スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

数学の宿題の反省

 今日は娘の夏休み、最終日である。数学の宿題を覗いてみると、本日の反省という欄がある。娘は「解くのに時間がかかってしまった」などというつまらない、無意味なことを書いている。わざわざこんな欄を設けた教師の意図を汲んでおらず、自分の今後に何の役にも立たない。まあ、中学生ならこんなものか。反省を書かせる数学教師がどんな人物なのかを想像し、一方、娘の方は、まだまだ俺には敵わないなと少し安心もする。
Aug31_2015
スポンサーサイト

閉店するマクドナルド

 駅前のマクドナルドが閉店するということで、募金して子供用靴下をもらった先週に続き、今週もまた飽きずに息子と二人でそのマクドナルドに行ってきた。いよいよ明日閉店らしい。この店舗はほんの4年間ほどの営業だった。閉店後はどうなるのか、息子の大きな疑問らしい。百聞は一見に如かず、しばらく経ったら、また二人でここに来てみよう。
Aug30_2015

就学前の25 m完泳を目指して

 就学前の25 m完泳を目指し、機会を見つけては息子をプールに連れて行っているが、娘の時よりも出遅れている。それでも少しずつ記録を伸ばしてきた。3月に7 m、4月に8 m、6月に9 m、7月に10 m、そして8月末の今日は11 m地点まで泳げるようになった。もう少しで25 mプールの半分である。姿勢、バタ足、息継ぎなど少しずつ改良し、少しずつ距離を伸ばして行く。月に一回のペースでは間に合いそうもないから、二回、あるいは三回通わなければならないか。

エンドウにたかるハダニ

 豆苗(とうみょう)を鉢に植えてみたら、少しずつ少しずつ大きくなり、1 m以上になった。元気よく育ってくれればいいのだが、困ったことに赤くて小さな害虫があちこちの葉に湧いている。ハダニである。こいつらはやっかいで、潰せど潰せどこちらの苦労に負けじと増え続ける。そしてたかられた葉はいずれ枯れてしまう。ずっと好天が続いていたのもよくなかったかもしれない。水が苦手らしいから、霧吹きなんかを使った水攻めも併用すべきだった。植えた3株のうちのこっているのは1株だけだが、せっかくここまで大きくしたのだから、もうちょっと頑張って花を咲かせせたいと思っている。遺伝学における大発見をもたらしたエンドウである。
Aug28_2015

ただより高い物はない

 ウェブサイトでクレジットカード利用明細を眺めていたら海外の欄に身に覚えのない買い物に対する請求がなされていた。amazon.co.jpに3,900円、これはいったい何だ。僕の記憶にも記録にも残っておらず、amazon.co.jpならばメールが届いているはずだし、ログインして購入履歴も調べてみたが3,900円の買い物などない。これはおかしいと、カード会社に電話をかけようと問い合わせ先を調べるところまで行ったのだが、ふと気がついた。AMAZON PRIME FEEと書かれている。より古いメールを確かめると「Amazonプライムの無料体験をお試しいただきありがとうございます」などというメールがあった。無料体験期間は30日間で、それを過ぎると会費が取られるらしいが、何も考えずにこの無料体験を申し込んでいた。そもそも、あるアンケートに答えてもらったたった500円のAmazonギフト券が出発点だった。めったにAmazonなんかでは買い物はしないのだが、肥料が欲しくてこのギフト券を使おうと考え、Amazonプライムの体験をすれば無料で当日お急ぎ便で届けてくれるというので、そんなにすぐに欲しかったわけでもないが、本当に当日なんかに届くのかと興味半分に申し込んでしまった。その付けが何の役にも立たない年会費3,900円である。これまでamazon.comやamazon.co.jpに対して疑念を持ったことはなかったが、要注意である。ただより高い物はないとはこのことだ。余計な物に手を出す時には注意しなければならないから、たいていのおいしい話は無視した方がまし。この一件、金額も癪だが、動揺と奪われた時間も大きかった。

