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憧れの一級建築士

 ずっと以前から女性である娘には数学者か建築士になって欲しいと勝手に思っていた。強要するのではなく、そうなるよう仕向けてみようと思っていた。しかし幼い子をどうやってそそのかすのか。数学や建築を知るにはまだまだ早い。試しに、4歳からはじめた水泳でどうにかならないものかと実行に移してみると、これが意外とうまく行った。幼稚園の頃の夢は「すいえいのせんしゅになってきんめだるをとりたい」で、小学校に入ってからも「すいえいのせんしゅになっておりんぴっくにでたい」というように本人の手書きがちゃんと残っている。ところが最近、その夢が変わってしまった。何もそそのかしていないのに建築士に変わってしまったのだ。お気に入りのテレビ番組のせいである。とはいえ、今日も水泳を習いに行った。実はそこに、一緒に通っている友達の父親で、一級建築士がいる。妻の大学時代の友人なので、僕とも同期、同じ大学出身である。ちょっと声をかけて、どうすれば建築士になれるのか語ってもらった。僕は、数学などを一生懸命勉強して大学の工学部建築学科に進み、というような実利的な話を期待していたのだが、彼が語ったことはそんなことではなかった。いろいろな物の長さを測ったり、設計図を書いて工作や日曜大工を楽しむようにと。憧れの建築士を前にして恥ずかしいのか、娘は目を合わせて話を聞いていなかった。
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数学者の人生案内

 数週間前、区立図書館の中をぶらぶらと歩いていたらどんな区画だったか、ふと『藤原正彦の人生案内』という本が目に留まった。かつて藤原正彦が新聞の人生案内で回答したものを集めた本で、そんなに量があるわけでもなかったので、借りて読んでみることにした。最近はほぼ毎日、人生案内に目を通しているのだが、彼が担当していた頃は読みたかったにもかかわらず購読していなかったりで、漏らさず読んだという記憶がない。いい機会だ。そして予想通り楽しみながら読むことができたし、大いに励まされる内容だった。大人の相談は子供の教育に関する悩みが多く、直接参考になるような意見もあった。図書館に足を運び、ぶらぶらするという時間を持たなければ、こんな本を読むことは一生なかっただろう。これから書籍の多くは電子化されて行くと思われるが、こうした従来の図書館の役割を電子化の波の中でどう実現して行くかは一つの課題だろう。

海外特別研究員の語学力

 日本学術振興会海外特別研究員というフェローシップがある。博士号を取ってから1年後に留学したいと思い、申請したのだが当然の如く不採用だった。同じ研究室で採用になり米国に行った友人、カナダで出会った別の友人もこのフェローシップを取って留学していた。ボスから給料をもらっていないわけだから、けっこう気楽に研究活動に励むことができる。羨ましいことである。その一方で僕は日本国の税金ではなく、カナダ国民の血税によって生計を立て、研究をさせてもらっていたわけだから、カナダに対する感謝の気持ちが高まったのは無理もないことである。さて、その案内が教員に回ってきた。博士課程の学生やポスドクに周知せよとのことで、もはや僕など応募できる年齢をとうに過ぎている。それを眺めているとこんな一文が目に留まった。海外で研究活動を行うにあたり、相応の語学能力(英語であれば、TOEFL(Computer-based)213 点、TOEIC730点、英検準1級のいずれか程度)を有することが望ましい。けっこう緩い条件だ。望ましいだから語学力なんかよりも、研究を遂行する能力や熱意の方が重要視されているわけではあるが。

大学入試本番

 駅から大学の正門に向かうと、たくさんの女子高校生がいた。今日から国立大入試二次試験の前期日程である。僕も20年ほど前、緊張した面持ちで試験会場に向かったのだろうが、あまりいい思い出ではないためか、よく良く覚えていない。制服を着ている子や、友達と一緒の子、大きい荷物を持っている子、親と一緒に来ている子などなどいろいろである。試験開始には早いのか、構内や会場に入っている高校生はまだ少なかった。僕の居室のすぐ近くでも入試が行われた。日頃の勉強の成果を発揮し、悔いのないよう、明日も全力を尽くして頑張ってほしい。10年経てば今度は娘の番である。そしていずれは息子も大学を受験することだろう。なんやかんや言っても、大学受験は人生の中でかなり大きなイベントだろう。親にとっても。

