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昼休みのピアノコンサート

 昼休みのピアノコンサート、今日は大学4年生による、モーツァルトのソナタ第10番と、ショパンのバラード第3番であった。どちらも僕にとっては馴染みのある曲で、以前はしばしばCDで聴いていた。最近は全く聴かなくなってしまったが。娘がソナタ第15番を発表会で弾いたのだが、どちらもハ長調で似た雰囲気がある。いずれはこの第10番も弾いてくれるのか。モーツァルトと比べると、やはりショパンのバラードは迫力がある。CDを聴いていただけでは良く分からないのだが、目の前で演奏を見れば曲への印象はがらりと変わる。実はショパンのバラード第1番もそうやって好きになったという経緯がある。ほんの20分間、ちょっとした数の学生や教職員が集まる程度なのだが、どれだけの準備をしてきたのか。素人の僕には完璧な演奏に思われた。
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ウクライナ人と対局

 ウクライナ語のクライアントを使っていたから恐らくウクライナ人だろう。向こうは日曜日の夜10時くらいか。写真から判定するに男。KGS 12kとなっている僕と15kの彼とで3子局。いきなりカカって戦いを挑んできたが、なるべく僕の方はワリ打ち、そしてヒラいて序盤は有利に展開。やはり3級も差があると下手だなと高を括って楽しんでいたら、中盤で、中央を3ヶ所ばかりやられて大失敗。欲張らずに、自分の弱い石は早めに守っておかなければいけない。これは負けたかと思ったが、最後は右上隅で向こうが失敗してくれ、なんとか僅差で勝った。毎日午前9時にランクが計算されるのだが、ついに11kに登りつめた。KGS 1桁級まであと2つ。半年前と比べると、我ながら、ずいぶんと強くなったものだ。
May30_2011

ショウガとトマトの同時栽培

 ショウガの栽培をしようと食用のショウガを買って来て1ヶ月以上放置してしまったが、今日、ようやく土に植えた。すでに芽はいくつも出ているが、埋めた土の中から出てくるにはまだまだ時間がかかりそうだ。そんなわけで植木鉢がなんか寂しい。その辺に生えていたトマトの苗を上に植えてしまうことにした。これは恐らくミニトマトで、毎年蒔きもしないのに必ず生えてくる。自分で作っている堆肥のせいであろう。野菜くずからだったり、息子のうんちだったり。今年はかなりたくさん芽が出ていてどうしようか困っている。

iPad購入

 先週、ふとiPad 2を買おうと思い付き、自宅近くの家電量販店に行ってみたが、在庫がないと言われあきらめた。きのう、職場からの帰りの池袋、まさかとは思いつつ、様子を見に行ってみると、在庫があった。容量の大きい方ほど、また黒よりも白の方が残り数わずかである。僕の用途では、最も少ない16GBでじゅうぶんである。色は黒を買おうと思っていたが、黒は男性、白は女性に人気があると聞き、黒を買うのがつまらなく思えてきた。それに白の在庫はもはや数台だという。というわけで、白を買ってしまった。家に持って帰ってみると、家族共用の白いiMacとマッチしていてなかなかいい。iPad 2はその初代よりもずっと良くなっているようで、以前からずっと買う機会を伺っていた。ついでに評判のいいカバーも買い足した。さっそくDropboxをインストールし、土曜出勤の電車の中でPDFの論文を読んでみた。あたりまえかもしれないが、iPhoneよりもずっとずっと読み易い。しかし、すいている電車で座ってしまったら、いつの間にかiPadを持ちながら居眠りしていた。

QRコードを初めて使う

 これまで、いわゆる日本のごく普通の携帯電話を持ったことがない。妻が初めて妊娠した時「頼むから携帯電話を持って」と言われ、しかたなくプリペイド式のKDDIの携帯電話を使っていたが、留学した際に破棄した。カナダにいる頃に持とうかとも思ったが、けっきょく持つことはなかった。帰国すればまた持つようにと言われたが「iPhoneが日本でも発売されたら」と言って先延ばしし、1年以上自由の身だったが、さすがに言い逃れができなくなってきた。使い始めたのは妻に宣言していた通りiPhoneである。というわけで、QRコードという謎の絵柄に関わりなくここまで生きてきたのだが、今日出たCell誌の表紙に刺激され、iPhoneでQRコードを読めるようにしてみた。世の中にはこんな便利なものがあったのかと今頃になって思い知らされた。日本発らしいが、その米国の学術誌Cellを皮切りに、もっともっと世界中に普及するかもしれない。10年もすればまた違う便利な物が登場しているかもしれないが。

