スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

酔って候

 妻の実家に『酔って候』の単行本があり、何度か眺めたことがある。今回の帰省では収められている4編のうち、最初の山内容堂を扱っている『酔って候』を読んでしまいたかった。普段の読書は通勤電車の中くらいなものなので、文庫本1冊を1ヶ月もかけて読むことも普通なのだが、今回はきのう今日と実質一日で読み切った。出版は昭和40年、この単行本も僕が生まれるより前、昭和45年の物で、なんと定価が500円となっている。さて、歴史小説を読んでいても、ドラマを見ていても何かと出くわす山内容堂。近所を散歩すれば、贈従一位と深く刻まれた見事な墓石を見ることができる。四賢侯の一人とされるが、いったいこの飲んだくれ男は何をして、何をなし、そう呼ばれるようになったのか。武市半平太に切腹を命じた件や、坂本龍馬との関わりもよく理解できていなかった。これらに対する答えは全てこの小説にまとめられていた。得体の知れない化け物とさえ言われる容堂であるが、司馬は容堂が何を考え、どう行動していたかを理解し、自分なりに整理できていたようだ。それが正しいか否かは分からないが、小説としてはよくまとまっている。最後の方にも書かれている。「容堂は、暴虎のごとく幕末の時勢のなかで荒れまわったが、それは佐幕にも役だたず、倒幕にも役だたなかった。」

天地明察

 ずっと見たいと思っていた映画があった。『天地明察』である。そろそろテレビでやらないかと、番組表とにらめっこしていたのだが、なかなか放映してくれない。そんな時、友人と算額のことを話していて、なんで算額を知っているのかといえば『天地明察』を読んだからだと言っていた。そうか、映画なんか見るよりも原作を読んだ方が楽しそうだ。なぜそういう発想に至らなかったのか。さっそく図書館で予約し、文庫本を読み始めたら確かに算額の話である。いや、とにかくこの本には最初から異様に惹きつけられた。この冲方丁という著者は僕よりずっと若く、早大一文中退とのことだが、それが信じられない。目下、科学業界は捏造などの研究不正に大騒ぎであるが、そんなことは何ほどのことがあろうか。ここに見事に描かれている科学の魅力が、いつの間にか忘れてしまっていた自然を理解することに対するあの興奮を蘇らせた。この齢になって碁を嗜んでいるが、今やそれはこの小説を楽しむためであったとしても過言ではない。人間関係、特に師弟関係の描写も考えさせられるもので、特に関との対面の場は圧巻である。そして後に関に語っている。「弟子入りします。それが一番の手でしょう。相手の物を奪うからには、まず頭を下げるべきです」と。主人公の渋川春海に惹かれることはもちろんであるが、なぜ科学の本質をあれ程までに理解している冲方丁という男が何を考えて早大一文などを選んだのか。古文を教えていた高3の時の担任は早大一文卒だったが若い僕らに「あんな学部にだけは行くな」などと言っていた。それがこの小説を世に出すためだったとすれば大きな意味があったのかもしれない。文庫本下巻の最後には養老孟司が一筆添えているが、明らかにこの若者に対して嫉妬している。

坂の上の雲を貸す

 本を所有しない主義なので、借りることは多くても、他人に本を貸すということはあまりなかった。しかし最近、友人が『坂の上の雲』を読みたいと言うので、トイレ内の棚にしまってあった文庫本を貸してあげることにした。1冊ずつ渡して今日で6巻目。2007年3月に刷られた全8巻からなる文庫本で「NHKスペシャルドラマ いよいよ撮影開始!」との帯が付いている。死ぬ前にいずれまた読みたいという気持ちも強いのだが、カナダから帰国した際、義父が新品を買って送ってくれた物であり、処分しにくかったということもある。読むのはどの版であってもいいから、友人が喜んで活用してくれるならばあげてしまってもいいと思っていたが、今日は第1巻を返してもらった。スペシャルドラマもDVD-Rにコピーしてとってあるので、そちらもいずれ貸すことに。文庫本の帯には主要な俳優4名の名が書かれている。僕は全く気にならなかったが、彼女はその俳優たちが秋山そして正岡兄弟をどう演じているのかを考えながら読んでしまうなどと言っていた。全く余計な情報だ。