予算の執行

 研究費を使うことを大学内では「予算を執行する」と言う。この言葉の意味をじゅうぶんに理解できていなかったのだが、自分自身であらゆる処理をするようになり、いろいろなことが分かってきた。「国の予算」も然りで、この歳になって組織を動かすためにその組織のお金がどう動くかの一端が見えてきた。さて、研究費を使い切るには年度内に、1円も残らず、かつ1円もオーバーせずに使い切ることが強く求められている。なぜそんな馬鹿みたいなことをしなければいけないのかと思うが、今日、なかなかうまく使い切った。1,800円ほど残っていて、欲しかった文房具等を買いそろえたら、残り28円。店員に相談したら、ダブルクリップを1つ買い、1つ1円のゼムクリップを2つ買えばぴったりだと。そしてそれに従った。これにて執行は完了。不要なクリップなど買わず、ちょっとオーバーさせて負けさせた方が良かったかもしれないが。
Feb24_2010

結婚記念日のケーキ

 きのうは平成22年2月22日で、多くのカップルが婚姻届を出したらしい。午前2時22分に、いや22秒までも考慮したのかもしれないが、提出したカップルもいたという。楽しい話だが、その多くはどうせ離婚することになるだろう。ところで、僕の結婚記念日もこの2月22日である。実は入籍したのはもっと後なのだが、式を挙げ、婚姻届に記入した日は2月22日となっている。全くの偶然であるが、両親の結婚記念日も同じ日である。そんなわけで、忘れるわけがない。今日はちょっと早めに職場を出て、花なんか買ってもしょうがないので、ケーキでも買うことにした。iPhoneで検索すれば、近くにあるケーキ屋が地図上に表示される。最寄りのケーキ屋はしゃれた店でちょっと高めだった。3切れ買って帰ると、妻は喜んで食べていたが、娘はごく普通のケーキが良かったようでほとんど手をつけなかった。確かにおいしかったが、僕もやっぱり昔ながらのシンプルなケーキがいい。

無名の生化学者

 先週のScience誌とCell誌の両方にNirenbergの追想記事が出ていた。分子生物学を築いた先駆者たちが次から次へと亡くなってゆく時期なのかもしれない。最近読んだ本で「無名の生化学者が」などと書かれていたのが少しばかり記憶に残っていたので死亡記事にはびっくりさせられた。その米国の無名生化学者は、大腸菌を使って作り出した反応系の中にフェニルアラニンの重合体を見つけ、DNAに刻まれている遺伝暗号解読の突破口を切り開いた。僕もそんな体験をしてみたいものである。さて、なんとなくCell誌の方を読んでみたのだが、読む価値のあることが多く書かれていた。弟子による回顧で、いいことしか書かれていないのは当たり前にしても、彼が聡明な研究者だけでなく、すばらしい教育者でもあったことが良く分かる。日本の大学の多くの高名教授たちが自由放任主義を誇らしげに語ったりしているが、そんなのは単なる手抜きではないか。今の僕とほとんど変わらないような歳でノーベル生理学・医学賞を受賞したNirenbergは、先月、がんのため82年の生涯を終えた。

坂本龍馬像

 きのう、立会川の河口付近を走っていたら人だかりを見つけ、何かと思えば坂本龍馬の像が立っている。しかもこの像、どこかで見たことがある。そうだ、最近の大河ドラマで紹介されていた坂本龍馬像である。最近の新聞でも、広告欄をも含めれば坂本龍馬の字を見ない日はないほどの勢いである。かつてこの辺りには土佐藩の鮫洲抱屋敷があった。そんなこともあり、坂本を含めた土佐藩の武士達が浜川砲台を築き、対列強防衛に当たった。名所案内にはいろいろ書かれてあり、近くには山内容堂の墓もあるらしい。せっかく初代山内一豊について読んだのだから、土佐藩についてもうちょっと勉強し、この辺りをもっとうろついてみるのも楽しそうだ。
Feb21_2010