義父からもらった本の行方

 義父から譲り受けた司馬遼太郎の本は『坂の上の雲』と『世に棲む日日』を除き全て処分した。最後に読んだ『播磨灘物語』もおとといの朝、ごみ集積所に置いておいた。その日、斜め下に住んでいる奥さんからたまたまメールで連絡があり、そういえば娘さんの名前を司馬遼太郎の小説から取ったとか言っていたことを思い出し、『播磨灘物語』を捨てたことを伝えた。まだ置いてあるかもしれないから、万が一興味があったらと。今朝になって確認してみると、その上中下3冊だけはきれいになくなっていたから持って行ってくれたのかと思ったが、昨夜、取りに行ったらなかったとのこと。他の誰か、司馬ファンが持って行ったに違いない。今頃、読んでくれているのか。それとも古本屋に持って行って小銭を稼いだだけか。

やさしいJava

 来月から大学院生向けの講義でプログラミングを教えることになっている。言語はJava。何度か勉強したことはあるのだが、Javaは仕事で使ったことがない。普段使っていないとプログラミング言語などすぐに忘れてしまう。そんなわけで簡単な本を一冊読んでみることにした。最寄りの区立図書館で見つけた高橋麻奈『やさしいJava』という本で、厚いものの、タイトルの通り本当に易しい本だった。オブジェクト指向にまで説明が及んでいるが、理解できない部分はなかった。かつてはプログラミングの勉強というと、難しいアルゴリズムが紹介されてそれをコーディングして行くタイプが多かったのだが、最近は、特にJavaなんかの本ではそうでもないのか。車を作りましょう、ナンバープレートは、ガソリンの量は、レーシングカーも作りましょうというような馬鹿みたいな例題の連続で、実用的にどういったプログラムが組めるのか、僕には応用できるものの、初心者にとってはどうなのか。プログラミングの面白さを分かってもらえるような本なのかは疑問だ。練習問題まで解く時間はなく、すっ飛ばしてしまったが、とにかくJavaを概観することができ、薦められる本ではある。重要なところ、忘れそうなところはちゃんと書き留めてから図書館に返却した。

マンション投資というビジネスモデル

 職場にしばしばセールスの電話がかかってくる。ほとんどがマンション投資に関する話で、そうと分かれば切らずに無言で受話器を机の上に置き、仕事に戻る。しばらくすると、受話器が上がりっ放しの警告音が出るのでそこで電話を切る。たいていはこれでかけ直されるようなことはないのだが、先月、陽気なお姉さんが「聞き取りにくかったようで」と申し訳なさそうに、懲りずに再びかけてきた。てきとうに1ヶ月ぐらいしたら暇になるからまた連絡してくれと伝えておいたら、律儀に期日通りにかかってきたのでしかたなく会うことにした。そのお姉さんは新入社員だったようで、別な男性もやって来て、丁寧にいろいろと説明してもらい、僕のためのプランまで立ててくれた。それはともかく、どうしてこういった商売が成り立つかを理解することができた。なかなかのビジネスモデルである。競合他社が多数存在するのも頷ける。いい話のように思えるが、確実に儲かるのはこういった会社であって、やはりマンション投資は投資であり、客の側にはリスクが伴う。今日はもういいと伝えておいたのに懲りもせずまた来て、くどくどと話を進めるよう説かれた。最後には腹が立ってきて追っ払った。

学生へのアンケート

 大学院教育改革の関連で、大学院生90人にメールでアンケートを送った。はっきり言って、僕はアンケートは大嫌いであるが、何かを報告しなければならない立場にあると、アンケート結果があるということは非常に助かるのは疑いのない事実である。ともかく、アンケートと書くと無視されかねないということで、調査とし、アンケートという単語は入れていない。90人のうちいったい何人が返してくれるだろうか。ちらほらと返信が来始め、今のところは一通一通に軽く返信している。だいたい、僕の感覚からすると、大学教員からアンケートの依頼があれば、否応なく答えるものだと思うのだが、今時の学生はなかなか手強い。

使えるようになっていたCygwin

 昨日のコンピュータの演習では、Mac OS Xを使ったUnixによる演習だったわけだが、Windowsを持って来た学生はCygwinをインストールして同じような作業を行った。Cygwinとはとても懐かしい。博士課程の学生の頃だったか、学位を取った頃だったか。自分のWindowsにCygwinをインストールしてbashが使えるようになったことをひどく嬉しく思ったことを覚えているが、けっきょくはLinuxの方がまともに動いていたので、それっきり使うようなことはなかった。Cygwinは、WindowsをUnix環境に似せて使うためのソフトウェア群だが、当時よりもかなり良くなって、そこそこ使えそうである。もちろん、デュアルブートしなければならなかったり、仮想マシンでメモリを食うようなこともないから、なかなかいい感じである。今日、7年ぶりくらいに自分のWindows Vistaにインストールしてみたが、確かに使えそうである。少なくとも、Windowsのコマンドプロンプト、つまりCOMMAND.COMとはおさらばだ。

学生のコンピュータスキル

 電力不足のため、今年の夏はどうなることか。大学の講義は7月中旬までで終わらせることとなり、僕が担当している夏休みの集中講義は、土曜日の午後に変更になった。今日はコンピュータを使った演習をしている大学院生達の様子を見て、手助けしたりしていただけだが、この時代に育ちながら意外と彼女たちはコンピュータの扱いに慣れていないような印象だ。もっとも僕自身も、修士課程の学生の頃はそんな程度だったか。学部学生の頃は基礎的な学問を修め、こういったスキルを習得するのはまさにこれからであろう。就職するまで、あるいは博士号を取得するまでに、ぜひコンピュータを、研究するための便利な道具として使いこなせるようになってもらいたい。

