しいうちの子

 最近は午前4時頃に起きて、せめて数時間、自分の時間を確保している。相変わらずの蝉時雨である。それから娘と自分の弁当を作って、朝食の用意。娘の夏休み中の登校、課題、水泳指導、ピアノの練習などの準備や世話もしてやらないといけない。早く帰らないといけないから、娘を残して、先に家を出る。9時頃登校する娘を、職場からSkypeで確認。帰宅も確認して、午後5時を過ぎると帰り支度で、6時頃に娘と自転車で病院へ行く。洗濯物を交換しなければならないし、急に入院したのであれこれと家の中で探し物をして向こうに届けなければならない。赤ん坊を見て、妻と少しばかり話す。やらなければならないことがたくさんあるので長居はできない。途中、買い物をして、家に戻ると夕食の準備。テレビを見たがる娘を叱って、勉強やピアノをやらせる。風呂から上がればもう9時過ぎで、娘は寝る準備。僕はビールを飲みながら夕食の片付けと洗濯を頑張って、10時には疲れて果てて床に就く。我が子の顔を見るのは今日で4日目になる。生まれたばかりの顔で、別段かわいいとか思ったことはなく、「よく生まれてきてくれた」と感慨にふける程度である。最初は、他の新生児との区別さえ怪しかったが、さすがに4日も写真やビデオを撮っていると、我が子の顔がよく分かってきて、周りの赤ちゃん達それぞれが違う顔を持っていることも分かってくる。こうなれば自然と我が子が一番かわいく、凛々しくも見えてくる。

四人家族

 妹と甥は1泊して、父は高速バスで蜻蛉返り、そして義母も1泊して今夜の夕食を用意してもらってから新幹線で帰って行った。僕は5時過ぎに仕事を切り上げ帰宅。ピアノのレッスンから帰って来た娘に病院に行こうと声をかけると、日曜日に見逃して録画していたテレビアニメを見たいからとのことで留守番させることにした。カナダでは子供を家に放置するのは違法行為である。確かに、留守中に火事や地震などの災害が起こったらたいへんなことになり、実際、日本ではそのような事故は多い。心配ではあるものの、そういった経験を積ませることの方が重要であると僕は考えている。留守番も慣れで、いくら幼くても何度か経験すれば、問題ないような気もする。息子は今日はすやすやと眠っていた。いつも左側を向いているので、頭や耳が変形してしまわないかとちょっとばかり気になる。妻は起き上がって夕食を食べていた。新生児を迎え入れるための生活用品を買って帰宅。これから3日間だけだが、娘と2人だけの生活となる。朝は自分と娘の分の弁当も作らねばならない。彼女が田舎から帰ってくる頃には家族4人の新しい生活が始まる。名前を決めたら表札を作り直さないといけないと娘から言われた。

十代目

 朝、妹と甥と娘は外に遊びに行った。今日も激しい蝉時雨である。その間に父から電話があり、蜻蛉返りだがこれからこっちに来るとのことで、妹に病院までの案内をさせることにした。午前中は娘と今年最後となる中学校のプール開放へ。ちょっと寒い一日で、水温もやや低い。クロールをきれいに泳いで今度の検定では合格できるよう、徹底的に見てもらった。最後は激しい雨になったが、それでも中止にはならない。来年もまた娘と来ようと思っているが、ピアノに次いでそろそろ泳力も抜かれるだろうか。父は昼を過ぎても現れず、帰ってやはり水泳の特訓をしたいという妹親子を待たせることになる。娘は病院に行くよりも友達と遊ぶことを選び、どこかへ出かけて行った。僕は独りでまた水泳に行こうかと思っていたが、父を待つことにした。ようやく現れたのは3時頃で、駅で待ち合わせ、5人で赤ん坊を見に行った。タイミング良く授乳時間から外れており、待たずに見ることができた。きのうはあれから何人も生まれたようで、新生児の数が急に増えている。我が子はお腹がすいていたのか、周りの静かな赤ちゃん達をよそに泣きわめいていて、厚いガラス板のこっち側まで声が聞こえてくる。曾祖父には弟がいたが養子に出て男子には恵まれず、祖父には姉がいただけ、父は一人っ子、そして僕には妹ニ人と我が家の男系男子は細々と続いてきた。ここで断絶するかと思ったが、8年のブランクを経て一姫二太郎という形で十代目が生まれてきた。僕はそんな思いが強い一方、口には出さないものの父はどう思っているのか。皺くちゃになって泣く孫の顔を見ながら、始終、にこやかではあった。なぜか突然、10日間のラジオ体操が終わった翌土曜日の早朝という時間に生まれ、こうやってみんなが集まってくれた。僕の勤務にも何の支障もない。なんといい子であることか。妻は歩けるまで回復しており、元気だった。点滴を刺す場所がなかなか見つからず、若い看護師さんが苦労していた。
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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