雨合羽を着込んで通勤

 久しぶりに朝からしっかりした雨が降っている。植物には嬉しい雨だろう。一方、僕の方で何が困るかといえば、自転車での通勤である。これまでは傘をさしてなんとかしのいできたが、最近は罰金刑が課せられるようになっているらしい。そこで今朝は雨合羽を持って行くことにした。やめやめと祈っていたが、残念ながらやまなかった。駅の駐輪場でしかたなく雨合羽を着込み、雨の中、自転車を漕ぐ。意外と快適だった。櫛風沐雨、山での悪天候を思い起こせば、こんな雨、たいしたことはない。

中学生の娘の寝相

 未だに中学生の娘とも同じ部屋で布団を並べて寝ているが、昨夜、娘がどう転がってきたのか、息子を飛び越えて隣まできてぐうぐうと寝ていた。幼い頃は寝相が悪く、部屋中を動き回って寝ていたものだが、もはや重くて動かせたものではない。

ラッキーな失敗

 話には聞いていてもビットコインの何たるかを知るには、自分が保有して使ってみなければと思い、昨日、ある取引所のサイトでアカウントを作成し、日本円をビットコインに替えてみることにした。しかしなぜかそのサイトであれこれ試してもパスワード認証がうまくいかず、取り引きができなかった。糞サイトと思いつつ、しかたなく諦めたが、今日になってなんと円が急騰。びっくりである。「今日はやめておけよ」という神のお告げだったのかと思ってしまう。とにかくやめておいてよかった。

娘と月に一回のジョギング

 月に一回はジョギングするという娘との約束がしばらく途絶えてしまったが、先月は居木神社往復、そして今日は養玉院まで行って帰ってきた。娘の遅いペースに合わせた往路19分、復路18分程度のジョギング。夕方で、残念ながら大井の大佛と呼ばれる五智如来像は見ることができなかったが、そこそこ楽しんでくれたようだ。これからも月に一回、少しずつ距離を伸ばすことができる名所を探しながら続けてゆければと思っている。

ニラのつぼみ

 ニラの種を蒔いて育て始めたのは去年の5月。冬を越し、一年経ち、ようやく収穫できるまでに成長し、自然と株も分かれて増えてきたところだが、なんとつぼみが出てきた。ニラの花はきれいだとか聞いたことがある。食べることが目的なので花なんかに貴重な資源やエネルギーを費やして欲しくないというのが正直なところだが、どんな花が咲くのか、楽しみに待つことにしよう。
Aug22_2015

都会のミツバチ

 うちのゴーヤーに複数のミツバチが飛んで来ているのを見つけた。毎日、雌花を見つけては雄花を摘んでせっせと人工授粉しているが、そんなことをしなくてもミツバチたちがなんとかしてくれているのかもしれない。奴らの巣はどこにあるのだろう。誰かが近くで養蜂しているのか。確かに東京の街中は花だらけで蜜はいくらでもある。都会は、スズメバチなどの天敵がいる田舎よりも、ミツバチにとっても養蜂家にとっても新天地なのかもしれない。

ペットボトルの中で餌を待つアマガエル

 また長野県の実家からアマガエルを連れてきた。昨夜、連れてきたペットボトルの蓋を開け、そのままゴーヤーのプランタの上に置いておいたのだが、今朝見てみると、2匹はそのままペットボトルの中にいた。その方が餌となる虫が寄ってくるのか。

わが姉妹の語学力

 末妹がTOEICを受けるらしく、高い公式問題集を買ってきて勉強していた。少し教えてもらいたいと言うので見てやった。ついでに長妹も交えて教えてやったが、こいつら本当に国立大学を卒業したのかと思わせる語学力である。長妹の方は中学校に勤務しているし、中学生の息子を持って英語を見てやっているのか多少まともであったが、末妹の方は三人称単数現在形でさえ忘れている。大学受験以来、英語に触れていなければこうなってしまうのだろう。試験をやらせたら、現役のわが娘の方が点が取れるかもしれない。さて、その公式問題集だが、教えてくれと言われ、僕が解答、解説した全ての問いに対して正解することができた。TOEIC、久しく解いていないが、満点のちょっと下を目指していずれまた挑戦しなければ。