算法少女

 娘の夏休みの宿題の一つに『算法少女』という文庫本を読むというのがあった。もともとは同書名で江戸時代に出版された和算書なのだが、当時親子二人で執筆されたこの本の成立過程を史実を基に小説にしたのが遠藤寛子著『算法少女』である。娘の本棚から引っ張り出して読んでみた。分かりやすく書かれていて子供向けの本とされているようだが、僕のような大人でもじゅうぶんに楽しむことができる、読む価値のある一冊だった。いくつもの興味深い事柄が、一冊の和算書が書かれるという一つの話に織り込まれている。実生活に活かすわけでなく算術を究める父、父に習って懸命に算術の勉強を積む娘、一方でそういったことに理解を示さぬ現実的な母。当時の算術の流派間の対立が物語を展開する原動力になっていて、主人公の少女あきもそんな争いに立ち向かってゆくのだが、算術を究めるという観点からはいかに無意味かということを諭される。多くの場面で理想的な女の子のように描かれているのでここは異彩を放っていて、科学者という立場から見ても非常に興味深い。一揆など当時の社会問題に、藩主の不自由さ、そして町人の自由さ、当時の人々の好奇心が見事に描かれている。算数や数学を嫌う子が多い現代、当時と今とで何が違うのかを考えてみる必要がある。

佃島ふたり書房

 読売新聞人生案内の一愛好者として、出久根達郎の作品を一冊でも読みたいと常々思っていた。直木賞受賞作である『佃島ふたり書房』が最有力である。一回、図書館から借りて読み始めたのだが、何が面白いのか理解できず、いつの間にか返却期限が迫り、かつ次の予約が入っていて延長できず、それっきりになっていた。この年末年始の休みに再挑戦ということで借りてみると、普段よりも一週間余計に借りられるようでゆっくり読めそうだ。しかし油断せず、つまらなくとも毎日少しずつ読み進めようと決意した。直木賞受賞作というからには区内の図書館全てに単行本か文庫本ぐらいあるかと思っていたのだが、一番大きな図書館の書庫資料として一冊あるに過ぎなかった。初版は1992年10月で僕が大学生の頃だから、そんなに古いわけでもない。手元に届いたのは翌年2月の第4刷の単行本なので、受賞決定後に刷られたものと思われる。「書庫で保存している貴重な資料です」なんて書かれた栞が挟まれている。直木賞の面目丸潰れではないか。さてさて小説の内容であるが、僕の趣味に合わない気持ち悪いもので、二度と読みたいとは思わないが、一方で次は何が書かれているのかと気になりながら、正直、怖いもの見たさの楽しみで読んだ。中学を卒業して古本屋に勤めたという著者の経験が必要以上に活かされていて、僕のような常人に編みだせるような話ではない。僕の好きな人生案内回答者としての一面も見られなかったが、読み終えて振り返ってみると、ああいった濃い人生経験あるいは空想あっての奇抜な回答だったのだろうと思い知らされ、改めて出久根達郎という男の凄さを感じることができた。ダクばあさんが死ぬ前に語った言葉が印象的である。「あたしらの仲間に加われ、とはすすめん。加えたくとも、資格を問われるから無理だ。ただ、あたしらのような者が、こうしてひそひそ活動していることを胸にしまっておいて、お前の励みにしてほしい。お前は、やりたいことを信念をもって続けるがよい。正しいか正しくないことかは、浮世の評価ぞ。ひとつことをつらぬく一念こそが、現世の正義ぞ」ここに引用させてもらう。

夢を追って

 恩師から一冊の新書が届いた。今回のは先生自身の著書で、新聞に42回にわたって掲載された原稿をまとめたものらしい。誕生からこれまでの個人的なことや人との出会い、そして研究や教育について。掲載スペースの制限からだと思うが、だらだらと冗長になるようなことはなく、伝えたいことがが端正にまとめられていて読みやすかった。先生からは直接、また周りの先生方や先輩らからいろいろな話を聞いていたが、この本を読んでみるとそれらがいかに断片的であったかを知り、また個々の話が初めて一つの流れの中の収まった。「準備のない人に幸運の女神は訪れない」とよくおっしゃっているが、人生はその連続であったことを知る。他人を見るということは、たいていは成功を、時には失敗をも見るかもしれないが、その人が準備しているところを見ることはあまりない。そんなことを垣間見ることができる一冊だった。

第一次世界大戦

 今年は第一次世界大戦が勃発してから100年とのこと。新聞の一文に木村靖二の『第一次世界大戦』という本がよくまとめられているなどとあったので、さっそく図書館で予約したが4人待ちであった。一歩遅かったか。ようやく僕の番になり読み始めたが、次の予約が入っていて延長できない。情けないながら、このような本を2週間で読み切ることはできなかった。しかも、また水に濡らしてしまった。前回、濡らしたことを自己申告して注意されたばかりだったが、またやってしまった。前回ほどひどくなかったので、ブックポストに入れて返却した。印象的だったのは、日本が最も小さな犠牲で最も大きな利益を得た国だとの話。それからサラエボでオーストリアの皇太子が暗殺されただけでなぜ世界を巻き込む大戦争にまで発展したのか個人的な謎だったが、その辺りのことは読んだ範囲でも理解することができた。図書館で本を借りて読む場合、返却期限が一つのモチベーションになるのだが、それをうまく利用できないと今回のようになってしまう。

