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八丈島からカノープスを探す

 朝から雨降りで動きようがない。ずっとホテルに籠っていてもしかたないので、服部屋敷跡に行ってみることにした。ここでも玉石垣が見事である。ソテツなどの植物も一見の価値がある。そうこうしているうちに雨は上がった。三原山中腹にある硫黄沼と唐滝へハイキングに行きたかったが、より簡単そうな裏見ヶ滝に行ってみることに。幼い子供を連れてはこの程度のハイキングがちょうど良かった。ここを歩いただけでも古い三原山の森の雰囲気を味わうことができる。登龍道路の利用はレンタカー屋から控えるよう言われていたが、ここを通らないと島を一周できない。それに登龍園地から八丈富士を眺めることもできない。妻も娘も強行に反対していたが、雨も上がっていることだし僕はそれを押し切って島の東部を回って中心部に戻ることにした。やはりそこからの景色はすばらしかった。八丈小島、八丈富士、空港、町の中心部、自分達の泊まっているホテルまでも見える。昼食後は植物公園に行ったのだが、息子の滑り台遊びで終わってしまった。夕方は温泉へ。息子と一緒に入る予定だったが騒がれて、奴は女湯に移された。独りにされ寂しかったが、大晦日の夕暮れ、ゆっくりと露天風呂に浸かる。夜のご馳走は部屋に運んでもらい4人で畳の上の食卓を囲んだ。息子は喜んで車に乗り、自らチャイルドシートに座ってシートベルトを掛けてくれるようせがむ。夕食後にはビローロードを通って空港まで2人でドライブした。寝かせる目的だったが、奴は起きたままだった。そして4人そろって今度は星を見るためにドライブ。大里の向こうの大坂隧道を超えた辺りで車を止めた。月明りがあるため天の川が見えるほどではなかったが多くの星が空一面に広がっていた。天気はいい。息子を寝かせ、ホテルで年越し蕎麦。その後、ふと思い付いた。ひょっとしたらここからならばカノープスが見られるかもしれない。今度は娘と二人、再びビローロードを走って長崎へ。ベテルギウス、リゲル、シリウスよりもずっとずっと下、シリウスに次いで明るいカノープスを探す。別名、南極老人星。縁起のいい星であることを娘に説明したが分かってくれただろうか。眼鏡をかけてようやく赤い点を確認した。これが長年追い求めていたカノープスか。
Dec31_2011
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伊豆諸島八丈島へ

 年越しは実家あるいは妻の実家が当たり前だったが、今回は娘の希望により家族旅行となった。行き先は都内なのだが八丈島、初めての伊豆諸島訪問となる。恐らく学校で自分の住んでいる東京都のことを勉強し、興味を持ったのだろう。僕としては特に反対も賛成もなく、年の瀬の忙しさに妻任せに計画は進み、午前3時頃からようやく出発準備に取り掛かった。その前にした準備といえば、図書館でガイドブックを借りたぐらいで、まだ読んでいないから何の予備知識もない。こういった旅行は非常に良くないのだがしかたなかった。午前5時には家族4人で出発。羽田から飛んでほんの40分。9時にはうろうろできるのだからさすが都内である。噂には聞いていたが車はどれも品川ナンバーで、僕らもそんな一台を借りてドライブに出発。行く当てが無いのでとりあえず島の中心部を通ってみることにした。そしてTEPCO地熱館へ行ってみたが休館中だった。原発事故対策でそれどころではないのだろう。家族そろって勉強不足だったためにそんな情報も得ていなかった。途中、玉石垣が目についたので、ふるさと村へ行ってみることにした。再現された昔の家もいいが、やはり玉石垣は美しい。大里・馬路散策路を歩くと歴史民族資料館に出る。そこをぶらぶらして散策路を戻った。昼食はうどん屋へ。アシタバという野菜が有名らしいので食べてみた。午後は島の北西部の海岸を一周、つまり八丈富士をぐるっと回ってみることにした。天気が良くて海がすばらしい。やはり車の運転は楽しい。妻と息子はそのうちに寝てしまう。八丈小島の眺めが素晴らしく、車を降りて何度も何枚も写真を撮った。宇喜多秀家の墓に寄り、買い物をしてホテルにチェックイン。僕ではなく、妻が選ぶホテルなのでかなりまともである。海がすぐ近くなので子供達とその底土海岸へ行ってみた。息子にとっては海は初めてではないか。夕食後、子供達と3人で仲良くお風呂に浸かった。
Dec30_2011