蝶ヶ岳日帰り登山

 午前2時半に起き、出発は3時過ぎとなった。妹の運転で常念岳および蝶ヶ岳の登山口となっている三股へ。もともと山小屋1泊で常念に登る予定であったが、昨日からの雨で蝶への日帰り登山となった。メンバーは娘と長妹と甥との4人、長妹が蝶には登ったことがないとのことでこうなった。幸い雨は上がり、東京では決して見られない星空が広がっている。30分程で駐車場に着き、いよいよ歩き始める。三股とは、蝶ヶ岳と前常念岳への分岐のことを言っているのだと思うが、そこまで一般車は通行できない車道を歩く。まだまだ真っ暗である。29年前、両親とこの妹との4人で一の沢から常念岳に登った。その時も、真っ暗な道を歩いた。あれ以来、山登りが好きになり、数々の山を登ってきたが、真っ暗な中の山登りは久しぶりである。半袖半ズボン姿であるが寒くはない。その4年後、ちょうど四半世紀になるが、大学生になってから今度は両親と末妹との4人でこの蝶ヶ岳新道を登った。今の地図を見ると、新道とは書かれていないことに時の流れを感じさせられる。真っ暗な中、頼りになるヘッドライトも今やLEDで、明るく長持ちするだけでなく、軽いのがいい。標高を上げて行くとしだいに明るくなってきた。日の出は5時過ぎだろうか。御来光は拝めなかったが、朝日に輝く雲が美しかった。母が作ってくれたおにぎりや唐揚げを食べてはまた登る。急な登りが終わった辺りがまめうち平だが、上りでは標識を見落として気付かなかった。雨上がりの道はぬかるんでいる。標高2000m地点を超えるが、25年前にここに来た時には腕時計に付いていた高度計と照らし合わせてみた。今はGPSがあり、大きな地図を開くことなくiPhoneで眺めながら歩く。山登りのスタイルがずいぶん変わってしまった。蝶沢を越え、最終ベンチまで来ると頂上は近い。ナナカマドのトンネルをくぐって進むと大滝山への分岐に出る。2年前はこのずっと先にある鍋冠山に家族で登ったが、いずれはここまでの長い尾根を歩いてみなければ。ハクサンフウロが咲くお花畑を縫って歩くと蝶ヶ岳ヒュッテの幕営地である。西側の谷、横尾の方から強い風が吹いていて、ガスも出ている。いきなり寒い。僕はすぐに山頂へと向かったが、3人は服を出している。晴れていると思ったが、それは稜線の東側だけで、山頂からは何も見えなかった。蝶ヶ岳ヒュッテ近くのこの頂が蝶ヶ岳の最高地点らしい。なるべく風を避けるようにして小屋のベンチで昼食。時刻はまだ9時前である。僕も寒くて半袖半ズボンではもはや我慢できなくなり、カッパを着込んだ。ひょっとしたら温かい物が欲しくなるかもと軽く思っていたが、湯を沸かして食べたカップうどんはありがたかった。箸を持ってくるのを忘れ多少の不便さはあったが、お湯をすすってなんとか落ち着いた。ここでもう帰ってもいいのだが、せっかくだから蝶槍までは歩いてみることに。残念ながら左側に連なる槍・穂高連峰は稜線に雲がかかってしまってそれぞれの山の判別が困難であったが、大キレットの鞍部まで標高が下がると雲が切れており、雄大な眺めである。目の前には常念へと続く尾根がくねくねと伸びている。ここまで来てこの道を歩かないとはもったいない。登山道から離れた遠くにコマクサを見つけたが、今回見たのはその一ヶ所だけだった。ライチョウやカモシカは残念ながら見られなかった。それにしても、ハイマツがところどころを覆う北アルプスの稜線歩きは本当に久々のことで心がうきうきしてくる。やっと娘や甥を連れて来てやれたと思うが、奴らはそれほど喜んでいない様子。三角点の頂まで僕は一気に歩いてしまったが、待てどもまてども残りの3人は現れない。しかたなく戻ってみると、もう歩く気力を失って大休止である。尻を叩いて歩かせ、三角点、そして蝶槍まで上り詰めた。午前11時、ここから充実に歩いて来た道を戻る。帰り、最高地点は晴れており、また登り返して写真でも撮りたかったが、残り3人にはそんな元気はないようだ。雲の切れ間から安曇野が見える。実家が目に入っているのかもしれないが、認識することはできなかった。 蝶が岳ヒュッテから少し下って大滝山分岐、どんどん下って行って最終ベンチ、蝶沢。雲がかかっているものの常念がきれいに望まれる。空は青い。その先は比較的平らな道が続き、2000mを切り、まめうち平である。その先はまた急になり、上りでは暗かった道である。「こんなところあったっけ」という場所も多い。ゴジラみたいな木まで来るとだいぶ降りて来たという感じになり、吊り橋を渡ると三股が近い。三股から駐車場までは15分ほど、ようやく帰ってきた。休憩や食事時間を入れた行動時間は11時間20分。日頃、たいした運動もしていない娘でも、中学生ともなればこのくらいは歩ける体力を持っていることが分かった。雨天のため日程を縮めて長丁場となったが、次は小屋に泊まってゆっくり楽しみたいと思う。来年はどこにしよう。
Aug18_2015

