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北辰一刀流免許皆伝

 文庫本の『竜馬がゆく』を読んでいるが、ほんの30年間を生きたに過ぎない一人の男を扱っているのに全部で8巻もあり、『坂の上の雲』に匹敵する長さである。ようやく第三巻まで読み終えたので第四巻をオンラインで予約した。区内の図書館に文春文庫の新装版だけで7冊も所蔵されており、そのうち3冊は貸出中となってる。さすがである。幕末の歴史小説にはもういいかげん飽きてきたところだが、確かにこの小説は読んでいて興味深い。司馬遼太郎は筆が追いつかず、10年かかっても書き切れないなどと書いていたが、なるほどそうかもしれない。司馬に騙されているところはあるにせよ、坂本龍馬という男のことが朧げならがら見えてきた。
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5月なのにアサガオ開花

 今年は青いアサガオを育てている。娘が小学校一年生の時に育てていたアサガオの子孫である。ある程度間引きはしたが、一つのプランタに8株も生えていて、元気に育っている。早くから上に伸ばしてしまうと、葉が落ち始めた時に下の方がすかすかになってしまうので、土の上を這わせ、プランタが緑の葉でもっこりとしている。そして今朝、突然初開花を迎え、びっくりさせられた。以前育てていたアサガオの初開花は毎年夏至の頃だったが、まだ5月である。それにしても初開花が土曜日でよかった。午前中、じっくりと観察することができた。
May30_2015

ドクダミの季節

 連休が明けるとドクダミの季節である。この時期、日当たりの悪い所一面にドクダミの花が咲いていたりする。息子に一輪摘んでやって「ドクダミ」と教えてやると、毒があるのかと聞かれるが、そんなことはない。あまり臭わなかったので、葉を指でこすらせて、あの独特の臭いとともに植物の名前を覚えさせた。捨てていいと伝えたが、保育園まで持って行って先生に渡したら、先生はガラス瓶に生けてくれた。
May29_2015

内緒の番号

 保育園の入り口のドアを開けるには4桁の暗証番号を入力しなければならない。息子はその番号のことを「ないしょうばんごう」と思い込んでいる。「暗証番号」だと教えても「暗証」などという大人でも難しいことばは理解できるわけがないから、未だに「内緒の番号」ということだと思うが「ないしょうばんごう」と呼んでいる。子供にはよくあることだろう。息子はそう理解し、確信した上で使っているのだから、褒めてやるべきことかもしれない。いずれ忘れてしまうだろうから、息子の笑い話をこうやって残しておきたいのだが、実は僕自身にも、こういった誤解は多数あるのかもしれない。

母親に感謝して弁当箱ぐらいは自分で洗え

 中学生そして高校生だった6年間、あの頃は土曜日も授業があったが、母は毎朝弁当を作ってくれた。公立に通っていれば少なくとも中学3年間はそんな苦労はしなくてすんだのに。母の強い意向で進学したということもあり、弁当を作ってくれることに対して感謝するどころか、もっとましなのを作ってくれよなんて思っていたものだ。とうぜん、弁当箱を洗おうなどとは思わなかった。でも、泣く泣く洗わされていた記憶はある。今、私立中学に通う娘を持ち、妻が苦労して弁当を作っている姿を見ると、あの頃の自分の未熟さを感じずにはいられない。今さら母に感謝のことばを述べる気にもなれないから、せめてここにこうやって書き留めておく。そして我が子には父親の反省点を活かして欲しいと「母親に感謝の気持ちを持って弁当箱ぐらい自分で洗うんだよ」と何度も言っているのだが、めったなことがなければ洗わないし、そもそも妻が洗わせない。弁当作りには関わりたくないという身勝手な立場ながら、この状況はなんとかしたいと思っている。娘には親に対する感謝の気持ちを持って、もっと家事などを手伝ってもらいたい。僕からの強い希望である。ところがである。先日、妻が中学の保護者会に行って、とんでもないことを聞いてきた。クラスの中で弁当箱を自分で洗う子はなんと1人しかいなかったと。娘は娘で、友達の親は我が子の成績を上げることに必死で、手伝いをしろなんて言われるようなことはあり得ず、くだらないと判断された宿題は全て親がやってくれるのだという。そんな家庭環境を娘は羨んでいる。いい中学に入ってくれたと安心していたところだが、そうも言っていられないことがぽろぽろと出てきた。生徒にトイレ掃除をやらせると学校説明会で聞き、妙に感心したのだが、その精神が家庭では活かされていない。ひょとすると、卒業後の人生でも活かされないのかもしれない。

