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激しい腰痛

 ここしばらくの間、激しい腰痛に悩まされている。原因不明で、早々に治りそうな気配がない。こんな痛みは今まで経験したことがない。ほぼ毎日、僕がまだまだ赤ん坊である息子を抱っこしてお風呂に入れているのだが、子育てからくる腰痛なのだろうか。とにかく、お風呂に入れてやる時が特に辛い。妻には病院に行けと言われるが。
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本当の送別会

 ベルギー人留学生は連休を機に婚約者とともに赴任先となる大阪に引っ越したのだが、明日は学位記授与式があるとのことで最後の片付けをしに研究室に戻って来た。今夜は数人で非公式な送別会である。これまで毎日のようにつまらない話をしてきたが、これで本当にお別れとなる。次に会うのはいつ、どこでだろう。見当もつかない。けっこう酔っぱらってしまい、僕は一足早く、ふらふらになって家に帰った。

オンライン対局中毒

 5月の連休、父がオンラインで囲碁の対局ができるよう、実家のパソコンの設定をしてやったら、日に3局も4局も打つ。ひどい時には10局なんて日もあった。夕食もパソコンに向かって対局しながらだという。母や妹が文句を言っても、聞く耳を持たない。もはや中毒としか言いようがない。どうしたものかと思案していたが、1ヶ月半後、こっち側からパスワードを変更して、ログインできないようにしてやった。そして数日後、妹に新しいパスワードを教え、1日に最大1局までという条件で再設定してやるようにと伝えたのだが、妹は何もしなかった。自分でアカウントを作って設定し直すどころか、直接パスワードを教えてやったって、自分で設定しようというそこまでの根気がないのは救いだ。こっちに出て来た時に父は「もうやらないほうがいい」などと笑いながら言っていたので、かわいそうにと僕が再設定してやったのだが、懲りずにまた何局も打ち始めた。最後通牒を突きつけ、それでも駄目なら、当分の間ログインできなくするしかない。ちなみに父はKGSの7kか6k辺りでもがいているので、日本棋院の初段から二段程度の棋力だと思われる。

黒いアマガエル

 かわいがっていた小さいまだら灰褐色のアマガエルは、1ヶ月ほど前に溺死してしまった。なぜか水の中で体を伸ばして死んでいた。その他、ほとんどのカエルがどこかに行ってしまい、今、ベランダにいるのはアサガオのプランタに棲み着いている1匹だけである。今年のアサガオは虫害のためにほとんどの葉が枯れていて、また、カエルは主に土の上で暮らしているようで体は黒い。とりあえず餌には困っていないようだが、いつになったら枯れたアサガオを片付けられるだろう。今年はもはや咲きそうにないのだが。
Sep27_2009

ノーカットの映画放映

 先日、録画しておいた映画『おくりびと』を見た。アカデミー賞外国語映画賞を受賞したことで初めてその存在を知り、ぜひ映画館に見に行きたいと思ってはいたものの「そのうちにテレビで放送するだろう」という考えが勝り、行かずじまいだった。それから7ヶ月、公開からは1年で地上波初放映となったわけだが「これだけすばらしい映画ならば映画館でゆっくり見るべきであった」といまさらながらに思った。家にいては家族に邪魔されて、なかなか1回で通して見ることができない。今回のテレビ放映はノーカットで、これまた良かったが、たいていの場合は多くの場面がカットされる。筋にはあまり関係ないかもしれないが、機知に富んだ台詞などが削られていることに気づいて、残念に思うこともある。初めて見る映画ならば、こんなことを思う由もない。見る側だけでなく、作った側からしても、テレビ局側の勝手な編集で作品が削られるとは不満も大きいことだろう。