明かされなかった祖父と祖母の苦労

 天気予報通り、今日は雨となった。こんな雨の中、とても常念に登る気にはなれない。一日空いてしまったので、長らく中断していた先祖調査を再開することにした。今日は母方祖父、つまり母の父の除籍謄本を取り寄せてみることにした。直系の孫なので僕独りでも取れるのだが、万が一、母が気を悪くすると困るので、母も、ついでに息子も連れて3人で市役所の支所にでかけた。祖父の本籍は、両親の古い戸籍を見れば母の欄に書かれている。生年月日は母が中途半端に記憶していたが、まあ分からなくてもいいとのことだった。戸籍謄本ならば450円だが、除籍謄本は750円。今回は祖父の除籍謄本のみを手に入れ帰宅した。そしてじっくり読んでみると、驚くべきことが書かれている。祖母は未婚のまま母を含め3人の子を産み、自分の戸籍を持っていた。つまり、幼い頃の苗字は祖母の旧姓だったのだ。母が6歳の時に祖父に認知され、入籍は8歳の時である。母はそんなこと全く知らなかったと言っている。実際には幼い頃から親子そろって住んでいたらしい。戦中から戦後にかけ、祖父も祖母も子供達に話さなかった苦労があったのだろう。母は自分の親の戸籍謄本を見たことがなかったのか。見たことはあっても、じっくり読まなかったのだろう。母はそんなことはどうでもいいと全く気に留めていない様子だったが、心中穏やかでいられるものか。まさかとは思っていたが、たかが除籍謄本一通で隠されていた事実を暴いてしまった。その一方で、家族の不可解だった点が一つ理解できたような顔もしていた。また母を連れ、今度は戸籍上未婚だった頃の祖母の除籍謄本を取りに行こうと思う。
Aug17_2015

大家族で雨引山登山

 東京で育ち、今の自宅から眺められる丹沢はいわば故郷の山である。それに対し、生まれ故郷の山となれば紛れもなく北アルプス常念岳である。この夏、丹沢には息子と行ってきた。次は娘を常念岳に連れて行く。8月17日と18日、山小屋1泊で予定を立て、長妹親子も加えて4人で登る予定だったのだが、どうも天候が良くないらしく雨の予報。残念ながら明日は家にいた方がよさそうだ。そんなわけで急遽、今日どこかに行こうということになった。山登りの地図を眺めると、有明山の麓に雨引山という2時間程度で登れそうな北アルプスの里山を見つけた。往復したら4時間かかるわけで、そんなに楽なわけではないが。息子を連れて行くか置いていくかでちょっともめたが、老いた父が留守番ということで、大家族8人というメンバー、車2台に分かれて昼に出発。ゲートの手前に車を止め、まずは舗装された林道を歩く。しばらく行くと、未舗装の林道が右へ伸びている。標識はない。雨引山へはこの辺りで登山道に入るはずなのだが、この道か。みんなでそっちの方に行ってしまったのが今日の大失敗であった。頭上左前方には送電線が見え、方角は間違っていないはず。しかしその林道は登山道へとつながっておらず、ぷっつりと終わりになっている。けっこう歩いたが、戻るしかない。登山口は舗装道路をもう少し先に行ったところにあった。頂上までは無理だとしてもせめて熊ノ倉岩までは歩こうということになったが、最初からだらだらとした登りが続く。アブだけでなく、スズメバチもいてけっこう怖い。最初の歩き始めから1時間ちょっと、東京電力高瀬川線の鉄塔No. 40にたどり着き、そこでみんなの気力が萎えてしまった。まあ、道が分かったことだし、次回は登頂という目標もできた。今回はここで引き返すことに。
Aug16_2015