ショウガの芽

 ちょっと前、テレビでショウガの栽培に関する情報を得た。意外と簡単で、葉生姜と根生姜の二度にわたって収穫が楽しめると。なんか面白そうなので、スーパーマーケットから芽が出そうなショウガを選んで買ってきた。本来ならば食用に売られている物ではなく、種生姜を使うべきらしいが、ちゃんと芽が出てきた。部屋の窓際に置きっ放しでそろそろ1ヶ月にもなる。早めに土に植えてやらないと。
May20_2011

40代を後悔しない50のリスト

 どこかのウェブサイトを見ていたら『40代を後悔しない50のリスト』なる本を見つけた。コメント等を読むとそんなに良さそうでもないので、あまり読む気もしないが、その50のリストは目次を見るだけで確認できる。40代という10年間の過ごし方は人生においてきわめて重要らしい。確かにそうかもしれない。その50のリストを以下に挙げておく。参考になるものもいくつかある。人生で手に入れたいことを3つに絞り円グラフに描く、20%は必ずオフェンスモードを入れる、豊かな人生はグレーゾーンから生まれる、1週間ごとに仕事と家庭のウエイトを振り分ける、1年ではなく1日のスパンで元気のもとを探す、基準を設定して相対的な自信を持つ、意思決定は小分けして判断できるサイズにする、人間検索できるキーパーソンを3人持つ、自分の強みがマネジメント脳かマーケティング脳かを知る、会社が自分に何を期待しているかを把握する、ドキドキするゴールを毎週設定する、ラストチャンスとして具体的に未来設計する、四半期ごとに会社に貢献できたことを書き出す、業務以上にモチベーションをマネジメントする、大局観・共感ポイント・落としどころを常に意識する、相手の心を動かす伝達力3つの奥義を知る、意思決定は感覚的ではなく定量的に行う習慣をつける、常に今よりスピードアップすることを考える、まずは相手の立場を考えたひと手間から始めてみる、効率より週末時間を稼働させることを意識する、週末を6分割してどう過ごすか計画する、家族時間を長時間取るのが無理ならひと手間加えて10倍演出する、月火木は飲みにいかないなどと自分で取捨選択する、期限つきで人付き合いが悪くなる宣言をする、関係者軸と時間軸で優先順位を見極める方法を知る、意識的に10分でできる仕事を持つようにする、常に時間ができたらやることリストを書いておく、本当に困ったときに助けてくれる仲間を持つ、人的ネットワークで問題解決できるようにする、年下との付き合いは自己成長を促し情報とチャンスを運んでくれる、相手への関心をベースにした質問力を磨く、キーワード・キーフレーズ・エピソードの三段論法で話すクセをつける、ノンバーバル・コミュニケーションを身につける、自分の存在価値を実感できる仕事以外の活動に意識的に参加する、通勤電車の中はフィードバック時間にあてる、ばっかり読みで確実に腹に落とす、バイブル読書で内容を講演できるくらい読み込む、本は言葉探しのために読む、リビングの端っこを書斎と呼ぶ、結局ケチは損をするので後輩にはおごる、犠牲者が出るなら介護のプロに任せる、世界を広げる近道として人の趣味に乗っかる、親業とマネジメントの共通点から人を育てることを学ぶ、上司の能力を意思決定の基準から積算する、会社が人を育てようとしているか見極める、出世するには長いものに8八割巻かれる、誰もが納得できる人事はないことを知る、一つに絞らずすべり止めを持ちながら月7万円稼げる副業を持つ、地域社会で「さようなら」と言い合える関係を築く。

山歩き中に思いついたアイデア

 週末、山の中を歩いている最中に、ふと新しい研究のアイデアを思いついた。忘れないうちにと今日、さっそく取りかかってみたのだがどうなることか。研究補助者にも手伝ってもらい、もうちょっと進めてみるつもりである。

登山後の筋肉痛

 土日はずっと山を歩いていたので、未だに筋肉痛で足が痛く、特に階段の上り下りが辛い。子供達はそうでもないようだが。ここ1週間は17階までの階段上りはやめることにしよう。