日本百名山を廃棄

 日本百名山という言葉を知ったのは確か高1の時だった。今ならインターネットで容易に調べられるが、当時はそう簡単な話ではない。区内で一番大きな図書館に行き、やはりコンピュータでデータベースを検索できるわけでもなく、整理カードのような物に当たって一生懸命調べた。そしてようやく、昭和39年に刊行された深田久弥という文筆家の一書名であることを知った。その書物も見つけ、100の山名を手書きで書き写したものである。昨日、ふと本棚にその文庫本を見つけた。いつ買い求めたのだろう。昭和63年に刷られた物で480円と書かれている。これまでに登った山を調べてみると、掲載順に、大雪山、トムラウシ、岩木山、八甲田山、八幡平、早池峰、鳥海山、月山、朝日岳、蔵王山、飯豊山、安達太良山、磐梯山、会津駒ヶ岳、那須岳、魚沼駒ヶ岳、平ヶ岳、巻機山、至仏山、谷川岳、苗場山、妙高山、男体山、皇海山、武尊山、赤城山、四阿山、筑波山、白馬岳、鹿島槍ヶ岳、槍ヶ岳、常念岳、乗鞍岳、御嶽、美ヶ原、霧ヶ峰、蓼科山、両神山、雲取山、金峰山、瑞牆山、大菩薩岳、丹沢山、富士山、天城山、木曽駒ヶ岳、空木岳、鳳凰山、北岳、間ノ岳、塩見岳、白山、伊吹山、大台ヶ原山、大峰山、石鎚山、九重山、祖母山、阿蘇山、霧島山、開聞岳、以上61座である。高校生の頃は100座全てに登頂することを目指し、定期的に登ることを目標としていたが、年々関心が薄れ、特に留学してからは興味を失った。それにこの本には全く愛着がない。この夏に登った妙高山のところを読んでみたら、そこそこいいことが書かれてはいたが、本棚に置いておくような本でもない。必要になったら図書館に行けばいいし、いずれは著作権が切れてインターネットで閲覧できるだろう。というわけで本は捨ててきた。それにしても、これら61の山の名前を眺めてみると、どの山にも楽しかった、そして辛かった思い出がある。百名山なんてどうでもいいことで、もはや残りの39を制覇しようなどという野望は持ち合わせていないが、また時々でいいから、山には登らねばならぬ。できれば、テントでも避難小屋でもまともな山小屋でもいいから泊まりたい。旧友たちと。そして子供らと。

増え過ぎたアクアリウム

 メダカの水槽に、稚魚を隔離して育てるための水槽、それにベランダに置いてあるオタマジャクシの水槽、さらには職場に置いてある小さな水槽。いつの間にやらアクアリウムが4つにも増えてしまった。さすがにこれだけを維持して行くのはたいへんなので、少しは減らさなければならない。生き残ったメダカの稚魚2匹のうちの1匹はけっこう大きくなったことだし、小さい方は職場へ移動させ、稚魚のための水槽を片付けることにした。先週のうちに、職場のメダカ1匹と入れ換えておいたのだが、連休明けの今日、久々にその小さな水槽を覗いてみると、稚エビが何匹も親エビたちや小さなメダカ1匹と一緒に泳ぎ回っていた。大きなメダカを入れたままだったら、餌になっていたかもしれない。家に大量にいるミナミヌマエビの約半数はオタマジャクシと同居させた。全てがカエルになったら、この水槽も片付ける予定であるが、そうなったらそこにうじゃうじゃといるエビはどうすればいいだろうか。殺すに殺せないし、食ってもおいしくないらしい。大問題である。

晩酌

 普段、独りで酒を飲んだりするようなことはなかったのだが、先月からほぼ毎日、晩酌しているように思われる。晩酌などと言うと大袈裟だが、この連休はワインを一口ずつ。先月1日に妻が急に入院し、今までずっとやりたかった冷蔵庫の掃除が誰からも文句を言われずにできる状況になった。その際、かなり前に友人が置いて行った麦焼酎を見つけ、片付けなければとちびちび飲み始めた。妻が料理のために一度だけ使ったと思われる白ワインも出てきた。冷蔵庫の中ではないが、新聞購読の契約の際にもらった缶ビールや発泡酒が、賞味期限が切れてまだかなり余っていて、赤ワインも誰にもらったのかすでに分からなくなっているが4本もある。息子の初宮参りでもらってきた長州産のお神酒も、妻が料理で使い切ってしまう前に少しはなめておかねばならない。友達が来たら飲もうなどと思っていたが、誰も来やしないし、妻が家でうろうろしていては気安く呼ぶこともできない。それはともかく、今日が5連休の最終日である。娘は「あっという間だった」と言っているが、僕は直前の3日間は実家に帰っていたこともあり、だいぶ長く感じられた。一度、職場に顔を出しはしたが、のんびり過ごした連休だった。