年賀状の存在意義

 ようやく年賀状を投函。年内丸々2日を残してなどけっこう早いような気もするが、明日は早朝から家族旅行に出てしまう。この数日間、大慌てで書き上げた。使えるいい写真があれば、あるいは12月に入ってからでも撮っていれば良かったのだが、あまり気に入った写真がなかったことが作業を遅らせてしまった。来年は夏頃から、いやいや早春から再来年の年賀状を意識して家族写真を撮っておくことに努めよう。それに毎日のようにブログを書いて近況を公開しているし、家族の写真などもSNSで一般に公開している。見てくれている人はほんの一部にせよ、わざわざ年賀状でまた何かしらを報告するという気にもなれず、この点でも作業が遅れたような気がする。そんなことを考えていると年賀状の存在意義に対しても疑問が湧いてくる。来年はどうするか、一年かけてじっくり考えてみることにする。

ポメラを使ってみる

 留学する学生の世話をしたことで、大学から教育や研究に使える何かを買ってもらえることになり、デジタルメモをお願いした。具体的にはポメラDM20である。以前から興味があったのだが、買ってまで欲しいとは思っていなかったのでいい機会だった。テキストファイルの編集に特化したというか、それだけしかできないコンピュータのような物。先日の学会で、講演を聞く際に試しにメモを取ってみたが、けっこう便利である。パソコン同様のキーボードが装備されていながら、システムの起動や終了が数秒で、他人から覗きこまれにくく、電池切れを心配する必要がない。今のところ感じている欠点は、意外と大きい、重い、サイズが56kBほどのファイルまでしか扱えない、文字コードがシフトJISのみ。全体の保存容量はじゅうぶん過ぎるほどある。パソコンとのデータのやり取りはUSBで接続すれば簡単で、Windowsしかサポートしないと書かれているが、Macでも問題なく使える。マイクロSDカードも使えるのだが、ミニSDどころかこんな小さな物もあることを初めて知った。あんなに小さいところに2GBも入る。
Dec28_2011

Linux専用のコンピュータ

 普段使っているMac Proで重い計算をさせると、日常の仕事に支障が出たりする。そんなことが気になり、計算専用コンピュータの必要性を感じるようになり、1ヶ月ほど前、10万円の予算でHP ProLiant ML110 G7というサーバを購入した。CPUをXeonにしたら高くついてしまい、メモリは8GBまでしか上げられなかった。OSは何も入っていない。Linuxを入れるつもりである。ディスプレイなしでもなんとかなるかと思っていたが、けっこう辛いので、後から追加購入することになった。Fedora 16をインストールしようとしたら途中で失敗し、なぜかその後、CDやDVDから起動できなくなってしまった。忙しくてずっと放っておいたのだが、今日、HPに電話をして問い合わせたところ、マザーボード上のボタン電池を抜いてCMOSクリアを行うことでその問題は解決。そしてようやくLinuxが動き始めた。これまで、Windowsとのデュアルブートや仮想マシンでLinuxを使ってきたが、今度ばかりはLinux専用のコンピュータとなった。しかも新品。実際に使えるようにするにはまだまだ多くの作業が必要なのだが。
Dec27_2011

図書館が僕の本棚

 最近、娘の本棚が教科書やノート、参考書、本などで溢れてきた。僕の方は蔵書は減らして行きたいと思っていて、最近はその作業があまり進んでいなかったのだが、とりあえず本棚の一段を娘に譲ることにした。そこに置いてあった本は段ボール箱に詰めてクローゼットの中へ移動。ほとんど見るような機会は無いからこれでいい。本棚に多数の本を並べて悦に入る人が多いように思う。僕も昔はそうだったが、今は決してそんなことはない。本を読んだことは誇りに思っても、それを並べることには何の意味も感じなくなった。並べた本をまた読むよりも、別な本を探してきて読んだ方がずっといい。僕の本棚は図書館にあるのだ。結婚して自分の趣味でない本が本棚に並び、また子供が所有する子供の本が家に増えてくると考え方も変わる。死ぬ時までに自宅の蔵書数を0にする、これが今の目標。そのためには、特に好きな本について、読み尽くして捨てるだけの勇気を持てるかどうかも重要になってくる。

戸越公園のヒマラヤザクラ

 息子と図書館に行った帰りにふと思い出し、そして「ひょっとして」と、かつて熊本藩主細川家下屋敷であった戸越公園に行ってみると、やはり咲いていた。ヒマラヤザクラである。春ではなくこんな真冬に咲くサクラがある。名前の通りヒマラヤが起源とされ、その辺りの比較的高い所に生えるらしい。なんだかんだ言って、毎年、このサクラの木が花をつける頃には、ここに来ているような気がする。ありふれたソメイヨシノなんかを見るよりもずっと楽しい。
Dec25_2011

