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早朝の地下鉄

 起床は午前1時半前。ニューヨークの地下鉄は24時間動いているらしいが、深夜や早朝の利用は控えるべきという話も聞く。深夜はまだしも、早朝は問題ないのではないかと思っていたが、次第に恐怖を感じ始めた。ぎりぎりまで粘り、6時近くになってからようやくホテルをチェックアウト。外はまだ暗く人影は少ない。狭い路地に入ると誰もおらず、ここで襲われたらおしまいだなと思うが、無事にFulton Street駅の入り口に到着。ここから地下に降りて行くわけだが、それもまた怖い。近くには大声で話している大柄のラテン系男性2人がいる。襲われたら勝ち目はない。自動販売機でMetroCardに使用する$2.50だけを追加し、青く示されたA Trainでイースト川の下をくぐってブルックリン、再びロングアイランドへ。今度は車内で中年女性が大声で騒いでいる。何を主張しているのか全く聞き取れないが、泣いているようにも聞こえる。緊張は絶えない。いつの間にか地上に出て、外が明るくなっていたことを知る。Howard Beach駅までは30分以上かかる。そこでまたMetroCardに$5.00を追加し、Airtrainに乗り換えJFKの第1ターミナルへ。いいお土産が見つからないので安直にチョコレート。息子にはYankeesの帽子を買った。冬用の帽子だ。そう言えば朝食を取っていなかった。昨夜もまともに食べていない。かと言って、この空港内で食欲をそそられるような食べ物はバナナくらいしか見当たらず、1本を$1.49で買って食べるにとどめた。JALの飛行機に乗ってしまえば、美味しい物が出てくるだろうからそこまで我慢した方がいい。
Aug31_2014
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ルーズベルト大統領の言葉

 学会最終日の朝はビーチまで散歩した。朝食を食べ、東京にいる娘とSkypeで話し、最後のセッション。娘と息子へのお土産にCold Spring Harbor LaboratoryのTシャツを買い、昼食は欠食してLong Island Rail Roadの駅、そして電車でマンハッタンへ。ホテルまで歩いてみる。3番街を南へ下り、ルーズベルト大統領生誕の地という所に行ってみた。フランクリンではなくセオドアの方だ。日本から持ちかけられた話で日露戦争に関わってノーベル賞を手にし、その後、日本を仮想敵国として太平洋戦争への足がかりを作った僕としてはあまり印象のいい大統領ではないのだが、米国人の評価は高いらしい。 When you are asked if you can do a job, tell 'em, "Certainly I can!" Then get busy and find out how to do it. という懐かしい言葉を見つけた。これはセオドアのものだったか。20代中頃で耳にし、正確な英文は覚えていなかったがその心意気は今でも僕の中で生きている。Union Square Parkから4番街、ブロードウェイを下り、ホテルのあるWashington Streetを探す。World Trade Center近くにあるはずなのだがその通りを地図でなかなか見つけられず苦労した。夕方はWorld Trade Centerのビルが倒壊した跡地に行ってみた。今はReflecting Absenceというびっくりするような祈念施設ができている。観光地のようになっていて違和感も感じるが、米国のスケールの大きさを肌で感じることができる。それからWall Streetに足を向け、1時間半でホテルに戻ってきた。明日は早い。リンゴを齧っただけで広い一室で床に就いた。
Aug30_2014

細長く伸びるもう一つの州立公園

 今朝も朝飯前にStillman Outback Trailを独り歩いた。30分ちょっと歩いただけだが、かなり気分が良くなる。食事は7時半からで、その後、午前中のセッションがある。Google Mapsをよく見ると、Cold Spring Harbor State Parkの南側にTrail View State Parkという別な州立公園が連なって南北に細長く伸びており、きのう歩いたtrailは南側にもっと長く続いているらしいことを知った。ならば行ってみなければ。田舎道の割りに交通量の多い道路を歩き、きのう見つけたtrail入り口のさらに向こうの右側に、Trail View State Parkを縦に南下するtrailの入り口があった。近くに車道が並走しているのが残念だが、こっちもロングアイランドの森の中を縫う気持ちの良いtrailである。汗ばむような陽気なので、ゆっくり歩いた。今日のtrailは延々と伸びていてとても最後までは歩けないので、40分ほど行って車道と交差したところで引き返した。ぽつぽつとハイカーがいて笑顔で挨拶をしてくれるのがまたいい。日本でのハイキングとは何か違う。夜はバンケット。6人で一つのテーブルを囲んだ。トリニダード・トバゴからニューヨークに来ている大学院生、両親がベトナム出身の米国人ポスドク、あとはフランス語を母国語とする3人だった。前回と同様、大きなロブスターが出てきた。
Aug29_2014