旧東海道涙橋

 週末は天気がいいので娘とスキーに行こうかと思っていたが、日本海側は雪の予報。ならば逗子の友人のところに遊びに行こうかと思って電話をかけたら、丹沢の鍋割山に登っている最中だという。「非常に天気がいい」と言っていたが、うちから丹沢はかすんで見えなかった。娘は小学校にバドミントンをしに出かけたので、僕は独り走ることに。立会道路を東へ、そして立会川の河口まで行ってみることにした。一本橋通りから、立会川を覆う立会道路に入り先週とは反対側へ。すぐに大井町駅近辺に出るが、ここで道路は他の道と合流していったん消滅する。立会川がどこを流れているのかよく分からなくなる。駅の向こう側から道路は直ぐに現れ、息子の生まれた病院脇を走り抜ける。そして道路はその辺りまで。この先はコンクリートで囲まれた立会川が露出する。第一京浜を越え、立会川駅を過ぎると、弁天橋、浜川橋と続く。旧東海道を通しているのがその浜川橋で、南は鈴ヶ森刑場、北は品川宿を経て日本橋へと続いていた。この浜川橋、江戸から鈴ヶ森に護送される罪人の親族らが涙を流してその最後を見送ったことから涙橋とも呼ばれる。ここからちょっと行けばもうそこが河口である。しかし現在では残念ながら海は見えない。目の前には人工的に作られた勝島があり、川は勝島運河へと流れ込んでいる。黒船が来航した嘉永6年、土佐藩士らによりここに浜川砲台が築かれたのだが、当時の眺めはどうだったのか。
Feb20_2010

隣の研究室の学生

 隣の有機化学の研究室の飲み会に急遽誘っていただき、参加した。人気のある研究室で、学部学生から修士課程および博士課程の大学院生までたくさんいて、よく見かける子もいるが、会釈はしても挨拶まではしなかった。向こうも、隣の部屋にいる得体の知れないおじさんは一体誰だろうと思っていたことだろう。そんなわけでとてもいい機会だ。特に来年度から修士課程に進むという学生とたくさん話すことができ、とても楽しい時間だった。彼女たちは、本心はどうか知らないが、修士で就職を希望してるという。僕も化学科で修士を取って就職したから、何を思い悩んでいるのか、自分の経験を当てはめて考えることができる。そんな話ができる学生たちがすぐ近くにいたのだ。有機化学では話しかけるのは難しいと遠慮していたのだが、とにかく飲み会に誘っていただいた先生には感謝である。

数学者の意地

 新しい職場に移り、自分がいる4階とセンター長がいる5階はよくうろうろする。4階の男子トイレのためのスペースが僕の居室になっているから、トイレは5階か3階を主に利用することになる。少しでもセンター長と顔を合わせる機会を作った方がいいかと思い、5階に行くことが多いが、1階まで下りるついでに、あるいは1階から上がるついでに3階のトイレを利用することもある。初日にセンター長からエレベータはあまり使わないことにしていると聞き、なんとなく僕もそれに従っている。4階ならばたいして苦にもならない。その4階は主に化学科のスペースで、僕はそんな中に割り込んでいる。建物のどこにどういう先生方がいるのか、あまり良く分からなかったのだが、6階が数学科らしいことを知った。藤原名誉教授の居室も恐らくその辺りにあったのだろう。6階には未だ足を踏み入れたことがないが。
Feb18_2010

頬骨骨折から4年

 あの日も冬季オリンピックの真っ最中だった。病院の救急診療の待合室で、テレビ中継を見ることができた。しかし顔面を骨折して激痛に苦しんでいた僕にはそんなものを見て楽しむような元気はない。あれから今日でちょうど4年になる。未だに顔は左右非対称になっているが、もう何事もなかったかのように治った。正直、ここまで快復するとは思っていなかった。捻挫、脱臼、骨折など、数々の怪我をしてきたが、やはりあれがもっとも大きな怪我だったろう。しかも母国語が通じぬ異国の地で。