甥のちょっとした遭難騒ぎ

 甲武信ヶ岳を下山し、沓切沢橋まで下りると舗装された車道になる。その後、甥のちょっとした遭難騒ぎを起こしてしまった。反省の意味を込めて、その時の状況を整理し、記憶にとどめておきたい。甥は母親、つまり僕の妹に似ず、怖がりで行動が慎重である。これが遭難の原因でもあり、事なきを得た原因にもなる。雁坂峠からの下りでは何が不満なのかふて腐れた態度で、さっさと歩かない。子供のそんな態度に付き合うのは馬鹿げているのでいつも無視だが、前を行く2人とはどんどん距離が離れて行く。これまでの経験からして、もっと速く歩けないわけがない。急かしても言うことを聞かないので僕はいらいらする。与えられた時間はそう長くない。コースタイム程度の時間で下るには、このペースでは遅過ぎるのだ。下山後に温泉に行く時間も確保せねばならないし、東京に戻ってレンタカーを返すにもタイムリミットがある。そんな感じで1時間半くらい下った頃か、2人の姿がずっと確認できていないことがかなり不安になってきた。ここまでけっこう危険な道が続いている。友人はそれほど山に慣れているわけではない。甥を追い越し、走って様子を見に行くことにした。すると甥は恐怖を感じたのか、今頃になっていきなり走ってついてくる。さすがにここは危険なのでゆっくり来いと言い、危険な場所があったら止まって待っているよう指示する。僕は様子を見に行くだけで戻って来るつもりだった。娘と友人は、先に進むのが困難と判断したすぐその先で止まっていたので4人そろって休憩することができた。これが今回最後の休憩になった。ここまででかなり不安を感じたのだから、この先も一緒に行けば良かったものの、やはり早く駐車場に戻りたかったので、そのためにも速く歩く2人を先に行かせた。甥は暢気にパンを食べている。もう少しで車道に出るはずだ。少し歩くとずっと下の方に車道が見えた。2人はもう車道を歩き始めていた。そして僕らも沓切沢橋を渡って車道に出た。また離れてしまったので、甥に走るよう言っても疲れと下山した安堵感のためか走らない。追い抜いて走って行っても今度はついて来ようとはしなかった。車の鍵を持っているのは僕で、追いつくと言っていたし、追いつくつもりだったので走らなければならない。ここまでの甥のペースはあまりに遅過ぎた。この先、分かれ道があった。ここで待たざるを得ないかと思ったが、これまでの経験があれば甥でも容易に判断できるだろうと、それでも念のため簡単な紙切れにメッセージを書き残して先を急いだ。そんな分かれ道が3ヶ所か4ヶ所あり、次第に不安になってくる。ちょっと待っても甥の姿は見えてこない。これは鍵だの温泉だの言っている事態ではなくなるかもしれないと、途中から引き返す決心を固めた。先に行った娘と友人は、かわいそうだが放っておこう。僕のiPhoneはこの辺りでようやく電波が入ったが、彼の携帯はもはや充電切れのはずである。荷物が重い。適当な藪があったのでそこに隠し、身軽になって坂道を上って行く。どんなに歩いても甥の姿はない。随所に置いてきたメッセージもそのままである。怪我でもして動けなくなったかと想像する。下山してきた一人のおじさんに会い、聞いてみたが、男の子など見ていないと言う。それはおかしい。青ざめざるを得ない。とにかく車道の終点、沓切沢橋までは様子を見に行こう。橋で2人組に会ったがやはり見ていないと言う。万が一見つけたら、車道から移動しないよう伝えてくれるようお願いしたが、もし会えば下まで連れて行ってやると言われた。車道沿いの崖などに転がり落ちていないか確認しながらまた長い道のりを戻る。この辺りは車道を逸れなければもはや危険な所などない。いったいどこに行ってしまったのか。万が一のことがあれば妹に合わす顔がない。僕は地図通りの道を下って上ってまた下っている。彼に会わなかったということは、もはや彼が道を間違えたとしか考えようがなくなってきた。紙切れはどれも見つけられなかったのだろう。この程度の道ならば大丈夫かと判断したのだがそれが甘かったか。いや、下山後の道、あるいは登山口までの道は意外と厄介かもしれない。道に迷ったとすると、彼が自力で駐車場まで行くのはほぼ不可能である。周りの人に頼ってなんとかしてもらうしか手がないし、そのくらいのことはできるだろう。ただ、悪い人にだけ出くわさなければいい。もうそう期待するしかない。置き去りにした荷物は、そのままの状態で見つかった。再び電波が入るようになったので妹に電話を入れた。沓切沢橋で離れて2時間、僕はようやく駐車場にたどり着いた。甥は先に戻っていた。車道から別な駐車場が見え、そこに下りてしまったものと思われる。そこから先の車道はやや上りになっていて、紙切れを置いておいたのだが、右下方に駐車場を見つけた安堵感の方が大きく、判断を誤ってしまったのだろう。しかしその駐車場はきのう自分たちが出発したところとは違う。このことに気付き、どうしていいか分からずにパニックになった。幸い、辺りにはもう人が多いので、親切な人が甲武信ヶ岳登山に使われそうな駐車場を探して、車で送ってくれた。泣きながらも、その程度の情報ぐらいは伝えられただろう。道に迷うようなことはないはずだとの判断は誤ったが、その後の対処は僕の思っていた通りだった。そもそも離れ離れになったことが良くなかったのだが、これから子供達も経験を積めばそういうことが起るだろう。そこで迷わないためにも、自分の出発地がどこで、どこを通ってどこに向かうのか、周辺にはどのような山や谷、小屋や集落があるのかを把握させておくべきだった。地図とコンパスも各自に持たせるべきだった。道に迷った場合、どう対応すべきかもしっかり教えておく必要があった。子供達はこれまでの経験で多くのことを学んでくれていたが、それだけではじゅうぶんでない。結果的には僕が焦ったために、1時間半ほどの時間のロスとそれだけを歩いた体力の消耗を引き起こした。甥には極度の不安感を与えてしまった。最終的にはレンタカーを返すのが2時間遅れただけのことである。甥の態度にいらいらしたところに根本的な原因があったように思うが、今となってはお互い、いい経験ができたし、今後に活かされることであろう。
May16_2011