州立公園のハイキングコース

 朝起きるとなんとなく息苦しさを感じ、頭痛までする。狭い一室に閉じ込められ、話し相手もいない。自分は孤独が好きだと思っていたが、それは大自然の中での孤独であって、こういった多くの人が集まって話し合っているような状況、また社会生活の中での孤独は別物であり、かなりの苦痛を感じさせられることを知る。そうだ、大自然の中に出なければこの息苦しさからは解放されない。要旨集にイラスト風の地図が載っていて、研究所の周りにハイキングコースがあるようだ。朝食前に行ってみることに。入り口は簡単に見つけることができ、Stillman Outback Trailと書かれている。いい感じの小径が森の中を縫っている。一周に50分、とてもいい気分転換になった。出口ははっきりしておらず、逆回りは困難だったことだろう。Google Mapsで研究所周辺を眺めていると、Cold Spring Harbor対岸にCold Spring Harbor State Parkというニューヨーク州の州立公園があり、人が通れる程度の道があることを知った。これもハイキングコースに違いない。昼に一時間ちょっと研究所を抜け出し、田舎にも関わらず意外と交通量の多い道を抜けて、その州立公園を目指した。大きな標識があったので入り口はすぐに分かった。こっちではtrailと呼ばれるが、日本に登山道はたくさんあれどもこのような森林を縫うtrailはあまり見られない。歩いている人の数は多くなく、少なくもなく、挨拶するとたいていはにこにこして返してくれる。人種差別などしたくはないが、恐らく中国系と思われる人たちはたいていむすっとしていて、挨拶などしないし、返してくれない人も多い。白人はたいてい陽気で、むすっとしていても、声を掛けるとすぐに陽気になる。英語の”How are you?"という見知らぬ人に対しても使われる呼びかけは文化の違いを作っている、あるいは文化の違いを反映していることを改めて感じさせられる。夜は自分のポスター発表があった。最後の方でプログラム委員の先生が聞きにきてくださり、もうそろそろ終わりということもあり、日本語で聞いてきてくれたので日本語で説明した。今朝、娘とビデオチャットをしたことを除けば、今回の旅で初めて母国語を使った。夕食はリンゴを齧ったくらいで眠りに落ちた。
Aug28_2014.jpeg

研究所のゲストハウス

 ここニューヨークに来て泊まっているのはCold Spring Harbor Laboratoryのキャンパス内にあるHooper Houseというゲストハウス。ロングアイランドの北側に位置するCold Spring Harbor、その西岸にいい雰囲気の建物をいくつも点在させている研究所だが、Hooper Houseもそんな一つである。今日は午後のポスターセッションの後、キャンパス内の自室に戻ったら寝入ってしまった。ほんの昼寝のつもりだったが、その後のワインとチーズのパーティー、夕食、夜のセッションを全てすっぽかしてぐっすりと眠りに落ちていた。時々目を覚ましはしたが、ベッドから起き上がれない。時差ぼけを甘く見ていたようだ。
Aug27_2014