盆中日の帰省

 今年のお盆は17日の週に休みを取ってうちの実家に帰省することになった。土曜日の今日、僕は息子と朝早く出発。娘は今日まで部活で、妻と一緒に夜やって来た。これで一族9人全員が集まった。今日で終戦から70年、戦中生まれの父はけっこうな年になった。戦後すぐに生まれた母も然り。明日は送り盆である。

丹沢のチャンピオン

 先日、夕刊を眺めていたらこの前登った「塔ノ岳」という山の名前が目に入った。何かと思ったが「丹沢のチャンピオン」の記事である。そうそう、この人だ、畠山良巳さん。尊仏山荘でノートに何か書くように言われ、眺めていたら、塔ノ岳何千回目の登頂とか、毎日のように書き込んでいるおかしな人を見つけた。記事によると5000回以上登っているらしい。会社勤めの頃は毎朝5時に登頂して8時半に出社というのを毎日続けたこともあったという。トレーニングのために背負っていた米を小屋側が買ってくれるようになり、意外にも収入が得られるようになったことも一因だろうが、そんな小遣い稼ぎを目的にこんなことはできないはず。毎朝あの塔ノ岳に登るというのである。そこらへんの里山とは違う。今月、僕と息子は2日かけて登ったのだ。塔ノ岳や山登りはともかく、僕もこのチャンピオンのように誰にも負けない何かを誇れるようにならなければ。そのためにはこれほどの努力が必要なのかもしれない。そしてその努力の裏側に表には出されない多くの犠牲がないわけはない。

雑草だらけのプランタ

 実が成らないという保育園のゴーヤーを実らせることを目標に、毎日のように世話をしている。肥料をやって、摘芯、雄花を間引き、雌花を探してその先の芽をさらに摘芯、そして受粉。それ以前に気になったのは雑草だらけだったこと。片付けるのに数日かかった。いかにこのゴーヤーがほったらかしにされていたかが分かる。植物の世話が好きそうな先生が別の保育園に移ってしまったそうで、それが原因か。こういうことが好きな人は、そう多くはないようだ。

就職した学生の訪問

 この4月に博士号を取得せずに就職した学生、いや学生ではなくもう社会人である、が、久々に研究所にやって来た。どうしているか、彼の頼りなさげなところから、みんな心配していたのだが、それはどうも杞憂だったようで、すこぶる元気だった。しかも仕事に打ち込んで溌溂(はつらつ)とした毎日を送っているようだ。大学院生の時の研究テーマとは直接関係のない内容だが、自分に合った仕事を見つけられたようで何よりである。とはいえ、働き始めてまだ半年も経っていない。僕の場合、サラリーマン生活はどのくらいしてから絶望へと向かい始めたか。もはやはっきりとは覚えていない。彼には焦らず、じっくり着実に、たっぷり時間をかけて一人前になってもらいたいと思う。

逆効果を招いた愛妻弁当

 健康診断の結果が返ってきたが、結果はきわめて良好である。そんな折、職場の友人の話では、生活習慣病気味の旦那さんのために毎朝弁当を作っていたのに、健康診断の数値は悪化していたという。その真相は、弁当だけでは足りなかったので、かえって別な、しかも健康によくなさそうな物を買って食べていたということらしい。毎朝、貴重な時間を潰して、夫の健康のためにとの苦労は逆効果だったようだ。時間と苦労を返して欲しいと言うのも無理はない。本人のやる気がなければ他人がとやかく言ったり苦労したところでどうにもならない。そうも言っていた。

山登りの筋肉痛

 土曜日に丹沢の塔ノ岳を下山し、きのう日曜日は娘と息子とプールで泳いだ。この夏最後の屋外プールである。そして今日月曜日は3連休明けの出勤となったが、脚の筋肉痛がひどい。とくに階段の下りで感じさせられる。年をとったからというものではなく、10代だろうが感じる筋肉痛である。しかしながら驚いたことに息子には筋肉痛はないらしい。