甲武信ヶ岳下山

 夜は何度も目を覚ましてしまったが、温かい布団のおかげでぐっすりと眠れたような気がする。まだ真っ暗な3時半に起き、朝食のインスタントラーメンの準備。迂闊にも電池を忘れてしまい、甥の持ってきたヘッドライトに頼る。小屋の充電池による明りにも助けられた。ここはうるさい発電機はなく、電力は太陽光パネルでまかなっているらしい。今回は水は無理して持ち上げなかったので、1リットル当たり50円で購入。ただし、量は適当でいいとのことで、支払いも自己申告。僕は道具をそろえて湯を沸かすなど最初を担当しただけで、あとは友人に任せた。おいしいコーンラーメンができ、食べ始めたのが4時15分。35分頃に御来光が見られるとのことで、子供達を急かし、慌てて外に出てみると、ちょうど雲の上に太陽が出たところだった。小屋からすぐ見られるのはいい。外気は零下3度。小屋の周囲も残雪が多い。昨日はあきらめたのだが、とりあえず空身で甲武信ヶ岳は往復することになった。荷物がなければ楽なものである。5時を過ぎるとかなり明るい。富士山の眺めが素晴らしかった。ここは富士山の真北に位置する。頂上は風が強かった。そんなのは良くあることなのだが、みんなは慣れていないようで怖気付く。ここまで雪の量はたいしたことがなかったが、この先、三宝山まではどうなのか。ここよりも8mばかり高いその山を断念せざるを得なかったことは今でも悔やまれる。時間の余裕があれば、独りでも走って行って来たかった。しかし今度は、長野県側からも登ってみようという気にもなるかもしれない。子供達は小屋のおじさんと一緒に写真に収まり、荷物を持って出発したのが6時20分。十賊山は巻いて奥秩父主脈に出る。気温が低いためか雪が崩れず、それほどの苦労はなかった。今日は下りと思っていたが、実はそう甘くはない。西破風山、東破風山、雁坂嶺をはじめ、そこそこのピークが連なるので、稜線伝いのアップダウンが続く。途中にある避難小屋はいい小屋だった。天気が良く、景色もいい。枯れ木が多いのが気になる。バイカオウレンが小さな白い花をつけていた。頑張って雁坂嶺まで来ると、あとは下りである。日本三大峠の雁坂峠でバケットや黄桃を食べ、さらに下って行く。この下にトンネルが掘られているとは想像しがたい。この辺りから甥が遅れ気味になり2グループに分かれてしまう。そんな状態で延々と下りが続く。久渡沢からかなり上がった岸に登山道が通されていて、かつ所々崩れていたりして危険なところがある。一度4人そろって休憩を取ったが、またばらばらになってしまった。沓切沢橋から車道になるが、そこから駐車場までコースタイムで1時間のところ、ちょっとした遭難騒ぎを起こしてしまい、僕は行って戻ったのでその道を3度歩き、最終的に到着するまで2時間以上かかってしまった。塩山温泉で湯に浸かり、夕食を食べて帰京。中央道の渋滞のため、予定通りのレンターカーの返却ができなかったが、なんとかこの日のうちに無事、帰って来ることができた。
May15_2011