羆嵐

 先月『大黒屋光太夫』を読んだが、吉村昭で思い出されるのは『羆嵐』である。この文庫本が、どういう経緯で僕のところにやって来て、どういった内容で、どこに消えて行ったか、さっぱり覚えていない。覚えているのは途中まで読んで、興味を持てず、読み切らなかったことぐらいである。ただ読む価値のある小説だろうということは心のどこかで思っていたのか、図書館で借りてきて20年振りに読んでみた。驚いたことに筋書きを全く覚えていなかった。いったい僕はどこまで読んだのか。しょせん読書なんて、そんなものか。大正4年の初冬、北海道の不毛な開拓地に現れた巨大なヒグマが2日間で6人の命を奪い、その果てには廃村にまで追いやられる実録である。いや作者による脚色も多いだろうから小説と言った方が正確かもしれない。小説としてのこの本の魅力が現れるのは、後半になってからの区長と粗暴な羆撃ちとのやり取りだろう。茶碗の中の焼酎が区長の顔に掛けられる場面は強烈である。厳しい開拓地で苦労を重ねた老練な男達の人生を垣間見ることができる。実話としてももちろん興味深く、1cmにも満たない薄い文庫本であることもあり一気に読んでしまったが、全体的に陰鬱で事は重大である。20年前の僕には読めなかったことが今読んでみて初めて理解できた。

不注意と怠惰の延滞

 自由に本や雑誌が借りられる区立図書館の存在はとてもありがたく、そのサービスがあればこそ喜んで区民税を払う気にもなれる。一回許されている延長処理をしたにせよ、期限内に返却するよう常に心掛けているのだが、この前借りた本は、うっかり返却期限が過ぎて延滞状態になっていた。こうなってしまうと気が緩むのか、早く返そう返そうと思いつつも、ついつい忘れてしまって行動に結びつかず、返却したのはけっきょく一週間も後になってしまった。読み終えることができなくて確信的に延滞するならばともかく、不注意と怠惰の延滞はよくない。無料であるが故になおさらよくない。

仕事と人生の変わらない法則

 一時帰国していたドイツ在住の友人に会った別れ際、一冊の本をもらった。本田健の 『金持ちゾウさん、貧乏ゾウさん』というゾウが主人公になっている物語。お金がテーマになっていることにやや嫌悪感を覚え、しばらく放っておいたのだが、読み始めてみると童話っぽいところと教訓じみたところにやや抵抗感が残っていたものの、読むのをやめようなどという気にはならず、最後まで読んでしまった。なかなか興味深い話ではあったが、重要なのは最後に書かれている作者による解説。さすがに童話を読んだだけでは作者の伝えたかったことは汲み取れない。しかしこの解説を読むと、この本が扱っているお金、仕事、人生、幸せに対する作者の考えが説得力を持って伝わってくる。特に3つの表現に感銘を受けたので、ここに挙げておきたい。まずは「人生で起こるさまざまな事件は、自分を知るために起きている」ということ。そういった立場で毎日起こる、特に嫌なことに対しても客観的に対処して行けば意外な側面も見えてきて、苦境を乗り越え、むしろ楽しむことができるのかもしれない。それから恐らく一番重要な主張は「効率や生長を求めすぎず、自己卑下せず、まわりと調和して生きることが幸せの秘訣」という彼の結論ではないだろうか。幸せとは人それぞれであり、必ずしも彼の意見が正しいとは言い切れないが、多くの人に当てはまるであろうことは間違いない。そして最後にもう一点感銘を受けたのは「見失っているかもしれない、父親や祖父との絆」である。物語には確かにこのテーマも隠されていた。しかし、こうやって指摘してもらわなければ綿々と受け継がれてきた親子の絆について考えるようなことはなかっただろう。僕の場合、祖父は農業、父は銀行員、そして僕は研究者をやっていて全く関係ないように思っていたが、実は見失っていた絆があったのだ。そのことを気付かせてくれた一冊だった。

大黒屋光太夫

 友人に勧められて吉村昭『漂流』を読んだのは2年以上前だが、その興奮はなかなか冷めない。吉村が『漂流』の発表から20年以上経った晩年に『大黒屋光太夫』という小説を書き残していたことを新聞で知り、再びあの興奮をと図書館から文庫本上下2巻を借りてきた。小説の雰囲気は執筆時の30歳近い年齢差を感じさせないもので、若い頃の成熟度に畏れ入ったが、その一方、人生の締めくくりをこの小説にかけた意気込みも感じられ、期待以上に読み応えのある話だった。それに1700年代後半、謎に満ちた大国ロシアでの実話である。知らなかったことばかりで書かれている一文一文が興味深く、知識として得たこと、感じたことを書き留めるとなれば膨大な時間がかかってしまう。僕にとっての圧巻は女帝への謁見を光太夫が遅れてペテルブルグに入った水主新蔵に語る場面である。新蔵の反応が理解できないと思ったら、意外な展開があり、宗旨替えという一つの大きなテーマと向き合うことになる。そして同じく宗旨替えをした水主庄蔵にけじめをつけて離別を伝える場面も印象的である。読み書きを嗜む身として、そして水主達の命を預かる沖船頭としての光太夫の一つ一つの言動には責任ある者の取るべき行動が示されており、僕のような身にも参考になる。大黒屋光太夫については三重県に記念館があるらしい。この興奮をまた思い出すため、いずれ訪れてみなければと思っている。