不思議な感覚

 朝、なんかいつもと違う雰囲気を感じながら出勤した。何かが足りないような気がする。いつも帽子をかぶっているのに、今日だけ忘れてかぶってこなかったような。しかし、帽子などかぶって今の大学に通ったことはない。いったいこの不思議な感覚はなんだろう。そして駅に着き、改札を通ろうとすると、定期券がないことに気が付いた。定期を入れている財布もないわけだから、このまま先には進めない。しかたなく家に戻った。いつもズボンのポケットに入れているのになぜないのか。ひょっとしてどこかで落としたのか。かなり不安を感じながら家に戻ると、いつもの場所にあったのだが、その上にきのう銀行から届いた手紙が置いてあって見えにくくなっている。足りなかった物は、けっきょく財布だったことが判明したのだが、なぜそんなことを感じ取れたのか。

理系の女子大学院生

 化学の大学院生たちの修士論文の発表がオープンだったので会場に潜り込んで聴いてみた。久々に純粋な化学の話に耳を傾けた。女子大なので発表者はもちろん全て女性である。理系の女性。そういった女性に対して固定観念を持っており、少なくとも一定の傾向があると思い込んでいたが、発表を聴いていただけでも、どの学生もみんな個性的であることに気付かされた。元気の良さそうな子もいれば、静かでおとなしそうな子もいる。そんな当たり前のことに、なぜかこれまで気付いてこなかった。ずいぶんと狭い世界に生きていたのかもしれない。そう言えば、僕の妻も彼女たちと同様、化学の研究に携わる大学院生だった。

マナーの悪いランナー

 何日か前の新聞に皇居周辺を走るランナー達のマナーの悪さが書かれていた。実は一昨年、家族と一緒にカナダ人の友人を皇居に案内した時に強く感じていたことである。ようやく声が上がったかとの思いだ。未就学児であった娘と、日本に初めて来たという外国人を連れていたということもあり、歩行者に恐怖感さえ抱かせるあのランナー達には激しい不快感を持った。その誰もが我が物顔で、歩行者は邪魔とばかりの顔つきで走っている。ランニングなんて全く自分勝手な行為である。自分の利益しかない。走りに行く僕を非難する妻の声がそれを如実に物語っている。もっとも、適度な健康によりあまり医者に掛からずにすみ、その一方で年の割には激しい運動にもなりうるからぽっくり死んでくれて、社会保険運営への貢献度は高いのかもしれないが。僕は走るのは好きではないが、それ以外に安価で手軽にできる運動はないし、マラソン大会のようなイベントに参加すること自体は好きなので時々は走っている。今日も立会川を覆う立会道路はどこまで続いているのだろうと西へ西へと走ってみた。その際、何人もの歩行者を追い抜くし、すれ違う。足元がおぼつかない老人も多い。マナーの悪い自分勝手なランナーになってはならない。

バンクーバー五輪開幕

 冬季五輪が思い出深いバンクーバーで始まった。新婚旅行に次いでの海外がこのバンクーバーで、いきなり路線バスで迷ってしまい、カナダ人に助けられて始まった独り旅は僕のその後の人生に大きな影響を与えた。イースターの休暇でバンクーバー島に行く際は家族で訪れたし、3年間のカナダ滞在を経て最後の独り旅もバンクーバーだった。五輪開催が決まった時には「娘と見に行こう」などと思っていたが、なかなかそんなことをできる状況にないのが残念だ。いずれはウィスラーにスキーをしに行かねばと思っているのだが。そのウィスラーで競技をすることになっている若者の服装の乱れで、マスコミが大騒ぎしている。そんなことに乗せられ何を思ってかJOCなどに抗議の電話をする輩もいるらしい。多文化主義を誇るカナダから見れば、いい恥さらしである。そのスノーボーダーにはぜひ自分の実力を存分に発揮して、非難めいたことを言う奴らを黙らせてやって欲しい。そう独り不愉快に思っていたら、夕刊に藤原名誉教授の「国に対する誇りが感じられない」という批判的な談話が載っていた。批判の矛先は、若者に対してではなく、国を動かすマスコミをも含めた人たちに向けられているように感じられたが。
Feb13_2010