冬のミニトマト

 寒くなってからもけっこうな数のトマトやミニトマトの花が咲き、実ってきたのだが、なかなか赤く熟さない。緑色のまま枯れてしまうのかと思っていたら、今頃になって色付いてきた。取って食べてみると、これがなかなかおいしい。冷蔵庫に入れなくてもちゃんと冷えている。未だ緑色の実はカイガラムシ達とともにこのまま年を越しそうだ。
Dec24_2011

息子を大学に連れて行く

 今日は土曜日だが、研究の打ち合わせがあって大学に行かなければならない。土日はたいてい、幼い息子の世話をしなければならないので時間を作るのが難しい。それに今日に限って、妻と娘は用事があって出かけてしまった。休んでも良かったのだが、息子が電車に乗りたいと言うので連れて行くことにした。しばらくの間だったら、打ち合わせの場にいても静かにしていることだろう。息子を大学に連れて行くのは初めてのことである。さて、予想通り息子は静かだった。最初は。ところがそのうちに予想外の反応を示すようになる。慣れてきてその部屋が気に入ったのか、二十歳(はたち)そこそこの女子大生2人にかわいいなどと言われてか、過剰に上機嫌になり騒ぎ始めた。飽きて嫌になって騒ぐかと思ったら、全く逆で、嬉しくて騒いでいる。あまりにうるさいのであきらめて帰ることにした。帰るとなると、ついに不機嫌になって騒ぎ始める。みんなにはとんだ迷惑をかけてしまった。夕食は2人でマクドナルドへ。大好きなフライドポテトも加わり、上機嫌の余韻はなかなか消えなかった。

唯一の忘年会

 今年の忘年会はとても寂しく、今夜の一回だけ。小学校の同窓会はマレーシアに行っている最中で参加できず、その他、いろいろと話はあったが、12月に入ってしまうともうみんな忙しくて予定が立たない。忘年会は何ヶ月も前もって計画しておく必要がある。今日は早めに大学を出て五反田へ。以前いた研究室の懐かしい面々と顔を合わせる。知らない人も多い。隣が日本語の分からない台湾人で、また斜め向かいに英国人もいて、英語で話さなければならないことも多くてたいへんだった。最近、しゃべっていないので口がスムーズに動かない。なんとかしなければまずい。酔い過ぎると翌朝何もできなくなってしまうことを最近は嫌というほど思い知らされているので、2時間経ったらそそくさと帰宅。そんなことをしているとなんと驚くべきことに子供達の就寝に間に合った。

Illustratorを使ってみる

 来月、非常勤講師で担当するセミナーでの講演について、年内にポスターを作ってくれと頼まれていた。学会発表も終わったことだし、ちょっとやってみようという気になった。実はこのためにもAdobe Illustratorを買っていた。これまで使ったことがなかったのだが、多少使えた方がいいかと思い買ってみた。さてどうやって作ればいいのだろうとあれこれ悩んでいると時間だけが過ぎる。宣伝文句が言う程そう簡単ではなさそうだ。あきらめてMicrosoft Wordで作ることにした。プリンス・エドワード島で撮った輝く湖水の写真を使って、遊び半分で試しに作り、意見をもらおうと思ったら、いきなり採用され、向こうの大学のサイトに掲載されてしまった。今回は断念したが、速いうちにIllustratorの使い方を習得しなければ。
Dec21_2011

理数学生応援プロジェクトの成果

 大学のトップページに加え、今日は大学のメールマガジンに例のBest Paper Awardの件が流れて、嬉しいことに多くの人からお祝の言葉をいただいた。広報に連絡してちょっと大騒ぎし過ぎたような気もするが、どうせ今年度でこの大学からは去るので、このぐらいやっても良かったかもしれない。しかし、大学からはそれ以上にねぎらってもらいたいことがある。理数学生応援プロジェクトで今年度、理学部の1年生、2年生、3年生の3人に、それぞれ別のテーマで学会発表をさせたことである。こちらの方もウェブサイトへの掲載をお願いしていて、今日から公開された。苦労話をすると、みんな同情してくれる。僕もたいへんだったし、学生達もたいへんだったと思う。そのページを見ると少しは頑張った甲斐があったとの思いにふけることができる。3人の学生達がこの経験を将来にうまくつながって行ってくれれば嬉しいことである。大学を去っても彼女達の行く末を見守らなければならない。
Dec20_2011