知の挑戦

 博士課程の指導教官の先生からいただいた『知の挑戦』という本を読んだ。最近の本はサブタイトルどころかいろいろなタイトルが付いていて、どれが本を特定すべきタイトルなのかがはっきりせず厄介である。この本の表紙にも『知の挑戦』に加え、「技術を生かすグローバルリーダー育成の教科書」、「時代を拓く知のリーダーからのメッセージ」、「新しい価値の創造」などと書かれている。それはさておき、この本は前回の『理工系のための明日への教科書』に続く2冊目で、昨年度まで先生が学長として進めていた教育プログラムの取り組みの一つ、特別講義シリーズのうちから7講義を本にまとめたものである。そのどれもが時代の先駆者自らの経験に基づいた若者へのメッセージである。せっかくなので、それぞれから印象に残った箇所を書き留めておきたい。第1講義は益川敏英との対談。評論家などを皮肉る「眼高手低」という言葉を、目標を高く持ちつつ実際には着実なところから始めると解釈しその必要性を説いている。対談の中で我が師は「準備のない人に幸運の女神は訪れない」というパスツールの言葉を引用していた。第2講義は浅川千恵子。障害者のニーズにより開発された技術で世の中が変わってきている例が多々あることを知らされた。第3講義は小泉英明。脳科学と聞くと、何やら怪し気な印象を持っていたが、確かな技術があり、それを応用することでALS患者と意志疎通を試みた実験とその結果には感銘を受けた。第4講義は箕浦輝幸。修羅場を経験させるなどして大人が若者をどう鍛えるのか、制度よりも重要な人材育成法が説かれている。第5講義は戸田信雄。失敗、問題に直面した時に、情熱と執念で必死に考え続けることによって初めてインスピレーションが出てくる。第6講義は川角昌弥。あきらめずにさまざまな常識を疑ってみる必要がある。第7講義は増本健。常識外れの研究成果は往々にして査読者に受け入れられない。僕はもう若者ではないかもしれないが、たまにはこういった分野の違う人たちからのメッセージにも接し、世界を広げる必要がある。

若き日の愛読書

 帰宅途上、iPhoneでニュースを見ていたら渡辺淳一が亡くなったと知った。好きな作家というわけではなく、今後読みたい作品があるわけでもないが、大学生の頃に読んだ『遠き落日』は人生に大きな影響を与え、何度読み返したか分からない。読んだ本は手元に残さない主義だが、この文庫本上下2巻は未だにトイレの棚の上に並べてある。独り寂しくカナダで暮らしている時も励まされたものだが、帰国してからは不思議と読み返した記憶がない。齢を重ねるにつれ、いつの間にか必要なくなったのだろう。他に読んだ作品といえば『光と陰』ぐらいである。『遠き落日』とは違い、二度と読みたくないような小説だったが、その筋書きは未だ強烈に僕の脳裏に焼き付いており、人生とはそんなものだと若き渡辺淳一が教えてくれていたことに今日気付かされた。

満州再訪記

 藤原ていの『流れる星は生きている』、そしてその後、新田次郎の『望郷』と『豆満江』を読んで早10年以上の歳月が流れた。それよりも前に次男である藤原正彦の『若き数学者のアメリカ』や『遥かなるケンブリッジ』を読み、その後『国家の品格』も含め多くのエッセイを読んできた。先月は『祖国とは国語』を図書館で借りてきて、文庫本の最後に収録されていたのが『満州再訪記』である。発表は2002年秋らしいから、僕がまだ大学院生だった頃だ。期待通りの興味深い紀行文であったが、日清戦争から太平洋戦争敗戦に至る近代日本と諸外国との関係がうまくまとめられていて、自分の知識を整理するのに大いに役立った。著者の個人的な見解が当然であるがごとく書き込まれているのでその点は注意深く解釈しなければならないが。いずれ娘にも薦めることにしよう。とは言え、圧巻は亡き父親や、同行した母親、藤原ていに対する敬意と愛情だろう。大学生の頃、その独特の見解と表現から新聞で藤原ていの文章を読むのを楽しみにしていたが、今や百歳近くになるのか。満州再訪時には八十代。どこにでもいそうなお婆さんの姿を随所に描写しているがやはり藤原ていはそこらのお婆さんとは一味も二味も違うことだろう。嘘か本当か分からないが、ていおばあさんの諧謔で紀行文は巧みに締められていた。