中学英語の恩師

 先日、野中夫妻を描いた『芙蓉の人』を薦めてくれた友人から連絡があった。その話題を扱っていたのは東京書籍の中3用の教科書だったらしい。"The First Weather Station on Mt. Fuji"で、印象深い"Miss Evans on the Titanic"も同じ教科書に収められていたそうだ。つまり僕らは同じ英語の教科書を使っていたということも判明した。それに、奴は中2で新田次郎の『芙蓉の人』を読み、中3でこの教科書を手にして興奮し、辞書を片手に読んだというから中学生からして常人ではなかったことがよく分かる。とにかくこの2つの話は懐かしい。思い出すのは担任で英語を教わった阿部である。中学では阿部、星野、高校では早坂、大宮あたりが僕に影響を与えた英語教師だが、なんと言っても阿部は強烈だった。生徒間の会話では先生の名前など呼び捨てだったので、ここでも敬称は省かせてもらう。早大卒で、当時すでに70歳近くだったと思う。かなり元気だったが、もはや生きているとは思えない。阿部に教えてもらっている頃はけっこう一生懸命勉強して、中2の秋に英検3級を取った。保護者会で父が「お子さんは英語が良くできるけどどうしてですか」と聞かれ、「英語は毎日やるように言い聞かせていますから」と返したなどということを今でも覚えている。げんこつで思いっきり頭を殴られたことも忘れない。その後、英語の成績はみるみる落ちていったが、新婚旅行を契機に英語を勉強することの重要性に再び気付き、そこから13年間、「英語の勉強なんかしていないで皿洗いでもして」という妻の罵声に耐え、英検1級を取った。「先生、ついに1級を取りました」と伝えたいところだが、存命していたとしてももはや僕のことなど思い出せないだろう。

叔母と初顔合わせ

 息子は生まれてから半年が過ぎ、元気に育っている。とは言えここ数日は風邪をひいて、特に鼻水がひどく、ぐったりした日もあった。ようやく快復してきた今日、2人の妹と、甥と、母がうちにやって来た。特に妹のうちの一方は、去年生まれたこの甥にまだ会っていなかったので、お互い初対面である。妹は100枚以上も写真を撮っていた。これにて息子は3親等までの親族10人の全てと顔を合わせたことになる。とりわけ両祖父母が健在なのは幸せだ。僕は母方の祖母に会ったことがないのだから。何ヶ月ぶりかで孫を見た母は僕の幼い頃にそっくりだと言って楽しそうにしている。義母もうちの娘を見て同じようなことを言っていたので、祖母から見ると孫は、自分の子の分身のように見えてしまうということなのだろう。

まずはポトスを持ち込む

 以前の研究室で育てていたポトスの脇芽、ずっと家に置いていたが、そろそろ新しい職場に持って行かねばならない。植木鉢ごとザックの中に詰めて運んだら、5枚ある葉のうちの1枚がひどく傷んでしまった。でも全体的には元気そうに見える。親株は1ヶ月に2枚ずつ葉を増やしていったが、今度はどうなることか。日当たりがいいのはいいが、昼と夜の激しい温度差は気になる。夏になったらぐんぐん伸びてくれるか。これで植物を導入できたが、いずれは水槽も持ち込んで、魚類、甲殻類、あるいは両生類などを飼いたい。が、もう少し様子を見ることにする。
Feb10_2010

腹の立つ査読結果

 先日、McGill大の共同研究者が、グラント申請が採択されなかった件で「どうせ腹が立って時間の無駄になるだけだから審査のコメントはまだ読んでいない」などと書いてきた。その気持ちは非常に良く分かる。11月に投稿した僕の論文の結果が、今日になってようやく出たのだが、残念な結果だった。論文審査員は2人いて、1人目がこっちの書いたことをろくに理解もせずに酷評している。そしてろくに審査する気もない編集者は、その1人の懸念のため受理できないとの結論を押し付けてきた。よくもまあ無能をさらけ出したあんなコメントが書けるものだといつも思うが、匿名ならではの無責任かもしれない。多くの査読を経験すると、世の中の研究者はあまり頭が良くない、つまり僕よりも明らかにレベルが低い奴らがけっこういることがよく分かる。しかしこんな愚痴を言っていても先はない。この論文、なんとかしなければ。

iPhone古参ユーザ

 先週、妹がiPhoneを買ったと僕のiPhoneに新品のiPhoneから電話をかけてきた。最近は僕の周りでもiPhoneユーザが増えてきたし、電車の中でも多くの通勤客がiPhoneを使っているのを見かける。もはや珍しくもなんでもなくなってしまった。日本での発売は2008年7月からで、僕はその1ヶ月後に購入しているからいつの間にやら古参ユーザだ。それにしても、電子コンパスが付いている最新の機種は羨ましい。