チューリップの球根のできばえ

 チューリップの葉が落ちたようなので、球根を掘り起こしてみた。大きいのができているのもあれば、小さい玉に別れてしまっているのもある。古い球根の残骸には小さなシマミミズが多数へばりついている。それはそうと、どうすれば大きい球根にできるのか、調べてみる必要がありそうだ。母が喜んでくれ、先月は父が咲いたと写真を送ってきてくれたほどなので、これらの球根もまた親にあげてしまおう。僕はより美しいチューリップの開花と、毎年花を付けられるような球根の維持を目指して、選別と購入からやり直そうと思う。秋になったらまた。

目を覚ますと隣は見ず知らずのお婆さん

 昨日の帰京、あずさは指定席にするか自由席にするか迷った。両者に大した差はないのだが、未就学児の座席を確保するか否かということになるので、今回の場合、4,000円近い差が出る。学生の頃だったり、子供がいなければ迷わず自由席にするところだが、指定券を取ることにした。松本からではなく、南小谷発のあずさに、豊科から乗ることに。すると二人並んでの座席は取れず、前後になってしまった。指定席にしてよかった。危ないところだった。ところが日曜日午後、大糸線特急の指定席はがらがら。松本を過ぎても空席だらけ。当然、息子と並んで座っていたのだが、茅野でお婆さんが乗ってきて座席を探している。ああ、ここだなと、幸い息子は眠りに就いていたので、僕が前の席に移った。一時間ぐらいしてふと後ろを見ると、息子は目を覚ましたようだ。あれだけ嫌だと言っていたが、知らない人の隣でもおとなしくしていた。そのうちに隣に座ったお婆さんが話しかけてきて、か弱い声でなんとか答え、コミュニケーションをとっている。僕は文庫本に目をやりながらも、後ろでなされているやり取りに耳を立てていた。そしてお婆さんは立川で「行儀のいい子だね」と言って降りて行った。さすが保育園で鍛えられているだけあって、僕が幼稚園児だった頃と比べれば比較にならないほどりっぱな態度だった。

蝶ヶ岳の蝶

 ゴールデンウィークと夏休みの間に帰省することなどめったにない。この時期、北アルプスの山々は初夏の陽を浴び、降り積もっていた雪を日々融かし、さまざまな形をした雪渓や雪田を出現させて麓からの眺めを楽しませてくれる。うちの実家からは鍋冠山から蝶ヶ岳を経て常念岳へと続くきれいな稜線が間近に見えるのだが、目立つのはなんと言っても蝶ヶ岳の蝶で、蝶であるがゆえにまた美しい。これを楽しみに来たのだが、母が言うには、ちょっと早かったらしく、これから体の部分の雪が融けて蝶の形がはっきりとしてくるらしい。それでも両方の羽を大きく広げている姿は確認でき、田植えが終わったばかりの水田にもひっくり返って写っていた。今年の夏は子供たちを連れて、久々に故郷の山に登ってみたい。
May24_2015