37時間の長い1日

 午前1時半に独り起きて地球の裏側に行く準備を始める。高校1年生で山登りを始めた時に買った青いザックにあれこれ詰める。替えの下着は2組だけ、シャツも。長ズボンは1着。靴も1足。MacBook Airなど、仕事関係の物を詰め終えても60リットルのザックはぺちゃんこ。腰のベルトが壊れているものの、丈夫で長持ちだ。海外に行くのに30リットルでは小さ過ぎるから、40リットルくらいのザックも持っていたら便利かもしれない。7時前に半袖半ズボンに素足でサンダル、そして青いザックを背負って家族にしばしの分かれを告げた。40代のおじさんが独り寂しく近くのキャンプ場にでも行くかのような出立(いでた)ちで、我ながら微笑ましい。自分の生き様がよく現れている。成田空港までは2時間かかる。1ドル106円25銭で2万円を米ドルに替えた。ちょっと円安気味だ。事前に両替しておけば良かった。ボーイング777-300に乗り込み、出発は11時過ぎ。今回はJL6便で14時間かけて12,000km離れたニューヨークに向かう。これまで経験したことのない長時間フライトである。カナダ上空を飛んでいると、この辺りを車で走ったななどと思い出される。飛行機ならば10倍の速さのはずだが東海岸は遠い。トロントを過ぎ、オンタリオ湖の上に来てもまだまだ先だ。さすがの僕でも辛かった。こうして久々の米国に着陸。ニューヨーク州はトロントから学会で2回、日本から来た友人とオンタリオ州から陸路で1回来たことがあるので4回目だが、意外にもJFKは初めてである。入国審査では10本の指全ての指紋、そして顔写真を撮られる。面倒なので渡米目的は観光としていたが、学会に参加すると言ったらビジネスに変更させられた。ビジネスではないと思うのだが。さて、発表準備に忙しく、出発の日の未明に起きて慌てて準備をして独り来てしまっただけなので、これからどうやってマンハッタンに出ればいいのか分からない。図書館で借りたガイドブックを持って来ていたので、これ一冊が頼りである。現地の交通費は出してくれないと言われているので、安価な方法でここから抜け出さなければならない。地下鉄に乗れればと思っていたが、ここまでは来ていないようだ。Airtrainというのが安いらしいということが分かったが、運賃をどう支払えばいいのか分からず、久々の外国独り旅に緊張感が出てきた。僕は明らかによそ者だったが、緊張しつつも堂々とした態度だったのか、電車の乗客から何度も電車の行き先などを聞かれた。奴等は気安く話しかけてくる。やはり日本とは違う。聞きたいのは僕の方だったが。Howard Beachという駅に着き、ここで$5.00、これから乗る地下鉄の$2.50、そしてMetroCard発行のための$1.00を払い、バスやタクシーと比べればかなり安く行けそうなことが分かった。ニューヨークの地下鉄に乗っていると男といえども多少の恐怖を感じる。JFKから地下鉄でマンハッタンまで行く日本人観光客などほとんどいないのだろう。ガイドブックにはその辺の路線図が載っていなかったので、どこを走っているのか、マンハッタンに接するブルックリンの北西端に出るまで全く分からず、不安は大きかった。ソーホー辺りを歩いたことがなかったのでCanal St.という駅で地下鉄を降り、まずはハドソン川を眺めに行った。いい天気だ。Washington Square Parkから5番街を北上し、Empire State Buildingを眺め、Penn駅へ。少し暑かったが、東京よりは快適。背中の荷物が重いものの、マンハッタンの散策を楽しんだ。ここからはLong Island Rail Roadの電車に乗らなければならないのだが、さてどうすればいいのか情報がない。人に聞いて、なんとかチケットを買い、周りの人の行動を見ながらそれに倣う。乗車券にはpeakとoff peakがあり、平日午後4時以降の出発はpeakとなっていた。ちょうど4時発の電車に乗ろうと思っていたので残念ながらpeakを買わなければと思いそうしたが、その電車はoff peakらしかった。架線がなく、したから電気を取っているようだ。車内で路線図を見つけられない。駅で写真に撮っておくべきだった。Syosset駅を過ぎてはたいへんなことになる。Penn駅から1時間くらいと聞いていたのでその情報だけが頼りだったが、いつの間にか気が緩んで眠りこけてしまった。その前に女性車掌による車内改札があり、切符は返されず、前の座席の上のところに置かれた。はっと起きてびっくりその切符がなくなっている。隣にはいつの間にか体の大きな黒人女性が座っていて下車して行った。僕の切符はどこに消えたのか。切符をなくしても問題なく降りられるのか。1時間1分後に目的の駅に着いたが、日本のような改札口はなかった。いったいどういう仕組みになっているのか。研究所のシャトルを待ち、午後5時半過ぎにようやくCold Spring Harbor Laboratoryに到着。幸い宿泊場所は研究所内で、こればかりは嬉しかった。地球の裏側からやって来たことをいたわってくれているのか。二人部屋かと思っていたが一人部屋だった。ちょっと残念というか、ほっとしたというか。夕食を食べ、その後、最初のセッション。僕にとっての2014年9月26日は24時間ではなく37時間。ようやく長い長い一日が終わり、狭い部屋のぎしぎし音が鳴るベッドの上で眠りに就いた。
Aug26_2014