家督相続

 家制度が廃止された今でも家督という言葉を耳にするが、広辞苑によると「旧民法で、戸主の身分に付随するすべての権利・義務。」とある。これまた廃止されている戸主という言葉の意味は「一家の首長で、戸主権を有し、家族を統括しこれを扶養する義務を負う者。」と書かれている。我が家の古い戸籍を見ると、明治10年に、高祖父がその祖父から家督を相続し、昭和15年に曾祖父がその家督を相続していることが分かる。戦前は今とは異なり、戸主の祖母や母、弟、姉妹、孫、甥、姪、嫁なども同一の戸籍に記されている。戦争に敗れ、昭和22年、米国に押し付けられての事かどうかは知らないが家制度は廃止され、実際、昭和32年になって、曾祖父と祖父の戸籍が別々に作り直されている。曾祖父の戸籍に入っていた父の名は祖父の戸籍に移され、夭逝した伯父の名は新しい戸籍には記されていない。父は結婚して新しい戸籍の筆頭者となり、僕も結婚して新しい戸籍の筆頭者となった。戸主ではなく筆頭者である。家制度の廃止は、時代の流れとして当然の事のように受け止めてきたが、こうやって先祖の戸籍を眺めてみると、それなりの意味があったように思われる。嫡子単独相続という習慣も、戸主が戸主としての義務を全うするためにも必然であったに違いない。

悠長なオタマジャクシ

 故郷安曇野ではすでに稲刈りが始まっていた。刈られていなくても、イネは実をつけ、田はもはや水を引く必要がないので干上がっている。ところが、うちのベランダには未だアマガエルのオタマジャクシが4匹も泳いでいる。5月末に安曇野の水田から連れてきた21匹のうちの4匹である。連れて来られたからいいようなものの、向こうにいたら土の上で干からびてしまうではないか。それとも、じゅうぶんな餌がなくて未だにカエルになれないのか。秋に上陸しても、餌となる虫はかなり少ないと思われるのだが。

高尾山登山

 娘が友達と高尾山に登るのだという。母娘3組の6人で行くはずであったが、妻は産後の体調のことや、赤ん坊の世話をしなければならないということもあって僕が行くことになった。女性5人に中年男性一人が加わって、いったいどうなることかと思っていたが、特に心配することもなかった。今日はとてもいい天気で、朝は自宅から高尾山方面の山がきれいに見えた。もっとも、高尾山がどれかは判然としない。高尾山口駅から歩き始め、稲荷山コースを登る。稲荷山の展望台からは都心の高層ビル群が良く見えた。比較的遠回りのコースで、人込みを避けられるかと思ったが、それでもかなりの登山者の数である。高尾山の頂上に着いた時には、その想像を絶する人の多さに唖然としてしまった。さすがに日本一の登山客を誇る名峰である。それでも、そこから望む富士山はきれいだった。娘に599mの三角点を踏ませ、みんなで昼食を食べる。そしてみやま橋を渡り、琵琶滝の方へ下った。実は高尾山に登るのは2度目になる。記録をあさってみると、昭和62年9月22日とあるからちょうど22年前のことだ。陣馬山から縦走してきて、最後は走るように下った。どのコースを下りたのか詳細は忘れてしまったが、普通は1時間半ほどかかるところをちょうど30分で下っている。今回は山歩き自体よりも、山中での人込みと、帰りの電車で立ちっ放しであったことで疲れてしまった。
Sep20_2009

国宝松本城

 幼い頃、松本で暮らしていた時期があり、城と言えば松本城だった。城なんてどこにでもあるが、全国的にも松本城が有名であることを知ったのはかなり後になってからである。現存12天守の中でも国宝に指定されている城は4つしかない。松本城はそのうちの一つである。その他にも太平洋戦争の戦火やその後の災害等で焼失した8天守があったという。三百諸侯などと言われるのに、なぜそんなにも城の数が少ないのか。調べてみると災害だけでなく、江戸幕府による一国一城令による取り壊し、武家諸法度による新築の禁止、さらには新政府による廃城令により、古くからの城は次々と壊されてきた。それをくぐりぬけてきたのが先に述べた20天守で、松本城にも何度か危機的な状況があったらしい。松本藩の支配を受けていた我が御先祖様たちの年貢もこの城の維持に多少なりとも貢献していたのかもしれない。きのうは整備の行き届いたこの城の周りを独り歩いてみた。
Sep19_2009