再生医療生物学のゼミ

 来年度はゼミナール、いわゆるゼミを通年で担当することになっている。対象は生物学を勉強したい文系の3年生と4年生。どうなるのか、初めてのことなのでとても楽しみにしている。理系ではなく文系の学部学生である。何をやればいいのかといろいろ考えていたのだが、時代の流れに沿ってiPS細胞や再生医療について学生達と一緒に勉強してみてはどうだろうと、『再生医療生物学』という本を買ってきた。まずは通勤電車の中で一読してみて、良ければ、学生達とはこれを輪読すればいいだろうか。できることなら卒業研究のようなことも、その発表もやってもらい、卒業論文も書かせたい。

父のパソコンスキル

 父がはがきスタジオというソフトウェアで作成した住所録が開けなくて困っている。WindowsからMacに変えさせ、このような問題が起ることは承知していたし、そう伝えてはあった。本人もその時は了承していたが、年末のこの時期になって騒ぎ始める。Windowsを廃棄してしまったのは僕だし、多少の責任を感じ、なんとかデータだけでも取り出せないものかといろいろ調べていると、筆まめというソフトウェアで読み込めるらしいことが分かった。体験版を無料でダウンロードして試してみると、テキストで書き出すこともできた。すばらしい。1つのファイルにまとめてDropboxで向こうに送る。ところが父は、自分のパソコンの目的の場所に、新しいフォルダを作って、そこにファイルを移動するということさえろくにできない。未だに。電話で指示しても、途中でファイルがどこかに行ってしまって分からなくなったなど、苛々させられることこの上ない。苛々したところでしょうがないのだが。

息子の学芸会

 息子の保育園の学芸会。2歳児に何ができるのかと思ってしまうが、去年に続いて2度目になる。劇のタイトルは『かわいいかくれんぼ』で、一人ずつ鬼に見つかってしまい、ちょっとおしゃべりをする。このぐらいになるとみんな何かしらを話せるようになっている。そして同名の童謡が歌われる。うちの子も、最近はよくこの歌を口ずさんでいる。保育士の先生方も毎日の練習にたいへんだったことと思う。こんな年の頃、僕はいったい何をやっていたのだろう。家で毎日、母や祖母と遊んでいただけなのだろうか。今だに「子供を保育園に預けるなんてかわいそう」という声を聞くことしばしばであるが、決してそんなことはない。

学部学生のポスター発表

 いよいよ学会発表。一人一件しか発表できないのだが、今年は学生2人にやらせるので2件ある。ともにポスター発表。未だ完成段階にあるとは言えず、また学部学生ということもあり、口頭発表への採択は希望しなかった。4日間のうちの最終日で、どれだけの人が聴きに来てくれるか不安で、実際に発表時間がずれていることもあり、お互いに桜として人を集めるよう指示しいたがそんなことは杞憂に終わった。次から次へと若い大学院生や研究者たちが寄って来ていた。発表自体は彼女達に任せているので、僕は離れたところから様子を伺うだけ。どんな会話が交わされているのか、聴き取れないような距離で。他の発表を聴きに行く予定だったのだが、自分の研究の発表の様子が気になって、けっきょくは2つのポスター間を行ったり来たりするだけだった。そして盛況のうちに発表は無事終わった。厳しく突っ込まれたりして学生達にとってはいじめられたような雰囲気を味わったこともあったと思う。中途半端な研究テーマでの発表を押しつけ、申し訳なかったが、その一方でいい経験になったと思う。彼女達の将来に必ず役に立ってくれるものと確信している。
Dec16_2011

もう1枚のA0ノビポスター

 今回の学会発表は学生達2人に発表させるので2件ある。きのうは1つのポスターを仕上げたが、今日中にもう1つを仕上げなければならない。まだデータもじゅうぶんに出ていないので日中はそんなことに時間を費やした。図を作って学生に送り、ポスターを作らせるが、そんなにたくさんは載せられないと言うので、まあこの程度でいいかと、ちょっと物足りないような気もするが打ち切ることにした。そして夜には印刷完了。ノート型パソコンの小さな画面で作業をしていればスペースが足りないように思えるが、実際にはA0ノビで、個々の図は意外と大きくなる。もっと詰め込んでも良かったような印象だ。とにかく明日の発表を目前にして、ようやく大きなポスター2枚が完成した。
Dec15_2011