シソに潜んでいた大量の芋虫

 シソの種をたくさんもらって撒いたらいくつか発芽したが、けっきょく3株だけ生長している。葉を食べるのを楽しみにしているのだが、いっこうに大きくならない。何が悪いのかと思っていたが、今頃になって大量の芋虫が潜んでいることが発覚した。若葉は全て奴等に食べ尽くされていたのだ。体調は1cmほどでまだ小さいが、30匹ぐらい。ようく観察していれば、もっと早くに見つけられていたはず。糸を張ってその中に閉じこもるので、カエルの舌では捕まえられないようだ。一匹ずつその中からつまみ出して潰した。何匹かはカエルの前に置いてやったら美味しそうに食べていた。これで食べられるくらいにちゃんと生長してくれるだろうか。
Aug25_2014

作り直されたクレジットカードの番号

 クレジットカード情報が海外で不正使用され、カードの作り直しになった。意外と早く新しいカードが届いていたが、番号を見てびっくりである。最後の2桁しか変わっていないのだ。恐らく最終桁はチェックディジットだから、右から2番目の桁を見ると、なんと1増えただけである。それに有効期限が変わっていない。これが不正使用されたクレジットカードの作り直しか。今回の不正使用は僕が見つけたのではなく、カード会社側の検出システムで疑われて発覚し、さらにカード会社側が金銭的な負担しているのだが、それなのにこの対応か。明後日から米国出張である。大丈夫なのか。

息子の浅はかな知恵

 息子が知らぬ間に、トランプのジョーカー2枚の片隅をはさみで切り落としていたことが発覚した。僕はそういうつまらないことはやらないのだが、最近、家族3人でババ抜きをやって遊んでいた。切り落としてジョーカーが分かれば負けないだろうという5歳なりの知恵である。興奮しながら遊んでいたようだったが、そこまでやるとは驚きである。しかも、妻が買ったばかりのトランプと、カナダにいた頃にいた頃に買ったトランプの2組で、日頃から僕に対して口うるさい妻は今日ばかりは息子に向かって強烈に怒っていた。馬鹿な息子はごめんなさい、ごめんなさいと泣きじゃくる。物損に加え不正行為の発覚である。罪は重い。

羆嵐

 先月『大黒屋光太夫』を読んだが、吉村昭で思い出されるのは『羆嵐』である。この文庫本が、どういう経緯で僕のところにやって来て、どういった内容で、どこに消えて行ったか、さっぱり覚えていない。覚えているのは途中まで読んで、興味を持てず、読み切らなかったことぐらいである。ただ読む価値のある小説だろうということは心のどこかで思っていたのか、図書館で借りてきて20年振りに読んでみた。驚いたことに筋書きを全く覚えていなかった。いったい僕はどこまで読んだのか。しょせん読書なんて、そんなものか。大正4年の初冬、北海道の不毛な開拓地に現れた巨大なヒグマが2日間で6人の命を奪い、その果てには廃村にまで追いやられる実録である。いや作者による脚色も多いだろうから小説と言った方が正確かもしれない。小説としてのこの本の魅力が現れるのは、後半になってからの区長と粗暴な羆撃ちとのやり取りだろう。茶碗の中の焼酎が区長の顔に掛けられる場面は強烈である。厳しい開拓地で苦労を重ねた老練な男達の人生を垣間見ることができる。実話としてももちろん興味深く、1cmにも満たない薄い文庫本であることもあり一気に読んでしまったが、全体的に陰鬱で事は重大である。20年前の僕には読めなかったことが今読んでみて初めて理解できた。

大浦天主堂の実物

 切手を集め始めた頃、近代洋風建築シリーズなんてのがあり、当時は何の興味も持っていなかったのだが、そこに描かれていた建物は今でもなんとなく覚えている。その一つが今、目の前に高く建っている。大浦天主堂である。坂の下から眺めるので写真に撮りにくく、いっそう高く感じられる。建築物のすごさを感じるには、絵や写真で見ても駄目である。百聞は一見に如かず。実物を見なければ。今日はこの辺りでお土産を買い、楽しかった長崎家族旅行もいよいよ終わりである。ハウステンボスに2泊、長崎市に2泊。どこに行くにも2泊ぐらいは滞在したいもの。タクシーで長崎駅、雨が降る中バスで空港へ。昼食に五島うどんというのを食べ、羽田空港へ。帰りもまた息子とモノレールに乗った。ちょうどいいタイミングで来たので、男組の方が先に帰宅。長崎はずっと雨だったが、東京は残念ながら晴れていたようで、ベランダの植物が心配だったが、なんとか生きながらえていてくれた。
Aug21_2014