囲碁クエスト削除

 iPhoneに入れた囲碁クエストを帰りの電車内などで楽しんでいたが、実はそんなにおもしろいものではないと思うようになってきた。段級位、レーティングなどがあり、ついつい飽きずにやり続けてしまうのだが、果たして棋力の向上に役立っているのか否か。それはともかく、ちょっとした空いた時間にできるという売りがよくない。少しの時間といえどもやるならばもっと真剣にやりたいし、もっと時間をかけてやった方が楽しい。週末に一局だけでも19路盤に向かっている方が明らかに楽しいことに気づいた。iPhoneからアプリを削除して1週間経つが、囲碁クエストはもういらない。

小丸尾根を下山

 汗で濡れた服のまま小屋の布団に寝転ぼうものなら息子も僕も寝入ってしまい、朝まで熟睡。夜中に寒くなってきて掛け布団をかけるのに目を覚ましたぐらいのものだ。4時前にアラームを鳴らしたら近くで寝ていた尊仏山荘の従業員に「まだ寝てていいよ」という意味不明なことを言われ、まだ暗かったこともあり、そのまま寝続けてしまった。それでも4時40分ぐらいには起きて1階に下り、朝食。持って来たパンを齧った。荷物をまとめて出発したのは5時半。息子は寒いと言っていたが、歩けばすぐに暑くなるのでそのまま行かせた。まずは下って金冷シまで戻る。帰りはいつものように鍋割山経由で計画していたので、ここから鍋割山稜を大丸へと登る。ちょっとした上りだ。ここから下って小丸へ上り返すのだが鞍部まで来ると分岐がある。小丸尾根という尾根に道がついているらしい。鍋割山に行くのもいいが、まだ歩いたことのないこの小丸尾根を下ってみたい気分になってきた。息子も疲れているだろうから、その方が楽だろう。よし、急遽、コース変更を決定。近道だと言い、左に逸れた。そして急な下りが始まる。大倉尾根のどこよりも傾斜はきつかったのではないか。息子は僕の言った近道ということばが信じられず、とんでもないところに連れてこられたといった感じで文句たらたらであったが近道に嘘はない。とにかく歩いてもらわなければならない。飲み物はまだ余っていたが、ポカリスエットなんかを飲み続けていると濃く感じられるので水で薄めた。ペットボトルは本当に便利である。高1の時に大倉尾根を登った時は、アクエリアスの缶を何本も持って来ていたから、一回開けたらそれを飲み干す以外なかった。山登りに慣れていないと下りの方がたいへんだろう。息子も長い長い下りには苦労していた。着いたらかき氷を食わしてやると言うと、それだけで少しは元気になり、その後もかき氷、かき氷ということばを繰り返した。ここはそんなに利用価値のあるコースとも思えないが、何パーティーか登ってきていた。小丸尾根下りのコースタイムは1時間20分となっていたが、僕らは分岐から2時間半をかけてようやく二俣に到着。鍋割山に登ったとしてもここに下りてくるわけだが、だいぶショートカットできたはず。今回、実は地図は画像にして全てiPhoneに入れて持って来た。実際、ポケットに入れたその地図はかなり便利で、従来の地図も持ってきてはいたがけっきょく一回も開くことはなかった。さて、大倉はまだまだ先。再びかき氷目指して今度は西山林道を歩き続ける。途中、雨がぱらぱらと降ってきたこともあったがたいしたことはなかった。東京の連続猛暑日は昨日が最後だったらしい。そしてバス停着が10時17分だったから、下りも5時間近くかかるというたいへんな山登りだった。未就学児にしては上できだろう。よく頑張った。約束通りかき氷を買ってやったら山盛りで食べ切れないほど。子供はなんであんな物が好きなんだろう。僕は好物のソフトクリームを舐めながら帰りのバスを待った。
Aug08_2015