卑怯を憎む

 先日、藤原正彦の『いじわるにも程がある』を読み終えた。同名のエッセイを全20の最後に配置したエッセイ集である。深刻な話と根拠に基づく強い主張が次々と展開する『国語教育絶対論』の後に収録されているのだが、僕にとっては落差が大きく、そのほとんどに感銘は受けなかった。最初の『お茶の謎』からして良くない。新田次郎は注がれた茶の量にうるさかったようだが、著者はいつもなみなみと注ぐらしい。常々、情緒の重要性を説く一方で、日本人が茶を飲む時の情緒を理解していないようだ。それはさておき、一つだけ心に残るエッセイがあった。父親の価値観を綴った『卑怯を憎む』である。その最後にこう書かれていた。「父親とは、死んでから感謝されるべきもの、と思っている。」この主張は彼の作品に垣間見ることができる。僕もこの年になって初めて、自分の父を見て、また父の父だった祖父を思い出し、そして我が子のことを思うと、父親とは死んでから感謝されるべきものであると思わされている。

国語教育絶対論

 娘に何かを読ませようと藤原正彦『祖国は国語』の文庫本が図書館の本棚で目に留まり借りてきたのだが、娘はいっこうに読む気配がない。僕の方が興味があったので、通勤に持ち出して読み始めてしまった。大きく分けて『国語教育絶対論』、『いじわるにも程がある』、『満州再訪記』の3つから成り立っておりそれぞれの独立性が高いため、ここで最初の分についてのみ記しておく。他の著作から言わんとしていることは大概予想がついていたが、整理して読むことができ、理解も深まった。多くの社会的な事実に基づいて、説得力ある論理展開で、全体として11の随筆集として成り立っている。娘が楽しく読んでくれたかどうかは不安になってきた。その中でも特に印象に残ったのがその論理についてである。引用させてもらうと「現実世界の「論理」とは、普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる、というきわめて頼りないものである。そこでは思考の正当性より説得力のある表現が重要である。すなわち、「論理」を育ているには、数学より筋道を立てて表現する技術の習得が大切ということになる。」僕の研究テーマも然りである。

二つの祖国

 必ず楽しんでくれるはずだと隣にいる大学院生が薦めてくれた山崎豊子『二つの祖国』をようやく読み終えた。図書館で借りようと思ったら作者の訃報に接し、しばらく待つことにしてけっきょく読み始めたのは年が明けてからで、それから読了に3ヶ月もかかってしまった。限られた時間を利用して少しずつ読み進め、この3ヶ月という期間を確かに『二つの祖国』で楽しむことができた。いや楽しんだというよりも、受けた衝撃は予想外に大きいものだった。冒頭の日系人の強制収容から始まり、黒人に対してだけではない人種差別、一世や二世の語学力、戦争の本質、戦前の日本人の天皇に対する考え方、家族のありかた、俘虜の扱い、原爆投下の問題性、裁判の意義、宗教の必要性、自殺、などなど。読み進めば進むほど、この小説のテーマは広くなってゆき、その一つ一つに考えさせられた。あたりまえのことだが、日本の学校教育では教えてもらえないことがあまりに多過ぎることを思い知らされ、大人になり精神的な成熟を経てからこそあらゆる観点から吟味しなければ物事に対する意見など持ちようがないことを再認識させられた。作者の緻密で長期にわたる取材あってこその力作で、分野こそ違え僕も見倣いたい。娘に読むよう薦めたが、ほんの数十ページで挫折した。それで良かったかもしれない。中学生には刺激が強すぎる。娘が大人になったらその時にまた薦めよう。そして僕もまたその時に読み返したい。

本の予約の競合

 今、図書館から借りて『二つの祖国』を読んでいるが、他人と競合しているらしく、各巻を切れ目なく予約して借り続けることが難しい。もともとの単行本は上下2巻だったようだが、文庫本では3巻、そして最新の文字が大きな文庫本では4巻構成になっている。今はその3巻を読んでいて、2週間では読み切れないので延長し、なんとか最終巻も確保したいのだが、すでに予約が入っているらしい。区内の図書館全部の蔵書を調べると、古いのも含め何セットもあるようなので、少し気が引けるが二重に借りてしまうか。予約はしばしばキャンセルになる。延長は1回限りで、手続きから2週間で返さなければならないので、期限ぎりぎりに申請したほうが長く持っていられることになるが、その間に新しい予約が入る可能性もある。さっさと読んでしまえばいいのだが、通勤電車の中ぐらいしかまとまった時間が取れないし、僕にとっては読書を長引かせることも人生を楽しむ一つの秘訣である。