甲武信ヶ岳登山

 昨夜作った麦茶をペットボトルに詰めたりしていたら思いのほか時間がかかってしまった。体調はそれほど悪くない。娘を起こして車で出発したのは午前3時。山手通りを進み、甥を拾ったのが4時前、友人を拾った頃にはもう辺りは明るくなり始めた4時15分だった。中央道談合坂SAで朝食。昼食のおにぎりや、6時まで待ってバケットを買ったりした。6時には登り始めたかったのだが、そのためは午前1時過ぎに出発する必要があった。そうでなければ、車で都心をうろうろしたのが良くなかったか。いずれにせよ、なんとか7時半には歩き始めることができた。なかなかの好天、絶好の登山日和である。ここは西沢渓谷への遊歩道になっていて、22年前、乾徳山から下山した際に通ったことがあるはずなのだが全く記憶にない。その際に使っていた地図を見ると、戸渡尾根の登りに徳ちゃん新道などという道は書かれていないのだが、今回はそこを登る。山小屋を予約した際に勧められたためだが、反発して珪石採石場であった旧道を取ることも考えられたが、あれだけ子供たちがかわいがってもらったのだから、新道にして良かったかもしれない。その小屋のおじさんが何年か前に切り開いたのが徳ちゃん新道である。尾根沿いの歩きやすい道で、特にシャクナゲのトンネルはすばらしい。序盤は甥が遅れ気味で頻繁に休憩を要求されたが、1時間に1度休む程度で進むよう心がけた。その都度、水分と食料を補給する。友人と子供達は初対面だったが、すぐに馴染んでくれ、また友人もわがままな子供達の面倒をよくみてくれた。戸渡尾根はところどころに急登があり、登りが延々と続く。こんな登山は初めてだという友人も、重い荷物を背負いながらもいいペースで登ってくれた。実は、小屋のおじさんから、雪が残っているからアイゼンとスパッツを持って来るようにとアドバイスをもらっていた。そうは言っても、自分の分一組しか持っていないので持って来なかったのだが、次第に雪が深くなってきて、その重要性を思い知らされる。いや、この時期に2400m級の山にこのメンバーで登るのは無理があったのかもしれない。僕自身は何とも思わなかったが、3人にはかなり辛かったらしい。雪道を悪戦苦闘して、靴の中を濡らしてようやく十賊山の頂上にたどり着く。ここですでに目指す甲武信ヶ岳の標高と変わらず、こらら2つのピークの鞍部に小屋があるのだが、この先さらに雪が深くて危険だということで、雪のない尾根の東側に藪を漕いでなんとか小屋に出た。今日は三宝山まで往復する予定だったが、もはや3人にそんな気力はなかった。ここまで来れただけでも良かったかもしれない。休憩を入れて7時間20分の登りだった。ここには管理人用の風呂があるようだ。子供達は小屋のおじさんに濡れた靴を乾かしてもらうのをきっかけにして仲良くなり、とても世話になった。売り物の手ぬぐいなどももらっていた。僕の方は持ち上げた缶ビールを飲みながら夕食の準備。自炊は僕らだけだった。ご飯はコッヘルで炊いた。カレーはレトルト。山小屋で出される夕食もカレーライスだったようだ。僕らは寒いが外で準備し、外で食べる。ポタージュで体を温める。ポテトチップスは好評だった。この時、気温は4度程度なので、冷蔵庫の中にいるようなもの。ゼリーはその辺に置いて固めたが、寝たかったので早めに食べてしまった。おじさんが自分が撮影したビデオや写真を見ろと言うので、他の登山者たちと一緒に見たが、なかなかのものだ。僕はもう眠たくてたまらない。午後7時、寒い小屋の2階で震えながら眠った。僕らを入れて10人もいないので、ガラガラである。子供達は湯たんぽをもらっていたらしい。
May14_2011

登山前日の体調

 風邪をひいて1週間になる。もちろん、ひどい症状は2日もあれば収まるのだが、その後、なかなか抜けないのが細菌による風邪である。今日も体調が万全とは言い難い。明日から甲武信ヶ岳登山だというのに。食料などは買ってあるものの、まだ持ち物や装備のパッキングをすませていなかった。早めに職場を抜け、帰宅。クローゼットの奥からザックやカッパ、コッヘルなどを出す。7時半頃にレンタカーを借りに行った。明日の未明午前2時半頃に出発の予定。前もって準備しておけば良かったのだが、今夜は3時間しか眠れそうにない。けっきょくいつもこうなるのだが、今回は特に体調が気になる。幸い、同行する娘にはうつっていないようだ。

4年半ぶりの再会

 アルゴンキン州立公園で5日間のカヌー・キャンプをしたのはもう4年半前になる。あの仲間3人がそろって顔を合わせたのは、今日までずっとなかった。以前は年に1度は山に行ったりしていたものだが、互いに住む場所が離れ、30代後半になり、子供達の相手もしなければならなくなるとそう簡単には会えない。ましてや5日間のキャンプなど、隠居でもしなければもはや夢の話である。居酒屋で飲んで、ラーメンを食って楽しい時間だったわけだが、こんな1日は1年も経てばきれいさっぱり忘れてしまうだろう。やはりどこかに行き、共通の目標を持って苦労し、喜びも楽しみも共有しなければならない。次の機会はいつやって来るか。