尊仏山荘泊

 毎日が猛暑日のこの週の金曜日、仕事を休み、息子と二人で丹沢へ行くことにした。たまには保育園を休んでどこかに遊びに行きたいと、明確な夏休みのない保育園児の切実な訴えがあった。テントで寝たいなどと言っていたが、まずは山小屋だろう。塔ノ岳に一泊する計画を立てた。今日は登るだけなのでゆっくりとした出発で、渋沢駅に着いたのが昼前である。大倉行きのバスの出発時刻を調べ、大慌てで昼食を取った。大倉に来たのは何回目になるだろう。最初は高1の時で、テント泊だった。あの時も暑く、翌朝、花立まで登って下山したことは強烈な印象として残っている。5年前に娘と甥を連れて大倉尾根を登ったのが直近のことで、あの時は塔ノ岳を越えて丹沢山、蛭ヶ岳まで強行した。それに比べれば塔ノ岳の一つくらい、なんとかなるだろう。出発は12時23分。雲が多いとはいえ晴れており、とにかく暑いので、無理せずゆっくり登る。息子にはいっさい荷物は持たせないことにした。国定公園境から林の中に入って行く。バカ尾根と呼ばれるこの大倉尾根に対しては、木陰がなく背に直射日光を浴びて中程度の傾斜を延々と歩くイメージだったのだが、意外と樹木が多くて助かった。上りばかりで下りはほとんどない。ある程度の間隔で番号が付けられていてどれだけ登ったのかのいい目安になるのだが、頂上までいくつあるのか分からない。降ってくる登山者に聞いてみても、40くらいだったかとどれも曖昧な返事だった。そして今頃登るのかと妙な顔をされるが、僕らは小屋泊まりである。息子は2リットルのアクエリアス、僕は1.5リットルのポカリスエットのペットボトルを持って来ていて、奇数番号で休んで飲むというルールを作ってとにかく登る。休んでは飲み、休んでは飲みを繰り返す。白桃やミカンのシロップ漬けもありがたかった。あちこちに黒い大きなチョウが飛んでいた。街では見ない大きなチョウだ。後で調べてみるとクロアゲハというチョウだったらしいことがわかった。2時、3時となるが先は長そうだ。小屋泊まりとはいえそんなにゆっくりもしていられない。花立に着いたのが4時半で、そこに置かれていた温度計を見ると24度だった。少しは涼しくなってきたか。もうちょっと登ると金冷シで稜線に出る。ここの大倉尾根番号が43であった。山頂は近い。気温が下がってガスが出てきた。そんな中を頑張って歩く。飽きてきた息子にはオオバコを探させ、花穂を引っ張り合う遊びを教えてやった。オオバコが生えているということは小屋が近い証拠である。そして登頂は5時27分。5時間もかかった。しかし息子もよく歩いてくれた。奴の全体液はアクエリアスで置き換わり、僕の方も服だけでなくザックまでびっしょりになった。予約していた尊仏山荘に入ると、今夜の宿泊客は僕ら2人だけということだった。今回、小屋の食事も体験させてやろうと思っていたのだが、息子の嫌いなカレーライスだったので、カップラーメンを持って来た。僕はインスタントラーメンは食べても、お湯を入れるだけのカップラーメンは最近はほとんど食べず、息子も選んだカップヌードルは初めてだったらしいが、あまりの旨さに狂喜していた。苦労して登った故に味わえる味だろう。僕としては食器類が汚れないことがありがたかった。食後、ブヨの飛ぶ山頂に出てみた。夕焼けの空に丹沢山、蛭ヶ岳、そして遠くに富士山も見えたが、雲が多い。眼下の夜景が見えなくはなかったが自宅方面は見えなかった。冬だったら毎日のようにこの塔ノ岳を見ることができるのだが。というわけで、塔ノ岳は僕らにとっていわば故郷の山なのである。その頂きに立ち、戦前から一日も休むことなく営業し続けているという山小屋で息子と一夜を過ごした。
Aug07_2015

飛ぶことのできなかったアブラゼミ

 昨夜、家の前の公園で、仰向けにひっくり返ってもがいているセミの幼虫にアリがたかっているのを見つけた。このままでは疲れ果ててアリの餌食になるだろうと幼虫を家に持ち帰った。カーテンにつかまらせて、部屋を暗くしてやると、程なく孵化し始めた。夜、暗いまま様子を探ると、床に落ちているようだったが、そうっとしておこうと明るくなるまで待つことにしたが、残念なことにまたも仰向けになっていて、羽をじゅうぶんに伸ばせていない。もう硬くなってしまい、このアブラゼミは一生飛ぶことができないかもしれない。なんとか羽を伸ばし、大空に羽ばたいてくれと願い、ベランダに置いておいたのだが、夜には力尽きていた。またしてもかわいそうなことをしてしまった。
Aug06_2015