長崎の平和祈念像

 路面電車、長崎電気軌道の電車一日乗車券を利用して、まずは原爆落下中心地へ、そして平和公園。テレビでよく見る長崎の平和祈念像、長崎原爆資料館へ。ここに来るのに広島を訪れてから四半世紀以上もかかってしまった。1945年8月9日午前11時2分、ここ長崎で一瞬にして7万人もの命を奪った、15万人もの死傷者を出した原子爆弾が投下されたことを忘れてはならない。そこから歩いて浦上天主堂に行ってみたが、葬儀中だったので外から眺めるだけにした。また路面電車に乗り、出島の和蘭商館跡へ。よく再現されていることに驚かされるが、単純に観光目的というわけではなく、多くの歴史愛好家あってのことだと思う。歩き回ってみると意外に狭い。江戸時代、オランダ人達はこんなところに閉じ込められていたのかと思うと僕の気まで狂いそうになる。路面電車を利用して眼鏡橋にも足を伸ばし、ホテルに戻った。夕方は独りでオランダ坂まで散歩し、旧長崎税関下り松派出所や、旧香港上海銀行長崎支店も見てきた。夜は娘とも旧英国領事館辺りまで散歩した。
Aug20_2014

ハウステンボスから長崎市へ

 ハウステンボス3日目の朝。きのう娘と行ったスーパートリックアートが面白かったので、今朝は家族4人で行ってみた。特にドラキュラのおやつが印象的である。それから展望室に上がって天気はあまり良くなかったがハウステンボス全体を俯瞰する。観覧車よりもこっちの方がずっと高い。100mを超える塔を建てるなど、ここはもう単なるテーマパークの域を超えている。街全体を設計した人たちは採算など考えずに仕事を楽しんでいたことだろう。息子はしつこく観覧車に乗りたいと言うので、最後に子供達だけで乗せ、ホテル前から少しバスに乗って、歩いてハウステンボス駅へ向かう。重い荷物を持ってくたくたに歩いていたら名前を呼ばれ驚かされた。まさかとは思っていたが、友人家族とばったり出くわした。お互い長崎滞在が重なっていることは知っていたのだがこうやって顔を合わすとは。一方はハウステンボスへ、そしてもう一方は去るところで、ただただびっくりして挨拶をし、すれ違うだけのことだったが。長崎駅までは1時間以上かかる。典型的な日本の田舎の風景が広がっていて、眺めているだけで楽しかったが、疲れているのかいつの間にかうとうとと眠ってしまった。長崎では駅の観光案内所に荷物を預けると、あとでホテルに届けてくれるのだという。長崎市はそれなりの観光地だ。諫早までは来たことがあるが、長崎市訪問は初めてである。ちゃんぼんを食べて、路面電車に乗り、大浦天主堂の近くにあるホテルへ。乗り換えもスムーズにできた。グラバー園は歩いてすぐ。ちょうど雨もやんで、幕末から明治の洋風建築をゆっくり歩き回って見ることができた。見所はグラバー邸だけではない。夜はバス、そしてロープウェイで稲佐山の頂上へ。この時もちょうど雨が上がってくれ、有名な長崎市の夜景を写真に、そして記憶に収めることができた。
Aug19_2014

観覧車初体験

 ハウステンボス2日目の朝、家族4人で観覧車に乗った。初めての観覧車に息子は大興奮。「さあ、ひっくり返るから、準備しろ」と言うと何を考えているのか独り床に寝そべって身構えた。「また乗りたい」などと言うがそんなに何度も乗っても面白くない。その後は、4人乗りの自転車に乗ったり、大きな船で海に出たりした。娘と長さ300mのジップラインを滑ったが、これはなかなかのアトラクション。雨が降ったりやんだりの一日だったが、家族みんな楽しんだようだ。
Aug18_2014