図書館から借りた本の返却期限延長

 僕の読書は他人と比べるとかなりのスローペースで、一冊の本を長期間に渡って楽しむのが普通である。たいていは図書館から借り、読むのは通勤電車の中だけで、通常の貸し出し期間内には読み切れないのでウェブサイトで延長手続きを行っている。以前は3週間、延長すれば6週間も占有できたので余裕だったのだが、いつからか2週間、延長で4週間に短縮されてしまった。年が明けてから『二つの祖国』をじっくり楽しみながら読んでいるのだが、借りているのは文庫本で全4巻におよぶ。ウェブサイトで第3巻の返却期限を確認しようとすると予約が入っていて延長でいないことが分かった。これはまずい、どうしようとかなり困惑していたら、期限ぎりぎりになってその予約は取り消されており、なんとか救われた。延長するとその日から2週間となってしまうので、最大限手元に置いておくためには手続きはなるべく後の方がいいのだが予約との兼ね合いもあるので難しい。一度に何冊も借りるわけではないんだから、もっと長い期間の貸し出しを許してもらいたい。

図書館の本の水濡れ

 本を返却したら嫌みを込めたような言い方で水濡れを指摘された。自分の所有する本ならばまだしも、図書館で借りた本の水濡れの跡など気にしたことがないので、急にそんなことを言われて驚いた。全く気付かなかったし、自分で濡らした覚えなどない。雨の日に鞄の中に入れていることもあり、水筒と一緒に運んでいるから自分が濡らした可能性を完全に否定できるものではないが、少し腹が立った。本が濡れて紙が変になることぐらいでああだこうだ言う人がいることに腹が立つ。そんな外見上のことなどどうでもいいではないか。破損して読めなくなるならば問題は大きいが、少し濡れたぐらいでは読むことになんら支障はない。ましてや多くの人の手に渡ることを想定して置かれている公共の図書館の本である。破損覚悟で一人でも多くの人に読んでもらうことを趣旨とすべきではないのか。大切なのは本に書かれている内容であって、メディアたる物体ではない。

早起きは自分を賢くする

 危うく見逃すところだったが、新聞に船井幸雄の死亡記事が出ているのがかろうじて目に入った。博士課程の大学院生の頃だったか、本屋をぶらぶらと歩いていたら『早起きは自分を賢くする』という単行本が僕の興味を引き、買って、読んで、感銘を受けたことを良く覚えている。その著者が船井幸雄で、こいつ只者ではないと思っていた。記録をあさってみると『早起きは自分を賢くする! 出勤前の30日「自己革命」!』を読了したのは2004年1月19日となっていたので、博士号を取得し留学を控えて出身研究室でポスドクをやっていた頃である。いや驚いたことは僕が読了してちょうど10年後、日付も同じくして著者が死去したということである。そんな奇遇はまあ置いておくとして、この本が僕の人生に与えた影響は大きかった。かと言ってこの本を読んだことによって早起きになったかというと必ずしもそうではない。頭で理解できても行動できるか否かは別問題である。しかし最近はかなり早起きになり、今年に限れば午前4時以降に起きたのは1日だけで、ほとんど4時前に起きている。『早起きは自分を賢くする』に書かれていたことなど10年経った今では何も覚えていないが、彼の主張はずっと僕の10年間を支えてくれていたであろうことに気付かされた。

科学者の卵たちに贈る言葉

 博士課程の指導教官の先生が、先生の指導教官であった江上不二夫先生のことをしばしば語っていた。今でも良く覚えているのは「自分が見付けたことを大切にしなさい」という言葉ぐらいだろうか。僕が実際の研究の指導を受けていたのは、学籍上の指導教官の先生の弟子の先生なので、僕は江上不二夫なる生化学者の曽孫弟子に相当する。いったい江上先生とはどんな人物だったのか。この夏に笠井献一『科学者の卵たちに贈る言葉 江上不二夫が伝えたかったこと』という本が出たらしく、新聞に宇宙物理学者の「科学は勝ち負けではない」という書評が載っていてぜひ読んでみたいと思っていた。図書館の本棚に並ぶのを待って、読むのが今になってしまったが、ようやく江上先生の人柄を知ることができ、僕の先生が何かと語っていた理由も自ずと理解することができた。今の科学者たちの研究に対する姿勢は、僕が高校生の頃に思い描き、憧れていたものとはずいぶんと違う。そんなことを思い改めさせてくれる本だった。目次を書き並べるだけでも意味がありそうなのでここに記しておく。「1. 他人と戦わない、2. 人真似でかまわない、3. 伝統を大切にする、4. つまらない研究なんてない、5. 三ヶ月で世界の最先端になる、6. 実験が失敗したら喜ぶ、7. 先生は偉くない」薄い本なので、また機会を見付けて読み返したい。