週末だけの帰省

 ゴールデンウィークは妻の実家に行き、今年の夏休みも帰省しないかもしれないので、両親の顔でも見ておこうとこの週末は息子を連れて帰省した。この時期、父が育てているイチゴの収穫期である。送ってもらっても潰れておいしくないので、イチゴ狩りをするいい機会であり、イチゴは息子の大好物である。イチゴが畑でどのように実っているのか、大人になってへえと知るよりも、子供の頃から当然のように知っておいて欲しい。梅酒のための青梅をもらってこようかと思ったが、ウメの実はまだまだ小さかった。ところで息子は、Wiiのソフトとリモコンを持ってきた。ここにWiiがあると信じ込んでいたようだが、なくてがっかりしている。東京にいる妹がこっちで買った物だったらしいが、末妹が探し出してきた。しかたなく組み立ててやるが、部品が一つ足りない。リモコンの動きを捉えるセンサーバーと呼ばれる物だ。どこを探しても見当たらない。かつてテレビの上に貼り付けてあったが、僕が贈った新しいのに取り換えられている。古いテレビの周辺を探しても見つからないから、その時にやってもらったアンテナ工事の際のどさくさに捨てられてしまったか。しかたなく末妹に車を出してもらって電気屋に行き、1,641円もの大金をはたいてその部品を買ってやった。当の息子は大喜びであるが、せっかく田舎に連れてきてやったのにまたテレビゲームか。
May23_2015

悪い奴らに怒られる

 最近は毎朝のように「保育園に行きたくない」、「お腹が痛いから休む」と息子が言う。今朝も保育園の門の前で「お腹が痛い」と言い始めた。誰かにいじめられるのかと聞くと「悪い奴らに怒られる」と。「悪い奴ら」という言葉は初めて聞いた。この件については前々から担任に伝え、話し合いを持ち、時々状況を聞いているのだが、息子の立場からすればあまり改善していないらしい。しかし大人たちはそういう目で見てくれている。かわいそうだが、ここは頑張ってもらうしかない。ひょっとしたらこの苦痛は卒園まで続くかもしれないが、自分の力で一つ一つ克服していって欲しい。明日は気分転換に親子二人で帰省しようと思っている。

習い事をやめさせる

 息子は1月末から週に2回程度、公文に通って計算の訓練を始めた。最初は 2 + 1 のような計算で、ほぼ毎日頑張ってようやく 14 - 7 ぐらいの計算にたどり着いた。余りのある割り算ができる息子が、そんな計算に苦労している姿が不憫に思えてならなかった。息子にとっては時間を計ってやらされ、思うように速くできないことにいら立ちを感じ、公文の計算に取り組むことが苦痛になってきたようだ。怒り出すのも無理はない。いや自然だ。なにより、数と友達のようだったあの息子が「計算なんて大嫌い」と言い出したことが一大事だ。やめたいと言うので、ならやめようと返してやった。妻も特にやめるということに対して異存はないようだった。一度やろうと決めたことをこんなにも早く投げ出すことは情けないのだが、算数自体を投げ出すわけではない。先週、僕の方からやめさせると電話を入れたのだが、誰しもこうなるものだと言われ、とりあえず通わせずに様子見るということになっていた。また今日も電話をかけたのだが、きっぱりとやめると伝えることができず、長期間休ませるということになっている。息子には計算で嫌な思いをさせただけでなく、習い事をこうも早くやめるという嫌な体験をさせてしまった。最初の判断が安易過ぎた。

間引きしたゴーヤーの株分け

 間引きしたゴーヤーの一株が元気に育っている。どうしても捨てる気になれず、誰かにあげてしまおうとヨーグルトの容器に入れて持ち出した。毎朝、まずは保育園に行くわけだが、「ご迷惑かもしれませんが」と切り出してもらって育ててもらえないかと息子の担任の先生に相談してみると、意外にもあっさりと受け取ってくれた。売られているまともな苗とは違い、うちのは病気を持っているかもしれないし、害虫の卵が付いているかもしれないし、自家製有機肥料入りの土には何が潜んでいるか分からない。細かいことを言えばいろいろと心配なことがあり、無闇な株分けは慎んだ方がいいのかもしれないが、僕の株がどこかで育ってくれるというのはとても嬉しいことだ。あとはそのゴーヤーが問題を起こさず、元気に育って、保育園のみんなを喜ばせてくれれば、僕はそれ以上に嬉しい。ゴーヤーが好きな保育園児など皆無に近いとは思うが。