娘の工作

 近所の保幼小中連携校の合同作品展があり家族で見に行った。子供たちの書き初め、絵画、工作などが展示されている。娘の工作が選ばれたとのことで見に行ったのだが、なぜこの作品が選ばれたのかが良く分からない。同じテーマの作品が他にも2点。落選作品と比べてみないと何も分からない。工作好きの娘のことだから、他の子よりも器用に作ったのか。今では信じられないが、僕も図画工作は大好きだった。小学校の頃はいい先生に恵まれ、特に工作は得意でもあり、何かに選ばれたこともある。それは他とは違う奇抜なアイデアのもとに作った物だったという自負があり、自分なりに選ばれた理由を理解していたつもりである。ところが中学に入ると美術と呼ばれるようになり、押しつけがましい非常に嫌な科目となる。1年2年と、ともに芸大出の偉い先生だったらしいが、最悪の授業だった。そんなだから僕としてついつい書道の方に目が行ってしまう。娘は硬筆で選ばれなかったが、来年からいよいよ毛筆となる。どれもたいしたことないというような印象を持ったので、頑張れば選ばれる可能性はじゅうぶんにある。

お手玉の先生

 今年も小学校生活科、冬あそび教育ボランティアの募集があり、お手玉を教えることになった。去年は「来年までに4つを回せるように練習しよう」と誓ったのだが、けっきょく練習などほとんどできず、当日を迎えた。子供たちの何人かから「4つ」という要求が出た。そこで10回だけでも回せたら子供たちを喜ばすことができただろう。夢も与えられただろう。機会はあったのだが、それに向けての努力がなかった。今年が最後だというのに。さて、子供たちの目標は「かた手で5回れんぞくでできる」というもの。両手で2個を回すのは、初めてでもちょっと練習すれば何とかなるのだが、片手で2個は難しい。それなりの練習期間を要する。もちろん頑張って教えたが、一朝一夕でできるものではない。そこで僕が実演してやると、子供たちは尊敬の眼差しである。そして女の子も男の子もみんな頑張って取り組んでくれる。お手玉を入れて全部で14の冬あそびがあるのだが、追い出さなければずっとお手玉をやっているような子もいた。やっぱりお手玉は楽しいのだ。

化学者の立場から

 明日は同窓会がある。その飲み屋のサイトを見ていたら、僕の部屋に突然、年配の女性教授がやって来た。採用の際のセミナーで発表を聞いてくれた先生で、挨拶に来てくれたようだ。「論文もちょっと見たけど、とても面白いことをやっている」と評価してくれる。こんなに嬉しいことはない。聞けば、先生のもともとのバックグラウンドは物理化学で、東大物性研で有機伝導体の層転移の研究をしており、その後留学を機にタンパクの結晶構造解析に移って、生命科学に関わっているらしい。僕も物理化学を研究していたということで、なんかそのことも好意的に受け止めてくれたようだ。採用された一因は、化学に携わっていたということがあったのかもしれない。実は今、化学科のスペースに居室をいただいている。しばしば有機化合物か何かの臭いが漂ってきて、あまり心地良くないのだが、僕はそれなりの期間、化学教室にいたのである。今日、物理化学の先生とけっこう長い時間話してまた思ったが、あまりに複雑な生命現象を研究する生命科学者は、生命が分子でできており、その相互作用や化学反応によって成り立っていることをよく認識していない傾向がある。化学の立場から見ると、おかしなことを言っている生命科学者はけっこう多いのかもしれない。今後は化学科卒であることをもっと誇りに思って、生命科学の常識に疑問を持って新しいことを見つけるべく挑戦して行くのもいいかもしれない。とても勇気づけられた。