A0ノビのポスター印刷

 どうなることかと思っていたが、ようやく今日、学会発表のためのポスター印刷を終えた。実は学会はきのうから開催されている。毎日行く予定だったが、きのうも今日も1コマずつ講義があり、発表準備もちゃんと進んでいない。けっきょく参加できるのは発表のある最終日だけになってしまいそうである。横浜などではなく、もっと遠いところでの開催だったら、講義ならば休講にするだろうし、こんな事態にはならなかった。ポスター発表の場合、僕はA4を何枚も用意する方が好きでそうしてきたのだが、今回は学生に任せることだし、試しにA0の大きいポスターを作ることを勧め、実際にそうさせた。作業の大部分は彼女に任せた。どこで使い方を覚えたのか、ファイルは無事完成。僕だったらある程度慣れているが、学部生の彼女にとってはそうとうな時間をかけたことだろう。最後の難関は大型プリンターを使った印刷である。大学のプリンターは故障していたらしいのだが運良くきのう修理が完了し、別な大学院生とともに使い方を覚えた。そして印刷。運悪くロール紙がなくなりそうで、印刷の最後の最後まではらはらさせられたが、本当にぎりぎりセーフで完了。あと数センチ足りなかったら、交換してやり直しになるところだった。こうしてA0より少し大きいA0ノビの学会発表用ポスターがきれいに刷り上がった。

ポスター賞じゃなくて最優秀論文賞

 クアラ・ルンプールで開催された学会、実は閉会式を抜け出すことに対し嫌な予感があった。しかし式なんかに出ることよりもペトロナス・ツインタワーに上ることの方が重要だった。もはやその時間しか上る機会はなかっのだ。帰国便に乗る直前にその式の様子は友人から聞くことができたが、受賞の知らせを受けたのは、翌日、セキンチャンで路頭に迷っていた時である。たいしたことではないのだが、大学の広報に連絡したことで結果的に大騒ぎになってしまった。何人かから「ポスター賞おめでとう」と言われたが、いやいや学生がよくもらうようなポスター賞ではなく、Best Paper Awardである。強引に和訳すれば最優秀論文賞である。閉会式を欠席したことを詫びるメールを送ったら、親切にも主催者から以下のようなことを教えてもらうことができた。Best Paper Awardは学会のプログラム委員全員の投票により決まる。しかし自分が関係する論文には票を入れることはできない。独創性、その分野の研究者に対する重要性、生物学的な洞察、一般的な生命科学者の関心を引くか否か、そして研究手法が考慮される。今回104報の論文が提出され、学会には49報が受理、口頭発表が行われ、5報が投票の対象となり、僕の論文を含め2報が選ばれたということらしい。僕の下手くそに終わった口頭発表は考慮されておらず、あくまでも論文が審査対象のように思われる。今日になってようやく賞状が手元に届いた。現地でもらっていたらスコールでボロボロになっていたかもしれない。賞金や副賞は届いていないからないらしい。最初はたいしたことないと思っていたが、また何らかの幸運があったにせよ、賞をもらったということはよくよく考えてみるとかなり嬉しいことだ。この後の何かにつながればいい。

今回の学会発表の目的

 学生2人に学会発表における注意点を列挙し、メールで連絡した。今回のポスター発表は両方ともまだ論文として発表できるような状況には持ちこめていない。ある程度の方向は定まっていて、ちょっとした調査は入れてあるので、その結果を報告して、聴きに来てくれた人がどんなことを言ってくるかに興味がある。学会発表自体は気楽に楽しんでやってもらいたいので、僕は遠くから眺めている予定だが、2人には今回得られる意見や質問などを、しっかり記録に残しておいてもらいたい。どんな人たちが演題や要旨を見て寄って来てくれたかにも興味がある。そもそも、どれだけの人が聴きに来てくれるかという心配もある。学会最終日というのが不運なのだが、学生達にとってはその方が良かったか。

余裕のない毎日

 最近は全く余裕のない毎日を送っている。やらなければいけないことがたくさんあるのにできていない。もう何をするべきかも分からなくなって、その場その場で自分を落ち着かせて何か一つをとりあえずはやるのだが、重要な何かを忘れているのではないかという危惧がまた余裕のない状態に拍車をかける。一番の気がかりは学生2人の学会発表である。発表に使うポスターどころか、研究の詰めも未だじゅうぶんな状態ではない。日頃から計画的に仕事を進めていなかった付けがたまりにたまって今まさに回ってきている。