妻の最大の愚行

 妻の帰りが遅くなるというので、久々に保育園に息子を迎えに行った。そして家に着くなり、息子はくだらないテレビゲームをやり始める。なんでこんな物が我が家にあるのかといつも腹が立つ。我が妻の最大の愚行である。誰だって遊んでいるとか言うが、周りに倣う必要などない。泣こうがわめこうが強引にやめさせ、公園のグラウンドが夜間の無料開放をしていたので、新しく買ったサッカーボールを持ってサッカーの練習に引っ張り出した。

狂わされた生活リズム

 これまで平日はだいたい夜の10時半過ぎが息子の就寝時刻だった。僕は息子と二人で風呂に入り、その10時半に一緒に寝室に行って眠ってしまい、4時前に起きるというのが生活パターンだった。それが今年に入ってかなり乱れた。息子とともに僕の生活リズムも崩れた。4時から1分寝坊するごとに1円寄付するという寝坊基金がこの5ヶ月間で6,500円を超えている。ちゃんと自分のリズムを作り直さねば。

今年もベランダに園芸ネット

 昨年同様、今年もベランダに園芸ネットを張った。3本の短い支柱をテープで継ぎ合わせた、ちょうどベランダの下から上までのぴったりの長さにした支柱を2本用意し、ネットの端に通す。これを立てる作業は一人ではできないので娘に頼んだのだが、このほんの数分の作業を手伝ってくれるようお願いするだけでその10倍もの時間と労力がかかる。中学生はまったく厄介である。お前ら自分を何様だと思っているんだ。上の溝にはめ込めば前後には動かなくなるので、今度は左右に動かなくなるよう、2本の支柱をそれぞれ外方向へ紐で引っ張る。これで完成。小さな台風だったら大丈夫だと思うが、強烈な台風が来たらどうしよう。まあ、なるようになればいい。あれこれ考えていたら何もできない。

舌にできた口内炎

 口の中が痛かった。しばらく様子を見ていたが、舌の下に口内炎のようなものができているのを見つけた。舌にもできるのか。苦痛は一週間近く続いたように思うが、治ってきて痛さを感じなくなるとそのこと自体は普通は意識しないので、いつ治ったのかがはっきりしない。鏡で舌を見てみると、まだ痕(あと)があるが、あれだけ苦しんだのにいつの間にかなんともなくなっていたことにふと気付いた。

将棋を教え囲碁を教えない

 先日、将棋大会出場の報告をするため、将棋の強い友人と久々にメールのやり取りをした。その中で興味深い話が出た。小2の時にお父さんから教えてもらったらしいのだが、そのお父さん、将棋よりも囲碁の方が好きそうなのに息子には将棋しか教えなかったと。それってうちの状況と全く同じである。うちというのは、僕と息子との関係ではなく、僕と父親との関係のことである。彼のお父さんとうちの父親、なんとなく同じものを感じさせられる。確か高校の理科の先生だっと思う。それに比べ、僕は子供達に将棋も囲碁も両方教えてしまった。早まったか。でももう遅い。

アルプス子ねぎを植えた

 食用に買ってきたネギの根のついた部分を土に植えた。今回は松本のアプルス小ねぎ、みどりの風というネギである。毎年このようにネギをプランタに植えていて、薬味程度ならば必要な時に新鮮なものが採れるからとても便利である。天敵はネギアブラムシとアザミウマ。特にアザミウマが湧くと厄介である。今、どちらもうちのベランダに棲息しているので、見つけしだい潰すという地道な作業をしながら育ててゆくつもりである。