先祖調査

 以前から戸籍を利用した先祖調査をやってみたいと思っており、ちょうど本籍地に来ていることだし、市役所の総合支所に足を運んで、探りを入れてみることにした。自分の戸籍謄本の請求をし、そのついでに先祖の戸籍謄本を手に入れられるだけ手に入れたいと窓口で相談してみた。目的を聞かれたが、自分のもの以外は全て「見たいだけ」と応えた。直系祖先の戸籍謄本ならば問題なく手に入れられるはずだと思っていたのだが、生年月日が必要だった。あらかじめ調べておくべきだったが、その担当者はなかなか気が利くおばさんで、僕が虚しく待っている間に期待していたことをやってくれた。請求された手数料は合計4,650円。内訳は戸籍謄本450円が2通と、除籍謄本750円が5通である。除籍された戸籍は、除籍謄本として手に入れるので割高になる。戸籍謄本は僕の分と、父の分。除籍謄本の1通目は父の改製原戸籍で、2通目は祖父の除籍謄本、3通目は曾祖父の除籍謄本、4通目は戦前に作られた曾祖父の改製原戸籍、5通目は高祖父の除籍謄本。名前に限れば僕から父系8代まで遡れるのだが、さすがにここまでしかないらしい。実はもう1代、高祖父の父まで遡れそうなものだったが、高祖父はその父でなく祖父から家督を継いでいたようで、高祖父の父の戸籍は抜けているようだ。若くして死んでしまったのか。今と違い、戦前は家督相続により新しい戸籍が作られる。当時の古い戸籍には誰から家督を継いだかが書かれているので、高祖父の祖父、つまり僕の父の父の父の父の父の父の名まで書かれている。家系図には男の名しか書かれていなかったので、今回、女性の名が多く出てきたことは特筆すべき収穫であった。中でも、その妻、つまり僕の父の父の父の父の父の母はきくという名で、戸籍ができた当時に存命し、孫に当たる高祖父の戸籍に入っていたので生年月日が記されている。文化八年正月五日。これはグレゴリオ暦で1811年1月25日に相当する。今から約200年前、幕末を連想する嘉永や安政よりも2世代ほど前で、将軍は徳川家斉の頃。もちろん生物学的に考えてゲノムの64分の1の提供者であるそんなおばあさんが江戸時代に生きていたことは想像に難くないが、化政文化の時代から幕末、明治維新、そして内閣成立までを日本の片田舎で生き抜いた一人の祖先の存在を知り、この興奮は尋常でない。日本史の一項目に過ぎなかった江戸時代というものを、こんなことを通して初めて実感することができた。判読できない文字が多いが、これからじっくり眺めてみよう。そしていずれは母系も含めて全ての戸籍を取り寄せてみようと思う。

初めての招待講演

 初めての招待講演。与えられた時間は20分で、その後に5分間の討論がある。今回の話題はすでに2回も別な学会で口頭発表を行っているので、熱心に練習する気になれなかった。それが失敗だった。せっかく招待していただいたというのに。なかなか滑らかに話すことができず、思わぬことに時間をオーバーしてしまった。練習用に書いた発表原稿を1回読んでみたら16分で読み切ってしまったので「時間はたっぷりある」と思い込んでいたのだが、それがまずかった。最後はまとめて締めくくりたかったが、まとめのスライドは見せるだけで終わりにしてしまった。今回参加している日本遺伝学会では、分刻みのスケジュールが詰め込まれているわけでもなく、どの発表でも討論の時間がじゅうぶんに取られていて好感が持てた。満足の行く発表にはならなかったが、多くの人が関心を持ってくれたようでとりあえずはほっとしたが、これからは決して発表練習を怠ってはならない。いい教訓になった。夜は懇親会に参加し、何人かと話す機会を持つことができた。僕自身は招待され無料ということであったが、高い懇親会費の割に、急に参加者が増えたとかで食べ物は少なかった。ちょっと早めに会場を出て、医学部附属病院の方へ行くと、父が車で迎えに来てくれた。実家に帰り、再度の夕食。