野口英世知られざる軌跡

 実家の本棚で『野口英世知られざる軌跡』という本が目に留まった。大学3年生の頃に発行された単行本の第一刷である。はっきり覚えていないが確かその頃、新しく出たらしいこの本を新聞広告で見つけ、注文して買ったのだが読了した記憶がない。もう20年も経ってしまったが、今更ながら読み返すことにして持ち帰った。著者は山本厚子というスペイン語が堪能と思われる女性。『遠き落日』と比べてしまうと全く迫力がないのだが、女性による個人的な紀行文と思って読むと楽しめる。男の作家が思いを巡らさないような、国際結婚の苦労、野口がアフリカに渡ってからの夫に対する妻の思い、野口亡き後に仕事の整理をした女性愛弟子の生涯、恋人だったヨネの子孫の迷惑ぶりなどなど、女性ならではの視点は興味深い。得意な語学、特にスペイン語を最大限利用して独りで治安の良くない国も含めてあちこちに足を運び、これまで知られていなかったことも多く明らかにしたそのファイトには敬服させられる。最近はめっきり目にしなくなった女史なんて言葉が随所にちりばめられていて20年という月日を感じる。調べてみるともう絶版になっていているようだ。

死都日本

 大学生の頃、硫黄山から入り、韓国岳、新燃岳、そして高千穂峰と霧島を縦走したことがある。どこも普段見られない風景が広がっていて、筆舌に尽くし難いほどの美しさを備えた山々だった。その時、新燃岳火口周辺は噴火活動が活発なために入山が禁止されていたのだが、そこを通らねば霧島縦走を成し遂げられないため、突っ切ったことはいい思い出である。しかしそれは大学生だからこそできた全く無謀な行為だった。石黒耀『死都日本』を読み終えた今となってはもはや絶対にできない。全体を通して冷静に振り返ってみると全く馬鹿げたシナリオだが、個々の自然現象さらには社会現象においても科学的な観点から緻密に調べ上げ詳細に説明されており、かつその全てが僕を含む多くの日本人が知らずきたことばかりで、驚きの連続である。この本は分厚く、各ページに収まっている文字の密度も高いので、通勤時間だけで読み切るのにはかなりの時間を要した。本を貸してくれた友人は、話の長さを息切れなどと表現していて、結末にはあまり期待していなかったのだが、最後の最後で著者のそれまでに見られなかった全く別な主張も展開され、最初とは違った読み応えを感じることができた。いずれ地球がなくなることは子供の頃から信じていたが、それ以前に日本がなくなるなどとはこの本以外、誰も教えてくれなかった。けっきょくのところこの本は、自分を火山おたくの准教授、最後には内閣総理大臣に準(なぞら)えた一医師の自慢話ではあるが、文学的、経済的、社会的な素養も含め一読の価値がある自慢話である。

友人の本棚へ

 僕は読み終えた本を自分の本棚に並べて喜ぶような人間ではないので、不要になった本は何らかの形で処分する。たいていは図書館から借りた本であり、友人から借りた本だったりするから返せばいいだけなのだが、先生の古稀のお祝いの会のお土産にもらった『明日への教科書』はいったいどうしよう。なかなかいい本だったのでただ捨てるわけにもゆかず、誰かにあげるにしても読むよう押しつけたくはない。そんなわけで本棚にしばらくの間並べてあったのだが、ふと思い付いた。札幌の友人の「おれの本棚」に並べてもらえばいいじゃないか。彼が読んでくれなくても、彼の弟子の誰かが手に取ってくれるかもしれない。家にレターパック350の封筒があったら、簡単な手紙を1枚添えて小さなその本一冊だけを投函した。追跡サービスで確認すると、今朝、3時前に向こうの郵便局に到着し、午後1時過ぎ、友人に届いたとのこと。

人間というもの

 岡山出身の友人に司馬遼太郎の『播磨灘物語』を薦めたら、『人間というもの』という本を貸してくれた。彼の膨大な著作の中から、人間とは何かを考えさせる記述を多数抜き出したアフォリズム集である。確か彼はこんなことを書いていたなと懐かしい本のページをめくっても、電子書籍でもなければ目的の部分にたどり着くのは極めて困難である。僕が気になった記述と、ここに抜き出されているアフォリズムが必ずしも一致するわけではないが、また、まだ読んでいない本からの抜粋もあったりするが彼が作品全体に渡って書き留めていることはかなり一貫していると言っていい。けっこう読んだと思ったが、まだまだ読むべき本は多数あるようだ。それにしてもこの本、著者名が司馬遼太郎となっているものの初版の発行日は彼の死から8年後である。まさか本人が選んだとは思えない。誰がどういった基準で選んだのか、責任の所在が明確でない。楽しく読みはしたが、死後、こんなアフォリズム集が出されたことを本人はどう思うことか。