月食観測に対する熱意

 今夜は皆既月食。天気はそう悪くない。これまで何度か見たことはあると思うのだが、記憶が定かではない。今回はしっかりこの目で観察することにしよう。娘と一緒に。アラームをセットし、とりあえず布団の中で目を閉じた。まずは10時半に起きて、月が欠けていることを確認する。月の位置はかなり高い。そして寒い。まあ完全に欠けたらじっくり観察すればいいとまた眠ってしまった。そして辛かったが1時間後にまた起きる。月はさらに高く天頂付近にまで昇っていて、ベランダから見るのは大変だったのだが、赤黒くなった月を確認することができた。そして娘を起こす。揺すれど揺すれど目を覚ます気配がない。熟睡状態だ。ようやく起こして完全に欠けた月を見させると、数秒眺めただけで「見た見た」と言って、すぐ寝床に戻ってしまった。恐らく記憶に残っていないことだろう。きっと僕もこんな感じだったのだろう。だから月食観察の記憶は曖昧なのである。親子でお互いにモチベーションを高めて観測する必要がある。
Dec10_2011

教え子に対しての強姦

 毎日いろいろなニュースが飛び交うが、その中で最近、特に僕の目を引いたのが、柔道五輪金メダリストが起こした、女子大生である教え子に対しての強姦である。準強姦などという法律用語や、暴行、セクハラなどという婉曲された表現が使われたりするが、ストレートに強姦ということばを使った方が分かりやすい。いったいどういう経緯でこの事件が起ったのか、いくつもの記事を読まずにはいられなかった。こんなことは、どこにおいてもまた頻繁に起こっているのかもしれず、今回はたまたま著名人が起こしたということで大騒ぎになっているのかもしれない。被害に遭われた方のことを考えると全く心苦しいことではあるが、こうやって大騒ぎになっていることは肯定的にとらえたい。合意の上だったと否認するその言動も興味深い。取り調べが進み、裁判になるとどう展開するのか。今日は大学内の友人と珍しく外に昼食を食べに行った。これまでこの事件について他人と話すようなことはなかったが、独身である彼もこの事件に対する関心は異様に高かった。

マレーシアで経済学の教鞭

 学会での受賞を、そんなに自慢できるような賞でもないのだが、大学の広報に伝えたらトップページに掲載されたようで学内の知人から一通のメールが届き、そこから知ることとなった。研究補助関係の事務でお世話になっていた方で、お祝いの言葉に加え、マレーシアの短大で経済学の教鞭を取っていたことが懐かしく思い出されたとある。田舎町で英語が全く通じず、泣く泣くマレーシア語を勉強したとのこと。うちの大学ではそんなような人たちが事務の仕事をしたりしていて驚かされることしばしばである。ノーベル物理学賞を受賞したファインマンが「受賞して唯一良かったことは連絡が途絶えていた旧友と再び連絡を取れたこと」とか本に書いていたような気がする。ノーベル賞と比べられるような話ではないが、今回聞いた話も、受賞がなければ決して知り得ることのなかったことである。

女子大山ガール初対談

 生物学科の1年生と話していたら、彼女が大学に入ってから山登りを始めたという話を聞いた。ハイキング程度ではなく、重い荷物を背負って自炊し、テントに泊まるような山登りである。いくつかの大学の学生が集まったサークルで、女子だけではないようだ。僕はこういったメンバーで山登りをしたことがないので雰囲気がつかめないのだが、実際にはどんな感じなのだろう。彼女とは勉強について話していたわけで、とてもそんな女性には見えなかった。聞いてびっくりである。そしてかなりのめり込んでいる。日本百名山の全てに登ることを目標にしていると。山以上に楽しいことがあるかとさえ言われそうで、大学生だった頃の僕とそう変わらない。この年になり、いやいや山登りなんてたいしたことはない、世の中にはもっともっと楽しいことがあるよとこの世に倍以上生きている立場から言ってやりたくもあったが、それを多少堪えて興奮気味に話す彼女の山話に聞き入った。驚いたのは今年、僕らが甲武信ヶ岳に登った後に、彼女達も徳ちゃん新道から同じ小屋を目指し、そして同じ頂に立っていたこと。その頃はまだまだ始めたばかりだったろうから、登りはかなり辛かったらしい。天気は良くなかったようで、僕がそこから撮った富士山の写真を見せて自慢してやった。それでもこうやって山好きになってしまったようだ。これが噂に聞く山ガールか。思い返せば今年のまともな登山は残雪期のそれっきりだった。「囲碁なんかやっていないで、山に登ってください」と言われてしまったが、確かに来年もどこかに登らねば。
Dec07_2011