もう一つの故郷松本

 日本遺伝学会の大会に参加するため、松本にやって来た。松本は幼稚園に通っていた2年間ほどを過ごした懐かしい地であり、実家が近いためしょっちゅう通ったりもしてきたのだが、自分の意思で歩き回ったことがないのでどのような街なのか実は良く分かっていない。駅から松本城を通ってずっと歩いてみたかったが、時間がないので市内を走るバスに乗り、信州大学理学部へ。信大は、祖父が入院していた時に附属病院には来たことがあるが、学部や大学院のあるキャンパスに入るのは初めてだろう。理学部の光熱費がいかに高いかを示す張り紙があって、月別の使用量が棒グラフで描かれている。電気に関しては7月と1月に2つのピークがあるのだが、意外ないことに1月の方が高い。夏は冷房など要らないほど快適なのだろうか。帰りは、松本で働いている妹に車で迎えに来てもらうことにし、松本城までは歩くことに。城下町の面影を残すいい感じの街で「果たして30年前もこんなにきれいだったろうか」といぶかしく思ったが、後で世界遺産登録を目指していると聞いた。街のあちこちに江戸時代に使われていた地名を彫った石柱が立てられている。

ミナミヌマエビの餞別

 今夜はベルギー人留学生の送別会があった。今月末、無事に博士号を取得見込みだが、週末、一足早く婚約者とともに大阪に引っ越す。学位記を受け取りに戻って来るのだろうが、僕は明日から出張なので、とりあえずのお別れとなる。餞別はミナミヌマエビ8匹。カボンバとともにペットボトルに入れて彼に渡してやった。職場に置いてある僕の水槽を毎日覗いては「今日は元気がない」だの「今日は元気がいい」だの余計な心配をしてくれていた。大阪の新居では、大きな水槽を買ってアカヒレという魚を飼うのが夢らしい。それならば水槽の掃除をしなくて済むよう、ぜひタンクメイトとしてミナミヌマエビを入れて欲しい。しかもうちの水槽で生まれた奴らを。

未来にメール

 息子が生まれ、名前を決めたら、すぐにGmailのアカウントを作ってやった。もちろん娘のアカウントも作ってあって、どちらも家族のメーリングリストに入れてある。二人とも電子メールを読んだり送ったりするわけではないが、家族みんなに共通する話題は妻宛ではなくそのメーリングリストに送っているし、娘には、山に登った時の記録なども送りつけてある。よくよく考えてみると、大きくなった将来の子供たちにメールを送っているようでなんか楽しい。個人宛に本気で書き送ったことはないが、そのうちにやってみるのもおもしろい。10年前の父親からのメッセージを読むというのはタイムカプセルに似たものがある。そろそろ娘はメールの送受信ぐらい、教えてやればできるだろう。でもまだ教える必要はない。Googleのサービスは既にいくつか自分でパスワードを打って利用しているから、このまま定期的にログインしていればGoogleが潰れない限りGmailのアカウントも消されることはない。息子の方はこれから何年間か時々ログインしておかねばならないが。

子育て地蔵尊

 娘とちょっとしたサイクリングに出かけた。第二京浜から大原通りを東に入ったところに、幕末の頃に祀られたという子育て地蔵尊があり、子育てと病気を治す御利益があるということになっている。以前ならば賽銭箱を見ようものなら小銭をねだった娘だったが、もはやそんな興味はないらしい。仕方がないから10円玉を渡して「何か祈れ」と言ったら、新型インフルエンザに罹らないようにと祈っていた。高校生の頃、社会科などあまり好きではなかったが、その時の日本史の先生にはけっこうな影響を受けた。確か前田とかいう名前だった。日本史ということで宗教のことなど良く説明してくれるのだが、ある日「積極的無神論者」と板書し、自分はこれであるという話をしてくれた。「お賽銭など、1円たりとも払ったことはない」と。その話に感銘を受け、以来、占いなどまったく信じなくなったし、迷信などにも懐疑的になり、生き方はますます科学的になった。神仏にお金を払うなど、もっての外である。しかし歳を経るに従って考え方は徐々に変わり、カナダに留学していた頃から、仏教徒かつ神道信者であると公言するようになった。これは特に外国人向けではあったが。最近では、小銭を投げることぐらいはむしろ意味のあることだと思っている。東京の狭い路地の脇、ほんの1坪もないところに地蔵があり、祠が建てられている。幕末と言えばまだ100年ちょっとしか経っていない。せめてもう100年、この地蔵尊はここにあり続けるのだろうか。
Sep13_2009