家族旅行で長崎へ

 この夏は帰省ではなく久々に家族旅行をしようという話になっていた。たまには西へということで僕は萩を提案していたのだが、いつの間にか行き先は長崎県。学生の頃、雲仙に遊びに行って以来だろうか。お盆の辺りは娘の部活があったので、時期をずらしてこの時期に休みを取り、日曜日の今日、出発となった。妻と娘はバスで羽田空港に向かったが、モノレールに乗るために男グループは浜松町へ。いつも自転車から眺めていたモノレールに乗り、今日は逆に自転車で走り回っていた道を眺める。そして今から40年近く前、父が海外赴任する際、田舎から今は亡き祖父母も含め家族全員で東京に出てきてこのモノレールに乗ったことを思い出す。娘が僕のカッターナイフを手荷物に入れていて没収されるなどというトラブルがあったが、2時間弱の飛行で無事に長崎空港に着陸。船に乗って大村湾を50分かけて北上し、ハウステンボスへ上陸。まだ午前中というのが信じられない。これまで九州は何度も訪れているがいずれも電車で、新幹線はもちろん、寝台特急や、さらには仙台から普通列車を乗り継いで来たことさえあった。実はハウステンボスにはいつか行ってみたいと思っていたのだが、予想通り、ディズニーランドなんかよりもずっと楽しめそうだ。ヨーロッパ風の街並を歩いているだけでも楽しい。初日の今日は軽く回って、ホテルでゆっくりしようと思っていたが、明日から雨降りの予報なので、夕方近かったがプールに行くことにした。水泳の特訓ばかりやらされてきた息子は、初めてのスライダーに大喜びである。僕も息子と一緒に何度も飽きずに滑りまくった。少しまた焼けたかもしれない。
Aug17_2014

高等学校囲碁選手権大会優勝校

 新聞を眺めていたら、第38回文部科学大臣杯全国高等学校囲碁選手権大会というのがあったようで、団体戦優勝校、男子と女子の2校の名が書かれていた。仙台にいる甥が通っている県立高校と、娘が進学予定の東京の私立高校である。運動系の高校生だった僕には囲碁など無縁だったが、頭が良さそうというイメージはあった。甥も娘も碁は打つが、別に囲碁部に入って活躍しているわけではない。ただ、甥も娘もすごい学校に通っているんだなと改めて感心させられた。

遺族の参列

 終戦の日の今日、全国戦没者追悼式が開かれ、多くの遺族が参列している。その中には幼い子供の姿も見られる。太平洋戦争では、戦闘員だけでなく多くの民間人も犠牲になっているが、全犠牲者と全遺族の人数は当時の人口のどのくらいを占めるのだろうか。今日改めて気付かされたが、僕の直系の先祖は誰一人として命を落とさなかった。特に両祖父は従軍しており、決して無事とは言えないが、故郷の家族のもとに戻ってきた。妻の直系の先祖についてもそうである。祖父母の兄弟がどうのこうのと不確かな情報を耳にしたことがあるくらいである。なんとも幸いなことに僕は遺族ではないようだ。全ての祖父母、義祖父母が亡くなってからこんなことに気付いた。生き残っていればこそいろいろな話が聞けたかもしれないが、あまり興味はなかったし、話してくれたかも分からない。太平洋戦争なんてほんの30年ばかり前のことだった。今では70年も前のことになってしまったが、子供の頃の僕にはそれよりもずっとずっと昔の話のように感じられた。

SVGで初めて作図

 前々からSVGを勉強しなければと思っていたのだが、なかなか手が付けられなかった。先日、投稿論文の図をきれいに書き直さなければならないという絶好の機会があったので、勤務時間中にSVG入門なるサイトを見つけて勉強を始めた。もくもくと取り組めば意外や意外、2日やっただけでそこそこ書けるようになり、最初は単なるテキストエディタでSVGを書いていたが、SVGを出力するPerlスクリプトも書けるようになった。できあがったファイルを送り、Adobe Illustratorで開いてもらうと、ちゃんと編集までできる。後の細かい処理は任せてしまおう。これまでGDライブラリを主に使ってきたが、これを機会にSVGに移行することにする。
Aug14_2014

一味違う人生案内

 読売新聞の人生案内、出久根達郎の回答も一味違っていていつも興味深く読んでいる。今日は、働かずに昼間は引きこもり夜は遊んでいるというとんでもない弟に関する相談で、回答者は実は弟を心配しているように見えて自分のことしか心配していない相談者である兄の態度を見抜き、諌(いさ)めている。僕も他人のことを心配することは多いが、利己的な考えを基にした行動が多いので、考え方を改めさせられる意見だった。調べてみるとこの出久根達郎とは直木賞作家らしいが、どんな作品を発表してきたのか全く知らない。今度、機会を見つけて一つぐらいは読んでみようと思う。