ゆとり教育世代の学生

 ゆとり教育世代の学生とどう接するかという内容のFDセミナーを開催した。意外と多くの教員が集まり、こんなことに関心があるのかと驚かされる。いろいろと言われているが、僕自身はたいした問題ではない、ゆとり教育どうのこうのというよりも単なる時代の一時的な流れだと思っているのだが。このセミナーは別な大学で開催したのだが、終わってから一人に声をかけられた。博士課程の頃にいた研究室の後輩だった。そういえば、ここで働いていたはず。元気にやっているようだった。研究熱心な男だったが、のこのことこんなセミナーに出てくるところを見ると、学生の扱いに手を焼いているのか。

苦手教科の克服

 先月、娘が受けた進学塾の試験の成績が届いていた。こういったテストを受けるのは3回目でかなり慣れてきたことだろう。そんなわけで結果は良かった。2教科だけで偏差値は算数が65.3、国語が64.9、2教科合計で67.2にもなる。算数はこれまで通りだが、国語がぐんと伸びている。やはり慣れか。2回受けてきちんと復習をしたことも大きかったのだろう。その辺りのところは妻が面倒を見ていたようだ。両方いいと合計がかなり良くなる。つまり、両方できる子はそんなにいないということか。この点が今回の大きな発見である。得意な教科を頑張ることもいいが、苦手教科をなくすことの方が、苦労せずに点数を上げる長期的な受験テクニックとしては重要かもしれない。未だに娘は中学受験を拒否し続けているが。

自転車のブレーキの修理

 昨日、熱帯の炎天下の中を歩き回って日に焼けたせいか、首の後ろが痛い。マレーシアに行ったことによる健康被害はこの程度で済んだ。ところで、自転車の前ブレーキの効きがずっと悪かった。ひやっとしたことも何度かあった。最近では後ろに息子を乗せる機会も多いのでこのままでは危険である。自転車屋に持って行って直してもらおう。半日あればやってくれるかと思ったのだが、その場ですぐに部品を交換して直してくれた。かかった費用も1,000円ちょっと。かなり調子が良くなった。こんなことなら、もっと早く直してもらうべきだった

マラッカ海峡へ放尿

 帰国便は夜遅くなので自由時間はたっぷりある。どこに行こうかずっと決めずにいたが、今朝になってやはり遠くに行ってみたくなった。自然公園やホタル公園のあるクアラ・セランゴールに行くことを決意し、ホテルをチェックアウト。この無計画さが帰国を危うくさせてしまったのだが、大きなバックパックを背負って独りで歩き出すあの気持ちは何物にも代え難い。電車に乗って3駅、まずはバスターミナルへ。チケット売り場を探すのが一苦労だし、またカウンターがたくさんあってどこで買えばいいのか分からない。クアラ・セランゴールの名を出して聞くと、40番に行けと言われ、もうちょっとで出発するバスがあったのでRM8.40のチケットを購入。念のためRM0.30を払ってバスターミナルのトイレで用を足しておいた。行き先はセキンチャンと書かれている。乗り場に行って確認してみると、どうもクアラ・セランゴールは終点ではないらしい。クアラ・セランゴールに着いたら教えてくれるよう頼むと、ホタルかと聞かれたから、いや自然公園と応え、了解してもらえた。しかし運転手かと思ったそのおじさんは乗り込みもせずバスは出発し、大都会を抜ける。高速道路網はマレーシアの中でも都会の雰囲気を漂わせているが、周りに広がってきた熱帯を思わせる景色はなかなかいい。道路標識に注意しているとそのうちにクアラ・セランゴールの名が出てくるようになって、目的地に近付いていることが分かる。そしてクアラ・セランゴールに入ったが、バスは止まる気配がない。ガイドブックには2時間と書かれていたが、もう2時間以上経っている。後ろの席のお兄さんにチケットを見せたら、セキンチャンなんて知らないと言われた。そして運転手が交代。チケットを見せてセキンチャンで降ろしてくれるよう伝えると、しばらくして降ろされた所は小さな田舎町。どう考えてもここはクアラ・セランゴールではない。かなり困った状況になり、こうなったら料金を払ってでもローミングを利用し、iPhoneで現在地を確認する必要がある。そして一瞬にして、目的地を通り過ぎて遠くに来てしまったことを知った。書かれていた行き先は、その料金で行くことができる最も遠い所だったのか。この時のローミングでメールを確認することもでき、何やら学会で受賞したらしいことを知ったが、事態はそれどころではない。バス停さえも見つけられず、チケット売り場などもちろん見つからない。天気は快晴でかなり暑い。重い荷物を背負って町中を歩いていると汗だくである。ようやく警察官を見つけ、バスのチケットを買いたい旨を伝えると、英語を話せないのか無言で指をさしてくれた。しかしそれらしき場所はない。その辺りの3件ほどの店を当たって、ようやく1つの雑貨屋でバスチケットを扱っていることを突き止めた。もはや自然公園などどうでもいい。クアラ・ルンプールに戻らねば日本に帰れなくなる。復路のバスについて聞いてみると、すでに満席でチケットはない、残念ながら今日は戻れないと言われた。予約が必要だったようだ。30分おきに走っていると聞いていたが、ここはクアラ・セランゴールよりも北の田舎町である。どうすればいいのかと半べそをかいて藁にもすがる思いで助けを求めると、困ったような顔をされ、一人ならばなんとかなるかもと電話で問い合わせてもらった。そしてなんとかなった。学生かと聞かれたが、学生でもなければこんな冒険はしないのか。いや教員だと応えておいた。帰りのバスまでちょっと時間がある。iPhoneで現在地も確認できたことだし、海に出てみたくなった。西にはマラッカ海峡が広がっているはずである。実際、そう遠くはなかった。汚い町を抜け、英語を話せない中国系住民とiPhoneで筆談したりして汚い海に出た。これだけでもバスに乗って遠くまで来た甲斐があった。海に向かって放つ小便は実に気持ち良かった。イヌやネコがうろうろしていて狂犬病が怖い。今日はこれまで食べ物を口にしていなかった。この辺りのレストランはクアラ・ルンプール以上に入る気になれず、果物屋でバナナを見つけ、それで飢えをしのぐことにした。1房RM3.20と言われたが、そんなに食べられないので半分にしてもらい、RM2を払った。帰りのバスではイスラム系のおばさんが隣に座ってきてにこにこしているので英語で話しかけてみたが、全く会話が成り立たない。冷房が効いているのだが、窓から入る日射しが強くて暑い。バスの中には小さなアリがたくさん這っていて、首などを何度も噛みつかれた。乱暴な運転だったが無事に到着し、マレーシアのマクドナルドに入りビッグマックを食べてようやく落ち着く。ノンストップの電車で空港に行き、チョコレートなどのまともなお土産を買う。そして帰国便は定刻通りクア・ラルンプール国際空港を飛び立ち、なんとも楽しいマレーシア旅行に終止符を打った。
Dec03_2011