姉と弟

 赤ちゃん返りという言葉がある。今まで両親の愛情を一身に受けていたのに、妹や弟が生まれた途端に放ったらかされてしまい、親の注意を引くために、赤ちゃんのような行動を取るようになる。これが無意識に起るのだからすごい。そんな現象を見てみたいものだったが、さすがに小学生の娘には赤ちゃん返りは全く観察されなかった。いじけたり、ひがんだりして、悲しそうな言葉をこぼすことはあるのだが、その程度である。赤ちゃんの扱いに慣れていない娘は、なかなかお姉さんらしい行動が出てこない。もう1か月以上になるのだが。僕に末の妹が生まれた時、上の妹は今の娘と同じ年頃だったが、僕とは違い、赤ちゃんにはあまり興味を示さなかったとうちの母は言っている。そんなものなのか。これから十年、いやそれ以上の歳月をかけて、いったいどうやって姉と弟という兄弟関係を築いて行くのか。親として、少しばかりの方向付けと手助けはさせてもらおうと思っているが、子としてではなく一組の兄弟として眺めるのも楽しそうである。

リュウキュウアサガオ

 通勤路にリュウキュウアサガオと思われる立派な花が咲いているところがある。毎年同じ場所に咲いており、毎朝、僕の目を楽しませてくれる。暑さも和らぎ始め、花の数と勢いも一時期よりは衰えてきたが、それでも美しい葉を保ち続け、花も見事である。近くの公園にもリュウキュウアサガオがあり、良く見てみると、どうも一年草である普通のニホンアサガオとは違い、茎が木質化して多年草のようである。調べてみると駆除がたいへんなけっこうしつこい植物らしい。朝は青く、夕方には赤みがかかって色の変化が面白いと思っていたが、現在家で育てている青いアサガオも、同じような変化をする。いずれ、自分も育ててみたいと思っていたが、やはり普通のアサガオの方が良さそうだ。
Sep11_2009

メダカの怪死

 家で飼っているメダカが立て続けに2匹死んでしまった。これまでに稚魚は何匹も死んだが、去年の11月に10匹を譲り受けて以来、そのメダカが死んだのは初めてのことである。突然どうしたのか。実は思い当たる節がないわけではない。先日、朝食で余った塩を指でつまんでぱらぱらと水槽に入れた。神戸大でゼブラフィッシュを飼っている研究者から「淡水魚でも病気を防ぐために少量の食塩を加えている」という話を聞いたことがあり、これまでもそれに倣って塩を入れたことがあった。カルキ抜きしている水に加えるのなら何の問題もないのだが、もし水槽の方に入れたばかりの塩の粒を、メダカが餌だと思って食い付いたらとんでもないことになるかもしれない。そもそもメダカは、汽水や海水でも生きられると聞いたことがり、多少の塩ぐらい大丈夫なはずなんだが。同じ水槽にいるミナミヌマエビの方は相変わらず元気だ。はっきりした理由は分からないが、慎重さに欠けたところがあったのかもしれない。死んだ2匹はナナカマドの鉢に埋葬してやった。

4つめのMac OS X

 恥ずかしいことながらこれまで全く知らなかったのだが、いつの間にかAppleが次のMac OS Xを売り出していた。Cheetah、Puma、Jaguar、Panther、Tiger、Leopardに続く名前はSnow Leopardである。実際には僕はPantherから使っているので、4世代目となる。職場で5ライセンス買ってあったので、さっそくインストールしてみた。プリンタが見つからなかったり、Adobe Acrobat ProfessionalでPDFを作れなかったりと、いろいろな問題が発生しているが、少しずつ対処して行こうと思う。