40代になって手にした若手研究

 昨年度は科学研究費補助金、いわゆる科研費がもらえなくて、研究面において非常に厳しい一年間を過ごした。幸い今回は採択され、これから3年間、ある程度の研究費を確保することができた。実際、審査員が誰になるかなど運も大きいのだが、昨年は悔しい思いをしただけに、今回の勝因を整理して、今後の研究費申請に活かして行きたいと思う。第一に、大学で開催された科研費パワーアップセミナーがとても役に立った。若手研究の採択率は例年24%程度だが、今回は30%にまで引き上げるという。年を取っていれば研究業績の量的な比較において明らかに有利なはずで、この点、考慮されるのかどうか気になっていたのだが、セミナーで質問したところ、審査員を経験した大多数の先生方は年齢を考慮しないとのこと。それに受給回数制限が導入されるので、優秀な若手研究者は若手研究に応募できなくなる。というわけで、若手研究に申請する決心がついた。申請書における太字や下線の活用、図の利用などの重要性もこのセミナーで思い知らされた。それから前回の審査結果が大いに参考になった。研究目的がよく理解されていなかったようだったし、研究計画はより詳しく書くことが要求されている。計画通りに進まなかった場合の多方面からの検討は必ず書かなければいけないようだ。さらに、別な研究費申請でいただいたコメントも役に立った。僕は遺伝子発現制御に興味を持っているわけだが、この研究計画はその分野の研究者には受けが良くなかったようで、分野を分子進化に変更した。これが大きな変更点だったわけだが、以上の情報を一つ一つ整理して、対策を立てたおかげで、今回は運よく科研費を当てることができた。国民の血税、ましてやこの震災直後、有効に使い、意味のある研究成果を出したい。

メールフォームのスパム

 ウェブサイトでメールアドレスを公開したくないので、Perlのスクリプトを書き、CGIでメールフォームを作っている。利用してくれる人は年に数人程度で、ときどき変なメッセージ、つまりスパムが入って来るわけだが、今月初めから急に1日に何件ものスパムが立て続けに送りつけられた。この調子だと、手作業で取り除くのが困難になるので、なんとかしなければならない。相手はもはや手入力ではなく、プログラムを組んで自動化させているはずで、かつ僕のメールフォームのURLは広く知れ渡ってしまっているに違いない。応急処置としてURLを変更したところ、ぱたりと止んで今日に至っている。いずれまたこのような事態になるのは、時間の問題である。表示した画像に書かれている文字の入力を促すなどのスパム対策を施さなければならないか。それとも無料のメールフォームサービスを利用するか。

英語教育の改革

 後期は英語教育が専門の先生と組んで、学部学生に科学英語を教えることになっているのだが、先日、その先生といろいろ話した。興味深い話で共感できることや参考になったことも多かったのだが、現在形は不自然な場合が多いので過去形から最初に教えるべきではないか、能動態の文を受動態に変換する作業はたいていの場合不自然な文になってしまうのであまりいい教え方ではないなど、いろいろと伺った。確かにその通りで、英語教育の改革が進んでいるのだろう。しかし僕自身のことを思い返してみれば、中学校からの日本の英語教育で、とりあえずは使える英語を習得できたし、問題はむしろ英語おたくの教師の方にあると思っている。従来の英語教育の方法が、どれほどの試行錯誤と努力の上に成り立っているのかを把握せずに安易に改革に走るのも危険である。犠牲になるのは生徒や学生である。娘に英語を教えていても、やはり現在形から、進行形にしたり、過去形にしたり、完了形にしたり、変換作業をさせることは必要不可欠に思われる。受動態はまだ教えていないが、おかしな文になろうがなかろうが、変換作業をやらせねば僕の気はすまないだろう。

播磨灘物語

 義父からダンボール数箱で送りつけられた本のうち、最後の最後に残ったのが司馬遼太郎『播磨灘物語』だった。上、中、下と3冊あり、かなりの長編だ。特に興味を引くような題名ではなかったため、後回しになったのだが、今回も読み始めるまでどんな内容か全く知らなかった。主人公は黒田如水、この話の中ではほとんどの部分で小寺官兵衛という名で登場する。洗礼名はメシオン、諱は孝高。やはり黒田如水の名で知っていたが、これからは黒田孝高で記憶にとどめることにする。最終章で、例の有名な話が出てきた。秀吉が死んだら天下を取るのは黒田だと秀吉自身が説いたとのことである。いったい黒田とはどんな人物なのか。ここで数行にまとめるのは困難極まりないが、この本を読めばそれに対する回答は容易に得られる。それにしても強烈な印象を残したのは長期間、孝高が有岡城の牢に閉じ込められたことである。これほどの苦労をしながら戦国時代を生き抜く孝高にはかなり勇気付けられる。しかし最も読み応えがあるのは、信長に対する秀吉の、そして秀吉に対する孝高の思慮と行動であろう。非常に参考になる。これまでの自分がいかに間抜けだったかを思い知らされる。

今年2度目の風邪

 けっこうひどい風邪をひいた。最近は2月初めにひいたので、それから3ヶ月しか経っていない。またしても息子からうつったのか。今回のは特に鼻詰まりがひどくて息ができない。頭が痛いのもこれが原因のように思われる。立ち上がると辛いのでほとんど今日一日、布団の中で過ごした。せっかくのゴールデンウィーク終盤だというのに。せめて本を読んだ。司馬遼太郎『播磨灘物語』だが、もう少しで読み終わる。