本を読んだとの報告

 保育園の担任の先生にやっと『天地明察』の上巻を読み終えたと言われた。いい本だと薦めたのはいつだっただろうか。すぐに本屋で買い、読み始めたようだったが、僕の顔を見るたびに読まなきゃというプレッシャーを感じ、その件には触れられなかったらしい。確かにそんなものだろう。僕の方でもぜひ楽しんでもらいたいと思っていたからこそ、買ったと聞いてからは必要以上に『天地明察』に関することは喋らなかった。僕も一気に読まず、少しずつ延々と時間をかけて長期に楽しむタイプなので、そうしてくれればいいと思っていた。さあ、下巻の展開もおもしろい。薦めた本を読んで楽しんでもらえる、それも人生の楽しみの一つである。

娘に頼まれ因数分解

 娘が因数分解の勉強をしている。数学の解けないという問題を解いてやれなくなる日も近いかもしれない。分からない問題は母親に聞いているようで、妻が解けなかったり忙しかったりすると僕にまわってくる。今日教えてくれと頼まれたのは x^4 - 7x^2 + 1 の因数分解。夕飯を食べながら、あれこれ考えていたらひらめいた。こんな問題を解くのは何年ぶりだろう。教科書等を頼らずに自力で解けるのはもはや数Iが限界だろう。「こんなの解けるわけがない」などと娘はすぐに怒り出す。中学生なんてそんなものか。

将棋大会に初出場

 息子の応援だけではつまらないので、昨日は僕も一緒に将棋大会に出場した。区民のための小さな大会であるが、将棋の大会に出るなどもちろん初めてのことである。一生懸命やっていたのは小学生の頃ぐらいだが、どのくらいの棋力なのか。将棋の級位がどのようになっているのかも分からず、息子同様「初心者」という自己申告で臨んだ。初戦は年上のおじさん。先手をもらっていい感じに始まった。ここ10年くらいは娘や息子としかやったことがなかったので得難い体験である。ところがおかしなことが起こった。そのおじさん、金だか銀だかを1つ前に進めようとしてやめて駒を線上に置いた。それはいったい何を意味するのか。まだ悩んでいるような素振りで、僕の方でもどう対応すればいいのか分からず様子を見ていたら、別の駒を動かした。「これはどっちですか」と尋ねると「こっちだ」と一つ進めたと言い張る。お前、二手指しているではないか。これにはさすがに頭にきて、はっきりと言ってやった。友人から、オンライン対局では起こり得ないが、角を動かす時に一つずらしたりする奴がいるから気をつけないといけないと聞いたことがある。このおじさん、呆けているのか故意なのか。とにかく楽しかった対局が一気に不快になった。その後、不注意で大駒が取られ、そこから一気に形勢は逆転し、負けてしまった。二局目は同年齢くらいのおじさん。自己申告により向こうは香落ちということになり、飛車の斜め後ろの香車を落として向こうが先手で始まった。これって本当に僕の方が有利になっているのだろうか。疑問に思いなが差し進めたが、後で調べてみたら、香落ちとは角の方の香車を落とすらしい。二局目も悪くなったのは大駒が取られてからだった。当たり前のことではあるが、そこが将棋の勝敗を決めると言っても過言ではない。真剣に取り組んでいるとしだいに集中力が落ちてくるのはしかたなく、角や桂馬などが効いていることを見逃して取られてしまうということもある。一手指す前にそれだけでも慎重に確認するようにしなければならない。二連敗で迎えた三局目は僕より若そうなおじさん。振り駒というのを教えてもらい、向こうが先手で始まった。この勝負が最も楽しいものとなり、勝ちがほぼ見えていたのだが、最後の向こうの連続長考による粘りで、負けてしまった。最後は三連敗どうしの対局なので、いいかげん勝てるだろうと思っていたが、若者にあっさりと負けてしまい、全くいいところがなかった。完全に集中力が切れていた。それだけ最初の三局に集中していたという証でもある。けっきょく0勝4敗という情けない結果に終わったが、四局目を除けばどれも、悪い将棋ではなかったと思う。将棋の勉強に時間をかける気はないのだが、初勝利を目指してまたいつか大会に出てみようと思う。