青いアサガオ

 タカラダニと思われる害虫は、ついにベランダの端の方に植えてあるアサガオにまで広がってきた。しかもそうとうな数である。すでに青々とした美しい葉はどこにも見られない。ここには少なくとも1匹のアマガエルが棲んでいるので、どうしても殺虫剤を使う気にはなれない。それでも頑張って青いアサガオは毎朝、きれいな花を咲かせている。去年、娘が学校で育てていたアサガオのうちの1株から穫れた種を植えて育てたアサガオである。
Sep08_2009

斬刑に処せられた遺骸

 土曜日、初宮参りの後、神社境内にある吉田松陰の墓に立ち寄った。長州藩主毛利家の別邸があったという現在の世田谷区若林に30歳という若さでこの世を去った松陰は眠っている。その時は何も考えていなかったのだが、安政の大獄で処刑された罪人の墓がこんなところにあるというのは、そう単純な話ではすまないようだ。当時、幕法で斬刑に処せられた遺骸はとりすてられることになっていたらしい。そこを長州の志士たちが獄吏に懇願したり、賄賂を贈ったりすることによりなんとか下付してもらい、小塚原の回向院に埋葬した。その3年後、松下村塾で薫陶を受けた高杉晋作らが掘り起こして運び、現在の場所に改葬する。その後、長州征伐の際には幕府によって破壊されたが、明治元年、木戸孝允らにより修復され現在に至っている。
Sep07_2009

碁を打った一年間

 石倉昇九段の『一人で強くなる囲碁入門』を買って読み始めてちょうど一年になる。娘と一緒に覚え、娘を父や義母と対局させるのが当初の目的であったが、これまでよく知らなかった囲碁の世界に入り込み、いろいろなことを経験することができた。負ける悔しさや、欲張ると破綻すること。相手を侮っていると痛い目に遭うことなどなど。勝負に勝つための戦略は、人生を生き抜く戦略と通ずるものがある。やはり石倉九段の『囲碁入門その後の最速上達法』という本を借りて来て読み、その結果、KGSオンライン対局でしばらく白星を重ね、1ヶ月前には14kにまで上がった。日本棋院の8級に相当するらしい。しかしそこから7連敗。27.5目負け、57.5目負け、1.5目負け、24.5目負け、21.5目負け、32.5目負け、67.5目負け。僅差だったのは1局だけで、なんと18kまで陥落した。もちろん、失敗もあったが、どれも本気で勝負した。16kや17kの時は「まさかこんな弱い相手に負けることはないだろう」と思っていたが、連敗は止まらなかった。悔しいがしかたない。敗因を研究し、また本などを読んで勉強すれば再び昇級することは可能だろうが、僕の頭ではそうとうの時間を必要とするだろうし、それだけの時間を取れる余裕がない。吉田松陰は長州藩の学制改革の一つとして、遊芸、つまり囲碁や将棋などは禁ずべきことと意見を述べている。きのうまでは考えもしなかったことだが、18kという現状に呆然としてしまい、今日を持って碁は当分の間、打たないことにする。井目、つまり9子局で初段と対局できる1桁級まで行くことがとりあえずの目標だった。18kでは日本棋院の12級相当だが、最高位が8級ということで許してもらうことにする。しばらくの間は娘の囲碁の応援をするに留め、いずれまた余裕ができたら必ず再開したい。

息子の初宮参り

 神様、仏様などを信じているわけでもなんでもないが、息子を日本男児として育て上げるためには、神道や仏教の思想、あるいはそれらに対する日本人の伝統的な解釈を教えてあげる必要がある。そして日本の伝統行事はきちんとやってやらなければならない。ということで、息子の1ヶ月齢が近付くにあたり、初宮参り、つまりお宮参りを考えてやらなければならくなった。娘の時は里帰り出産で、向こうの家のあまり長い間外出させたくないという意向が強く働いてじゅうぶんなお宮参りをさせてやれなかったという思いがある。今度は男だし、僕の主張を強く通さねばならない。いい神社はないかとあれこれと探した結果、世田谷区にある松陰神社に連れて行くことにした。うちの父が一緒に行くことを強く希望しているようなので、うちの両親が来られる、35日目に当たる土曜日ということに決めた。最近、新型インフルエンザの感染が拡大していることもあり、電車で1時間もかけて行かなければならないことを、妻は執拗に強く反対していたが、なんとか押し切った。今日はとてもいい天気である。家族4人に父方の祖父母を加えた6人で大井町線、田園都市線、世田谷線を乗り継ぎ、吉田松陰を祭神とする松陰神社へ。初穂料は出し過ぎたようにも思われたが、祈祷に加え、お守り、お札、お神酒、参拝記念品、お食い初めの食器などの授与品があり、払っただけの価値はある。3時間半に及ぶ外出中、息子はたいてい眠っており、思っていたよりも扱いやすかった。僕の母に抱かれて祈祷を受けている時だけは起きていたようだ。境内には、萩の松下村塾を模した建物や松陰の墓もある。いずれ、お宮参りでここに連れて来られたことを認識してくれるだろう。松陰神社を選んだことも、いずれは父からのメッセージとして受け取ってくれることだろう。
Sep05_2009