マレーシア土産の調達

 食事のために出歩くことを好まない僕にとって、学会会場となっているホテルの昼食券を毎日もらえたことは楽で良かった。心配せずにかなりまともな食事を取ることができる。そこで友人に会い、午後はスコールに遭う前にペトロナス・ツインタワーに上りに行こうという話に。ところが行ってみると5時まで待たなければならないことが判明。気がかりなことがあり、ちょっと迷ったがけっきょくチケットを買うことにした。出身国を聞かれ、なんとそのチケットにJapanと書かれていたが、まさか国別に入場料が違うのか。予期せず時間が空いたので、チャイナタウンの北にあるセントラル・マーケットに独り、お土産を買いに行くことにした。地下鉄の自動販売機、運賃はRM1.60なのにRM10以上の紙幣が使えない。出てきたのはIC入りのトークンで再利用可能な物。日本の磁気テープよりもある意味進んでる。ショッピング好きでない僕にとって、お土産の調達は苦痛である。形に残らない食べ物がいいかと思うが、僕自身が食べる気になれないような物を買うわけにもいかず、学生たちには民芸品の箸を買った。娘には木製の栞。息子にはTシャツ。この時はまさか息子がいる日本が冬であることなど想像できなかった。帰る頃には土砂降り。一度ホテルに戻ったが、学会のプログラムどころかパスポートまで濡らしてしまった。滞在中を通して最も降雨量の多い雨だった。ホテルからは歩いて行ったので、もちろん傘はさしていたが下半身ずぶ濡れである。そんな中、せっかく高い所に行っても景色は良くないだろうなと思い、確かにその通りではあったがRM50も払っただけのことはある。まずは41階にある2つのタワーを結ぶ連絡橋へ。昨夜、見上げて写真を撮った公園が真下に見える。そして86階。こちらは雲の中だったが、時折霧が晴れて街を見下ろすこともできる。もう一つのタワーが間近に見えるのもいい。夕食は友人とその辺りのまともなレストランでマレーシア料理を食べた。ホテルに戻ると空調が動かない。フロントに文句を言いに行くと、払った分の時間をオーバーしたためらしく、しかたなくRM13.60払って12時間分を追加した。さすがは安いホテルだけある。普段はクーラーなどなくても過ごせるのだが、ここは南国、そして除湿により濡れた衣類を乾かす必要もあった。
Dec02_2011
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Glires

Author:Glires
生物学者の端くれ

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