理工系のための明日への教科書

 半年ほど前のことになってしまうが、博士課程の指導教官の古稀のお祝いがあった。先生はいつものようにお土産まで用意してくれ、そのうちの一つが『理工系のための明日への教科書 時代を担うトップからのメッセージ』という一冊。現在、国立大学の学長を務める先生が、自身も含め、特に産業界で活躍してきた研究者あるいは技術者を呼び、学生向けの講演をしてもらい、それらをまとめた本である。象牙の塔にこもって国からの研究費を享受している学者たちとは違い、社会に対する危機意識を常に持って仕事をしている彼らの姿勢は印象的だった。しかもその講演のどれもが東日本大震災の前に行われていたものであることは僕にとっては非常に驚きで、のほほんと生きてきた我が身を反省せざるを得ない一冊だった。

イヴの七人の娘たち

 年の瀬となりこの一年を振り返ってみると、読書量が極端に少なかったことに気付く。読んだ総量が少なかったわけではなく、書籍という形を取ったものを読み切っていない。その原因は明らかで、今まで読書時間に充てられていた通勤時間を、講義の準備、つまり教科書などを読むことに使わざるを得なかったからである。半年ほど前に友人からもらった文庫本が未だ読みかけだったので読んでしまわねばと、山形に向かう新幹線の中で久しぶりにページをめくった。サイクス『イヴの七人の娘たち』、遺伝学をやっている僕が友人からこんな本をもらうというのは奇異にも思えるが、知らないことも多く書かれていて非常にためになった。研究者同士の泥臭いやり取りも生々と書かれていて、面白いかと思ったが、けっきょくは自慢話ばかりであったのはなんか面白くなかった。それはともかく、前半を読んで遺伝学の啓蒙書かと思ったが、圧巻はアースラ、ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミンと名付けられた5万年から1万年前の間に、ヨーロッパのそれぞれの場所で生きていた女性、そして彼女を取り巻くホモ・サピエンスたちの生活である。その描写はとても同じ著者が書いたものとは思われず、これまで想像したこともなかった四季を通した暮らしは驚きの連続だった。僕の祖先はいったいどこで何をやって本州にたどり着いたのか。僕が死ぬまでにその一端でも解明できるのだろうか。

有償電子書籍の購入

 小学校の同窓会の時に、フィナンシャルプランナーをやっている友人が出した電子書籍の話になった。450円という価格が高いというカスタマーレビューがあり、またそれに対し、多くが無料のスマートフォンアプリにあってはみんなケチになるという意見があった。なるほど、同感である。そんなことを言っていると、本人から「だったら買ってくれ」と言われ、確かにその通りだと思い、買ってみることにした。これまで有料のアプリなど購入したことがなかったので、これが初めてとなる。通勤電車の中で読み始めたが、その本の内容も楽しめそうだし、iPhoneで読む電子書籍も、学術論文のPDFを拡大したりページの中の場所を移動させたりしながら読むのに比べると、なかなか便利である。他人に貸したり、あげたりできないことが不便だろうか。

ボクの音楽武者修行

 友人に薦められて小澤征爾『ボクの音楽武者修行』という本を読んだ。指揮や指揮者なんぞには全く興味はなく、最近はピアノ曲以外のクラシック音楽に対しても興味を失っているから、小澤征爾なんてどうでも良かったのだが、とにかく読んでみた。著者があとがきに書いているが、音楽家がこういった本を書くこと自体に無理があるとのことで、最初は自然とそんなことも感じられたが、いやいやこれはかなりいい本である。読み始めてしばらくして気付いたが、読むに当たって注意しなければいけないことは、かなり古い本であるということ。初版は昭和37年というからずいぶん古い。僕の生まれるずっとずっと前の話で、良く知らなかったが小澤征爾は僕の両親よりも年をとっていて計算してみると現在76歳にもなる。そんな時代にこんなことをしていたのかと、しばらくたってから驚かされた。武者修業とはこのことかと。海外旅行が当たり前、インターネットの普及した今の常識とはかけ離れた時代だ。頻繁に引用される手紙からもそんなことを感じることができる。平成生まれの今の子供たちが読んだとしたら、状況が全く分からないのではないか。著者がこの本を執筆したのは20代半ば。ちゃかされた自慢話が続くが、ところどころに彼がかなりの努力家であったことを示す記述も見られ、世界的な成功は決して運だけではなかったことを強く感じさせられた。しかしながら、いい音楽を作り出すための努力はある程度客観的に記述できるものの、小澤征爾といえども音楽そのものに対しての記述は主観的なものに留まる。それは50年を経た今でもそんなに変わらないだろう。この本を読んで音楽に対する理解が深まったようなことはないが、小澤征爾の偉大さは垣間見ることができた。
プロフィール

Glires

Author:Glires
生物学者の端くれ

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
01 | 2018/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

天気予報

-天気予報コム- -FC2-
アクセスカウンター
水槽
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。