じゃんけんに強くなる

 職場のゴミ捨て係は毎回、じゃんけんで決まる。じゃんけんはかなり公平なものだと思われており、僕もそう信じていたが、けっこう僕自身が負けることが多く、まじめに考えてみる必要があるのではと思い始めていた。思い返せば小学生の頃、頭が良かった奴が妙にじゃんけんにも強かったことが頭によみがえった。そんなことを思っていた今年の初夏、早大の大学院生が「暑い時はみんなチョキを出す元気がない」などと僕に言ってきた。半信半疑で聞いていたが、それを参考にして、また、暑さからくるだるさで単純に3つを順番に出すようなことはせずに、勝つことを意識して出すようにしたら、ほとんど負けなくなった。今日なんかは最初に出したチョキだけでいきなり勝ち抜けだった。じゃんけんをする時は、多少でも考えて出した方がいい。

街のケーキ屋

 娘の誕生日ケーキを買って来るように頼まれている。去年は、帰り道でiPhoneを使ってケーキ屋を探すことを思い付き、五反田駅近くの洋菓子屋で首尾よく買うことができた。だいたいの場所を覚えていたので、今年もそこへ行ってみることにした。Webサイトがあり、営業時間を確認することができたので、少なくともつぶれてはいないようだ。売り切れていたらどうしようという不安があったが、四角くて誕生日ケーキになりそうなケーキが1つだけ残っていた。それにしても、こういった小さい店は、店に出すケーキの数をどうやって決めているのだろう。売れ残ったホールケーキのような大きなケーキはどうするのだろう。クリスマスケーキはいくつ作れるのか。去年も今年も、プレートに名前を書いてもらうために娘の名前を伝えているのだが、来年あたりはろうそくの本数とともにデータベースに入力済みだろうか。

友人の帰国準備

 友人が米国を去る時、インターネットサービスプロバイダの解約で本当に困ったらしい。かなり知名度の高いプロバイダだったが「カナダに引っ越すなら向こうでも引き続いて利用できる」などと執拗にいろいろなことを言われ、そう簡単には解約させてもらえない。自分ではどうすることもできず、英語の得意な韓国人に頼んでようやくなんとかなったと言う。今日、隣の研究室の韓国人から、同じことを頼まれてそんな話を思い出した。こっちの韓国人はほとんど日本語が話せないので、手助けができるならばと喜んで僕から電話してやった。結局、NTTコミュニケーションズとNTT東日本の両方に電話で連絡しなければならなかったのだが、両社とも韓国語を話すオペレータがいたことには驚かされた。外国人に不親切な国というイメージがあったが、日本の顧客サービスは北米に比べればずっといい。多少、待たされたりして時間がかかったが、スムーズに解約することができた。来月、その韓国人は国に戻る。話ができるのもあと1ヶ月ちょっとだ。

始業式

 朝、エレベータに乗り17階から1階まで降りる間に、中学生から、小学生、そして幼稚園児までが続々と乗って来た。いよいよ今日から学校が始まる。きのうまでとは全く違う雰囲気だ。驚いたことに、甥の小学校は東京なのに8月25日が始業式だという。かわいそうなことだ。北米では3ヶ月もあるというのに。夏休みは長い方がいい。子供たちには夏にしかできないいろいろな経験を積んで欲しい。そのためには子がいる親にも長い夏休みが必要である。今年は情けないことに3日休みをとっただけだった。
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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