空の巣症候群

 半年ちょっと前から研究補助の方をつけてもらってるのだが、コンスタントに仕事を指示するのはなかなか難しい。せっかく大学が払ってくれているのだから、この体制をうまく活かして、研究をいい方向に持って行きたい。生物学どころか理系でもないから、僕がルーチンワークを作り出して、彼女に流したいのだが、そのためには事前にあれこれ考えて、それらを試してみなければならない。僕の方がかえってたいへんになってしまうようでもあるが、嫌でも仕事が進む環境を作れる可能性は大きい。これまでのところ、大量のルーチンワークでも丁寧にこなしてくれるし、気を効かせて指示しなかったこともうまく処理してくれる。やる気もあって、理解力もかなり高い。空の巣症候群から何かをしようと僕に巡り合ったようだが、多少前向きな気持ちになったという。僕の方も頑張って、もっと前向きな気持ちにしてあげなければならない。生物学研究の面白さも伝えられればいいのだが。

こどもの日の背比べ

 毎年子どもの日には、子供達の背丈を測る。この1年間で、娘は8cm伸びた。ずいぶんと大きくなってしまったものだ。もうそろそろ大人の丈である。息子の方は12cmも大きくなった。娘の過去のデータを見ても、最も伸びたのは0歳から1歳にかけてで、彼女の場合もだいたいそれくらいであった。柱に傷をつけるのも良くないので、セロハンテープを貼り付けてある。実家の柱には甥の分も含めて、だいぶセロハンテープの印がたまってきた。僕の方は中学校一年生からほとんど伸びていないのだが。

北信観光

 去年も一昨年もこのみどりの日には国営アルプスあづみの公園に行ったのだが、今年も行くという。さすがに新奇性に乏しいので、代わりに地獄谷温泉を提案した。雪の中、温泉に浸かる野生のサル、あのニホンザルがいるところである。というわけで今日も車2台に分乗して大家族9人で遠出。長野県北部の信州中野ICから東へ向かう。目的地の地獄谷野猿公苑は、車で細い山道を進み、さらに山道を歩いて登ったところにある。本当にサルがいるのかどうか心配していたが、そんな必要はなかった。餌付けしているようで、老いたのも、幼いのも、たくさんいる。確かに温泉があり、浸かっているサルもいた。初夏で風情に欠け、湯が獣臭を漂わせていたのがちょっと残念だったが、以前から来てみたかったので満足である。帰りは渋温泉の古い温泉街を散策した。金具屋の斉月楼も見た。冬にでも泊まりに来たらいい感じだろう。さらにその帰り、小布施に寄った。観光客で溢れていたが、確かにどこも観光名所である。
May04_2011

霧訪山ハイキング

 この3連休は安曇野の実家に来ているが、母が霧訪山という山にハイキングに行きたいということで家族みんなで出かけることになった。両親、僕、2人の妹に加え、妻、娘、甥、そして1歳の息子という9人大家族全員そろってのハイキングである。車2台に分乗し、長野道塩尻ICで下りる。霧訪山は標高1300mほどの里山だが、登山口から頂上まで1時間20分ほどかかったのでいい運動である。もちろん、息子は僕が抱きかかえて登った。僕が高校生か大学生の頃に使っていたトレッキングシューズを母が探して出しておいてくれたのだが、このおかげでなんとかなった。黄砂のためか霞んでいたが眺望はいい。頂上でしばらく休んで登ってきた道を下山。休みを含めて2時間半の行程だった。途中から、ぱらぱらと雨が降り出したが、駐車場に着いたところで本降りとなる。午後から登り始めるという暢気なハイキングだったが、ずぶ濡れになることなく、怪我もなく、無事帰宅。
May03_2011

老教授と初対局

 ゴールデンウィークの真っ只中、震災による学生の不安を緩和するとのことで今年に限り、5月2日と6日は休みとなった。それでももちろん、大学に出て来ている学生はけっこういた。昼食を食べに行ったら老教授に会い、HTML5の重要性を説かれ、後で研究室に寄るように言われた。最近はHTML5、MathML、CSS、JavaScriptの勉強に凝っておられるようでいろいろと話を伺う。最近、ようやくXHTML 1.1に慣れてきたかと思ったら、今度はHTML5である。検討しなければならないか。それはともかく、JavaScriptによるアニメーションの話から囲碁に話題が移り、KGSを利用してオンライン対局をすることになってしまった。3kの先生に僕がかなうわけもないのだが、先生が乗り気だし、僕にとってはいいチャンスなので、4子局で戦うことになった。いきなり中央でアタリを見過ごして5子取られ、いい感じで進んでいたのだが調子が狂ってしまった。上辺で殺されそうになり、そこはなんとか凌いだが、下辺で大失敗し、けっきょくは100.5目という屈辱的敗退となった。右上隅の活きを図らなかったことと、下辺の守りが甘かったことが大きな敗因だと指摘を受けた。それでも、最初は負けるかと思ったそうで、上辺における僕の奮闘で先生は満足してくれたようである。僕はこの時12kとなっていたが、8kぐらいはあるんじゃないかとお世辞も言われた。先生はとても上機嫌で良かったわけだが、100目以上の差はさすがに大き過ぎる。次の機会まで、修行を積まねばならない。
May02_2011
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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