セミの抜け殻収集

 保育園までの道のり、息子は毎朝、セミの抜け殻を探す。いくつも見つけてそれをある場所に隠しておき、夕方帰宅時に家に持って帰る。生きて動いているセミの幼虫や成虫よりもとにかく抜け殻が好きらしい。そんなわけで、自宅のテレビの下には大量のセミの抜け殻が集められている。脚がとれてしまえば、ゴキブリの脚のように見えなくもない。一見気持ち悪いのだが、驚異の自然の造形をまのあたりにすることができる。
Aug05_2015

保育園の貧弱なゴーヤー

 息子の保育園でいろいろな夏野菜を育てているようだ。収穫すると表に何か書かれるのだがずっとゴーヤーの欄が空白である。聞けば、今年は全く実らないのだという。これまで苗から育てていたが、今年は区役所から種子が渡され、発芽させ、それを栽培しているらしい。種を疑っている様子だが、市販されているまともそうな種である。そのゴーヤーを見させてもらうと、どれも貧弱で、明らかに肥料不足。そうなると雌花が出てこないので、実が成るわけがない。肥料を買えないかと聞いてみたが、それは難しいし、冬になってしまうとのこと。その状況、厚労省の出先機関に勤めている僕ならばよく分かる。区立保育園もしょせんお役所だ。化学肥料で問題なければということで、今朝は最近買った肥料をばらまいてきた。先生たちは諦めているようだったが、まだ8月に入ったばかりである。これから頑張って世話をし、いくつものゴーヤーを実らせてやる。うちの息子を含め、ゴーヤーを喜んで食べる子などほとんどいないと思うが。

IT関連の職

 度々お世話になっている情報管理部署の方がいるのだが、今日もいろいろと教えてもらった。そして突然、会社を辞めることになったと告げられた。ここ国立研究開発法人には、会社から派遣されるような形で勤務していたらしい。どうしたのかと思ったら、しばらく無職になって、別な会社を探して転職したいとのことだった。真相は不明にせよ、とにかく薄給を嘆いていた。いい年をして信じられないほどの額しかもらっていないとのことだ。僕自身も会社に入ってIT関連の仕事をした経験を持つが、2年ともたなかったので辞めたいという気持ちは勝手ながらも分からないこともない。一方、修士課程修了ということで、周りの大卒や高卒、さらには子会社、関連会社の社員と比べれば恵まれていたに違いない。でもそんな状況に納得できず苦悩は募った。今やIT関連の仕事はいくらでもあり、有能であろうが無能であろうがエンジニアたちは多忙を極めているようだ。特にセキュリティ関係の知識や技術を持つ人材への需要はうなぎ上りだろう。彼が満足のゆく職場を見つけられるよう祈るばかりである。

夜の等々力渓谷

 日曜日の夕方、息子と二人、等々力渓谷に行った。目的は東京のホタルを見るためである。それに等々力渓谷は意外と近くながらこれまで行ったことがなかった。大井町線等々力駅に着いた頃にはいい感じで暗くなり、ちょっと歩くと入り口がある。狭くて暗く、息子は怖がるのではと思ったが、小学生親子の団体と一緒になったこともあり、もくもくと下って渓流沿いへ。渓谷とは言え、しょせん東京の23区内にある。あまり期待してはいけない。ヘッドライトを持って来ようと思いつつも忘れてしまったことに気づいたが、街灯や家の明かりがあるので必要ない。ホタルを見るには明る過ぎるくらいで心配になる。しかし歩けど歩けどホタルは一匹たりとも見つけられない。ついに渓谷の南端まで来てしまったので、ついでにと多摩川との出合いまで歩いた。たくさんのコウモリが舞っていて、川崎の方の街明かりが遠くに見えた。そしてまた戻る。行きも帰りも親子のグループが多数散策していた。そんな中に紛れて、羽化しているセミを何匹も見ることができたのだが、残念ながら目的のホタルは見られなかった。とは言え、いかにも夏休みらしい数時間を息子と過ごすことができた。
Aug02_2015
プロフィール

Glires

Author:Glires
生物学者の端くれ

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2015/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

天気予報

-天気予報コム- -FC2-
アクセスカウンター
水槽
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。