強烈に辛いシシトウ

 息子たっての希望でピーマンを育てている。ピーマン2株に、実はもう1株はシシトウなのだが、シシトウが次から次へと実を付けている。ピーマンを育てていると信じている息子にとっては何か実が細くて不満気である。それはともかく、ニンニクとごま油で焼き、醤油で味を付けて食べてみた。我が家で採れたシシトウを食べるなど、この上ない幸せなのだが、なぜかどれも辛い。しかも強烈に辛いのもある。ただでさえ辛い物を嫌う息子にはとても食べさせてやれない。ピーマンの方が不作なのが全く残念。
Aug12_2014

ヒマワリとミツバチ

 駅前にヒマワリの花が咲いていて、そこに一匹のミツバチが蜜を吸いに来ていた。うちのゴーヤーの花にも来たことがあるが、この辺りにいるミツバチは野生なのか。巣はいったいどこにあるのだろう。それとも誰かが巣箱を持っているのか。少なくとも日本固有種ではないような気がする。この世からミツバチが消えたら、農作物の収穫に大きな支障を来たし、人類の大半が餓死するなどという話を聞いたことがある。最近、大陸からミツバチを食べてしまうスズメバチが飛来して国内で繁殖しているなどとも聞く。真偽のほどは自分でしっかり調べないと何とも言えないのだが、ミツバチの働いている姿を見るとまだ問題なさそうだなほっとさせられる。
Aug11_2014

研究所から閉め出された

 研究の打ち合わせがあったので、日曜日、雨の中、研究所へ。僕のいる部屋はIDカードを持っていないと入れない。部屋に入った後、ついついカードを持たずにトイレに行ってしまった。こうなったらもう入れない。誰もいないから開けてももらえない。閉め出されてしまった。打ち合わせに向け、もう少し資料作りに時間をかけようと思っていたのだが絶望的だ。焦るがここはとにかく冷静になるしかない。さてどう対処しよう。この部屋に入れるカードを持っている人を捜すのが一つの方法だが、10人もいないはずで、日曜日の午前中なら望み薄である。ならば研究所のセキュリティを担当している部署まで行かなければならないが、傘も部屋の中である。研究所内を歩き回ってなんとか誰かの傘を見つけ、無断ながらありがたくお借りすることに。建物内はあちこちにロックがかかっていて通れないので、雨の中、外を回ってようやくたどり着いた。身分証明できるカードがないのだが、名前を書くだけで10分間、所内のあちこちのロックを外してもらえることになった。最初は5分間と言われたが、10分に伸ばしてもらい、ようやく安心して自分の部屋にたどり着いた。

クレジットカード情報を悪用された

 クレジットカード会社から緊急の用事があると電話がかかってきた。アメリカとフランスで使われた形跡があるが心当たりはあるかとのこと。もちろんない。カード情報が漏れて、悪用されたらしい。カードはすぐに失効させ、作り直すということになった。取引はすでに成立していたようだが、僕は払わなくてよいとのことで助かった。気をつけていたつもりだったが、いったいどうやって情報が漏れたのか。そもそもクレジットカードなど、ちょっとした情報をウェブサイトに入力すれば使えてしまうのだから便利である一方で危険きわまりない。以前、不審な給油を繰り返して止められたことがあったが、今回は本当に悪用されて連絡がきた。ちゃんと監視してくれているところに敬服させられる。

夏の週末の楽しみ

 最近の週末の楽しみは一年前に自分が作った梅酒を飲むことである。なくなっては困るし、大量の砂糖が入っているのを身を以て知っているから、たくさんは口にしない。冷やした炭酸水で割るのだが、梅酒の甘さよりも炭酸の苦さが感じられるぐらいまで薄めてごくごくと飲む。それでもウメのほのかな風味がたまらない。平日の多忙な仕事も、この夏の異常なほどの暑さも、自分の梅酒をいっそうおいしくさせてくれる。これがどこの誰だか知らない人が作った梅酒なら、楽しみは半減だろう。来月にはなくなってしまうかもしれないが、そうしたらまた来年の夏が楽しみである。今年は一年前の4倍量は漬けてある。