子ども将棋大会最年少出場

 年に一回開催される区の子ども将棋大会に息子を出場させた。これはもう一年近く前から考えていたことで、くだらないテレビを見たり、ビデオゲームなんかに夢中になっているよりは将棋でもやって、自分であれこれ試したり考えてみたりして欲しいし、勝つ楽しみと負ける悔しさを味わい、対局者との交流を楽しんで欲しいと願ってのことである。最初のうちは親子ともども頑張ろうと思ったが、将棋に対してそんなに興味を持ってくれなかったようで、また持ってくれるようにうまく仕向けられず、たいした対策も立てられずに出場ということになった。出るのは嫌だと言われたが、連れて行ってしまえば頑張ってくれるのがうちの子である。最年少出場だったようで、相手はみんな小学生。初戦は3年生くらいの女の子。リーグ戦で、おそらく敗者同士の組み合わせになるので、続ければ勝つチャンスは出てくるのだが2連敗。もう帰ると泣きそうになったが、負けてもいいから男なら最後まで頑張れと励まし、3局目はようやく勝った。僕はその対局を見てやれなかったのだが、笑顔でそして誇らしげに勝ったと報告しに来てくれた。最後も頑張るという意欲が出てきたが、残念ながら最終局は完敗で1勝3敗という結果に。悔しい将棋大会初出場となったが、小学生に一勝できたということはいい経験になっただろう。来年以降は自分から出たいと言ってくれるかどうか。

ニラの収穫

 種を蒔いてずっと育ててきたニラだが、生育はあまり良くなかった。アザミウマやネギアブラムシの害虫被害にも遭い、未だに奴らは駆逐されておらず、まだまだどこかに潜んでいる。いつになったら食べられるのかと思っていたらもう一年になる。葉を数枚ちぎって野菜炒めに混ぜたりすることはあったが、今日、まとまった量を摘んでみた。餃子ぐらい作れそうだと昼食は久々に餃子を作った。一年かけて自分で育てたニラを使い、自分で作った餃子。味は格別である。
May09_2015

テレビで放送される映画

 シリーズ第3作となる映画『ALWAYS 三丁目の夕日’64』がテレビで放送されていたので録画して見た。この作品もなかなかのもので、特に茶川と父親の関係、六子の火傷の痕あとを視る菊池などが見どころである。CMを全てカットしてDVD-Rにコピーする準備をすると全部で93分程度であった。ところがこの映画の上映時間を調べてみると142分となっている。エンドロール分もあるだろうが、なんと50分も省かれている。これには驚いた。確かに、ストーリーが飛んでいると思われる場面があったが、それがカットされた部分か。テレビで映画が放映される時、たまにノーカット版という言葉が添えられることがあるが、それ以外は全ていくつかの場面が除かれているのだろう。頑張って調べなければどれだけカットされているかが分からない。自分の作品の一部が削られて公開されることに、映画を作った人達はどう思っているのか。人に対しても作品に対しても敬意が感じられない失礼な行為のように思われるが、テレビ局だけでなく、映画関係者の策略でもあるのか。意図せず見ている子供に悪影響を与えかねない場面をカットするということもあるのかもしれない。今までかなり多くの映画をテレビ番組として楽しんできたが、だまされ続けていたことにようやく気付いた。

アブラムシとアザミウマの駆除

 連休中、山形に行っていたら、今ベランダで育てているニラ、チューリップ、アサガオ、ゴーヤーに、アブラムシとアザミウマがまた一気に増えてしまった。今日は頑張って一匹、一匹を捕まえて殺したが、しばらくこの作業を続けないといけないかもしれない。アマガエルがいないので、根絶を目指して地道に頑張るしかない。