愛着のある電子辞書

 朝、電車の中で論文を読もうとザックから引っ張り出してみてびっくり。濡れている。手を突っ込んでみてさらにびっくりである。ミネラルウォーターを入れてきたペットボトルのふたがしっかり閉まっておらず、半分以上がこぼれていた。これが単なる水で良かったが、更なる悲劇に気付いたのは職場に着いてからだった。電子辞書もずぶ濡れになっていたのである。電車の中で気付いて、外に出しておくべきだった。ケースに入れていたからまだ良かったものの、それでも動作しなくなっていた。ここでもう半分あきらめたのだが、万が一の可能性にかけて、電池を外してしばらく乾かしてみることにした。その後、一時的に使えるようになったが、夜にはまた駄目になった。乾き方が不十分なのかもしれないと、帰りはずっとポケットの中に入れて温めて帰った。すると、なんと直ったのである。本当に嬉しかった。この電子辞書はSEIKO SR-T6800、医学大事典も入っているため定価が6万円もする高価な物である。留学前に買い、もう6年以上になる。同じく留学前に買ったパソコンは留学中に壊れ、デジタルカメラは帰国後に壊れた。この電子辞書も1年半前に一度壊れたのだが、5千円以上も払って修理した。それだけ愛着のある辞書である。その時は、濡らしてもいないのに故障原因は水の浸入とされた。今日の一件で、いずれはまた壊れるかもしれない。大切に使わねば。

初めての節分

 今日は節分である。立春の前日が節分であるが、そういえばなぜ毎年2月3日なのだろう。立春は毎年ずれてもおかしくない。調べてみれば確かに変わりうるのだが、1985年からずっと2 月4日で、今後もしばらく4日が続くらしい。子供の頃は節分が4日の年もあったあったはずであるが、残念ながら記憶にない。それはともかく、今日は早めに仕事を切り上げ帰宅した。毎年鬼になって子供をいじめるのが恒例だ。特に今年は息子にとって初めての節分である。娘に鬼の面をかぶらせて、息子をいじめさせてみたところ、最初はびっくりした様子だったが、にこにこ笑い出す始末。叫び声をあげてしつこく迫ると、多少変な顔をしていたが、けっきょくは泣かなかった。娘が0歳のときは大泣きさせてしまったのだが。こんなビデオが毎年たまって行く。

振替輸送

 朝、丸ノ内線が車両点検のためという理由で動いていなかった。改札口付近は大混雑である。会社に遅れるという連絡を取っているサラリーマンもたくさんいた。幸い有楽町線が振替輸送していたので、こちらも混雑していたが、僕はなんとか職場にたどり着くことができた。今日は午前中に新しい机や椅子が届く予定になっていて、何時になるのかはっきりしていなかったが、それゆえに9時までに着かなければとけっこう焦ってしまった。けっきょくはぎりぎり9時頃だったか。丸ノ内線で通常通りに通って着くと考えられる時間と比べ、10分ほどしか遅れてはいなかった。東京はあちこちに電車が走っていて非常に便利である。それにしても、電車通勤のたいへんさを久しぶりに味わった。

芙蓉の人

 以前、磐梯山に登った時の写真をウェブに公開していたら、同年代の一人の男からメールが届いた。それ以来、時々連絡を取り合い、実際何度か会う機会も得た。芯が強く、また、それゆえか、なかなかの苦労人で、彼の発言と行動から学んだことがいくつかある。そんな彼がいくつかの本を紹介してくれたのだが、手始めに新田次郎『芙蓉の人』を読んだ。行き帰りの満員電車の中で夢中になって読み、1週間ちょっとで読み終えた。野中到の富士山冬期滞在のことは英語の教科書か何かで読んだことがあり知ってはいたが、これほどまでに壮絶なことだったとは想像がつかなかった。僕が生まれた年に書かれた著者のあとがきを読み、この小説が妻である千代子を描いた物であることを知らされはっとさせられた。確かにそうだ。彼女こそが日本の誇るべき女性であり、富士山冬期滞在記録は到によってではなく野中夫妻の2人によって成された偉業なのである。当初の目標は果たせず失敗だったのかもしれないが、当時の日本国民に与えた影響はよほどのものであったことだろう。彼女の生き様を今の日本人に当てはめるのはあまりに強引かもしれないが、見習うべきところは多い。冬はうちから富士山が良く見える。今から114年も前、どんな装備および設備があったのか想像もつかぬ時代に野中到と千代子はあの頂きにいたのだ。そしてこの夏、娘を連れて富士山に登る。この年では教えてやれることが限られてしまうが、嫁に出すまでには『芙蓉の人』を読ませねばならない。
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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