物作りの楽しさ

 息子が自分で作ったという船を風呂に浮かべて喜んで遊んでいる。最近、maker movementなどという言葉を耳にするが、そもそも人間は誰しも物を作ることに楽しさや喜びを感じるものである。自分の子供の頃から今に至る人生を振り返ってみるとつくづくそれを感じ、また大人になってからはこの認識を忘れ去っていたことに気付かされる。思えば図画工作という教科が美術に変わった時だと思う、物を作る楽しさを一時的に失わされたのは。客観的であるはずの美の押しつけ、しかも子供から大人へと成長をとげる多感で柔軟な中学生の時期にそんなことされてはたまったものではない。最近、僕が物を作るといっても、それはソフトウェアの場合が多い。勤務時間中に毎日のようにソフトウェア作りができることは幸せである。その一方、実際に作った物と言えば最近ではベランダに苦労して張った園芸ネットだろうか。これからは息子とmaker movementを楽しんでみたいと思う。

ノコギリクワガタとアマガエルの同居

 先月帰省した際に、アマガエルを何匹か連れてきて、ノコギリクワガタを飼育しているケースに一緒にしておいた。カエルは基本的に生きて動いている物しか食べないから、餌をやることはきわめて困難である。しばらく生き続けていたのを見ると、小バエなどの小さな虫が飼育ケース内に入り込んでいたのではないかと思われる。クワガタの餌の臭いがあるので可能性がなくはない。それでもいつの間にか数は減り、ついに痩せたアマガエル1匹になってしまった。生きている虫を捕まえてきて食べさせねばと、今朝はなんとかダンゴムシの小さいのを数匹見つけて与えたが、こんなことを毎日はやってられない。そろそろベランダに放してやるべきか。

STAP細胞騒動の一つの結末

 STAP細胞の騒動には日々呆れるばかりだが、自殺者が出たというニュースにはさすがに驚かされた。「何も死ぬことはないのに」と多くの人が言うものの、精神的な落ち込み、疲弊、鬱状態により、物事をまともに考えられない精神状態に追いやられていたのだろう。僕を含め、誰しも何かのきっかけでこうならないとも限らない。特に研究なんかをしていると、僕自身はそんな危険を感じさせられる状況に直面することが多々ある。そう友人に語ると、たいていは馬鹿にされる。馬鹿にされる原因は、常日頃から自分なりに多少の努力をして、そういった精神状態になってしまわないよう心掛けている結果である。万が一そうなってしまえば、周りの人がなんとかしてあげなければ。ご遺族の無念はいかばかりだろうか。

天空のプール

 この週末は自転車を漕いで、ちょっと遠い小学校のプールに行った。僕が卒業した小学校もプールが屋上にあったが、ここは周囲に高い建物が少なく、まるで空に浮かんでいるプールで泳いでいるような感覚である。息子も気に入り、土曜日、日曜日と連続で通うこととなった。できればこの夏は海に連れて行ってやりたかったが、自転車で行ける距離にこんなに楽しめるところがあったとは。2日間でけっこう日に焼けた。

米国の電子渡航認証システム

 米国への渡航は何度目になるか。6月末にニューヨークへの航空券を手配し、その時、ESTAと呼ばれる電子渡航認証システムにオンラインで申請しなければならないと言われていた。これまでそんなことをした記憶はない。調べてみると2008年から始まったようで、入国カードI-94Wは2010年に廃止されたらしい。注意深く行うならば多くの指示や注意を読まなければならないが、日本語のサイトも用意されているので手続きはそんなにたいへんではない。最後に「あなたの渡航認証は許可され、ビザ免除プログラムに基づき米国に渡航することができます」などと書かれたページが現れ、渡航認証許可が出る。クレジットカードで$14取られるが、そのうちの$10は観光事業推進のために使われるらしい。

電気シェーバーの買い換え

 毎朝使っている電気シェーバーは充電池がしだいに駄目になってきて、今では電源アダプタを接続した状態で使っている。購入は4年以上前で、何度か替刃を買って使い続けてきたが、これでは旅行の際に不便である。月末にはニューヨークに行くこともあり、買い換えることにした。店に行ってみてびっくり、どれも安い。100V以外でも使える物を探し、税込み3,218円。替刃なんて買わずに、2年に1つぐらいのペースで買い換えて行った方が経済的かもしれない。物への愛着が湧きにくい時代になった。
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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