今年の花粉症

 連休中、天童の舞鶴山に登った翌日、花粉症が今季最悪の状態を呈した。おそらくヒノキの花粉だろう。東京ではもう終息しているが、舞鶴山ではまだまだ舞っていたに違いない。一日中鼻から鼻水が水のように垂れ、ひどい状態だったが翌日には治った。今季、症状は軽かったが、最後の最後で温泉地にてやられた。連休が終わるまで油断してはいけない。

娘に文庫本を買ってやる

 東京に戻る新幹線の中、隣に座っていた娘が新田次郎の『芙蓉の人』を読み終えた。よほどのことでもない限り読書をしない娘がようやく読み終えた一冊だ。先月からこの連休明けまでに一冊読んで何かを提出するのが学校の宿題になっているらしい。連休に入った段階で、読み始めていないどころか、読む本も決めていなかった。しかたがないので山形に行ったその日に、二人で本屋に行くことに。駅から山形城址を抜け、けっこうな距離を歩いた。何度か行ったことのある本屋を目指したが、この時勢、潰れているかもしれないという不安があった。が、以前のまま、多くの本が並べられていた。文庫本や新書の辺りをうろついて、何冊か選んでやり、最後に娘自身が『芙蓉の人』を選んだ。この前、NHKの土曜ドラマとして放送されていたのでその帯が付いているが、もちろん娘は見ておらず、どんな話かも知らない。もともと友人が紹介してくれ、図書館で借りて読んだので手元には残していない。これから妻の実家に行けば新田次郎の本ぐらい置いてあるかもしれなかったが、これまでの経緯からして自分の所有する本を持たないと読まないだろうから、その新装版第1刷となっている文庫本を買ってやった。読んで楽しんでくれたなら払った551円の数倍以上の価値はあっただろう。

酔って候

 妻の実家に『酔って候』の単行本があり、何度か眺めたことがある。今回の帰省では収められている4編のうち、最初の山内容堂を扱っている『酔って候』を読んでしまいたかった。普段の読書は通勤電車の中くらいなものなので、文庫本1冊を1ヶ月もかけて読むことも普通なのだが、今回はきのう今日と実質一日で読み切った。出版は昭和40年、この単行本も僕が生まれるより前、昭和45年の物で、なんと定価が500円となっている。さて、歴史小説を読んでいても、ドラマを見ていても何かと出くわす山内容堂。近所を散歩すれば、贈従一位と深く刻まれた見事な墓石を見ることができる。四賢侯の一人とされるが、いったいこの飲んだくれ男は何をして、何をなし、そう呼ばれるようになったのか。武市半平太に切腹を命じた件や、坂本龍馬との関わりもよく理解できていなかった。これらに対する答えは全てこの小説にまとめられていた。得体の知れない化け物とさえ言われる容堂であるが、司馬は容堂が何を考え、どう行動していたかを理解し、自分なりに整理できていたようだ。それが正しいか否かは分からないが、小説としてはよくまとまっている。最後の方にも書かれている。「容堂は、暴虎のごとく幕末の時勢のなかで荒れまわったが、それは佐幕にも役だたず、倒幕にも役だたなかった。」

天童古城

 昨日から妻の実家である山形に来ていて、今日は久々に車を運転して天童温泉にやって来た。そして家族4人で舞鶴山の愛宕神社まで登った。かつてここには天童城または舞鶴城と呼ばれる山城があったようだが、今ではその面影はほとんど残っていない。温泉に浸かる前のなかなかいい散歩だった。
May03_2015

金魚の突然死

 今朝起きてびっくり。金魚が水槽の底に横になって苦しそうに呼吸をしている。これはもうだめか。そしてそれから数時間後、全く動かなくなった。去年の9月に息子が金魚すくいをやってもらってきた4匹のうちの1匹だったが、これだけは元気だった。何年も生き続けるかと思っていたが、死は突然やってきた。死因は何であろう。ずっとメダカを飼い続けてきたが、金魚はメダカとは違い、大きく、そして人懐(なつ)こい。餌をあげようとすると寄ってくる。それがかわいかった。
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Author:Glires
生物学者の端くれ

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